3-7
闇夜に高く巻き起こる土煙。
その中心にいるのは、最強の存在。
それが劈くような叫び声を上げ、地面でのたうち回っていた。
僕はただ見つめる事しか出来なかった。
全ての力を使い切り、必死に体を動かそうとするが、いくら命令しても指ひとつ動かない。
それどころか、足はもつれゆっくりと地面に近づいていく。
ジュッ。
地面に着いた僕の頬を熱された地面が焼く。
熱い……
この痛みを僕は知っている。
奴隷時代に腕に押された焼印。
あの時の痛みが僕の頬からギリギリと伝わってくる。
蒼炎で燃えた地面は、赤熱した鉄板よりも遥かに熱かった。
それなのに。
一秒でも早く立ち上がりたいのに。
僕の体は一切動いてはくれなかった。
「……フィス」
消え去りそうな小さな声。
その声のほうへ視線を向ければ
ルーチェがその場に座り込み首をだらりと下げている。
当たり前だ。
僕もルーチェもとっくに限界を超えていた。
もう、龍どころか子供一人にだって勝てる気がしない。
正直打つ手なんてない。
暴れる龍をただ見つめる事しか出来ない。
「凄いね。まさかこんな事になってるなんて。ふふっ、本当に面白い」
ふと、僕の前に黒い影が落ちる。
見上げれば、一人の少女が立っていた。
地面に残された蒼炎に照らされた青い髪をなびかせ、楽しそうに僕を見ている。
「遅くなった」
そんな声と共に急に体が宙に浮き、僕は頬を焼く痛みから解放された。
僕の背中と足を支える逞しい腕。
なんて事はない。
黒肌の亜人フカさんが僕の体を持ち上げ、抱えてくれていた。
「俺達でも龍相手ではどうしようもない。だから、セプト様を呼んできた」
「ごめん……な…さい。巻き込まない……約束……」
もう、僕は言葉さえ旨く紡げなかった。
申し訳なさそうな表情を浮かべるにフカさんにちゃんと謝る事さえ出来なかった。
龍との戦いには巻き込まないって約束だったのに。
「いい。もう大丈夫だ」
そういってフカさんは、僕を少女の前に供物の様に捧げる。
気がつけばルーチェも僕と同様に赤肌の亜人。
リジーさんに担ぎ上げられ、少女の前に掲げられていた。
「本当は君だけを助けようとここまで来たんだよ?でも、まさか龍を落としているなんて驚きだね」
少女は笑顔を浮かべ、僕とルーチェの体に触る。
その瞬間、暖かい何かが僕の体に流れ込んできた。
「!?」
少女が僕とルーチェの体に触った途端、あれだけ命令しても動かなかった体が自由に動いていく。
それだけじゃない、僕の焼け爛れた肌がみるみるうちに綺麗な姿を取り戻し、折れていたはずの足や腕からも痛みが消えていた。
そして僅かな時間が経過した後、僕達は自分の足で地面に立つ事が出来ていた。
「何これ……どういう事?」
ルーチェも同じ感想を持ったのか、僕と見詰め合う。
僕らは知っている。
回復魔法はルーチェだって使える。
でも、それは完璧じゃない。
セネクスさん程の実力者なら切られた腕も戻すことも出来る。
でも、それだけだ。
失った気力や体力を回復させる事は絶対に出来ない。
火傷の傷や骨折は直せても、魔力の消費によって失った気力を回復させるなんてありえない。
それが出来れば、僕が剣闘士時代に寝込む事なんて無かった。
その……はずだった。
「龍なんて翼さえ落とせばただの大きなトカゲ。いつかは人に狩られる運命だね。付いておいで、紹介するよ」
そんな僕の疑問に答えることなく、少女は暴れる龍に近づいていく。
あの天災の如く暴れている龍に?
そんなのどう考えたって自殺行為だ。
「いいから。悪いようにはしないさ」
少女は呟き、僕とルーチェを顔を見合わせる。
そして僅かな躊躇の跡に、僕たちは頷き合う。
信じる。
それが、僕とルーチェが言葉も交わさずに出した結論だった。
”本当に大丈夫なのか?”
一歩、また一歩と竜に近づく度、そんな不安が大きくなる。
そして、その不安はすぐに現実の物になる。
「!!」
龍は僕らを見るなり、鼓膜が張り裂けそうな咆哮を上げたのだ。
そして、一目散にこちらへ向かってくる。
「逃げたほうが……」
僕は思わず一歩、二歩と後へ下がっていた。
理性を忘れた龍と正面からぶつかり合うなんていくらなんでも無茶だと思った。
「平気、平気。大丈夫だよ」
「ちょ!後ろ!!」
少女はクルリと反転し僕達に微笑みかける。
その後ろでは龍が大きく口を開き、素早い動きで少女を噛み砕こうとしていた。
(避けられない!)
