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98.別れ

 人が死んだ。

 自分を守るために、目の前で。


 リエリーは、バッシャールの襲撃があった日、殺されて床に倒れた護衛官を思い出していた。

 彼に愛する家族がいただろう、彼自身の未来の夢もあったろう。それは自分を守ることで断ち切られた。


 リエリーは考える。

 私は果たして、彼の命に値するような価値のある人間だったのかと。

 彼はリエリーに価値があるから守ったのではない、王女である自分を守ったのだ。

 

 今、王女であるという意味がリエリーに理解できた。

 私は、王女に生まれたから王女なのだ。


 王女に相応しい人間だから、王女なのではない。


 取るに足らない、空っぽの価値のない人間だったとしても、王女として生まれたならば、こうして自分を守って死ぬ人間がいるのだ。


 あの襲撃の日、アツリュウは会いにきてはくれなかった。

 彼は城に戻るとすぐにヨンキントを助け出すために、バッシャールの根城に向かった。


 自分が考え無しに発した「ピプドゥ」の一言。


 それが、賊を招き、何人もの護衛兵を殺し、ヨンキントを自分の身代わりにし……そして、アツリュウを殺されるかもしれない場所に送り込んだ。


 それなに、リエリーは自分の勝手さに、呆れて情けなくなる。

 リエリーは待っていた、アツリュウが真っ先に、自分に会いに来てくれることを。


 己の愚かさ、そして、どんなに愚かな人間であったとしても、自分は王女をやめられないのだとリエリーは悟った。


 翌日アツリュウはヨンキントを無事に救出して城に戻ってきた。

 そしてリエリーに告げた「姫様、モーリヒルドにお帰りください」と……


 「もう、あなたをここでお守りすることはできません」

 

 アツリュウは、護衛官が職務上の報告をするみたいに、感情の無い顔でリエリーに言った。

 


               ◇◇◇   ◇◇◇


 城の城門前の馬車停めに、エイドドアドの港に向かう馬車が停まっている。

 襲撃があった日から3日目の今日、リエリーはモーリヒルドに帰る。


 あの馬車に乗り込んだら、アツリュウとはもう永遠に会えなくなる。


 スオウがリエリーをモーリヒルドの離宮まで送ってくれるのだと決まっていた。

 アツリュウは、リエリーを港まで送らないという、この領主城でお別れなのだ。


 スオウは一緒に送りたいと願ったカーリンを馬車に乗せることを許さなかった。カーリンは先にエイドドアドの港で待っていて、そこでリエリーを見送るからと一足先に行ってしまった。


 城の城門前の広場に、オルゴン、キボネ、ヨンキントらが見送りに出てくれている。

 リエリーは彼らに別れの挨拶はしたけれど、いくら言葉を尽くしても伝えきれない感謝の気持ちがあった。


 真夏の早朝、エイヘッドでは爽やかな山からの風が吹く。


 長く伸びた彼の癖のある髪が、風に揺れている。

 もう、見送ってさえくれないかと思っていた。

 けれど、アツリュウは来てくれた。

 

 あなたの何もかもが好きだと思う。


 その癖のある濃茶の髪も

 しなやかな体躯も


 大きな手も

 そして、琥珀の瞳も


 背を向けて馬車に乗り込めば、もう2度と彼を見ることは叶わない、彼の全てを、何もかもを……


 たった一言の過ちで人を殺してしまうなら、モーリヒルドの離宮にいよう。

 私は王女として、生きていくしかないのだから。


 そしてリエリーにはもう一つ、ここを去らねばならない事実がある。

 アツリュウは自分を求めていない。


 『あなたと結婚するつもりはない』と、はっきりとアツリュウは本音を伝えてくれた。

 それはリエリーが王女である無しではなく、彼の意思なのだ。

 私自身を見て、彼が決めたことなのだ。


 王女としての自分はもうここに居てはいけない。

 そしてリエリーとしての自分も、アツリュウに必要とされていない。


 アツリュウに愛してもらえない現実を受け入れよう、リエリーは決心した。


 知っていた。出会ったあの日からどんな時も、アツリュウは私を守っていてくれていると。大切に想っていてくれるのだと。

 それで、いいではないか……それ以上を望んではいけない……

 もう、彼を傷つける存在になりたくない。


 今日でお別れ……

 でも……

 願いがあった、一度でいい、たった一度でいいから……

 

 アツリュウに抱きしめて欲しい。


 アツリュウが好き、でも受け入れるから…… もう永遠に会えなくなることを……受け入れるから……

 もうけして、何も望まないから、遠くから見ることさえ、もう望まないから、だから……


 たった一度でいい、抱きしめて欲しい。


「姫様、それでは参りましょう」

 スオウが、馬車に乗るように声をかけるのが後ろで聞こえた。


「姫様……」

 アツリュウが、ささやき見つめてくる。

 大好きな琥珀の瞳は切なげで、そんなはずはないのにリエリーに「行かないで」と告げているように見えた。


 風に吹かれた前髪が揺れて、彼の額が見える。微かに残っ茶色い場所、それは恩赦の戦の傷。

 モーリヒルドの東屋でお別れした時よりずっと、その色は薄くなっていた。


 もうけして無茶はしないでと、その傷に触れたかった。けれどあの日のように、彼が逃げてしまう気がして触れることはできなかった。


「アツリュウ、どうか体を大切にしてください。あなたの幸せをいつでも祈っています」


「姫様、どうか幸せになって。いつかあなたが選んだ人と幸せになって欲しい……」

 アツリュウは言葉を詰まらせた。


 他の誰かと結婚してほしいと言われる度に傷ついてきた、けれどそれが彼の望みならば、私はそれを受け入れよう、あなたのために……


「はい、分かりました」

 きっと、ちゃんと笑顔をつくれていたと思う。


 リエリーの返事を聞いた瞬間、アツリュウの瞳が揺れた、少し驚いた顔をした。でもすぐに彼も微笑みをつくって頷いてくれた


「アツリュウ、最後に1つだけお願いがあります」


 切なげな瞳が、もっと苦し気になる、彼が「なに?」と小さく答えた。


 言葉にするのが怖い、でも……ここで、言わなければきっと一生後悔する。


「一度だけでいいの……お願い、抱きしめてください」


 アツリュウの顔が歪んで、泣いてしまうのかと一瞬思った。彼は目を閉じ、(こぶし)を握りしめて額に当てた。

「すまな……い……ひ……さま」


 震える声が聞こえた時、ああ駄目なんだと……私は永遠にあなたに抱きしめてもらえないのだと……


 目をきつく閉じた。

 アツリュウ、アツリュウ、アツリュウ

 あなたが目の前にいるのに……

 最後まで、私は…… あなたに触れることが叶わなかった。


 彼の目を見ることはできなかった。

 リエリーは振り返って、飛び込むように馬車に乗った、座ると両掌を思い切り握って、声を出した。大きな声を出そうと思ったのに、震えたか細い声になった


「スオウ、行きましょう」


 外から御者が扉を閉めると、スオウが騎乗する音が聞こえ、彼が出発の号令をかけた。


 息を止め体に力を入れて、リエリーはこれから起きることを覚悟した。


 これで最後、もう一生アツリュウに会えなくなる。

 アツリュウと心の中で何度も叫んだ。


 馬車が動き出した。



 

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