3、塩水のスープ
硬い衝撃が背中に走り、僕は目を覚ます。
最悪の目覚めだ。
「ちょっと!何を!」
気がつけば僕は知らない男に足を掴まれ、馬車から引きずり下される所だった。
そして、知らない男は僕を馬車から乱暴に地面へと投げ捨てる
「かはっ!」
体に走る衝撃。
手や足につけられた木の板のせいで受け身も取れなかった。
行き場の無くなった体中の空気達が我先にと溢れ出してくる。
人権なんてまるで考えられてない。
運送会社で運ばれるの荷物の方がよっぽど良い扱いを受けている位だ。
僕はただ、ゴホゴホと咳き込む。
それしか出来なかった。
すると、僕の脇に数人の汚い子供がやってきた。
手や体は真っ黒に変色し、体には申し訳程度のボロ布を纏っている子供達。
子供達は、その汚い手で僕の鎖や手足の木の板を外していく。
(なんでそんな目をしているの……)
その子供たちの手足は棒の様に痩せ細り、目は死んでいた。
僕は咳き込む事も忘れ、恐怖した。
今まで生きてきた中であんな表情をした人間を見たことがない。
なんていうか、死んだ人間。
動かないはずの人間が黙々と作業をこなしていく。
そんな不気味さが感じられた。
木の板や鎖を外し終わると、子供達は僕をグイグイと引っ張っる。
死んだような目つきのまま。
僕は抵抗する事も忘れ、その気味悪い子供達に従う様に引っ張られていった。
◆
「gadgntuyta」
「Й:en:S」
「ἱερογλυφικ」
子供達に連行された先。
そこは焚火のある広場であった。
連行された僕の前に、沢山の人がやってきた。
そして、何か理解できない言葉を発し去っていく。
初めは”何を言ってるのか分からないです……”と、答えていたのだが
途中からは、ただ首を横に振って答えていた。
何人位が僕の前に立ち、去っていっただろうか。
もういい。と言わんばかりに、偉そうな人が残念そうに首を振り、周りの男達に指示を出す。
すると、その指示に従う様に筋肉隆々の男達が焚火から何かを取り出し僕に向かってやってくる。
「ちょっと待って!待って!!」
僕は叫んでしまった。
だって、その男達の手には穂先が真っ赤に変色した棒が握られているだから。
その棒は寒くも無いのに白い煙を濛々と上げている。
間違いなく熱い。
触ったら火傷どころか皮膚が爛れるレベルで。
バカでもわかる。
あれを。
あの熱い棒を僕に押し付ける気なんだ。
「やめて!やめろ!!触るなよ!!」
だから、僕は必死で暴れた。
あんなの押し付けられたら絶対に怪我する。
それどころか、一生消えない傷になる。
(えっ……)
突然、顔に衝撃が走った。
そして、僕の理解より先に鈍い痛みがやってくる。
なんなんだ?
理解が追いつかない。
ああ、わかった。
地面に叩きつけられ、口内から溢れる血が状況を教えてくれた。
僕は殴られたのだ。
1人の男に容赦なく思いっきり殴られたんだ。
”なんで?なんで殴られたの?”
何度考えても答えは分からない。
ただ、その答えの代わり僕を殴った男は、僕の腕をガシッと握る。
「折れる!折れる!!やめて!ごめんなさい!!」
男はそのまま、僕の腕を後ろへ回し捻り上げていた。
手加減など一切ない。
本当に下手をすれば折れるような力だった。
だから、僕は抵抗をやめる。
というか、抵抗なんて出来る訳がない。
少しでも動けば本当に折れてしまいそうな位に締め上げられているのだから。
男達は僕が抵抗しなくなった事を確認し、頷き合う。
そして、真っ赤に変色した棒僕の腕に押し付けた。
「があぁぁぁ!!」
ジュウという音と共に、肉が焦げる匂い充満する。
それは熱いとかいうレベルの物じゃなかった。
神経をねじ切られるような激しい痛み。
その直後、僕の視界は真っ黒に暗転する。
僕が覚えているのはそこまでだった。
◆
「何で……数字だけは同じなの……」
どれくらいの時間が経っただろう。
気が付いた時には、赤熱の鉄を押し付けた男達は僕の前にはいなかった。
ただ、叫び声がどこからともなく響いてくるので、たぶんあの最低な作業を繰り返しているのだろう。
腕がジンジンと痛む。
腕には”19”という数字が刻まれていた。
それは奇しくも元の世界と同じアラビア数字であった。
「焼印……じゃないか」
あの熱した鉄の棒。
それは、”19”という数字を僕に刻み込む為の物だった。
”焼印”
それは奴隷や家畜などに対して所有者を明確に擦る為の物。
確か、日本ではもう生きた牛や豚などの家畜にこういった焼印はされていないはずだ。
たしか動物愛護の観点から家畜でそういった事はやらなくなった。って聞いている。
「……僕は家畜以下の存在……か」
ははっ。
もう、笑うしかない。
僕はもう人ですらない。
牛や馬の家畜の以下の存在だ。
異世界転移がこんなに僕の想像と違うなんて、思いもしなかった。
「……痛い……痛いよ……」
焼印された腕だけじゃない。
体も心も何処かしこも痛かった。
僕は、もう人ではなくなった。
体には2度と消えないその証までいれられて。
「もう、やだよ……帰りたいよ……」
部活をさぼりたい。塾がめんどくさい。
中間テストが嫌だ。
そんな事で悩んでいた自分を殴りたい。
こんな地獄の様な場所に比べれば、部活だって塾だってなんだって天国だ。
僕は、膝を抱えて座り込む。
それだけで、体は小さく震え、涙がとめどなく溢れてくる。
今までどれだけ裕福な立場にいたのか。
どれだけ、色んなものに守られていたのか。
それに感謝する事も無く過ごしていた毎日。
それなのに。
溢れる幸せを享受し、大切に守られて生きていたのに。
僕は異世界に行きたい。魔法を使ってみたい。
そんなバカな事を毎日考えていた。
本当なら僕は両親や環境に感謝すべきだったのだ。
それを怠り、別の何かを求めた。
今の状況は、その罰なのかもしれない。
もう、後悔してもしきれなかった。
コトッ。
僕の目の前で音がした。
顔を上げれば、そこには小さなパンと素焼きの食器に入れらたスープが置かれていた。
唾は勝手にゴクリと鳴る。
そこには、一人の男性がいた。
無精ひげを生やした20代中盤位の男性。
「食べていいの?」
僕が尋ねると男性は軽く笑い、縦に首を振る。
その合図を見た瞬間、自分でも驚く位出された食事にがっついていた。
殴られたせいか、スープを飲めば口の中が飛び上がるほど痛い。
パンはパサパサで硬い。
とてもじゃないけど、元の世界なら食べられるような代物じゃない。
スープの味も水に塩をいれただけ、ただそれだけ。
子供のイタズラよりも酷いふざけた味だ。
でも、だけど……それでも……
「おいしい……」
また、涙が溢れてしまった。
暖かい食事。
これだけで、本当に心も体も癒されてしまう。
「……ありがとう」
僕は食事をくれた男性に頭を下げる。
その男性は顔の前で恥ずかしそうに手を振っている。
よく見ればその男性の足には鎖が繋がれ、その鎖は僕の足へと繋がっている。
「なに……これ?」
ジャラジャラと音を立てる頑丈な鎖。
その鎖を見ていると、背中を軽く叩かれてしまった。
食事をくれた男性が、僕の背中を叩き何か言っていたのだ。
言葉なんて分からないが、なんとなく”よろしくな”と言っている様だというの分かった気がする。