94.バッシャールの根城
太陽が真上に登る正午、夏の日差しが馬上のアツリュウに照り付ける。
ピプドゥの第二王子が指定したアリタ山の山小屋に向かうため、第一城門の前で、アツリュウは出発しようとしていた。
同行するサンバシは、アツリュウが5人しか連れていかないことを心配している。
「あいつらが拠点にしている森の中に入ったら、どんなに兵を連れていても勝てると思えん。奴らは奇襲に長けている。どっちみち俺が1人であの男と話すんだ、人数がいても死人が増えるだけだ」
「本当に代行は、山小屋から先は1人であいつに会いに行くんですか?」
「一応一人くらい同行できるかは交渉してみる」
見送りに、アツリュウの馬の隣に立っていたスオウが冷静な声で言った
「今の状況からして、奴はお前を殺しはしない。強気でいけアツリュウ」
スオウの言葉にアツリュウは肩をすくめて見せた。
「こういう時は、無事で帰ってこいとか、無茶をするなとか言うものだろ」
「言われたいか?」
「スオウは、本当に気に障る言い方をするよな」
アツリュウは領主館を見上げた、あの部屋に姫様がいる。
俺はいったい何のためにここに来たのだろうな……
あなたを守りたくて、幸せにしたくて、でも結局、ひどく傷つけた。
「スオウ、姫様のことを頼む。俺が帰らなかったら泣くだろうから……昔みたいに姫様のこと抱っこしてやってくれよ」
笑えないと分かっているのに無理やり笑って見せた。スオウはこの期に及んでも感情を表さなかった、いつもの低い声が返事をした。
「彼女はもう大人だ、11歳の少女では無いからしない。アツリュウ、姫君はおまえが思っているより、ずっと強いお方だ。心配するな」
「それはさ、俺が死んでも姫様は平気だって聞こえるんだけど」
「そういう意図では言っていない」
「スオウは本当に、自覚なくひどいことを言う」
どうしようもないなこいつと思うと、可笑しくなってきて声を出して笑ってしまった。
生きて帰って来られるか分からないというのに、笑って出発するとは思わなかった。
「それじゃあ、スオウ行ってくる」
今度は作り笑いをする必要が無かった、自然と笑顔になった。
「行ってこいアツリュウ」
スオウは珍しく、明るい声で言った。
◇◇◇ ◇◇◇
アリタ山ふもとのココサワ翁の山小屋は、思ったより奥地にあった。到着するまで予想していたより時間がかかった。太陽の位置を見ると、日の入りまであと2刻ほど、山は暗くなるのが早い、明るいうちに戻ることは無理だと分かった。
山小屋の中から、外の物音を聞いて2人の男が顔を出した。こちらに敵対する様子は見せない。小麦色の肌に彫の深い顔立ちはピプドゥ人であることを示していた。
「これに乗れということか?」
ひげ面の男が、身振りで、大荷物を背負うときの、背負い板を指さす。どうやらこれに自分を乗せて、この男が背負って連れていくつもりのようだ。
アツリュウが身振りでもう一人連れて行きたいと伝えたが、断って来た。一人しか連れて行かないつもりらしい。
「サンバシ、それではここからは俺一人で行く。お前たちはここに残らずに城に帰れ。夜の森であいつらには絶対に勝てない。明朝ここに戻ってこい」
サンバシは言い返したいことがある顔だったが、何も言わずに了解しましたと返した。
今にも切りかかりそうな殺気をみなぎらせたサンバシと兵士達の前で、アツリュウは剣を外され、手足を縛られた。背負い板に乗せられ、ひげ面の男に背負われると、さらに目隠しをされる。
「明日一日待っても俺が降りてこなければ、まあ死んだと思ってくれ。ここでは絶対に交戦するな。後のことはスオウに任せてある指示を仰げ」
サンバシの返事がすぐになかった。
「心配するな、スオウの見立てでは俺は殺されないそうだ。では行ってくる」
皆からの「どうかご無事で」の声が聞こえた。
◇◇◇ ◇◇◇
男に背負われて山を登った。2人の男が交代しながらアツリュウを運ぶ、目隠しされ得られる情報は少なかったが、登り下りの複雑な道で、彼らの根城は山麓のそうとう深い場所に隠されているようだった。
すっかりあたりが暗くなった頃、周りの空気が変わった。どうやら外から、建物らしき屋内に入ったようだ。アツリュウは背負われたまま目隠しを取られた。
燭台が数本あり、意外に明るい部屋の中を見回すと円形の天幕のような物の中にいることが分かった。
降ろされた場所の、正面奥、毛皮の敷物の上に、胡坐をした男が面白そうにこちらに目を向けているのが、真っ先に目に入った。
こいつがピプドゥの第二王子か。
細身ながら、一目で戦士と分かる体躯をしていた。
