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84.侵入者

 夏の夜空に薄い船の月。風は無く開けた窓からは、遠く森のフウロウの声が小さく届く。

 アツリュウは寝台に横たわり、手首を口元に寄せて間接にある骨の膨らみに口づけていた。


 遠乗りの日に、姫様の細い指が触れた場所。あの日の夜から、その場所に己の唇で触れることをやめられない。


 姫様に結婚する気がないことをはっきり告げたのに、何故か彼女は2日と空けずに領主城にやって来る。

 彼女を驚かせ、楽しませた小さな出来事を「アツリュウあのね……」と笑ったり、悔しがったり、時に目を丸くして一生懸命に話してくれる。


『あなたのことを知りたい』

 俺も同じです姫様、あなたのことをもっと知りたい。

 冷たく結婚できないと突き放しておきながら、あなたが与えてくれる優しさを(むさぼ)るように食べている。


 モーリヒルドで「もう私を求めないで」と告げた姫様。

 それなのに、あなたは与えることをやめてくれない。どうしてこんな俺をあなたは慕うのか。


 弱さも、愚かさも、そして夜毎にあなたへの思いを募らせて、嫌らしく口づけている汚らわしい俺のことをあなたは何も知らない。


 姫様はいったい俺の何を見ているのだろうかとアツリュウは思う、それはきっと彼女の中で創り上げられた、本物とはかけ離れた、自分とは違うものなのではないかと……


 (かす)かにジャリっと音がした、出窓にあらかじめ()いておいた荒砂を踏む足音だ。

 来た!


 戦闘が始まる時の、恐怖を無理やりねじ伏せた高揚感が全身に走る。


 瞬時に寝台から身を起こして、足元に用意していた(つな)を握る。()らした綱を使い、渾身(こんしん)の力を込めて天蓋付(てんがいつき)の寝台の上まで登り、木枠(きわく)の上に身を低くして立った。


 灯りの無い部屋の暗がりの中に、その闇よりももっと濃い黒い影が窓から侵入してくるのが見えた。

 奴らが遂に来た。息を殺して侵入者を見下ろした。


 人影は2人。領主の寝室に入って来た黒ずくめの男たちが、顔を自分に向けるのが分かった。寝台の上部にいることに気づかれたと悟った。

 暗器(あんき)を投げられたら避けられない!


 アツリュウは寝台の上に用意していた、頭ほどの大きさの陶器の壺を素早く手に取り、窓に向かって思い切り投げた。

 大きな音をたてて陶器の壺が割れる、アツリュウは寝台の上に乗っている壺を、黒ずくめの影に向かって次々と投げつけた。割れた壺から液体が飛び散る。部屋に血と酢が混ざり合った強烈に不快な臭いが充満した。


