89.リョマリョマの臭い
「ええ! 子供達のはやし歌まであるんですか?」
リエリーはココサワ爺の話にびっくりした。
「そうじゃよ、里のリョマリョマ、臭い臭い、山のリョマリョマいい匂い……こんな風に森の人の子供達はふざけて歌うんじゃと」
仮面の男が帰ったあと、リエリー達は早速ココサワ爺から、リョマリョマの獣毛臭について話を聞き始めた。ココサワ爺は、リョマリョマの毛皮は森の人からもらっていたので、臭いという認識は無かったそうだ、だからカーリンの獣毛商会から「どうしてリョマリョマの毛が臭いのか」と問われても何のことやら意味が分からなかったのだという。
ところが、ちょうど訪ねてきてくれた森の人に臭いのことを質問すると、彼らは里のリョマリョマは臭いことを知っているというのだ。森の人達にとって、里のリョマリョマが臭いのは、誰でも知っていることで「意地悪すると、里のリョマリョマみたいに臭くなる」という諺まであるそうだ。
「じゃあ、森の人は私達のリョマリョマが臭いことをずっと知っていたということ?」
カーリンが、悔しそうにココサワ爺に聞いた。
「森の人は、里の人間はどうしてわざわざリョマリョマを臭くするのだろうと不思議に思っているそうじゃよ」
「え?私たちがわざわざ臭くしていると思っているのですか?」
リエリーの問いにココサワ爺さんは笑った。「どういう理由で臭くしないといけないのか知りたいから教えてくれ」と実際彼は質問されたそうだ。
ヨンキントは「いやはや興味深い話です」と感心している。
「それで、森にいるリョマリョマはどうして臭くないのか、お聞きになりましたか?」
リエリーは興奮を抑えられず、いつもよりずっと早口になってしまった。
「おうおう、聞いたとも」とココサワ爺が大きく頷いた。そのせいで体が揺れて「痛い」と顔をしかめた。
「餌なんじゃと」
「えさ?」
「そうじゃ、里のリョマリョマはあんな餌を食べさせるから、臭くなると言っておった」
リエリーとカーリンは顔を見合わせた。
リョマリョマの餌はハイシャンで飼育されている家畜のヒツジの餌を参考にしている。成長を促進するために、栄養価の高い穀物を混ぜたりもしている。それが余分な脂を増やし、臭いの原因になっていた可能性がでてきた。
リエリーの頭のなかで、様々な可能性と、これから調べるべきこと、試すべきことが組み立てられていく。次なる研究の道筋が示された。なんという高揚感。研究に取り掛かりたい、今すぐに!
「山のリョマリョマはどんなものを食べているのでしょうか?」
「それも聞いたんじゃが、山の草としかいわんかった。特別なものは食べていないようじゃったよ」
「リエリーなんだかすごい答えをもらったね。まだやり方は分からないけれど、餌の改良で臭いが抑えられるかもしれない」
二人で嬉しくて踊り出したいくらいの気分だった。
「どうして今まで、森の人はそのリョマリョマの臭いの話をしてくれなかったのでしょうね
ヨンキントが誰に聞くでもなく言った。
ずっと黙って聞いていたヨロズが「それはね」と教えてくれた。
質問されたら答えるが、そうでなければ黙っている。さらに都合が悪いことは質問されても黙っている。森の人とエイヘッドの住人は、そういう関係なのだそうだ。
お互い干渉し合わず、けれど必要な時は助け合う。けしてお互いの住処に踏み込まない、それが長きに渡り争わずに共存してきた、二つの民族の掟なのだそうだ。
ふうむとヨンキントは考える顔になった。
「でも変ですね、森の人たちはどうして里のリョマリョマが臭いことをしっているんですか? さっきココサワさんは山の人は里には降りないからと仰っていました」
ココサワ爺はヨンキントの方を見て、ひそひそ声になった。
「あなた様はお偉い神官様じゃから、特別に教えるけれども、ないしょの話じゃよ」
ヨンキントが頷くと、皆に聞こえるひそひそ声で教えてくれた。
