88.仮面の男
エイヘッド街のムネゴトウ家応接室で、リエリーはココサワ爺さんと呼ばれる翁を待っていた。
部屋にはリエリーとカーリン、そして50代の穏やかな笑顔の男性が一人いた。彼がココサワ爺さんとの話を取り持ってくれたヨロズだ。
それから、リエリーの話を聞いて興味をもったヨンキントが同席していた。「エイヘッド大神官の仕事は忙しく無いのですか?」と心配すると「あまりに忙しいから逃げてきました」といたずらっぽく返事をする。彼は森の人の信仰について話を聞きたいのだと言った。
そしていつも付いていてくれる顔なじみの護衛官が2人部屋の隅で控えている。
館周りはアツリュウの指示で、相当数の護衛が取り囲んでいるらしい、先日の『黒の集団』の侵入事件以来、アツリュウはリエリーの警護を非常に強くしている、ちょっと大げさだなと思う人数である。
ココサワ爺さんは、森の人との窓口になっている人で、彼の山小屋に時々彼らが訪れて、斧や鉈などの道具や布など森では手に入らない物を入手するために、森でしか取れない薬草や毛皮などと物々交換していくのだそうだ。
森の人が持ってくるものは、希少な物ばかりなので、ココサワ爺さんに少しでも近づいて、便宜を得たい強欲な里の人間とやり合っているうちに、彼はすっかり『人嫌い』になってしまったのだという。
だからココサワ爺さんが里に下りてくるのは、エイヘッドの人間にしたら奇跡に等しい。
それを聞いたリエリーは緊張していた。自分が王女だから彼は会いたいのだという、彼が満足する王女らしい振る舞いができるかしらと不安になった。
「今日聞くことをまとめてあるのですか?」
リエリーが手元の覚書を確認していると、右隣からヨンキントに声をかけられた。
「そうなんです。ココサワさんには森の人の獣毛を持ってきてもらうので、カーリンの牧場で採れた獣毛との違いを、彼の意見を聞きながら検証したいのです」
「すっかり研究者ですね。カリス女子学院の学者のようですね」
彼にそう言われて、学院での自分を久しぶりに思い出した。今ならあの学友たちに色んな意見を聞いてみたいと思った。彼女たちの研究について知りたいし、その中で自ら学びたいことはいくらでも見つけられそうな気がした。
「私……少し変わったのかしら」
ヨンキントが穏やかに答えた。
「変わったのではなく、本来のあなたを出せるようになったように見えます」
「これが本来の私なら……私は良い子ではないわ」
彼がふふっと笑うと、リエリーの左隣に座っているカーリンを示して「彼女は良い子?」と聞いた。
カーリンが急にそんなことを言われて「はあ?」といつもの声を出した。
失礼な言い方とは分かっていたが、笑って「良い子じゃありません」と返事をした。
「でも彼女が大好きでしょう?」
「はい!とても大好き」とリエリーは即答した。
「良い子でも良い子出なくても、私たちはリエリー様が好きですよ、ねえカーリン嬢」
ヨンキントに振られたのにカーリンは黙っている。顔を見ると赤くなって、ちょっとなによとぶつぶつ言った。
「リエリー様に大好きと言われて照れてますね」とヨンキントがからかうと、恐れ多くも大神官の頭を彼女はペシリとした。
「なんで良い子ではない、なんて言い方をするのかな。さては何か悪い子になりましたか?」
意地悪い顔をしてヨンキントに覗き込まれた。
先日アツリュウに対して「彼は私のもの」と感じたことを、口に出すなど絶対に無理と、口をぎゅっと閉じで俯いた。顔がじわじわ赤くなっていく気がした。
「ヨンキント様聞いてくださいよ、この前、代行様は土下座して謝ったんですよ。それでリエリーに許してもらったら、オルゴンやキボネが寂しがるからなんて言い訳しながら、領主城にまた来て欲しいってもじもじしながらお願いしてるの……まあ情けない。ぐふぐふ笑ってやりましたよ」
ヨンキントが「なんと土下座」と驚いた。
「仲直りしたとは教えてもらいましたが、リエリー様ずいぶんとアツリュウ殿を手懐けましたね。猫がいよいよあなたの足元に寄ってきました!」
