76.お茶会
お茶会の会場になっている、上品だけれどもこじんまりとした迎賓の二の間にアツリュウが姫様をエスコートしながら入ると、皆の視線を浴びた。オルゴンがあまりに嬉しそうにするので、直視できなかった。
卓の上には、軽食やら菓子やらがふんだんに並べられていたが、誰も手を付けた様子が無く、茶も注がれていないのを見て、皆が自分を待っていたことが分かり気恥ずかしくなった。自分が来ることは想定されていて、キボネに朝から礼服まで着せられて、すっかり思い通りに動かされたのだ。悔しいがアツリュウは敗北を認めた。
姫様と並んで席に着いた。オルゴンとスオウ、サンバシ、それからヨンキント様、そしてドレス姿のカーリン嬢の隣にはタクマ―もいた。本当に少人数の小さなお茶会なのだと分かった。
姫様が始まりに挨拶してくれた。先日起こした騒ぎを詫び、日ごろ優しくしてもらっていると皆に感謝した。それから今日のドレスはタクマ―が贈ってくれたと話し、彼にありがとうと礼を言った。
タクマ―が非常に苦しい顔でアツリュウを見てくる。そのせいかは分からないが、皆の視線が生暖かく自分に注がれる。ヨンキント様が「なんと、タクマ―様が贈られたのですか。アツリュウ様とても姫様にお似合いですね。彼は良い仕事をなさいましたね」とにやにやしながら言う。これは絶対自分が贈ったと気づいている顔だ。
姫様の可愛らしい挨拶が終わると、和やかにお茶会が始まった。
それにしても、本当に綺麗だ。ドレス姿の姫様を見詰めていると「アツリュウはとっても素敵ですね」とはにかんだように言って、微笑む。しばらく考えてから、今着ている筒着物の礼服姿のことだと分かった。照れてなにも返せない。
「どれから食べますか?」と小首をかしげてきいてくる。「それではイチゴで」と返事をすると、ふふっと笑った。
「きっとイチゴを選ぶと思ったのです。アツリュウはやっぱりこれが大好きなのですね、キボネに頼んで良かった」
あまりの可愛さに呆けて姫様を見ていると、クッキーを上品につまんで口元に近づけててくる。「どうぞ」と聞こえた。
え? このまま姫様の手ずから頂くのですか? そんなことできるのか? いやそれは無理だ。
「あ、えと……、姫様もお召し上がりになってください」
姫様は自分がしようとしていたことに気が付いたのか一瞬で顔が赤くなり、気まずそうになったあと、そうっとクッキーを食べた。時間をかけて1つ食べると、ぱあっと明るい笑顔でこちらを向いた。
「とっても美味しいです。アツリュウも食べてください」
自分が食べるまで彼女はじっと見ているつもりのようだ。アツリュウが一つ口にいれると、食い入るように観察されている、耐えきれなくなって横を向いた。やっとの思いで飲み込んで視線をすみれの瞳に戻す。
「すごく美味しいです」
それは嬉しそうに「良かった」と微笑んで、姫様はふふっと笑った。
ああ、この笑い方がとても好きだ。
明らかに皆に注目されていると分かっていたが、顔に熱が上がっていくのを止める術が分からない。
姫様が卓に並べられた菓子の説明をしてくれる。どれも自分の好物だった。姫様がキボネと相談して、自分のために用意してくれたのたのだとありありと分かる。それなのにさっき自分は行かないと断ったのだ。
「姫様は近頃はどのようにしてお過ごしですか?」
オルゴンが穏やかな口調で尋ねた。
「カーリンの会社で、獣毛の臭いに関する研究をしています。リョマリョマの毛を洗剤で洗ったり、毛から細かな汚れを拾ったりして不織布を作っています」
アツリュウはタクマ―から聞いて、姫様がリョマリョマの臭いの研究をしていると知っていたが、皆は驚いた様子で、あれこれと姫様に質問をする。彼女は嬉しそうに答えていたが、カーリン嬢が「でもねえ」と口をはさんだ。
「リエリーには本当に助けてもらっています。とてもいい相棒です。けれど困っていることがあるのです。皆さんぜひ解決策を一緒に考えてくれませんか?」
