93.火種
「スオウ頼みがある」
彼は黙ったまま何も答えない。アツリュウは返事を待たずに言葉を続けた。
「これから俺は、ヨンキント様を助けにピプドゥの王子に会ってくる。俺が領主城に戻り次第、すぐに姫様を帰すから、おまえが護衛に付いて、姫様をモーリヒルドまで送ってくれ」
スオウはやはり何も答えない。しかし否とも言わなかった。
「もし、俺がピプドゥの王子との交渉に失敗して死んだら、スオウはここの後任としてエイヘッドを守ってくれ。その時はセウヤ殿下に知らせを出して、姫様の迎えを寄越すように伝えろ。迎えの警護兵達が来たら姫様を送り出してくれ、くれぐれも安全を万全にして欲しい」
「ご命令承りました」
いつもの低い声で、何の感情も含まず、スオウは了承した。
◇◇◇ ◇◇◇
「あれほどの警備を付けたのに、どうして侵入を許した。それほどまでにあいつらは強いのか?」
アツリュウの問いに、スオウは荷馬車の荷台に隠れていた15人ほどの黒の集団をみすみす館内に入れてしまった原因を語った。
仮面の男が、夕刻荷馬車で、ムネゴトウの館に戻って来た。館門の警備をしていた兵士は、昼に一度通した男であり、森の民族で言葉が通じず、王女の客を迎えにきたのだろうと推測し、油断して敷地に入れてしまった。館の裏口から巧妙に侵入され、建物外を警備していた兵士は侵入に気づけなかった。
ヨンキント様を人質に取られていたことで、矢を射かけることができなかったが、交戦し、黒の集団を9人倒すことができた。相手側にかなり大きな反撃をできたことは確かだが、黒の集団の全体像が見えない、彼らが抱える兵士の総勢力がどれほどかは未知数だった。
「侍女のシオがピプドゥ人所縁の人だとは知っていたが、姫様がピプドゥ語を話すとは知らなかった」
アツリュウがそう言うと、スオウはあの侍女は、彼が姫の護衛官だったときにはもう姫の専属だった。彼女がピプドゥ語を教えたのだろうと答えた。
「姫君は、自分の不用意な発言で、黒の集団を侵入させる原因を作ったこと、ヨンキント様を自分の身代わりにしてしまったことを、悔いている様子でした。しかし、姫君が人質に取られなかったことは幸いでした。あの男は簡単には死なないでしょう」
あの男とはヨンキント様のことを指していると気づいて、眉根を寄せた。不愉快な言い方だった。
スオウはアツリュウの顔を見て「失礼しました」と詫びた。
「ヨンキント様はヒルディルド国の『シュロム』『ビャクオム』『ヨウクウヒ』の三大王家という、ややこしい仕組みと、力の相関図をすでにピプドゥの王子の頭に入れてやっているでしょう。誰に泣きつくのが一番得策なのかを説いているはずです」
ヨンキント様なら、ピプドゥの王子と話をしながら、あの人の巧みな話術で有利な方向に誘導するだろう。しかしスオウは意外なことを言った。
「あの神官殿が本当に我々の味方かどうかは、私は懐疑的です」
アツリュウの反発する気持ちはとうに見抜いていて、スオウは鼻で笑った。
「ピプドゥの第二王子という札を、セウヤ殿下が手に入れるのか、グイド王が手に入れるのか、それとも……ヨウクウヒ王、すなわち神殿が手に入れるのか……」
「神殿側があんな他国の大罪人に肩入れして、なんの利があるというんだ」
「さあ、私には分かりませんが。ピプドゥの第二王子が南ルールド帝国の機嫌をとる、最高の切り札であることは間違いない。現ピプドゥ王は14歳だ、どうしてたった14歳の少年が、王位簒奪を狙う第二王子を討てたのか。少年の後ろにいるのは誰か。それがもし、北ルールド帝国だったら?」
アツリュウには大国の関係はよく分からないが、これだけはヒルディルドの者なら誰でも知っている…… かつては大帝国だったルールドは南北に分裂した、そして南ルールド帝国と北ルールド帝国は敵対している。
大陸の東の果てのヒルディルド国は、帝国から見れば吹いて飛ぶような小国だ。
唯一の隣国ハイシャンとの国境は、高い山脈と、大森林、そして砂砂漠が天然の要塞となり、ヒルディルドに入国するには、海からやって来るしかない。
不便このうえなく、そしていまだ剣を振るう古めかしい国、帝国文化からはるかに後れをとっている。大国から遠く離れ、他国からの侵略も長い歴史の中で経験していない。帝国から見れば、ヒルディルド国はそれほどまでに取るに足らない田舎の小国なのだ。
しかし今、大国同士の均衡が崩れようとしている。その中心にいるのがピプドゥの第二王子。その男がこのエイヘッドにいる。下手をすればヒルディルドは、大国の争いに巻き込まれる。
「ピプドゥは長きに渡って、南ルールドと友好的だった、しかしそれが北ルールドに傾くとなればどうなるのだ」
「北ルールドがピプドゥと手を組んで、南ルールドに敵対すれば、さすがの大国も持ちこたえられるかどうか……。先手を打つためには、南ルールドは絶対に第二王子が欲しくなる。逆にピプドゥは是が非でも奴を殺したい、もし後ろに北ルールド帝国がいればなおさら、バッシャールを南ルールドに取られる訳にはいかないでしょう」
なんと煩わしい男がやって来たか、大国同士の火種になる恐ろしい札だ。
「我々はこの札を、セウヤ殿下に握らせる。どう使うかはあの方次第だ。アツリュウ、おまえがあの男を動かせ」