手懐けるという言葉に、そうかしら……と首を傾げる。
「さあ、次の段階ですよ、猫が寄ってきたら何をするんです?」
ヨンキントがやや興奮気味に問いかけてくる。
「ええと、なんでしょう。猫ちゃんにすること?」
「そんなの決まっています。頭をナデナデしてあげるんですよ!」
リエリーは、ばあっと顔が赤くなるのが分かって両手で頬を抑えた。首をふるふると横に振る。
「頭をナデナデしたら喜んで、コロンと転がって腹を見せて、『もっと撫ぜてーっ』て甘えてきますよ、楽しみですね」
「そ、それは猫ちゃんの話です」
「だからアツリュウ殿は本物の猫なのです。間違いない。初めはびっくりして飛び跳ねて逃げるかもしれませんが、一度味を知ってしまったら彼はもう我慢できなくなる、すりすり寄ってきますよ」
カーリンがぶはっと吹き出してから大笑いした。
◇◇◇ ◇◇◇
本当は昼前に来るはずのココサワさんは一向にやってこない。けれど、気難しいと評判の翁だ、遅刻してくるのは不思議ではないと、皆は辛抱強くまった。昼を食べ、エイヘッドの街の時告げの鐘が3つ鳴る頃、ようやく執事が彼の来訪を告げた。
「お嬢様、それがお客様は歩くのもお辛い様子です、いかが取り計らいましょう」
執事は困り顔でカーリンの指示を求めた、なんとココサワさんはぎっくり腰になったのに、無理を押して荷馬車でやって来たというのだ。
リエリー達は驚いて、慌ててココサワさんを玄関口に迎えに行った。
そこで心臓を震え上がらせるような、異様な物を見た。
「え? 何あれ……」カーリンがつぶやく。
入口の広間に立ち尽くし、言葉を無くした。
ココサワさんを横から抱えている人間がいる。腰の痛い彼を支えているのだろう。それは何にもおかしくない。けれど、その人間の風貌が異様すぎるのだ、なんと仮面を付けている。絵本の中から悪い精霊が出て来たかのよう。
黒い頭巾の付いた外套を頭からかぶり、足首まで隠している。その中に見える顔は木の仮面で隠されていた。細くくりぬかれた目の部分からは、瞳の色もわからない。手は手袋をはめ、腕も足も、民族衣装なのか、布の上から細いツルのような綱でぐるぐる巻かれ、肌が一切露出していない。夏だというのに、冬山から出て来たかのようだ……体つきから男性と分かるが、本当に人間なのか、見るほどに不気味だった。
外にいた警備兵も異様さを目の当たりにして、3人の兵士が張り付くようにその男の後ろに付いて、警戒していた。
「その人は誰なのよ」
カーリンが怒ったように問いかけた。
痛そうに顔を歪めながら、ココサワさんと思われるお爺さんが「ああ、ああ、心配させてすまないね、彼は大丈夫だよ」と大きな声で言った。
ココサワさんと顔なじみのヨロズが駆け寄って「爺さん大丈夫か?」と声をかけた。
「この人はいったい誰なんだい」と続けて問う。
「この人は良い人さ。森の人の友人だそうだ。森の奥の、もっと深い森の、さらに先に住んでいるそうだ。たまたま森の人に会いに来ていて、ワシのところにも時々挨拶にきてくれるんじゃ。そうしたらワシが腰を痛くして、このありさまじゃろ、えらく心配して送ってくれたんじゃ」
ココサワさんは「良い人さ、良い人さ」と繰返して、その森の人の友人とやらに「ありがとうよう」と声をかけた。
良い人さ、とココサワさんがいくら言っても、異様な風貌から恐怖心は消えなかったが、その悪の妖精のような男はいたって落ち着き、声を全く発しなかった。静かすぎて、置物のようにさえ見えた。
カーリンが覚悟を決めて、二人を招き入れた。ココサワさんが楽に横になれるよう、長椅子に座布団を敷き、そこへ慎重に運んだ。取り囲む兵士達を気にする様子もなく、仮面の男は力強くココサワさんを運んで長椅子に寝かせた。彼から森の土の香がした。
ココサワさんが体を横にしてやっと落ち着くと涙声でリエリーに話しかけてきた。
「王女様がワシに会ってくれるとお聞きして、こんなすばらしい月女神様のお導きがあるかと嬉しくて涙がでました。死んでもお会せねばと出てきましたじゃ、こんな格好でご無礼をしてどうぞお許しください」
