65.俺の気持ちなんて
アツリュはオルゴンの執務室を飛び出すと、真っすぐに鍛錬場に向かった。着くとサンバシ副隊長が兵士数人と話をしている後ろ姿が見えた。
「サンバシ、体を動かしたい。誰でもいいから手合わせさせろ」
サンバシはアツリュウの筒着物姿を見て「着替えてきてからの方がよろしいのでは?」と真っ当なことを言ったが「かまわん、いますぐだ」と返すと「分かりました」と答えて、近くの兵士に何人か連れてくるよう声を掛けた。
「よし、お前ら巨人殺しが稽古をつけてくれるそうだ」
「隼だ!次に巨人殺しと言ってみろ、叩き切る」
サンバシを今ここで切る勢いで睨みつけた。
「代行キレてるんですか?」
サンバシが集まった兵士の中から何人か選抜して、木刀を準備させた。
「それじゃあ代行はこちらで」と手渡されたのは、竹を束ねた軽い竹刀だった。
「なんでこんなペコペコの竹刀でやらないといけないんだ。俺は真剣でもいい」
サンバシが首を激しく振って、「冗談はやめてください代行」と答えながら、兵士に革の防具まで付けさせた。
「お願いしますよ、怪我させないでくださいね、くれぐれも手加減をしてください」
サンバシの態度に苛々する、それを隠すこともできずに鍛錬場の真ん中に立つ。「誰からくるか?」と睨みつけると、出ようとしていた兵士がびくっと立ち止まった。
1人目の相手と手合わせを始めた。いきなり相手の懐に飛び込んで、内側から剣を払い落して、竹刀の持ち手で胸を突いて倒すと、後ろからサンバシの「あーこれは駄目だ、めちゃくちゃキレてる」とぼやくのが聞こえた。
その後立て続けに30人程と手合わせした。打ち合うこともほとんどなく、アツリュウが次々倒し「次は誰だ?」と呼んでも、怖気づいたのか相手になる兵士が前に出てこない。
サンバシが兵士に声を掛けて、城警護に付いている兵士を何人か呼んできてくれた。どうやらエイヘッド特別隊の中でも剣技に優れている者達らしい。今度は木刀で手合わせをした。なかなかの精鋭ぞろいで夢中で木刀を振るっていた、しかし気づくと次の相手が出てこない。
「次だサンバシ」
額に流れる汗を腕で拭って、彼を振り返ると、サンバシは「もうまともな相手は残ってません」と肩をすくめてみせた。
「あのシュロム近衛兵最強とうたわれる狂人サンライガに仕込まれると、こんな男が出来上がるのか。代行あなたの間合いの取り方は、常軌を逸している。あんな風に飛び込んで来られると、剣が無力化する」
乱れていた息が整ってくる。頭は冴えている、まだまだやれる、次の相手をよこせとサンバシを見据えた。
「血に飢えた狼だなこりゃ、恐ろしいことだ。しかたがない、私が相手になりますよ代行」
副隊長を任されているこの男の戦闘力は未知数だった。好奇心に体がうずうずする。木刀を構えると、サンバシは「違います」と顔の前で手を振った。
「あなたと剣でやりあっても、数秒しかもたない。私が手合わせさせてもらうのはこちら」
彼は剣を持たずに、体術の構えをした。
「サンバシは体術をやるのか!」
アツリュは木刀を近くの兵士に預けると、自分も体術の姿勢を取った。
もともと自分は体術向きだと知っていたが、良い師に巡り合うことができずにいた。我流でやっているので、体術に自信を見せる強い相手との対戦に心が躍る、嬉しさに思わずにんまりとした。
「こえーよその顔」
サンバシがそう言うのを合図に、彼が動いた。
恐ろしい程の速さで間合いを詰められる、何とか拳を避けるが、自分でもどうして避けられているのか感覚だけで動く。防戦一方でなんとか攻撃してもかすりもしない。すぐに息が上がって、このままでは動きが鈍ってやられると思った刹那、空が見えた。
肩に強い衝撃を受け、次に背中に痛みがきた。地面に仰向けに倒れて、しばらくたってから、首に腕を掛けながら、足を引っかけられ投げ飛ばされたことがようやくわかった。
最高だ、こいつ強い。体術を教わりたい、もっと戦いたい、もっとだ!
