62.グイドが見ているものと欲しいもの
「グイドがここまでリエリーに執着するとはな……面倒なことになった」
セウヤは報告書に目を通しながらため息をついた。ポートダブトの港に相当数の兵が集められている。もともとビャクオム領であるポートダブトにビャクオム近衛兵を動かされては、シュロムには手の出しようがない。
このグイドの動きから見るに、エンドバードから大型帆船で帰ってくるリエリーをポートダブトの港で拘束するつもりだ。
リエリーを手の内に入れてしまえば、妃にできると奴は踏んでいるに違いない。エイヘッドにグイドの間者がいるのだろう、リエリーの所在をグイドは間違いなく把握している。
シュロムの王女を、シュロムの承諾なしに妃にすることなどできようはずもないが、リエリーは特別だ、なぜならアツリュウが恩赦の戦で賜った褒章『リエリー王女は本人が望んだ相手と婚姻する』という約束があるからだ。
リエリーがグイド王との婚姻を望んでいると公にすれば、その意思を止めることはできない。シュロム側の了承が無くとも良いのだ。
グイドはリエリーを拘束し、彼女を囲うつもりだ。
彼女を説得する方法などいくらでも思い付く。アツリュウのことで少しばかり脅せば、彼女は簡単に妃になると頷くだろう、容易に想像できる。
解せないのは、グイドが何故それほどまでにリエリーを欲しがるのかということだ。
政治的に利がある婚姻であることは明白だが、この強引なやり方は常軌を逸している。恩赦の戦以降、グイドはリエリーに心を奪われたかのような熱を感じる。
恩赦の戦で血まみれになって倒れたアツリュウを見て、泣き叫んで取り乱したリエリーをグイドは最も近い場所で見たはずだ。他の男を心底愛している女を、兵を動かしてまで拉致したいのか……あいつはいったい何を欲しているのか理解に苦しむ。
リエリーをモーリヒルドに戻すことは難しくなった。陸路でも、グイドが本気になればリエリーを守ることができるかどうか。今はエイヘッドに留まらせるのが最も安全だろう。
不本意ではあったが、スオウに指示を出した。リエリーがこちらに戻るまでにエイヘッドに書簡が届くと良いのだが……
リエリーの居ない離宮がこんなにも空虚な場所になるとは……
まさか一人でエイヘッドへ行くなど、想像もできなかった。あのシオという侍女にまんまんとしてやられた。馬鹿みたいな話だ、リエリーがいなくなっていることに、アツリュウから送られてきた書簡で初めて気づいたのだ。
エイヘッドにリエリーがいると知らされて、慌てて駆けつけた離宮の彼女の部屋でセウヤが見たのは、リエリーの髪で上手に作られた張りぼてが寝具に横たわっている姿だった。
遠目に見れば彼女が寝ているようにしか見えない。だが、そんな間抜けな人形を見ることさえなく、「リエリーが気落ちして臥せっており、面会を望んでいない」という例の侍女の言葉を信じ切っていた。
思い出すと自分の間抜けさに笑ってしまうほどだ。2週間もリエリーの不在に気づかなかった。
結果的には、捜索の騒ぎを起こさなかったことは、グイドに付け込まれる口実を与えず良かったとも言えるが、この耐えがたい屈辱と怒りは納まらない。あのシオという女、見つけたら絶対に殺してやる。
リエリーが居なくなってから、少しずつ心が削られていくような心地がする。
一日の仕事を終えて、居室に戻る途中、ふと彼女の顔を見たいと思う、そしてここにはいない事実が目の前に突き出される。その会えない1度はどうということはない、けれど「会えない」が繰り返される度に、己が弱っていくのが分かる。
どれだけ自分がリエリーに依存していたのかを、嫌と言うほど思い知らされる。
失われたものを直視するのが怖いのだ。
リュウヤ兄上の居ない世界で生きていく無意味さから目を背けている、けれど、何をしたところで、己のすることにもはや意味などないのだ。リュウヤ兄上が手を引いてくれなければ、一歩も前に進めない。
だからもう、何をしていいか分からない、空虚で無意味なこの世界で、リエリーを見た時だけ、苦しみがやわらぐ気がする。失ってしまったリュウヤ兄上との日々がまだ続いているような気持になれる。
リエリーを通して、リュウヤ兄上を感じることができる。
リエリーを喜ばせてやりたいと思うし、大切にしてやりたいとも思う。だが目の届かないところに行って会えなくなるのは耐えられない。
おまえがいなくなったらこの喪失感をどうやって埋めればいいのか、狂いそうだ、いやもうとっくに狂っている、このまま狂った穴に落ち続けるしかないのだろうか?
