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80.どうして?

「どうして、結婚しないのですか?」

 リエリーはその問いを口にした。開けてはいけない扉を押す心地だった。その問いの先にどれほど残酷な答えが待っているか怖くてしかたがない、でも戻って来た『どうして』の気持ちは、もはや自分の手に負えず、力強く言葉となって外に飛び出した。


 しばらくアツリュウは黙っていたが「私は……一人でいたいのです」と小さく言った。


「一人?」

 ようやく彼の顔を見ることができた。静かにけれど、とても寂しそうに彼が話し出した。


「誰とも一緒にいたくない、一人でいたい。もうずっと長い事、私は家から飛び出して、一人で生きていくのが望みだった。でも子供だったから一人の力では生きていけない。ずっと我慢し続けた、大人になったらすぐに出て行こうと思いながら……もしかしたら馬と一緒ならやっていけるのかもと希望を持ったのに、それなのに、どうしてだかこんなところに迷い込んでしまった。」


 それはリエリーに対してというより独り言のような言い方だった。


「子供の時からずっと一人になりたかったのですか?」

「そうです、一人になりたい。だれも自分を知らない場所に行きたい。できることならば自分からも逃げて一人になりたい」


 自分からも逃げて一人になりたい?


「でも、オルゴンもキボネもあなたのことを本当に心から大切に思っています、どうしてあなたが家族から逃げ出したくなるのか、私にはわからない」


「そうです。私は皆から愛さています。これ以上ない程に。父上も、奥方も、エリュウ兄さんも、実の母からも、私は大切に育てられた。オルゴンはいつだって私の(そば)にいてくれる。でも、それでも私は一人になりたいのです」


 愛されていることをこんなにも辛そうに語る人がこの世にいるのだ。

 あの閉じられた館で、どれほど渇望(かつぼう)しても自分には得られなかった愛を、彼は(あふ)れるほどに得ているのに、どうして、そんなに苦しまねばならないのか。


「わたしはあなたのことを何も知らない……」

 リエリーは目の前にいること男性のことを、ほとんど何も知らないのだと突然気づいた。


「あの日、橋の欄干に立っていた時、あなたが隣に来て私を助けてくれた。それからずっと、あなたのことばかり考えて生きてきました。だから私はとても長い時間を使ってあなたのことを考えていた。だから、アツリュウのことをすごく知っているような気持になっていたのかもしれません。でも今分かったのです。私はあなたのことを何も知らないの、どうしてそんなに一人になりたいのか、私には見当もつかない……だから、私はあなたのことをもっと……」


 彼の目が驚きに見開かれた、大きな声で(さえぎ)るようにアツリュウが言った。

「私たちは、結婚しないのだから。お互いを知る必要は無いと思います。だから遠乗りもこれきりにしましょう。領主城にお越しの際はお茶を御一緒するという約束でしたが、それも世間話くらいならかまいません。でも私は姫様との特別な関係は一切望んでおりません」


 そんな風に言われたら心が砕けてしまいそう。

 ああ、涙がこぼれてしまう。あなたに涙を見せたくない。

 いっそ死んでしまいたい。


『どうして助けたりしたのだ』

 セウヤ兄様はとても怒っていた。こんな地獄を生きるくらいならあの時死んでいればよかったのにと。

 本当にそうだ、あの時堀に飛び込んでいたらこんな辛い気持ちを味合わなくてすんだ、あの時水に沈んで死んでしまえば良かったのだ。そして私を助けた張本人が目の前にいる。


 まさか、到底理解できないと思ったセウヤ兄様の気持ちを、理解する日がこようとは思わなかった。


「わたしも誰とも結婚しません。一人でいます」

「私はあなたに幸せになってもらいたい、それが私の望みです」

 もうその言葉を言って欲しくなかった。悔しさを彼にぶつけたかった。でも何を言ったところで届かない気がした。


「アツリュウが結婚しないのだから、私もしません」

 長い沈黙の後、アツリュウがやはり帰りましょうと立ち上がった。


 アツリュウが遠くに待機している護衛官の所へ歩いていき、何かを告げている、きっと帰る準備をしろと指示を出したのだろう。

 しかし、しばらく待つと兵士が駆けてきてアツリュウに耳打ちした。


 アツリュウが困った顔をして戻ってきて、また隣に座った。

「まだ訓練が終わらないから、予定の時間になるまでここに居ろとのスオウからの指示です」

 彼は少し怒ったように「スオウの奴……」とぼやいた。


「彼のことをスオウと呼ぶのですね」

 アツリュウはこくこくと頷いた。


「もう緊張して敬語で話すのはやめにしました。何から何まで凄すぎて尊敬してましたけど、最近あの人も完璧でないと知ったのです。なんというか、駄目なところばかりの私を鼻で笑っているように思えて苦手だったのですが、今はもう怖くありま……いや、時々まだすごく怖いですが……でももう代行としてですね、言うときはびしっと言ってやります」