僕はこれから起きる惨劇を覚悟した瞬間、地面が揺れた。
気がつけば龍は大きく口を開いたまま顔の半分を地面に埋めていた。
何をしたのか。
それすら僕には分からなかった。
「ほらほら、痛いのは分かるけど落ち着いてね」
少女は龍の顔に手を乗せる。
武器ひとつ持たない少女が笑顔を浮かべながら龍を押さえつける。
そんな、信じられない光景だけが目の前に広がっていた。
「君は翼を捥がれた、逃げることさえままならない。そんな状態で僕と戦うのかい?」
龍がグゥゥと小さく唸る。
小さな少女が、龍を従える。
それは、まるで御伽噺に出てくるような光景だった。
「いい子だね。少し待ってね」
少女の手がゆっくりと光を帯びる。
その途端、僕が切り落としたはずの龍の翼が淡い光と共に再生していく。
「ちょっと!何してるんですか!?」
冗談じゃない!
せっかく翼を落としたのに、そんな事したらもう太刀打ち出来なくなる。
「この子がいなくなのは困るんだよ。欲の深い人間が集まってくるからね」
「なにを……」
少女は僕の質問には一切答えない。
その一瞬の間に龍は元の姿を完全に取り戻していた。
「二人とも手を伸ばして、この子に触ってごらん」
ルーチェと目が合う。
冗談でしょ?
そんな感想を僕らは抱いたと思う。
ただ、少女の言葉に従うように龍は地面に埋まった顔を持ち上げると、ペタンと顔を地面につけていた。
「ほら、大丈夫だから」
少女は僕らの手をとり、無理やり龍の顔へ押し付ける。
龍の皮膚は、硬い岩石の様な感触だった。
「グゥゥゥ……」
僕らが触ると龍は目を閉じ小さく唸る。
それは慣れた犬の様な反応だった。
「どういうこと?」
「懐かれた……のか?」
「君達を認めたのさ。ふふ、龍が人を認めるなんてね」
僕らの疑問に答えたのは、セプトと呼ばれる少女だった。
「いやー、面白いものが見れたよ。この子は君達を強者として認めた。君達が望めば村はもう襲われる事はないさ。オデ……。いや、龍達の価値観はいたってシンプル、強き者を尊重する。それだけだからね」
「えぇ……」
知らない。
龍の価値観なんて分かるわけがない。
「試しに何かお願いしてごらん?彼は君達二人の意見なら聞いてくれるはずだよ」
「言葉わかるんですか?」
「うん、無駄に長く生きているからね。ただ人の言葉には興味が無いから喋りはしないけど」
「じゃあ」
予想外だ。
もし言葉が通じ、僕達が住むことを認めてくれるのなら、龍と戦う理由なんてない。
「この村だけは襲わないで下さい。他は貴方の縄張りですから、文句を言える立場にありません。でも、出来ればこの場所で貴方と一緒に生きていく許可が欲しいです」
僕の願い。
それに応えるように、龍は小さく吼える。
「分かったってさ。でも、君達の村に人が大勢でやって来たらきっとこの子は襲うよ?それでもいいの?」
「構いません。むしろ好都合です」
僕の言葉。
それに応える様に、龍はもう一度小さくうなり声を上げ、空高く飛び去っていった。
龍の姿は空の闇に紛れ消えていった。
そして、その姿も音も聞こえなくなった瞬間、今度は遠くから歓声が湧き上がった。
それはリティや生き残った村の人たちが上げた声だった。
皆、僕とルーチェの名を叫びながら嬉しそうにこっちに向かってくる。
「……どうして?」
よくわからなかった。
村は半壊し、村人たちが命を失った。
僕は皆を守るという約束すら果たせず、途中村人を見捨てようとした。
それなのに。
みんなから怒られても仕方ないはずなのに。
皆僕の想像とは真逆の反応を示しながら僕らに向かってくる。
「何を考えてるかはしらないけど、龍を退ける人間なんて、普通なら存在しないんだよ?龍を退けて胸をはれないなら、世界の創造主でも屠るしかないよ?」
「いえ、そんなんじゃ……」
「冗談さ、それより僕は君にここまで協力したんだ。お返しは貰えると期待していいんだよね?」
「あっ、はい」
そうだ。
僕は約束していた。
「僕の知りうる事全てをお話します」
それが亜人達の長
セプトと呼ばれる少女との約束だった。