カーリン嬢の困っているという言葉に、姫様は不思議そうに彼女を見た。
「実はリエリーは、仕事が終わって帰ってきた後も、休みの日も、研究をしてしまうのです。休んだらと声を掛けても効果がなくて、この前はやっと読書してくれていると思ったら、獣毛関係の本で夜中まで読んでいるのです。リエリーが頑張ってくれるのは嬉しいけれど、いくら何でも根を詰めすぎです。彼女を休ませる方法を皆さん考えてください」
「それはさすがにやりすぎですね」
ヨンキント様が言うのに合わせて皆も頷く。
姫様の目がまん丸になって驚いている。「私は大丈夫ですよ」と呟く彼女をカーリン嬢が首を振ってみせた。
「姫様はエイヘッドでどこか行きたい所や、やってみたい事などございませんんか?」
オルゴンに尋ねられ、姫様は考える顔になった。皆注目して待ったが、結局姫様は「今は研究がしたいです」と小さく答えた。
「それでは、皆さんで姫様にしてもらいことを一つずつ言っていくのはどうでしょう? 姫様が気に入った事があれば、それをしてもらいましょう。全ての時間を研究ばかりというのは、いささか心配ですから」
ヨンキント様がそう提案して姫様に微笑みかけた。
「では言い出した私から……そうですね、私が姫様にお願いしたい事は……また一緒に刺繍をして、何か大作を仕上げたいですね。神殿に飾れるような大きな作品を作りたい。姫様どうですか?」
姫様の目がわくわくとしているのが分かった。
「やってみたいです。とても楽しそう」と彼女が返事をすると、カーリン嬢が「うーん」と唸った。
「なんだかそれは、リエリーがさらに根を詰めて没頭しそうなことですね、休むことのなるのかしら」
ヨンキント様が思案顔で答えた。
「確かに、リエリー様は寝ないで刺繍し続けそうですね」
「オルゴン殿はどうですか? 姫様にしてもらいたい事はおありですか?」
ずっとご機嫌な顔をして、可愛い大熊のぬいぐるみのようになっているオルゴンにヨンキント様が話を振った。
「そうですね、私は姫様にもっと領主城に来て頂きだいです。お顔を見せてもらうだけでこの爺は幸せになりますから」
そう彼が言い終わると「はい」とキボネが手を挙げた。
「侍従の私が発言する無礼をお許しください」
キボネがアツリュウをびしっと見すえるので、首を縦に振って許可を与えた。
「オルゴン様がご提案のように、リエリー様には領主城にお越し頂きたい。リエリー様のお部屋もご用意してございます。夜間は安全でないとのことでしたら、日中に滞在してもらえばよろしいかと。そして……」
彼の鋭い視線が矢のように自分に刺さる。
「お越しの際はアツリュウ様とお茶を御一緒されるように、わたしくし準備万端整えますので……よろしいですか? アツリュウ様」
皆の視線が刺さる。アツリュウは答えねばと思うが会うのを避ける都合のいい文句は浮かばなかった。
姫様の顔に目を向けると、すみれの瞳が不安げに揺れている。なんと返事されるのか怖いのだろうなと思った。繰り返し拒絶してきた、さらに皆の前でまた断ったら彼女をどれほど傷つけるのだろう。
「分かったキボネ。だが、頻繁に来るのは控えてもらう。それから滞在中は姫様に護衛を付ける、ここは安全な場所ではないのだから」
アツリュウが答えた瞬間に、キボネとカーリン嬢、そしてなぜかヨンキント様が同時にニヤリと笑って目くばせしている。それは「してやった」という嫌な感じの笑い顔だった。今日は朝から彼らの思い通りに動かされている感がひしひしとする。まさかヨンキント様もあっち側なのかと気づいてアツリュウは裏切られた気持ちになった。
ムカムカしてきたが、姫様を見た瞬間、そんな苛立ちは吹き飛んだ。
顔を真っ赤にして、両手で頬を抑え目を潤ませている。
「嬉しい」その声はあまりに小さくて、隣にいる自分にだけ聞こえた。
あまりに健気で必死なこの眼差しを拒絶するには、どれほどの力を搔き集めないといけないのか……たぶんもう、姫様のとのお茶を断る力は出ない気がした。