「アツリュウが駄目なところばかりなんて、そんなことは無いです。立派なところばかりです……よ」

「それは姫様が私のことを知らないか……ら……で」


 彼はすぐ気まずそうに目をそらした。

 思いがけず、先ほどの言葉を言い返す絶好の機会を得た。

「そうですよ、私はアツリュウのことを知りません……よ?だから私は知りたいのです。教えてくれませんか?」


 絶望的な気持ちで泣きそうだったのに、少し気持ちに余裕が出て来た。

 侍従がお茶を運んできた。どこかで火を焚いてお湯を用意してくれたのだろう。煙の臭いもしないから、準備の場所にも気を使っている。どれだけ人が周りにいるのだろうかと改めて思った。


 リエリーがお茶頂きながら小さな甘味を口に入れると、気持ちが落ち着いてきた。アツリュウはさきほどの言葉に返事をくれないまま、目を合わせずにお茶を飲んでいる。


 お茶も飲み終えて侍従が片づけを済ませると、無言のまま湖と遠くまで続く白い森を眺めた。アツリュウも何も言わない、けれど不思議と落ち着いて不安な気持ちは無かった。あなたとは結婚しないと断言されたというのに、何かあれば必ず彼は自分を守ってくれるのだという絶対の安心感があった。


 気が付くと彼の右手を見ていた。長い指は形が良く、何故か見る度にその手はリエリーの心を捕らえる。


「アツリュウは手が大きいですよね」

 リエリーが手を見詰めたまま言うと、彼が視線を感じるのか右手を握ったり開いたりして見せた。


「小さいときからよく言われます。手だけじゃなくて体の全ての部位が、耳とか鼻とか口も……それから足も大きい。だから『お前はぜったいでかくなる』とみんなから言われたのに、どうしてなのか、背だけは伸びなかった。なんでなのかとすごく悔しかった」


 彼を見ると子供っぽい顔で悔しそうな顔をした。ちょっと可愛かった。

「背が低いのは嫌なのですか?」

「それが普段は全く気にしていません。ですが時々、背の高い相手から見下ろされていると感じると、ムカッとするときがあるんです。例えばスオウとか」


「スオウは背が高いですね。あと、背が高いと言えばヨンキント様ですね」

「あの方は特別だ。ヨンキント様ならどんなに見下ろされても気にならないです。俺は……、私はあの方が大好きです」

「私もです」

 顔を見合わせて目が合うとこらえきれずにお互い笑みがこぼれた。


「時間があると、しょっちゅう神殿を訪ねてます。前はまた来ましたねって言われたけど、この頃それも言われなくなりました。替わりに不思議な飴をくれるんです」

「不思議な飴?」


「なんだか神官達には有名な飴らしいですけど、薬草的であまり甘くなくてはっきり言って美味しくないのに、何度も食べているうちに癖になって……そうしたらこの前「猫殿の餌付(えづけ)けに成功した」って笑うんです。時々あの人は失礼なこと言いますよね」


