92.できないんだ
エイドドアドの港に着くと、アツリュウ達は馬をひたすら駆って、エイヘッド領主城へ直行した。
城門を抜けるとオルゴンが待っていた。アツリュウは話しかけてくるのを制して「スオウはどこだ」と短く聞いた。
「スオウ隊長は執務室だ。おいその前に領主館へ行け」
オルゴンを置いて、アツリュウが足早に執務室に向かっていくと、後ろから肩をつかまれた。
「おい、アツリュウ。まず姫様に会いに行け」
オルゴンの手を振り払い、彼の顔を見ずに執務室へ突き進んだ、後ろからサンバシの「代行」と心配そうに呼びかける声が聞こえた。
アツリュウが執務室に入ると、スオウが分隊長達と集まっていた。
「戻った。すぐに作戦を立てる。スオウ襲撃による被害状況と、新しい情報をくれ」
追いついたオルゴンが、アツリュウを引っ張り、強引に顔を向き合わされた。
「アツリュウ、その前に姫様に会うんだ。領主館の奥方用の部屋にカーリン嬢といるから、今すぐ行ってやれ」
「行かない」
オルゴンが目を見開いて、おまえ……と口にしたまま動かなくなった。彼を振り払うようにスオウに向き直った。
「おい」
オルゴンの怒鳴り声が部屋に響いた。
「お前たち、外せ」
スオウが低い声で分隊長達に指示すると、彼らが部屋から出て行く。閉まった扉を見ると、サンバシだけが、扉の前に立っていた。彼も驚いた顔で、アツリュウを見てくる。
「代行、私もまず王女殿下にお会いするべきだと……」
サンバシが言い終わらないうちに「だから会わない。すぐにヨンキント様救出の作戦を立てると言っている。始めるぞ!」と怒鳴りつけた。
アツリュウの顔を見るだけで、スオウもオルゴンも何も返事をしない。苛立ちに拳を握りしめた。
「ヒシダから襲撃の状況を聞いたのだろう? 姫様は人質に取られ、その後賊の首領の膝にのせられて脅された。どれほど恐ろしかったか。それにひどく自分を責めておられる。まず彼女に会って安心させてやれ」
オルゴンの落ち着いた声に何も返事を返さなかった。
「アツリュウ、彼女を慰めてやれるのはおまえだけだ。婚約者なんだぞ」
「何度も言わせるな、行かない」
「何も言わなくてもいい、ただ顔を見せて抱きしめてやるんだ」
オルゴンの目を見た瞬間、熱い塊が込み上げて、それを押し込めなければ泣いてしまうと思った。
「俺だってそうしたい……でも……できないんだよ」
オルゴンの黒い目が、何を言い出すかと驚きを見せるのが分かった。
目の前の男を納得させるために、アツリュウは誰にも知られたくないことを告げようとしていた、オルゴンを傷つけると分かっていた。
「なあ……オルゴン俺は変なんだよ」
声が震える。
「俺はずっと、自分の意思で姫様に触らなかった。俺が姫様に相応しくないと思ったから……でも、本当は触らなかったんじゃない……触れないんだ」
オルゴンが自分を見ている、その目に訴えるようにアツリュウは続けた。
「そのことをずっと、意識に上げないようにしてた。そんなこと無い、絶対無いって必死に自分に言って、考えないようにしてた」
そのまま次の言葉を繋げるのが苦しくて、唇を噛んだ。誰も何も言わない、静かな部屋で自分の荒い息遣いだけが聞こえた。
「ここに帰ってくるまで、姫様のこと以外何も考えられなかった。怒りで狂いそうなんだ。今すぐ走っていって、抱きしめてやりたい。あの男に触られたところを、俺の手で全部確かめてぬぐい取りたい。抱きしめて、抱きしめて、もう大丈夫だと言って朝まで抱きしめて安心させてやりたい……だけど、できないんだよ、分かってくれよ……たのむから……分かってくれよ……」
「何を……言ってるんだアツリュウ……できないことなんて……」
オルゴンの言葉に、目を閉じて拳を握りしめた。
「だから、できないと言っているだろう! もし姫様が俺を見て、抱き付いてきた時、俺が飛び跳ねて拒絶したらどれだけ彼女を傷つけるか、そんな思いを絶対にさせたくない。こんな恐ろしい目にあった後で、好きな男に振り払われたら、そんなひどいことがあるか!」
気持ちを抑えようとするのに、声はどんどんでかくなっていく。
「触ろうとした瞬間に気づいたら、体が拒絶してるんだ。自分じゃどうにもできないんだ。もう駄目なんだ、俺はもう駄目なんだよ、オルゴン分かるだろ、どうしてこんな体になったのか。俺はもう、おまえの望むような……」
ああ泣きたくない、歯をくいしばる。情けないほど声が震えた。
「父上や、おまえの望む一人前の男にはなれないんだよ……分かってくれよ……俺はもう駄目なんだよ……ごめんな……オルゴン」
オルゴンの顔が歪んだ。ああ傷つけたんだと分かった。ごめんなともう一度口にしたが声にならなかった。
スオウを見た、彼は無表情で立っている。その感情を見せない顔に今は救われる気がした。
「姫様をモーリヒルドに帰す。婚約は解消する。俺はもう姫様には一切関わらない」
オルゴンが、黙ったまま歩いていき、扉を開けた。一度立ち止まったが、振り返らずに執務室を出て行った。