リエリーは、はっとしてココサワの手をとった。この人は、王女に会うためにこんな無理をしてまできてくれたのだ。自分が王女らしいかなんてどうでもいい、ありがとうと伝えたかった。このお爺さんに、来て良かったと思って欲しかった。
「ココサワ、こんなに痛い思いをしてまで私に会いにきてくれてありがとう。わたしも月女神さまのお導きに感謝します」
ココサワは嬉しいとぼろぼろ涙をこぼして泣いた。リエリーがハンカチで拭いてやる様子を、横から仮面の男が立って見ている。彼があまりに静かで、異様なのに存在感が空気のよう、彼にだんだん慣れてきた。
「この良い人は、ワシらの言葉が分からんのじゃ。森の奥に住んでる人達なんじゃ。今朝ワシが荷馬車に乗ろうとしたら、送ってくれると身振り手振りで教えてくれたんじゃよ、良い人さ」
「その時は森の人も一緒だったのかい?」
ヨロズがココサワに尋ねた。
「そうじゃ、森の人にこんな腰で行っては駄目だと止められたんじゃが、ワシがどうしても行くんじゃと言い張ったら、困っておった。森の人はけして里に下りんからなあ」
「それでこの男が来てくれたのか」
そうじゃそうじゃとココサワは答えた。
ヨロズが仮面の男に「ありがとう」と伝えたが彼の体は動かなかった。変らずココサワの長椅子の後ろに立っている。
仮面の男がようやく動いで、ココサワに身振りで何かを伝えようとしている。
「帰りたいんだろう」
ヨロズが言うと、ココサワが「困ったのう」と返した。
「この良い人がワシの荷馬車で帰ってしまったら、ワシはどうやって帰ればいいんじゃ」
「こんな腰で動くのは無理だよ爺さん。このムネゴトウの屋敷に動けるようになるまで世話になったらどうだい。元気になったら俺が山小屋に送ってやるよ」
「そうですよココサワさん。ここに居てもらっていいですよ」
カーリンが声をかけると、そんな悪いのう、すまんのうとココサワは詫びた。
リエリーはそうだ! と思い付いて侍女に声をかけた。この仮面の男が去るならばお礼をしたいと考えて、キボネがココサワへの土産にしたらと焼いてくれた菓子をあげようと思った。
仮面の男は、何も喋らないまま出口にすたすた歩いていってしまう。リエリーが彼にお礼を渡したいことをヨロズに伝えると、なんとか玄関口で、仮面の男を立ち止まらせることができた。ヨロズが身振りで「待って」と両手を見せている。
リエリーとカーリン、そしてヨンキントも玄関広間で仮面の男を見送った。侍女が菓子の包みを手渡すと、彼はすぐに受け取り、いきなり中身を確認した。
「え、ちょっとここで食べる気?」
カーリンが仮面の男の様子をみて驚いて声を上げた。
仮面の男は包みを荒っぽく開くと、菓子を取り出した。後ろを向いてしゃがむと、壁に向かって顔を隠すように、ごそごそと食べだした。リエリーはその様子に驚いた。土産として持たせたつもりだったのに、どうしてこんなところで突然食べだすのだろう。
「彼の民族の決まりごとでは、もらった食べ物はその場で食べるのが礼儀なのかもしれませんね。興味深いですね、言葉も違う原住の民族と出会うなんて、貴重な体験です」
ヨンキントが小さな声でリエリーに囁いた。
遠巻きに仮面の男を見守っていると、食べ終わったようだ。
「パティ」
それはとても小さな声だった。ずらした仮面の中でその男が、微かに吐いた息とともにささやいた音。
リエリーの耳に、その小さな声は意味をもって届いた。
え? パティと言った。
パティの意味をリエリーは知っていた。
「美味しい」それはシオが時々口にする言葉。
「ピプドゥ」
リエリーは無意識に、気付くとそうつぶやいていた。
仮面をつけ直した男が立ち上がり、皆の顔を見た。
ぞっと悪寒が走った。
細く切られた穴からは、男が何を見ているか分からない、それなのに射抜くように自分を見ているとリエリーは確信した。
男は一度だけ頭を少し横に振った。それが彼の挨拶なのかは分からなかったが、するりと動いて館を出て行くと、ココサワの荷馬車で山に帰っていった。




