97.深夜の語らい
天幕の中は真っ暗で、隣に横になっているヨンキントの顔は見えなかった。
「アツリュウ殿、どうしてあんな投げやりな態度でバッシャールと話したのですか? 私は怖かったです。彼が怒ってあなたを傷つけるのではないかと」
「バッシャールを怒らせようとしていたのはヨンキント様のほうだ」
アツリュウが暗闇のなか、横に寝ている彼にそうい言うと、大きなため息がきこえた。
「彼の気を私のほうに引きたかったのです。あなたは、バッシャールに殺されても平気なような顔を本気でしてました。まあ、だから彼も、そんな強気なあなたを気に入ったのかもしれませんけど…… どうしたのですか? あなたは本当にピプドゥに行ってしまいそうだった」
「遠くに行きたい……」
アツリュウのつぶやきに、ヨンキントが体を動かしてこちらを向いたのが分かった。
「姫様をモーリヒルドに帰すと決めました」
「いいんですか? セウヤ殿下はリエリー様を閉じ込めてしまうかもしれませんよ」
「それでも…… 姫様は自分が選んだ相手と結婚できる。彼女は強くなった。いつか相応しい伴侶を見つけてくれると信じています。もう俺は彼女に関わらないと決めたのです」
ヨンキントは何も返さない、暗闇に向かってアツリュウは言葉を続けた。
「彼女を帰すと決心した時、正直ほっとしたんです。もっと強い寂しさに襲われると思っていたのに、俺は楽になった気がした」
アツリュウは天に向かって手を伸ばした。
「苦しいんです。姫様に近づくほどに愛おしくなって触れたくなる。でも触れようとすると、その何倍も強い力で引き戻される。無意識に彼女から飛びのいているんです。そんな俺の姿を見せて、彼女を傷つけたくない……ちがうな……そんな自分を俺が見て傷つきたくないのかも……」
ヨンキントは、アツリュウの告白になにも返さなかった。長い沈黙の後で「私の話をしましょう」と彼が話しだした。
「私は、ヨウクウヒ王の息子で第三王子です。私の父はこの国の神官最高位である御柱であり、次の後継者に私を指名しています」
アツリュウは驚きに言葉を返せなかった。ヨウクウヒの第三王子というだけでなく、次期ヨウクウヒ王になるかもしれない人だったのだ。
「でも、私は王になるには決定的な欠落があります。ですから兄達はわたしが次期王になれないことを知っています。父だけが私に固執している」
欠落とはなんだろうかとアツリュウは気になったが聞けなかった。ヨンキントが少し長い話になりますが聞いてください、と静かに語り出した。
「私は生まれつき性欲がないのです。だから子を成せません」
とても驚いた。そんな人がいるのかと初めて聞いた。
「驚かれるかもしれませんが、そういう性質の人は少数ですがいるのです。そして何故か、ヨウクウヒ王家には時々この性質の者が生まれます。父もそうです。だから父は自分がされたことと同じことをすれば、私にも子が成せると考えているのです。でも私には無理なのです」
彼は苦し気に息を吐いた。
「体を拘束されて、大量の薬を飲まされて拷問のようなことを繰り返されるのです。たぶん父はこの苦痛を受けた者こそが王たるべきと妄執しているのでしょう。父は恐ろしいほどに私に執着している」
ヨンキントの悲し気な言い方に、アツリュウは彼の受けてきた苦痛の深さを感じた。
「私はアピドに逃げた。でも最高位の御柱の命令から、私を守ってくれるものなどないのです。ですから、私はがむしゃらに出世して権力に近づいた。そして裏で手をまわしてもらって、この最北のエイヘッドに逃げてきたのです」
「そうだったのですか……」
「ただという訳にはいきませんでした。その権力と取引があったのです。それが何かと言うと……あなたです。アツリュウ殿に近づいて、その動向を見張ること」
「え?」
「アピドの酒場での私の近づき方は、あからさまに怪しかったでしょう? それなのに、簡単に落ちすぎですよ、たった酒2杯ですよ」
アツリュウは思い出してふふっと笑った。
「いや、そうだったのか。俺はハヤブサアツリュウって言われて、もう気持ちよくなっちゃって、いやーコロッといきましたね俺」
「怒らないのですか? あなたを見張って、どこかに情報を流していたのですよ」
「うーん、もはやあなたのことが大好きすぎて。それに流されて困る情報は姫様の安全に関わることぐらいで、それについては、あなたは身代わりになって、姫様を守ってくださった。まあ、いいですよ好きにしてくださって、あなたを信じているので」
「困った人ですね」と彼は小さく笑った。
「私はこの性質で生まれましたから、恋愛はしないだろうと当たり前のように思っていました。幸運にも育て親は愛情深くて、健やかな心を私に与えてくれました。だから家族愛や友愛、博愛、そういう性愛以外の愛は大いにありますし、なによりも月女神様の愛が私にはあります。月女神様から愛され、愛する世界にいるならば、私は幸せで満ち足りていると信じていました」
彼は一度嬉しそうにふっと息を吐いた。
「ところが、私の人生に信じられないことが起きました。私は生まれて初めて恋をしたのです」
アツリュウはその言葉に、ぐっと胸に強い衝撃を受けた。