リエリーに会いたい。兄様と優しく笑うあの顔が見たい。
リエリーどうしてあの男のところへ行ってしまったのだ。
もっともっと、きつく縛り付けておけばよかった。おまえのせいで兄は苦しんでいるのだと、アツリュウの命を守りたいのならば兄の傍にいるしかないのだと、罪悪感と恐怖でもっとがんじがらめにして、けしてここから出られないように閉じ込めておけばよかったのに。
すぐにリエリーをモーリヒルドに帰すと知らせてきたアツリュウ、あの男は従順な私の犬を続けている。
可哀想なリエリーどんなにあの男を想っても、腐っていくあいつの心はおまえにも止められない。
リエリーを幸せにできるのは私だけだ。私の傍でずっと大切に守っていく。
ほんの少しの間だ、あの犬に守らせておくのは。
執務室に呼んでいたカゲが来た。調べさせていた案件の報告にきたのだろう。
「どうやら、ピプドゥ国の政変が関係しているようです」
痩せた体に似合わない、素早い所作でカゲが傍らにきて囁いてきた。この男が長である諜報集団に、グイドが恐ろしいほどの早さで進めている、海上防衛についての動向を探らせていた。
「昨年ピプドゥ国で政変があったことは耳に入っている。国王と第一王子が殺害されて、王兄の息子が現在王位にあると聞いた、それが我が国の海上防衛とどう関わってくるのか」
「ピプドゥ国は南ルールド帝国と同盟関係にあり、それは表向き変わりませんが、新しいピプドゥ王は水面下で北ルールド帝国と関係を深めているのは確実のようです」
昔大帝国だったルールドは、北と南に分裂し、現在は敵対関係にある。
我がヒルディルド国は南ルールド帝国と友好関係にあり、ピプドゥ国もまた南ルールド側に長年ついていた。
その均衡が崩れるかもしれないということだ。
「ピプドゥ国が北ルールド帝国と同盟を組んだ場合、南ルールド帝国は、北ルールド帝国、北東のピプドゥ国、そして長年敵対関係にある東のハイシャン国の3方を敵対国に囲まれる形となり、この3国が連動して戦を仕掛けてくるとなれば、かの大国も迎え撃つのは困難な状況になりましょう」
カゲの話は大国同士の戦の兆しを告げるものだ。
東の果ての小国であるヒルディルド国には、遠い地の話のように聞こえる、しかし、近年の目覚ましい航海術の進歩によって大型帆船は大洋を越えてやってくる。
南ルールド帝国からも、ハイシャン国からも商船がヒルディルドにくるのは日常になっている。
もはやヒルディルドは遠い東の果ての国ではなくなってしまったのだ。
「南ルールド帝国が北ルールド帝国に負けた場合、北ルールド帝国がヒルディルド国と友好的である保障は無いな。我が国は今だ剣で戦う国だ、銃も大砲も、軍艦も、百年遅れていると馬鹿にされても反論できぬ、北ルールド帝国に攻められれば、赤子の手を捻るように最新式の武器の前になすすべもなかろう」
面倒な話だ……セウヤはつぶやき、グイドの動向に思いをはせる。
「あの男が見ているのは西の大国の動きなのだな。港の軍港化、軍艦の造船、海兵団の増強とグイドは即位してから着々と進めている。グイドはもはや、シュロムとビャクオムの王家の争いごとに目をむけていないのだな」
グイドはシュロム側の廷臣でさえも、実力有りとみれば政に引き入れている。
ビャクオムの私兵であるビャクオム近衛兵団を解体し、国軍のみにするつもりがあるようだとカゲが耳に入れてきた時は冗談だと思ったが、グイドは本気かもしれない。
ビャクオム近衛兵を解体すれば、次の王権がシュロムに移ったとき、ビャクオムを守る兵団を失うということだ。その危険を冒してまでも、2つの独立した兵団を一つにまとめ中央集権化を強めるつもりなのだ。
『シュロムもビャクオムもくだらない、一番くだらないのは月の色など信じているやつらだ』
グイドとリュウヤ兄上が肩を組んで笑いあっていたと……父が言っていたのを思い出す。
グイドよ、おまえは本当にリュウヤ兄上の友だったのか?
おまえとリュウヤ兄上は何を成そうとしていたのだ。
だが、もうリュウヤ兄上はいない。
グイド、おまえも兄上を失った一人なのか?
もしそうなら、おまえはどうしてこんなにも、リエリーを欲しがるんだ。