いつの間に、自分は四方を敵に囲まれていたのか……戦況はすこぶる悪い。皆でよってたかって自分を姫様に近づけようとする……逃げ道を探さねばならない。
「それでは、次に私が言わせてもらいます」
カーリン嬢が立つと、優雅にお辞儀をした。彼女も今日は美しく着飾っている、どんな装いをしても、獰猛な虎に見えることに違いはなかった。
「私はリエリーとエイドドアドの街で買い物がしたいです。彼女はまだお金を自ら支払った経験がないそうだから、小さな商店や市場に連れて行ってあげたいです」
それを聞いた姫様は少しきょとんとした。きっとしたことがないから、あまり想像できないのかなとアツリュウは思った。きっとカーリン嬢と買い物すれば楽しさが分かるだろう。
カーリン嬢に対してアツリュウは感謝の気持ちが大きい。エイヘッドに姫様が来て彼女に出会えたことは本当に幸運だったと思う。姫様は彼女のお陰で生き生きとして、新しいことに挑戦するようになった。他人の為ではなく、自分のためにする姿を見せてくれるようになった。それがとても嬉しい。
ただ、タクマ―の話を聞くたびに、隣でそれを見守れないのが寂しかった。
次にタクマ―が話すように促されたが彼は恐縮して「私は何も……」と言葉を濁した。
「王女殿下と毎日のように食事を御一緒させて頂き、さらにわたくしからの贈り物も快く受け取ってくださった。これ以上の幸せはございません。婚約者様の前でこのような事を申してしまいました。お叱りはお受けします」
タクマ―はそう言ってアツリュウに詫びた。
「タクマ―殿、お叱りなどど言ってくれるな。私がどれほどあなたに助けられているか。エイヘッドの商いについてよくご教授くださるし、なによりあなたはわたしの愚痴をよく聞いてくださる。あなたのことは大切な友だと思っている、詫びられることは何もない。どうか顔を上げて欲しい」
「アツリュウ殿……」
「タクマ―殿……」
二人でうなづき合った。
目くばせしながらアツリュウとタクマ―は心の中で会話をする。
「あなたの妹は怖いですよね、たぶん今日も私は彼女にしてやられたんです」
「そうなんですよ、本当にこいつは恐ろしい女なんですよ」
「私の味方はあなただけですタクマ―殿……」
ヨンキント様が一つ咳払いをしたので、タクマ―とアツリュウの友情の時間は終わった。
ヨンキント様が「スオウ殿はいかがですか?」と彼に話を振った。
無表情のまま茶を飲んでいる彼が、この話題に興味をそもそも示しているのかも分からなかった。皆の視線がスオウに集まった。
「私は姫君にして欲しいことは特に……しかしお聞きしたいことならばある」
感情を乗せない低い声が、まるで尋問したいことがあるように恐ろしく聞こえた。
「しかし、私がお聞きしたいことは最後に伺おう、姫君の返答が長くなるだろうから。先に他の者の話を進めてほしい」
スオウはヨンキント様に向かってそういうと、また茶を飲みだした。
「はあ、そうですか。ではサンバシ副隊長殿どうぞ」
サンバシはびっくりして立ち上がった。
「わたくしにも発言の機会を頂けるのですか? それは無いだろうと考えをまとめていませんでした。少々お待ちください。そうですね、王女殿下に何かを望むなど恐れ多くて……はい、決めました」
サンバシは恭しく帝国式にお辞儀をした。
「本日の王女殿下は大変お美しく、恐れ多くもお茶会にご招待頂き、お姿を拝謁できましたことサンバシ生涯に一度の幸福と心得ます。もしも叶いますならば、次回このような麗しいドレスの装いをなさる機会には、護衛の任に就きたく、殿下の為に剣を捧げてお仕えしたく存じます」
姫様は「ありがとう」と嬉しそうに返した。
サンバシの剣士として模範解答のようなお願い事を聞きながら、内心焦ってきた。この流れでいくと次は自分が指名されるだろう、姫様に自分が会わないとこが望むことだ、そんなことを言える訳がない。
「それではアツリュウ殿」
ヨンキント様の声についに順番が来てしまったと体がに力が入る。困った……