起き上がろうとすると、サンバシが2本の指で、アツリュウの額を押してきた。彼はほとんど力を入れていないのに起き上がれない。じたばたしながら「もっと手合わせしてくれ」と頼んだ。
「駄目です代行」
意外な返事にもっとじたばたするが、悔しいことに立ち上がれない。
「なんで駄目なんだ。俺は体術を習いたい。サンバシ師匠になってくれ」
「そうですね、私も代行は剣よりも体術に向いていると前から思ってました。教えるのは喜んでしますよ、でも今は無理だ」
「どうして?」
サンバシはやっと手を離すと、しゃがんだ姿勢のまま「やれやれ」とぼやいた。
「理由はいろいろありますけど、一番はあなたはまだ怪我から回復していないから。恩赦の戦で受けた傷が完全に癒えていない。それなのにこんな無茶苦茶な戦い方をして、体を虐めてしまう、そんな状態ではとても教えられない」
「そんなことは無い、怪我は治った」
「そういうところだ。自分さえも騙してしまう。内臓に受けた傷をかばっていることに自分でも気づいてないとしたら、そんな未熟な奴は体術を習う準備ができていない。そもそもあなたは、自分の体を虐めすぎる、いや、体じゃない命だ、捨て身の攻撃をやり過ぎる。そんな狂った奴の相手は遠慮したい」
体を動かした時に、少し違和感は残っていた。サンバシはそんな僅かな体の使い方も分かるのだと、増々感心する。体術を教えて欲しいという気持ちでいっぱいになって、憧れの気持ちで見上げた。
「でも、今あなたは体術を習うどころではないでしょう?ほかに向き合うことがあるでしょうが。そのわくわくとした顔を向けられてもですね、困るというか笑ってしまうというか。こっちに逃げ込んできたところで、どうにもならないですよ代行」
「逃げ込んでなどいない」
「そうかな?あなたは王女様を妊娠させたばかりでそちらの後始末もつけないと」
いきなり話題がそちらに飛んで動揺を隠せないまま、「違う」と大きな声が出た。
「おれは姫様に何もしていない、妊娠するようなことは何にもしてないんだ!」
それは、気の毒にとぼそりと言って、サンバシはくくくっと口を押えて笑い続けた。
「失礼した代行、それじゃあ私が皆に「姫様はまだ清らかな乙女だ」と言って回っておきますよ」
何故かものすごく恥ずかしくなった、そんなことは絶対に止めなければならない。
「駄目だ駄目だ、そんなこと絶体に言わないでくれ。だったら妊娠させた男でいる方がましだ」
しばらくサンバシは笑っていた。あんた本当に可愛いなといって頭をぐしゃぐしゃ撫ぜてきたので、ふざけんなと払いのけた。
「私はね代行、金の為だけにここに来ました。給金がすごくいいんです今回のエイヘッドでの任務は、だから飛びついた。ここにいる兵士の連中の多くは同じ動機だ、金がなきゃこんな北の果てに来たがるやつなんていない。でも……」
サンバシが覗き込んでくる、そこには好奇心が見えた。
「あなたは先日、トビタトリに負け戦の後始末をつけていけと命令した。誰に指示された訳でもないのにあなた自らの意思で、兵士を弔いたいと言った。あの時私はあなたの下について良かったと思った。あなたは19歳ではあるが、私が命を懸けて任務を全うするに値する上官だと腹に落ちた。だから、私はあなたのために働きますよ」
にっこりと爽やかに笑うサンバシの上に広がる空は、夕焼けになっていた。昼過ぎからずっと手合わせしていて、日が暮れたのだとやっと気づいた。
急に疲れが襲ってきて、少しぼんやりしてきた。不意にサンバシが首のあたりを指で押した。強烈な痺れが全身に走った。びっくりして体を起こそうとしたが動かない。
「なんだこれ、サンバシ何をしたんだ、体が動かない」
「すごい、本当にこれ効くんだ。いや昔にね、体術の師匠から教わったツボなんですけど、一時的に体の動きを奪うというツボがあってですね……初めて成功した」
あなたのために働きますと宣言した次の瞬間に上官にすることなのか、この野郎。
「それにしてもねぇ……半日も狂ったように暴れられても、相手をしきれません代行。しばらく寝ててください。その若い高ぶりをこっちじゃなくて、姫様に向ければいいのではないですか? もう既成事実が先にできているんですから、心おきなくできるでしょう。好きなだけ抱けば……」
「うわー、うわー、言うな、それ以上何にも言うな、言ったら殺す」
「ははは、本当に可愛いな、面白いし、エイヘッドでこんなに楽しいことがあるとは予想外だ」
サンバシがまた頭を撫ぜようとしてきたので、噛みつく勢いで睨みつけた。