 彼らは素早く動いて姿を見失った、はっと気づくと、信じられないことに1人はアツリュウの顔先に居た。

 漆黒の目がギラギラと光っている、口は布で覆われているのに笑っていると確信した。

 手刀が顔面を()ぐ、身を反らせて避けながら、寝台の上から飛び降りた。


 低い艶のある男の声が、真後ろで聞こえた。

 吐き出された息が耳元にかかる程に近い。体に恐怖がビリっと走った。


「おまえが招いてくれたから、せっかく来てやったというのに残念だ。

 私は話がしたかった。また会おう、ぼうや」


 驚きに、男が話した内容を理解するのに、一瞬の間を必要とした。

 瞬時に身を(ひるがえ)して間合いを取った時、扉が開いて兵士たちが飛び込んできた。


「窓だ、逃がすな!」

 叫んだが、黒い影がすでに窓を出て、驚くことに黒い影は上方に移動した。

「屋根だ、追え」

 兵士と共に、アツリュウが出窓から屋根を見上げるが、そこに人影は見えなかった。


 外では犬がけたたましく吠える、予定通りに兵士達がすごい速さで展開し、次々篝火(かがりび)が灯される。


 アツリュウが領主館から、城門前に降りると、城のいたる所で焚かれた篝火と、兵士達の持つ松明(たいまつ)で、どこも明るい。報告に立つサンバシの顔もはっきり見えた。


「どうだった、捕らえたか?」

 アツリュウの問いに、サンバシの顔は硬かった。


「黒の集団と思われる侵入者2名を追跡しましたが、逃しました。城外待機していた追跡班が、現在動いています」

「被害は?」

「死亡3名、重症1名、軽傷3名、主に北城壁の守りについていた者達です。あと犬は3匹やられました」


 北城壁と聞いてアツリュウは「やられたな」と侵入者の恐ろしさを再認識する。北は最も城壁が高い、警備兵は他より手薄だった、まさかそこを逃走先に選ぶとは予想できなかった。


「今回の計画では、犬に襲わせるのが手だったが効果がなかったな、犬を殺すのはなかなか難儀(なんぎ)だぞ、それを3匹も仕留(しと)めてくるのか奴らは」

 アツリュウの言葉に、サンバシが「いえ犬の効果は大きかったです」と返した。


「代行が彼らに付けた臭いで、犬達が追いました。だから北城壁から逃げる彼らの姿を見ることが可能でした。代行が窓に壺を投げてから、彼らが逃走するまであまりに素早かった。犬が追っていなかったら、我々は彼らが逃げたことも確認できていないと思われます」


「後はスオウの追跡班がどこまで追えるかだな。悔しいな、2カ月も餌を()いて、やっと食い付いてきたのに、一人くらい捕らえたかった。まさか2人でくるとはな、もっと大人数で来ると踏んでたのに」

 アツリュウが悔し気に言うと、サンバシが困ったように首を振った。


「自分を餌に、殺人集団をおびき寄せるとか正気じゃないですよ代行。命があって何よりです」

 サンバシが呆れるように言った。


                  ◇◇◇    ◇◇◇


 翌日、昼まで続けられた侵入者の追跡は成果をあげられず、スオウは領主城に戻って来た。

「西森の中を追いましたが、侵入者は沢に入ったようです。そこから臭いは途絶え、犬が反応しなくなり、追跡を中止しました。日が登ってからは別働隊が、足跡と血糊の痕跡(こんせき)をたどりました、西森の中に入ったことは確認できましたが、追跡に至りませんでした」


 スオウの報告に今回の侵入者の捕縛(ほばく)と、潜伏先(せんぷくさき)の特定は失敗したことが明らかになった。


 この1カ月半、7日に1度、あからさまに警備を薄くした。まるで領主館に導くように、篝火(かがりび)も警護兵も置かず、その日は領主の部屋窓を開け放した。


 この計画の立案者はアツリュウだ。もし黒の集団が潜伏しているならば、この挑発(ちょうはつ)に乗って来るような気がした。トリビトリが語った『領主の椅子に座って高笑いした男』は、こういう趣向(しゅこう)が好きなのではと思えたからだ。それほど期待していた訳ではなかったので、本当に彼らが侵入してきて、計画した本人ながら非常に驚いた。


 今回の計画の肝は犬を使うことだった。エイヘッドの猟師達に協力を仰いで、猟犬を訓練した。

 用意した血の臭いを追うように2カ月猟犬を(しつ)けた結果、犬は教えた臭いのする侵入者に飛び掛かることはできた。しかしスオウの話では犬が臭いで追跡できていたかは怪しいといっていた。犬の素人である自分達がした初めての試みであるから効果はこの程度だろう。


「今回、彼らを取り逃がしたが、得た情報を整理する」

 アツリュウは執務室で皆を前に、彼が知った重大な事実を告げた。


「侵入者の一人が私に話しかけてきた。帝国語だった」

「帝国語!! やつらヒルディルド人では無かったのか!」

 サンバシが驚きに目を見開いた。


「おまえが招いてくれたから、せっかく来てやったというのに残念だ。私は話がしたかった。また会おう、坊や」


 アツリュウは昨夜の男の言葉を、帝国語とヒルディルドの訳語で繰り返した。最後の「坊や」は気に入らないが、しかたがない、正確に言われたことを皆に告げた。


「私はかなり後悔している。血糊を投げるのをもう少し待って、あの男と話をすれば良かった。私の辛抱(しんぼう)が足らなかった。話していれば、もっと奴らの情報を引き出せたかもしれないのに」