「あなたが何を考えているか、分かり過ぎるくらい分かりますが、その人は違います」
「姫様ではないのか?」
「前にもお伝えしましたが、一度たりともリエリー様をそのように思ったことはございません」
「ヨンキント様が恋する人……同僚の神官様かな」
「あなたを愛しています、アツリュウ殿」
アツリュウは長く黙っていた。聞き間違いかな? と思ってみたが、確実に自分の名だった……
ようやく「え?」と声が出た。
「あなたが悪いんですよ。私に会いに来すぎですよ、そして懐きすぎです。可愛すぎるんですよ、大好きだとか、人目もはばからずに言ってくるし、めちゃくちゃ頑固なくせに、私にだけ素直なところを見せてくれたりして…… そういうところがまた可愛いし……今、かなり困っているでしょう?」
「……はい」
「でも、あなたが考えている愛しているとは違うのかも、私は性欲がないから、当然あなたとそういう関係は全く望んでいません。それから独占欲はあるけれど、それほど強くないです。会えないのは寂しいけれど、常に一緒にいたいとは思わないです。あなたが幸せでいてくれることが一番嬉しくて、だからあなたが愛する人と結ばれたらすごく嬉しい。リエリー様と結婚して欲しいし、私はそれが見たい」
「ヨンキント様、それって友情じゃないですか?」
「いや、友情とは違います。独占欲は弱いし、嫉妬とかもほとんどしない。でも、毎日あなたのことを想って暮らしています」
「え? ヨンキント様は毎日俺のことを想って暮らしているか?」
「そうですよ、月女神様に祈りを捧げている以外の時は、いつも想ってます。だから言ってるでしょ愛してるって」
「うわー! ちょっと重い。でも……友情とは違う愛だと認めました。はい、うん、そうか」
「あなたに告白するつもりは無かったのですが、今回人質になって、私殺されるのかな……て思った時、あなたに私の気持ちを伝えてから死にたいなと…… 驚かせましたね」
「ヨンキント様は俺に何かして欲しいこととかあるんですか」
「勇気ありますね。この流れでよくそういうこと聞けますね。とんでもないお願いを私にされたらどうするんです?」
「できない事はきっぱりお断りします。俺が好きなのは姫様ただ一人なので、愛は返せません」
ヨンキントの笑い声が聞こえた。
「そうですね……あなたにして欲しい事。やっぱりあなたが幸せになること。嬉しそうな笑顔を見せてほしいですね」
「なんだかヨンキント様の愛は月女神さまの愛そのものですね。だんだん嬉しくなってきました。ヨンキント様ありがとう、そんな大きな愛で俺を愛してくれて」
ヨンキントが息を吸う音が聞こえ、しばらく何も返事が無かった。
「………私の今までの人生は、過酷で逃げ場がなくて……これからもそれが続く……でも、私はあなたに救われたのだ、ありがとう」
泣いているような震える声で彼は言った。
「アツリュウって呼んでもいいですか?」
「なんだ、そんなこと。初めて会った時にアツリュウでいいですよって言ったじゃないですか、初めからアツリュウで良かったですよ」
「コロっと落ちたのは私の方でしたね。それならアツリュウ、私のことはヤナと呼んでください」
「ヤナ」
アツリュウが呼ぶと、彼は思っていたよりずっと嬉しいとつぶやいた。
それからお互いになにも話さなかった。
うとうとして、アツリュウがほとんど眠りに落ちかけたとき、ヨンキントの声が聞こえた。
「本当に、リエリー様をモーリヒルドに帰していいの?」
アツリュウは目を閉じたまま答えた。
「いいんです、決めたことです。あの人はいつか、誰かと結婚して幸せになる」
ゆっくりと穏やかな声でヨンキントが聞いてくる。
「姫様にはどんな相手がいいですか?」
「そうですね、優しい男がいいです。姫様を怖がらせない、少しずつ歩みよる人が良い。姫様はずっと閉じ込められていたから、色んな体験をさせてあげて欲しい。町のお祭りとか、演劇とかに連れて行ったり、ああ、子供の時にする遊びとかも教えてあげたいな……」
アツリュウは半分寝た頭で、目を閉じたまま思い浮かべた。
きっと姫様は負けず嫌いで、すごろくとか、カードとかすごい真面目にやるんだろうな……
ふふっと笑ってしまった。
「姫様はああ見えて、すごいお喋りなんです。いろんなことたくさん知っていて、聞いていると楽しい。きっとやりたいことが、彼女にはいっぱいある、だからどんな小さなことだって、応援したい」
「それから?」
ヨンキントの声に、また寝かけた頭が起こされる、半分眠りながら答えた。
「そう、それから……ああ、そうだ。姫様は馬が好きだから、遠乗りにたくさん連れていってあげたいんだ。ウサギに乗せて……たくさん、たくさん、一緒に馬を走らせて……綺麗な景色をたくさん見せてあげるん……だ……」
緑の草原を、銀色の髪を揺らして、ウサギに乗って駆けていく姫様が見える。輝くように笑っている。
ああ、幸せそうだ……
半分夢の中にいて、眠りに落ちながら、誰かに頭を撫でられている気がした。
ゆっくりと撫でる手は心地よく……穏やかな声に包まれながらアツリュウは意識を手放した。
「大丈夫、大丈夫だよアツリュウ……もうずっと前から、大丈夫になっているんだから」




