15,10勝目
「恨むぞ……クソガキが……」
「ええ、お好きなように」
敵の最後の言葉。
それを僕は受け止め、敵の胸へ剣を突き立てる。
剣先の感触から命の灯が失われていくのが伝わってくる。
この感触だけは慣れる事が無い。
その一連の所作を見ていた観客からは割れんばかりの歓声が上がっていた。
蜜蜂の巣みたいな観客席。
そこから上がる歓声は相変わらず凄まじい。
油断をすればその感情の渦に簡単に飲み込まれそうになる。
僕は小さく息を吐く。
そして敵の胸から剣を引き抜き、素早く振る。
ヒュと音立てるだけで、剣からは血が無くなっていた。
これで僕は剣闘士としての10勝目を手にしたことになる。
ここに……コロセウムに来てから半年以上。
僕がこの世界に転移してから1年もの時が経った。
僕の身長も体も多少は大きくなったけど、北位の仲間からはまだまだ子供扱いだ。
別に嫌ではないからいいけど。
ただ、僕は実力。
それだけは1年前とまるで違っていた。
はっきり言って強くなった。
それは北位の長であるゾットさん。
彼の指示で色々な人から戦いの指導を受けたおかげだ。
盗賊上がりのディーンさんからは、盗賊の技術と正攻法でない汚い戦い方。
槍使いのトルアさんからは、間合いの長い敵との戦い方
そして、ゾットさんからは、効果的な攻撃の組み立て方。
北位の中でも特異な技術を持つ人から、その技術を直接叩き込まれたのだ。
アィールさんも”他では得られない良い経験”だと太鼓判を押してくれた。
何度も血反吐を吐いたけど、その成果は抜群だった。
というか、本来なら教えて貰えない技術を特別に教えて貰ってるのだ。
強くならない方がどうかしてる。
事実、今日の試合などは強化魔法すら使っていない。
「……まだだ、もっと強くならないと」
僕は確かに強くなった。
だけど、アィールさんの隣に立つにはまだまだ足りない。
もっともっと技術を学び、体を鍛える必要がある。
それを怠ればアィールさんと並ぶどころか、目の前の屍と入れ替わるだけだ。
僕は目の前の屍に一礼すると、剣闘士の控室に戻る為に会場を後にする。
その間も僕への歓声が止むことは無かった。
◆
「強くなったな。フィス」
歓声が響く会場から控室に戻る最中。
石壁の廊下でアィールさんに声をかけられる。
「全然です。訓練では一度もアィールさんに勝ててませんから」
「俺に勝つなんて10年早いぞ」
アィールさんは笑いながら僕の肩を小突く。
既に40勝している凄腕の剣闘士としてアィールさんは有名になっている。
当然、人気も物凄く高い。
強い剣闘士はそれだけで英雄として扱われるのだから。
「油断して負けないでくださいね」
アィールさんがここにいる理由。
それは僕に声をかける為じゃない。
次の試合。今日の大一番の試合。
それに出場する為だ。
僕の試合なんて、アィールさんの試合を盛り上げる為の前座でしかない。
「ああ、分かってる。全力を尽くすさ」
アィールさんは片手を上げ、会場の光の中へ消えていく。
その瞬間、歓声が爆発し石壁が震える。
「どれだけ人気なんだか」
あまりの人気に少し呆れてしまう。
僕はアィールさんの試合を見る事は無い。
もう結果が分かっているから。
その間に訓練して少しでも強くなる方を僕は選ぶ。
でないと、僕がアィール追いつくことは永遠にない。
それ位僕とアィールさんの間には差があるのだ。
◆
観客席の中央。
剣闘士が戦う姿を一番良く見られる場所。
そこには深紅の絨毯が引かれ、その上には細かな装飾の施された椅子が置かれている。
椅子には、一人の男が座っている。
赤いトーガを着ただけのシンプルな出で立ちの男。
ただ、その男の周りには重厚な鎧と武器を携えた兵士。
そして、一人の従者が綺麗に整列をしている。
それも当然の事であった。
兵士達を従え椅子に座る男。
皇帝であった。
この国において唯一無二の存在。
「誰だあの男は」
会場の中心で歓声を浴び続ける男。
その男を見つめながら、皇帝は傍にいる従者に尋ねる。
従者はその問いに答える為に一歩前へ出て頭を下げる。
それほど観客が上げる歓声が大きいのだ。
「半年前に北位にやってきた奴隷でございます。面白い事にこの半年の試合の殆どをこなしており、一日で2試合こなしている事も珍しくありません」
「ほぅ、面白いな」
従者の答えは、皇帝に興味持たせるには十分であった。
男は、ほんの数回剣を合わせるだけで敵の剣闘士を簡単に屠っている。