「アツリュウ殿には最後に聞きますから、よく考えておいてくださいね。ではリエリー様にお尋ねします。獣毛の研究以外で、何か1つ、やりたいことを考えてください。時間がかかってもよろしいですから」
姫様は小さく息を吐いて、困った顔をした。そこから真剣な顔になってぎゅっと両拳を握った。
「あの……」
意外にも姫様は言いたいことがある様子を見せた。
「あの……、私はモーリヒルドで一つだけ、とても楽しみにしていたことがありました。それをここでもしてみたいという気持ちがありますが、それはきっと皆さんにご迷惑をかけることだと思います……だから……」
口ごもる姫様にカーリン嬢が「言っていいよリエリー、できないかどうかは重要じゃない、あなたの気持ちをみんなが知ることが大切なんだよ」と大きな声で告げた。
はっとする言葉だった。
『できないかどうかよりも、あなたの気持ちが大切』
悔しいけれど、この虎の女性は、今誰よりも姫様を支えている。その強さがどうしようも無く羨ましい、そして、姫様を傷つけることしかできない自分のなんと情けないことだろう。
姫様を見詰めた。握りしめるその手を、大丈夫だよと握ってあげたいと思った。見上げる彼女の視線が「言ってもいいかしら」と問うている。深く頷いて見せた。あなたの気持ちを自分も知りたいよと心の中で告げた。
「あの……できなくても本当にかまいません。ですから、ご迷惑なら仰ってください。あの……私は遠乗りに行きたいです。モーリヒルドでリュウヤ兄様が時々遠乗りに連れ出してくださった。私はそれが長い事唯一の楽しみでした。だから、したいことはそれしか知らないのです」
「遠乗りですか。それは素晴らしい、是非ともなさるといい。アツリュウ様とお二人で出かけるといい」
オルゴンのお二人でという提案は大砲の砲撃を受けるような攻撃だった、しかし自分に逃げ場は無い。ここで姫様を傷つけずに断る理由をひねり出すことは不可能だと瞬時に悟った。
姫様と二人で遠乗り、そんなことをしたら幸せ過ぎて馬に乗っていられるかどうか……ああでも、二人で過ごしたらどれほど辛いか想像すると胸が苦しかった。でも、もう逃げられない。
彼女がきつく握った手に目線を落してこちらを見ない。彼女がきっと自分に断られると思い怯えるようにその言葉を待っているのだと見て取れた。
「分かりました。すぐには無理かもしれませんが、安全面を万全にするため準備に時間をください」
そんなつもりはなかったのに、自分の声は冷たく事務的に響いた。
はっと顔を上げた姫様が「いいのですか?」と小さく問う。頷いて答えた。
「で……でも、やはりご迷惑だと思うのです。アツリュウはお仕事で忙しいのに……私は我儘だと思います。やはり遠乗りはやめます。ごめんなさい。お茶会にきてくださったのですもの……それだけで……いいんです」
心配しなくて大丈夫ですよと言ってあげるべきだと己に言い聞かせるのに、次の言葉が出なかった。重い塊が胸にのしかかってきてその不快さに耐えた。多分不機嫌な顔になっていると思ったが口を結んで黙っていた。
「代行には姫君と遠乗りに行っていただく。では一通り話が済んだようなので、私が聞きたかったことを質問してもよろしいか?」
スオウが沈黙を切って、何でもないことのように、『遠乗りに行っていただく』と宣言した。この男がすると言ったら絶対にするんだろうとこの場にいる者は全員納得した。
どんな尋問がはじまるのか、皆の関心はスオウの質問に持っていかれた。皆が彼に注目する中、アツリュウは彼女の横顔を見ていた。
姫様と時々お茶をして、二人で遠乗りに行く。彼女はそれを嬉しいと微笑む。
どう目を逸らそうとも、彼女が自分を求めていると認めるしかない場所に追い込まれる。
会わずに逃げ回って彼女を傷つけた、けれど二人で時間を過ごすことはもっと深く、取り返しが付かないほどに彼女を傷つけることになるのではないか?
二人で会うことは本当に彼女の幸せに繋がることだろうか。アツリュウにはそう思えなかった。