「森の人の10代後半くらいの若者達が、肝試しと言って、夜中にこっそり里を見て回るらしい。なんでワシが知ってるかというと、森には無い新しい道具を、あれはなんだこれはなんだと質問されるときがあるからの、いったいいつ知るのかいつも不思議だったんじゃ、それで聞いたんじゃよ」
「どこの世界でも、若者達はやんちゃですね、こっそり冒険している」
ヨンキントが笑った。
「それで里のリョマリョマを見て、臭くてびっくりしたのね」
カーリンもなるほどと頷きながら「だったら教えてくれればいいのにねえ」と続けた。
「それは誰も森の人に質問しなかったからですよカーリン嬢。お手柄ですリエリー様。きっと百年以上もしかしたらそれ以上の長きに渡って、誰も発見しなかったことをあなたが突き止めたのですから!」
「そうね、質問しなければ答えてくれない。リエリーが初めて森の人に質問したんだわ!すごいよリエリーのお陰で大発見だね!」
「はい!」
こんな風に褒めてもらうとこ。それを素直に受け止めること。リエリーは何かが開かれた気がした。
もしかしたら扉は開いていたのかもしれない。
ずっと閉じ込められていたから、扉が開いても、怖くて出ることができなかったのだ。
外に出て来たんだ。
私はあの館を出たんだ。
ああ、シオに会いたいな。私が今嬉しくてたまらないことを教えてあげたい。
その後、ヨンキントが森の人の信仰について尋ねると、ココサワ爺が森の人が敬う精霊の話をたくさん教えてくれた。楽しく聞いているうちに、陽が傾いてきた。
夜道をエイドドアドに帰るのは危ないから、今日はエイヘッドに泊まることになった。カーリンが執事を呼んで領主城に知らせるように告げた。
「では私は領主城に知らせに行く警備兵と一緒に神殿に帰ります」
ヨンキントがココサワ爺に丁寧に礼を述べて、出ていく前に、嬉しそうに告げた。
「帰ったらきっとアツリュウ殿が走って私に会いに来ますよ、今日の話を聞きたくてね。でも姫様とのお茶の時のお楽しみですと伝えておきますね」
リエリーは自分からアツリュウに伝えたかったので、彼の気配りに嬉しく思った。
「ありがとうございいます。でも今夜はアツリュウは留守なのです。キボネから聞いたのですが、アツリュウは北東の小さな漁村に調査に出ているそうです。船でしか行けない村で1日では帰って来れないみたいです」
リエリーは少し寂しく続けた。
「代行の彼が行かなくてもいいのに、どうしても行きたいと出かけたそうです。一晩でもいいからスオウから離れたいのですって」
ヨンキントが笑いを堪えながらうなづいた。
「聞きましたよ、姫様にお仕置きされてるんだって……ああ、あの顔を思い出しただけで笑ってしまう。リエリー様って実は相当な手腕をお持ちの王女なのではないですか、あのスオウ殿を思うように動かすなんてどんな魔法を使ったのです」
「お仕置きなんてしてません、私はアツリュウが心配なだけです。スオウだって私との約束を守ってくれているだけです。そんな思うように動かすことなんてできる訳がありません」
ヨンキントの言葉に困ってしまう。どうして私がお仕置きなんて……でもそう思っているアツリュウがちっちゃな子供みたいで可愛いと思った。
「いやいや、これは猫殿はかなり懐いてきていますよ。いいですか姫様、次はナデナデですからね」
リエリーの返事も聞かず、彼はそれではと部屋を出て行った。
◇◇◇ ◇◇◇
カーリンがにやにやして「ナデナデだってよリエリー」とからかってきた時、奇妙なことが起きた。
ヨンキントが去ったばかりで開いていた部屋の扉の向こうに、神官服の黒色が見えた。
ヨンキントが後ろ向きのまま下がりながら、部屋に戻って来る。背の高い彼の広い背中が、ゆっくり部屋の入り口を塞いだ、彼は両手を挙げて、前方を見たことの無い強張った顔で見ていた。