「おい、俺に触ったら、お前の給金を半分にするぞ」
ビシっとサンバシの動きが止まった。領主権限を持つことの力を知った。
「すいませんでした代行。それだけはご勘弁を、もう2度とからかいません」
「だったらこの怪しいツボだか何か知らないが、早く俺の体を元に戻せ」
「すいません、もとに戻すやり方は教わっていない。しばらくすれば動くようになります、たぶん」
「たぶんってなんだ」と叫んだが、サンバシは無情にも、ひっくり返ったアツリュウをそのままに、その場を離れて兵士に片付けの指示を出した。
どんどん日は沈みあたりは薄暗くなっていく。地べたに横たわったまま、冷えた汗で体が強張っていく。
「おい、サンバシ助けろ」
藍色の空に、星が2つ3つと現れてきた。兵士はすっかり兵舎の中に入ってしまい、一人残されたアツリュウのもとに、サンバシが戻ってきて、上から覗き込んでにやりと笑った。
「少しそこで頭を冷やしたほうがいい」
疲れた体のお陰で静まっていたはずの苛々がまた腹のなかから噴き出してきた。行き場の無い怒りが口をついて出た。
「ふざけんな、もう一回相手になれ、今度は俺がぶちのめす、やらせろ」
サンバシはしゃがみこむと、頬杖をついて、まるで観察するかのように見下ろしてきた。増々気に食わない、苛々が募る。
「困った人だ……あなたの気持ちも分からないではないですけどね……そんなに子供でどうするんです。もう少し大人にならないと、本当の意味で痛い目に合いますよ」
まただ、どこへ行っても『子供』と言われる。
「子供って言うんじゃねえよ。俺は大人だ」
「これは痛た痛たしい。俺は大人だって叫ぶ子供は見るに耐えない。悪いな少年、俺は飯を食いに行く」
サンバシがくくくっと笑いながら立ち上がって、わざとらしく「それでは失礼致します代行」と敬礼をした。
「ふざけんなー、おい、どうにかしろ、サンバシおまえふざけんなー」
無様に転がったまま怒鳴ったが、サンバシは笑いながら去ってしまった。
誰もいない鍛錬場の真ん中で動けない。悔しさが込み上げて、大声でちくしょう!と叫んだ。
「皆で俺を子供、子供言いやがって、どうしろっていうんだ」
怪しいツボを押されて動けないのか、半日も暴れて疲れで動けないのか分からなかったが、体が冷たい地面にめり込んでいくようだった。このまま冷たく硬くなって死んでしまいたい。
「俺はオルゴンに付いてきてくれなんて頼んで無い、お前が勝手に来たんだろうが、それをなんだ、傷ついたってなんだよ、お前が言うな! ふざけんな! キボネなんか、知らないうちに馬に乗って旅の一員にすましてなってた。一緒に行ってもいいかと聞きもせずに勝手についてきやがったくせに、なんなんだ偉そうに、ハンカチを交換した仲ってなんだよ! どいつもこいつも、俺にかまうな、ほっといてくれ、俺をほっといてくれよ!」
怒りのままに悪態が止まらない。
「みんな勝手に来たくせに、文句ばかり言いやがって! 来て欲しいなんておれは一言も頼んで無い。姫様にだって来て欲しいなんて……」
アツリュウと名前を呼んで、駆け寄って来たあの姿が、目に焼き付いて忘れられない。
何千回も繰り返す。姫様、俺の姫様。
大きく腕を広げて、胸に受け止めて抱きしめたかった。
離れることがどれほど辛かったか、会いたくて会いたくて身がちぎれそうなほど苦しくて、あなたのことだけを考えて生きているのに。俺のせいであなたをずっと傷つけていたなら、何のために自分はエイヘッドに来たのか。俺はどうしてこんなにも愚か者なのだろう。
アツリュウを守って欲しいと泣き出しそうな顔で必死に伝えてくれたあなたに、俺は何をしただろう。
『姫様の恩赦の戦は終わっていない』
ずっと苦しめていたなんて知らなかった。
あなたのために、俺は何かを成せたのだと信じていたのに……オルゴンの言う通りだ、俺は自己満足のために戦ったのだ。もしあなたが、俺のためにと命を懸けて目の前で血を流して倒れたら耐えることができただろうか。
「ああでも、あなたを俺では幸せにできないんだ」
あなたの傍にいるのが怖くなって、エイヘッドへ逃げて来た。それなのに今、手が届く距離にいるあなたにどう接していいか分からない。
逃げ出したい、でもどこへ逃げたらいいんだ、だって逃げたらあなたを守れない。もう気持ちがぐちゃぐちゃで、何をしてしまうか自分が信じられなくて怖い。
俺の気持ちなんて、ゴミみたいに踏み潰されて消えてしまえばいい。そうしたら感情なんて無くなって完璧な剣士になって姫様を守れるのに。