「命を取られなかったから言える言葉です代行。時間をかけていたら、バンダイと同じように人質に取られていたのではないですか?計画通り動いて私は正解だったと思います」

 アツリュウの言葉にオルゴンが腕組みをして答えた。


「暗闇の中だったが、代行を坊やと呼んだ。彼らは代行の顔を恐らく知っているのでしょう」

 スオウの言葉に、(はなは)だ不服だった。坊やだから自分を特定しているとは失礼だろうが。


「帝国語を話すとなれば、南ルールド国か北ルールド国どちらから来たのでしょう?」

 サンバシの問いはアツリュウも考えていた。


「帝国語だから、帝国人とは限りません、ハイシャン国は言語が複数ある、彼らはハイシャンの民族語で話しかけても、我々が理解できないことを知っています。他の小国についても同じだ、だから他国人同士は、ある程度教養のある立場の人間ならば、外交の場では帝国語を話します。代行、その男が話した帝国語に他国(なま)りを感じましたか?」

 スオウの問いに、アツリュウは(しぶ)い顔を返すしかなかった。


「すまないが、私は帝国語がそれほど得意ではない。あの男は流ちょうに話しているように感じたが、訛りがあるかどうかは、私の理解力では到底分からない」


「どこの国から来たにせよ、他国人であるなら船で来たことは間違いない。昼間に入り江に入って来た不審船をヒシダ見逃すとも思えない。夜間に着岸させるならば、それができる場所は限られている。だがそんな場所は、すでにヒシダがしらみつぶしに調べているし、我々だってこの2カ月間再調査した。だが、船の痕跡(こんせき)はない。ならば、運ばれてきたのか?」

 オルゴンの言葉にアツリュウは首を(ひね)るしかない。全く不可解な集団だ。


「昨年の10月に現れて、それきり姿を見せず。昨日は話がしたかったと言ってきた。彼らは何らかの理由で、この地に潜伏(せんぷく)をするしかない状況に追い込まれているのではないでしょうか。もし代行と話がしたいならば、武装せずに少人数で訪れれば、こちらも話は聞く。書状を送ってきてもいい、だが彼らは侵入という手段を選んだ。ただの話し合いはできないということではないでしょうか」


 スオウに「ただの話し合いができないとは?」とアツリュウは聞き返した。


「交渉の材料となる切り札が無いのでは? ただの賊が話し合いをしたいと言ってきても、こちらは要望を聞いてやる必要はないですから、捕らえるだけです。こちらが、あちらの要望を飲むような見返りがあれば別です。おそらく黒の集団に、我々が欲しいような見返りは無いのでしょう。だから、侵入して、切り札を取りに来た」


 アツリュウが、彼らが取りに来た切り札とは何だろうと考えていると、スオウの目が鋭くにらんだ。

「あなたです代行。あなたを人質にとるために彼らは来たのだ。だから殺さなかった」


「バンダイのときと同じだ」

 アツリュウのつぶやきにオルゴンが深くため息をついた。


「あいつらは罠だと分かって侵入してきたのでしょう? それで代行を取りにくるとはすごい自信ですね」

 サンバシの言葉に、背筋が寒くなる。実際彼らは、あれほど計画して兵士を動かしたにも関わらず、あっという間に逃げおおせた。


「彼らの食糧は尽きてくる、いずれ接触してくることは間違いないでしょう。我々は彼らに切り札を渡してはならない」

 ブルーグレーの瞳は、奴らが仕掛けて来た戦争はまだ終わっていないのだと告げていた。

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