 ふふっと声が出てしまった。

 アツリュウが少し困ったように覗き込んでくる、あの……と口ごもりながら「彼と二人きりで刺繍をよくするのですか?」と聞かれた。


「まだ一度だけです。でもヨンキントが大作を一緒に作りたいと誘ってくれましたから、またご一緒したいです」

 彼は何かを言いたげだったが、小さくため息をつくだけだった。


「姫は離宮でもよく刺繍をされていた、そうだここにも」

 思い出したように彼は急に服の首元を開くと、何かを引っ張り出した。それは恩赦の戦で贈ったお守りだった。


「ああまた、姫様の目が丸くなった」と彼の優しい声が聞こえた。

「これをまだ持っていてくれたのですか?」

「はい、これに付いていいるリボンにも姫様の刺繍がしてあります」


 彼の大きな手の中にあるそれは、擦り切れたようにくたびれている。それを贈ったあの日から、彼の胸元にいつもあったのだと教えてくる。

 胸の中が熱くなる、どうしてこんなにも大切にしてくれるのだろう。


「あの、これ作り直します。だから少しの間(あず)からせてください」

「嫌です」アツリュは取られては困るとでも言うようにまた首に掛けてしまった。

「そんな嫌ですと言わないで……あ!」

 先ほどの悲しみですっかり忘れていたことを思いだした。


「それなら、お守りが直るまで、こちらを持っていてください」

 前回受け取ってもらえなかった、猫の刺繍のハンカチを広げてから渡した。

「わあ、猫だらけだ」と子供っぽい顔で彼は受け取り、1匹ずつ興味津々に見だした。


「この猫は随分(ずいぶん)ワルな目をしていますね」

「はい、隠れてお昼寝に行くところです」

「はは、俺みたいです……ね……ん?もしやこの猫達は私ですか?」

「すごい!どうして分かったんですか?」


「だって、窓から飛び降りてるし、これはもしやリンゴ事件」

「ジャムパイクッキーを食べているのも入れたけれど、ジャムパイは上手く表現できませんでした」

 彼は「うわー俺が猫になってるのか……」とつぶやきながら嬉しそうな顔をしている。


「あなたの好きなものをたくさん入れました。そうだ!ヨンキントもいれましょう。アツリュウの好きな方だから」

 アツリュウは凄い勢いで、ハンカチを胸元に寄せて取られないようにした。

「い、嫌だ。入れてくれるなら姫様がいい。姫様猫をいれてください」


 え、今なんて言った……の?

 彼は何事も起こっていないかのように、微笑みながらハンカチを丁寧に畳む。


 このハンカチにはあなたの好きなものばかり入れたと知っていて、私を入れてくれと言ったの?

 そんなことを言われたら、私がどんな気持ちになるかこの人は分からないのだろうか。


 アツリュウが真面目な顔で「では姫様お願いします」とハンカチをリエリーに戻そうとした。

「嫌です」

 きっぱりと言ってやった。


 アツリュウなんて、アツリュウなんて……

 私と結婚しないと言ったのに……

 ウサギを時間をかけて探してくれたことも、お守りをずっと身に付けていることも、ハンカチの大好きに私を入れようとすることも、全部ひどい……ひどい、ひどい、私の気持ちをぐちゃぐちゃにする。


 ハンカチを奪うようにアツリュウの手から取った。

「ここには絶対にヨンキント猫を入れます」

「絶対に嫌だ。どうしてここに他の男を入れるんです。やめてください」

 意外な言葉に「どういう意味?」と気を抜いてしまった。アツリュウにするりとハンカチを抜き取られる。

「ヨンキント様は絶対に侵入させたくないので、このままもらいます」

 

 お守りも渡してくれず、ハンカチも取られ、悔しくて顔をそらして黙り込んだ。

「姫様?」ささやくような小さな声で彼が呼んでくる。まるで「怒っているの?」と小さい子が心配して聞いてくるみたいな言い方だった。


 それでも黙ったままでいると、彼も何も問いかけてこなかった。また長い沈黙が続いた。

 また彼の手を眺めた。私はこの手が本当に好きなのだと思った。


「アツリュウ、それは何ですか?」と彼の手首を指さした。

「ん? 何とは何のことですか?」

「その、手首にある、ポコっと飛び出た丸い物です」

「はい?」っとおかしな声を出して、アツリュウが自分の手首の突起(とっき)を触った。

「え? これは骨ですよ。姫様にもあるでしょう?」


 自分の手首を見る「無いです、そんな飴玉のように大きなものは。前から不思議でいつも見ていました。お嬢さんに乗った時はずっと……あれは何だろうって」

 アツリュウはリエリーをしばらく見つめた後、吹きだすように笑った。

「ただの骨ですよ姫様。今まで気にしたことはなかったのですが、男だから大きいのかもしれませんね」


「触って確かめてもいいですか?」

「どうぞ」

 差し出された腕の、手首にある飴玉のような丸い突起をまじまじと見る。そうっと人差し指を伸ばして、そこに触れた。確かに硬い。

「アツリュウこれは、骨です」


 彼は愉快(ゆかい)そうに「だからさっきからそう言っています」と微笑んだ。

 自分の手首を触ってみると、小さい骨に触れた。

「とても小さいですが私にも骨がありました。触りますか?」


 腕を上げてアツリュウに差し出すと、彼は人差し指を伸ばして触れようとした。

 そして触れそうになった瞬間、ひゅっと息を飲む音がした。


 心臓が止まるかと思うほどの、すごい勢いで彼は立ち上がった。リエリーが驚きに見上げると、同じようにびっくりして目を見開いた彼とバチリと目が合った。その顔はばっと彼の腕で隠された。


「もう帰る時間になったか確かめてきます」

 叫ぶように言うと、アツリュウは走って行ってしまった。


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