プロローグ
アニメ化の可能性もある悪女令嬢には転生できなかったけど、結構な市民権を得ているモブ令嬢に転生した私は、王子様の開いた夜会に来ている。
特別なにをするわけでもなく、雑談をしては料理やお酒を楽しむ会。
広い会場の至るところにテーブルがあり、美味しい料理やお菓子が並んでる。
どうやら、王子様は食べることが好きらしい。
今も遠くで令嬢達に囲まれながら、パクパクなにか食べている。
イケメン極まれりな王子様、食べている姿も素敵ぃ。
近くで見たい。
今日は勇気を出して近づこう。せっかく転生したことだし楽しまなくちゃ。
ここは中世ヨーロッパ風な世界のはずなのに、マーメイドラインのタイトなドレスで歩きやすい。
みんな、同じようなドレスを着ている。
王子様が夜会を始めてから流行り出したというこのドレスは、テーブルに近づきやすくて食べやすい。
パーティー会場も見た感じ、転生前の世界の立食パーティーそのもの。
王子様にたどり着く前に、美味しそうな料理が目に入り――少し寄り道して食べてみましょう。
見た目は肉じゃが。
味はなにか違っていて惜しい。
そういえば、異世界にジャガイモは出しちゃいけないんだっけ。中世ヨーロッパにジャガイモはないから中世ヨーロッパをモチーフにしている異世界ファンタジーにもジャガイモがあっちゃいけないとか。だから、味がなんか違うのかも。私は気にしないから、本物の肉じゃがが食べたかったな。
まっすぐ王子様のところに行けばよかった。
口元を綺麗に拭く時間ロスを経て、ようやく王子様をとりまいている令嬢達の少し後ろまで来れた。
王子様ぁ、カッコいいぃ。
ボケーッと見惚れている私には気づかず、王子様はソツなく令嬢たちの話を笑顔で聞いている。
令嬢たちの中、王子様の隣に、気の強そうな超美人がいる。
絶対、あの人が悪役令嬢ですわ――直感というか、一目で違いがわかる存在感放ってる。
私は存在感ゼロ。モブなシャイなので、遠くから見ていることしかできない。
王子様の取り巻きにも入れないモブ。
この異世界の元ネタがわからないくらいのモブ。
ま、どんな世界か確かめるのは後にして今は、王子様、王子様。
……王子様といっても、バカ王子かもしれない。
取り巻きに加わらなくて正解?
遠くから観察してみよう!
――今のところ、料理の話しかしてないし、目線も料理に向けられるほうが多いな。令嬢を見るのは、料理の話を聞く時だけ……
その令嬢たちとの話も一段落して、王子様が口を開いた。
「また、小腹が空いたな」
王子様がしゃべるの、初めて聞いた。
声も綺麗。もっと聞きたい。
少し近づく。
令嬢たちは、すかさずテーブルの方を見た。
「次は、なにを召し上がりますかぁ?」
「味噌汁飲みてぇ」
え?
令嬢たちも一斉に、え? と言った。
「えっと、み、ミ、ミネストローネですかぁ?」
令嬢の一人がサッとミネストローネの入っているらしいカップを王子様に差し出した。
ミネストローネはあるのか……
王子様もそんな顔でカップを見つめてから、顔をそむけた。
「違う。それじゃないんだが、もういいんだ」
にこやかな顔を令嬢たちに向けた王子様は、少し外の空気を吸ってくるよと言って歩き出した。
その背後に、そっと忍び寄ろう。
もはや、王子様にお近づきになるなんて私には無理ぃ!
なんて、後で黒歴史になりそうなモブ令嬢ムーブは忘れて。
冷静になった私の耳に響いたのは、嘆き。
「いっそ、醤油飲みてぇ。焼肉のタレでもいい」
王子様は呟きと共に会場を出た。
後をつける。
人のいない庭に出て、満月を見上げる王子様。
ゆっくりと近づく。
王子様が気づいて、こっちを見た。
私は立ち止まると、口を開く。
「王子様、あなたも転生者ですね?」
笑う私に向けられた、王子様の驚きの瞳。
「君も、転生者なのか?」
「はい」
王子様と私はすぐに打ち解けて、噴水のふちに腰掛けて、お互いのことを話しはじめた。
王子様は転生前は孤独な社畜だったそうだ。
月夜の噴水に座るキラキラの王子様からそんな話。
聞きたくなかった。
でも、私も、綺麗な令嬢の姿で似たような前世を話したのでお互い様!
私たちは笑いあい、ひと息をついて夜空を見上げた。
「前世の日本が恋しいですか? 味噌汁飲みてぇって」
「聞かれてたか。暮らしは王子の方が断然いいけど、食べ物はやっぱり日本食に限るなぁ」
「そうですねぇ」
私たちは海外旅行中の熟年夫婦のように、しみじみとうなずきあった。
「日本食みたいなのもあるんじゃないかって、コックに色々作ってもらってるんだ。それで、一人じゃ食べ切れないからパーティー開いてみんなに食べてもらってる。みんなで食べると美味しく感じるし、人の意見も聞けるし」
「そうですねぇ、いいですねぇ」
私はすっかり老いた妻のような気分で笑顔を向けた。
「――あの、できたら一緒に、料理の研究をしてもらえないかな?」
王子様は会社員のように腰低めに訪ねてきた。
「え、いいんですかぁ? 私でよければ喜んで」
私もモブだからか元会社員だからか腰低く答えていた。
「ありがとう!」
嬉しそうな、王子様の笑顔。なんて、魅力的……
「さっそく、どんな料理が食べたい?」
「そ、そうですねぇ、カレーかな」
「カレー食べたいよなぁ。スパイスあるかな? おれ、カレーうどんも好きだから、うどんもなんとかしないと」
「カレーうどんは、お洋服にハネたらまずくないですか? 黄ばんで取れませんよ」
「そこは、王子様だから。着替えは山程あるから心配ないよ。君こそ、ドレスにハネたら困らない?」
「そうですね、私はモブで家も大してお金持ちじゃないので困りますね」
「そっか」
恥ずかしくなった私に対し王子様は笑顔――?
「ドレスくらいプレゼントするよ!」
「いいんですかぁ!?」
「ああ! だから、一緒に思いっきりカレーうどんをすすろう!」
「はい! ありがとうございます!」
モブが王子様とお近づきになっていくストーリーなんだろうなとは思ってたけど。
ドレスをプレゼントしてもらう、きっかけがカレーうどんなんて。
この異世界ストーリー、どこに向かってるんだろう?
まぁいいか。
「ドレスといえば、このマーメイドドレスは食べやすくて助かりますよ」
「そう? よかった。前の異世界風なドレスは女性たちがテーブルに近づきにくそうにしてたからさ、前世の世界にほっそりしたドレスあったなぁーって、仕立て屋に作ってもらって広めたんだ。食べやすいならよかった!」
「女性たちがテーブルに近寄らないのは、お料理を食べるのを遠慮してるのもあると思いますよ。王子様の前ですし、太りたくないだろうし」
「そうか、でも、君は遠慮しないで食べてくれ。料理研究のパートナーなんだから」
「はい、遠慮なく」
私たちは屈託なく笑いあった。