山の中だというのに、髭は剃られて、長い黒髪は真っすぐに肩から流れている。身ぎれいなピプドゥの民族衣装は高貴な王子らしい品格を漂わせている。
彼の指にはいくつもの指輪がはまり、それでは足りないかのように首にも指輪が連なった首飾りが見えた。
聞いたことがあった。ピプドゥ王家は部族の長であり、広大な草原を馬で移動する遊牧民を束ねている。戦闘民族で、強い者にしか従わない、王といえど弱いとみなされれば族長は刃向かってくる。
ピプドゥで家紋の入った指輪をはめられるのは、その部族で最も強い者だけ、それをこの男は10の指で足らぬほど持っている。
灯りに照らされ影をつくる第二王子の彫の深い顔は、威圧感があった。見れば20代前半に見える若さなのに凄みがある。
この男が親族を何人も殺していると聞いたせいか、何をしてくるのか分からない恐ろしさがあった。
アツリュウは足首と手首を縛り直され、男の前、2人分離れたくらいの近い距離に座らされた。
彼の左隣に黒装束の男が一人控えている。自分が不穏な動きをすれば、こいつに即殺されるんだなと、分かりやすい殺気を漂わせていた。天幕には第二王子と、その男、そしてアツリュウだけになった。
「ようこそ坊や」
帝国語でゆっくりと低く響く、驚くほどの美声。あの夜寝室で聞いた声だった。
一瞬で、不快感が腹から突き上げた。
先に自分から剣を取り上げておいて正解だったな、とアツリュウは腹の中で怒鳴った。
剣があったら、間違いなくおまえの首と胴体を切り離してやった!
てめえその声で姫様に何言いやがった、しかもその膝の上に乗せただと?
俺の姫様に何してくれてんだ、殺す、今すぐ殺す。
「ずいぶん機嫌が悪いな。すまないが縄は解かない、坊やは怖いからな」
ふっと彼は笑うと「坊やはあのまぬけな領主の息子か?」と聞いた。
アツリュウはふてくされた顔をわざとして黙っていた。
「帝国語が分からないか?」
馬鹿にした笑い顔をつくって、アツリュウは顔を眺め続けた。彼はその後も話しかけてきたが、全て無視して黙っていた。ようやく彼に不愉快な表情が浮かんだ頃、自分の隣を顎で指さした。
「お前の隣に連れてこなければ、話はしないということか?」
睨み返して、深く頷いた。
彼は目を細めて睨み返すと、天幕の外に声を掛けた。
天幕の入り口から、両手を後ろ手に縛られたヨンキントが男に連れられて入って来たのを見て、一瞬彼だと分からなかった。長い黒髪が胸元まであり、顔を半分隠していた。
「来てくれましたか」
ヨンキントのいつもの穏やかな声がした。彼はアツリュウの隣に座らされた。
「あなたの髪がそんなに長いなんて知らなかった」
「いつも束ねてますからね、というか、彼の前でずい分呑気なことを話すんですね」
「俺たちの話してること分からないでしょ? 俺はあのいけ好かない、くそ野郎に会いにきたのではなく、あなたを迎えにきたんだ」
「いけ好かないくそ野郎とは、よっぽど姫様にしたことを怒ってますね」
こんな状況であるのに、ヨンキントは笑った。
「わざと無視してやってるんです」
アツリュウは王子に顔を向けず、ヨンキントの方だけを向いて、世間話をするような口調で話し続けた。
「おまえ」と彼の声が聞こえたが、絶対に彼の方を向かなかった。
「領主様はあなたと話がしたくないそうです」
ヨンキントが帝国語で返した。
「自分の置かれた場所が分かっていないようだ、少し痛い思いをするか?」
アツリュウはヨンキントに答えた。
「殺せば? と言っています。大した立場の人間ではないから、自分を殺しても、この国のどこも動かない。お前の気分がよくなるだけだ。と言っています」
ヨンキントが伝えると、彼は鼻で笑った。
「ずいぶん威勢のいい坊やだ。では礼を尽くそう。我はピプドゥ王国の第二王子アーディル・フェサード・バッシャール。バッシャールと呼べ」
バッシャールが名乗ったので、アツリュウはようやく顔を彼に向けた。
「エイヘッド領主のアツリュウ・ミタツルギだ」
礼はしてやらなかった。見れば見るほど顔も声も気にくわない。バッシャールのその覇気と気品そして整った相貌は、男の中でも極上の部類にいるとわかる。
アツリュウはかなり強がってふてぶてしく振る舞っているが、内心かなり気迫負けしていた。だがここで負ける訳にはいかない。
「おまえが私の質問に答えなければ、俺はなにも話さない」
アツリュウが大きな声で帝国語を言い放つと、奴の黒曜石の瞳に、殺気のような苛立ちが見えた。
「バッシャール、おまえ達はどうやってエイヘッドに来た、答えろ!」