その圧倒的な強さは観客を魅了するには十分だろう。
「ならば、次は後ろの近衛騎士と戦わせてみよ」
「はっ?」
「聞こえなかったのか?」
「いえ、申し訳ありません……ですが……」
従者は皇帝の真意を探ろうと会話の端々で顔を盗み見る
皇帝はただ無表示で会場を見つめるだけ。
そこに深い意図があるのかすら従者には分からなかった。
「ああ、待て。1対1では面白くないな。2対2、いや、3対3の方が面白かろう」
「3人もですか!」
「問題でもあるの?」
従者は皇帝の突拍子の無い言葉に唖然とするが、すぐに反論しようと言葉を組み立てる。
「近衛騎士は全部で10名です。内3名を戦わせるなど……もし我が近衛騎士が負けるような事があれば……」
「ククッ、面子が立たんか?」
「はい、陛下の護衛にも支障が出る上に、騎士の威信も地に落ちるかと……」
皇帝はその言葉を聞いて笑っていた。
予想通りの反論が心地いい。そんな感じにさえ見える。
「よいよい、余が楽しめればそれでいいのだ」
「ですが」
「くどいぞ?ならばお前が出るか?」
皇帝はその言葉共に従者を睨み付ける。
その鋭い視線に、従者は背筋が凍る様な寒気を覚える。
目の前の皇帝と呼ばれる男が、母親殺しという禁忌を犯した事を思い出したのだ。
「言葉が過ぎました陛下。お許しください。」
従者は頭を深く下げる。
それは、皇帝への無礼を詫びるというよりも、一刻も早く視線から逃れたい。
そんな思いから出た行動であった。
「では、早速手配せよ」
「はっ」
従者は逃げる様にその場から去っていく。
皇帝はその従者を一瞥することも無く、ただ会場の中心に目を向けていた。
観客からアィールと叫ばれ続けるその男を。
◆
「なんだあの皇帝は!!」
「我らをなんだと思っておる!!」
石壁に囲まれた小さな一室。
壁には槍や剣などの武器が所狭しと飾られている。
そこは近衛騎士達の詰め所。
簡単な装備の点検や、護衛の引き継ぎを行う為の部屋であった。
今は引き継ぎや武具の点検は行われてはいない。
ただ、皇帝への不満や近衛騎士達の扱いに対する不当さを訴える声だけが響いている。
「なぜ、自分たちが剣闘士……いや、奴隷風情と!!」
一人の若い騎士が机をダンと叩く。
近衛騎士とは、一つの象徴でもある。
辛い訓練を乗り越え、その中でも特に優秀な騎士だけがなれる名誉職なのだ。
だからこそ、剣闘士などという野蛮な奴隷と戦わせられる事など
近衛騎士にとって屈辱以外の何物でもない。
「陛下は我々を疑っておられる」
不満や愚痴を苦々しい顔で聞いていた一人の男が声を上げる。
年齢にして40歳を過ぎたあたり。
顔に深く刻まれた皺は様々な経験を刻みこんだ年輪の様にも見える。
彼は騎士の中でもベテランの部類に属し、その経験に見合うだけの実力を備えた男。
近衛騎士の隊長であった。
「何故善政を行っていた陛下があんな風に変わられてしまったか。皆も知っているだろう?」
騎士隊長は近衛騎士全員を見る。
良く知った顔であった。
近衛騎士は皇帝を守るという特性上、基本的に入れ替わる事がない。
暗殺を防ぐ為にも、信頼できる人員だけで構成されるのが通例である。
つまりここにいる近衛騎士全員が、今の皇帝が即位してからずっと傍に仕えている。
「……」
過去の皇帝を知る近衛騎士だからこそ、その言葉の意味が分かる。
皇帝がああなってしまった理由は、自分たちにある。そう思っている騎士さえいる位だ。
「ならば我々はどんな時であろうと無理難題に応え陛下の味方であると、証明すべき良い機会だとは思わんか?」
その言葉に反論する者はいなかった。
先ほどまで止むことのなかった愚痴や不満の代わりに
カチッカチッという柱時計の音がだけが石壁に反響する。
「俺は……戦います」
その沈黙を破ったのは先ほど机を叩いた一番若い騎士であった。
「陛下を元に戻せる。その為の一歩になるのであれば奴隷とだって喜んで戦います」
その言葉を皮切りに、他の騎士も若い騎士に賛同していく。
先ほどまで出ていた不満や愚痴はもう見られなかった。
騎士隊長は安堵する。
近衛騎士の本懐は優遇される事ではない。
陛下を一番に考える事である。
それが消え去っていない事を確認できたのだ。
あとは、その忠義を皇帝へと示すだけでいい。
「皆、本当に感謝する」
その騎士隊長の言葉に近衛騎士たちは、頷き、手を取り合う。
それは自分達に失われていた一番大切な物を思い出したかのようであった。