ヨンキントが前を凝視したまま、叫んだ。
「侵入者!」
彼の声を合図に護衛の一人が扉に走り、もう一人がリエリーに向かって来ようとした瞬間。
ヨンキントの体が部屋の中に吹き飛ばされるように跳ねあがり、床に落ちた。
黒ずくめの男が入口に見えたとリエリーが思った時には、自分の体が浮く勢いで後ろに引っ張られ、すぐに壁に背がぶつかった。よろめいて崩れるように尻を付いて倒れると、目の前に護衛官の足が見えた。彼がリエリーを壁際に寄せて、前に立って守ろうとしているのだと理解した。
ぐっと吐き出すような苦痛の声が聞こえ、ドサッと大きな物が落ちる音がした。
部屋の中には黒ずくめの男たちが、滑るように何人も入って来る。入口に走った護衛官が床に倒れているのが見えた。さっきの苦悶の声は彼が傷つけられた時の声だと分かった、床に倒れる彼が生きているのかどうか分からない。
恐怖で体が縛られ、がくがくと震えて力が入らない足をなんとか動かして、立ち上がった。
リエリーを守るようにして立つ護衛官の手には剣が握られ、3人の黒い装束の男たちが今にも飛び掛かろうとしていた。
バッと黒い塊が動くのが見えた瞬間、リエリーはぎゅっと目を閉じた、金属がぶつかるキインと甲高い音と、鈍く何かを切るような音がした。
頭が混乱して、リエリー叫び出しそうになった時、横から強く引っ張られ、嗅いだことのない不快な汗と土の臭いの塊のようなものが、腕の上から巻き付いてきた。
強い力で何かに体が締め上げられている。白い光が目の前を横切った、それは刃だと理解した。
何が起こったのか、リエリーは体を動かそうとしてもがいたが足をばたつかせることしかできない。黒い布に覆われた太い腕が自分を拘束している。両腕の上から抱きかかえられ、短刀を喉元に突き付けられた。
部屋をつんざくカーリンの悲鳴が響き渡った。彼女が目を剥いて、自分を見ている。
「名を呼んではなりません!」
ヨンキントの叫び声に、カーリンが両手で口を覆った。
ヨンキントは床にはいつくばって、腹を抑えている。さっき蹴り飛ばされたまま、彼は苦悶に顔を歪めて起き上がることができないでいる。
あっという間に目の前の3人を倒した護衛官を、何人もの黒装束の男が取り囲んでいる。間合いをとって、飛び掛かる隙を伺うように、じりじり動いている。
しかし彼は剣を床に落として、両手を挙げた。
護衛官はまるで刺されたかのような苦悶の表情で、リエリーを見た。
一瞬で、彼は男たちに取り囲まれ、乱暴に床にひれ伏すように倒された。
私は人質にとれらたのだとリエリーは理解した。後ろから凄い力で抱え込まれている。
喉元の刃は、肌に触れるギリギリに置かれ、今にも切り裂いてくる恐怖が迫って来る。
恐怖に振るえて、歯がカチカチと鳴る。
アツリュウと心の中で何度も叫ぶ。
部屋に黒い男たちがうごめいている。何人いるのか分からない、しかし自分たちが取り囲まれているのは分かる。男たちは音をたてず、声も発しない。
部屋の灯りは灯されておらず、夕方の薄暗さが部屋に充満した。
起き上がろうとしたヨンキントが、もう一度蹴られて床に倒れた。
自分の体がびくりと跳ね上がるのに、それさえも、男の力で抱え込まれリエリーの体はピクリとも動かせなかった。
カーリンの両腕が後ろにまわされて、縄で縛り上げられるのを、声も無く見るしかなかった。
次々と縛り上げられ、護衛、ヨロズ、ヨンキント、カーリンが床に並んで座らされた。
長椅子に寝たままのココサワは床に落ちるように倒れていた。必死に動こうとしたのだろう。彼は縛られずにそのままにされていた。
全員が拘束されると、廊下に灯りが見えた。ランプを持った男が入って来る。昼に会った仮面の男だった。その後ろに細身の長身の男が見えた。黒装束の男たちが一斉に、彼の方に体を向ける。
その場の空気が変わり、その男が特別な存在なのだと告げていた。




