6.くじらの心臓
今回長くなってしまいました。
◇◇◇マークで区切りになっています。
アツリュウはセウヤ殿下の専属護衛官となった。
それにしても、アツリュウが突然放り込まれたシュロム宮廷護衛団は恐ろしい場所である。
最も恐ろしいのは、シュロム宮廷護衛団の団長ブリョウ・シンライガ。
見上げる長身、真っすぐな黒髪を後ろに束ねている、漆黒の瞳の涼やかな切れ長のアーモンドの目。あの目を細めるだけで、ご令嬢たちの魂を抜いていくらしい。ものすごい色気で、年齢を問わずご婦人、ご令嬢、そして男性にも人気があることは噂に知っていた。
26歳と若いはずなのだが、年齢を超越しているというか、とにかく凄みがある。目の前にすると分かる。あの人はたぶん人間じゃない。彼とやり合ったら、絶対に殺られる。剣を交えて1手目で終わる気がする。
涼やかな見目で、交渉事ではスラスラ人当たりよく喋るが、団員には基本無口。その無口が怖い。
彼は、間違いなく狼の群れを統率する、たった1頭しかいない最強の狼。
さらに、副団長セキレイド・スオウもしかり。
29歳で見た目は剣士らしからぬ、書記官のような雰囲気。実際彼はシュロム宮廷護衛団の事務的な仕事を総括していて、机で書類を見ている時間が長い。だが一たび剣を持てば……何故ここで副団長に選ばれるのか、言うに及ばずだ。
シンライガ団長が剣を持っている時を除けば、このスオウ副団長が自分にとっては一番恐ろしい人だ。あのブルーグレーの氷の瞳で見据えられると、ごめんなさいと訳もなく謝りたくなる。
彼は、表情を全く崩さず、目線だけで部下に指示を送る。それが理解できない者は宮廷護衛官の資格が無いとみなされる。
ここで自分は他の団員に、存在しない者のように扱われることもしばしばある。しかしスオウ副団長だけは、必要があれば話しかけてくれる。恐ろしい人だが、彼は非常に真面目で、合理的でないことを心底嫌うからだ。
他にも続々、シュロム宮廷護衛団は恐ろしいほどの精鋭ぞろい。
士官学校の同期からすれば、シュロム近衛兵団の頂点、花形の一員になれたら、夢のように嬉しいのだろうが、それは普通に入団した場合だ。
アツリュウは全方位360度から、本気の殺気を向けられている気分だ。
若い新人を、厳しいながらも優しく育てるなどというそんな雰囲気は全くない。
唯一、少し気が抜ける人物が、自分の直属の上司である第3班のトモバラ班長。班長は隙だらけな雰囲気で、分かりやすくアツリュウを虐めてくる。
でも、彼は剣術はそこそこだが、情報を収集するという意味で、団になくてはならない人らしい。ここに無駄な人材は一人もいない、そんな隙をシンライガ団長はつくらない。
そこに、自分のような虫がいきなり飛んできて、セウヤ殿下の最も近い場所に立っている。
そりゃあ、全員でどうやって叩きつぶすかと怒りを隠しもせずに、睨らんでくる気持ちも分かるとアツリュウは思う、しかし、一番訳が分からない怖さがあるのはセウヤ殿下だ。
「いつ、姫様を見せてくれるのかなあ」
大きなため息をついて、窓の外の青空を見る。
セウヤ殿下の執務室の近く、他の団員が交代で使う控室で、アツリュウは昼食をとっている。
食べなきゃやってられない、こんな疲れる仕事。
そもそも自分以外は皆様は交代で食べているのに、自分だけ休憩無し。
精鋭集団はいじめ方が分かりやすい。陰口は無い、彼らが要求してくるのはただ一つ、任務以外の場では「俺の視界に入るな」だそうだ。
しかし「3階から飛び降りろ」事件から、ここで昼食休憩ができるようになった。
トモバラ班長に昼飯を食べるなら、殿下の執務室から遠い場所にある、兵舎のさらに3階に行けと申し付けられていたが、あの一件から皆様と同じ控室に入れるようになったのだ。
それにしても、セウヤ殿下の人使いはあまりに酷い。
日中の殿下の執務が済めば、自分も任務が終わるのだと思っていた。
しかし、公私まとめて、セウヤ殿下はとにかくアツリュウに車椅子を押させたいらしい。
この国には兵団が3つある。現王グイドが指揮する『国軍』と『ビャクオム近衛兵団』、そして『シュロム王の近衛兵団』。
ヒルディルド国で陛下とお呼びしていいのは、現王のビャクオム・グイド陛下1人。
陛下はビャクオム近衛兵士団に護衛されている。
シュロム王といえど、ハリーヤ様は殿下と呼ばれる。ハリーヤ殿下は、シュロム王としてシュロム王家専属の近衛兵団を持っている。
アツリュウが所属しているのは、シュロム王家専属のシュロム近衛兵団である。
セウヤ第2王子殿下、リエリー王女殿下、そしてシュロム王ハリーヤ殿下。この3殿下をシュロム宮廷護衛団がお守りしている。
シュロム王家が住まう『水鳥の離宮』は、公務、迎賓、催事を行う東宮と、シュロム王族の居住である西宮に分かれている。
護衛官の仕事は、日中東宮で働いたら、夕刻から西宮の当番と交代。昼と夜の2交代制だ。
しかし、自分だけ、その連番から外れている。セウヤ殿下の気分で彼に1日中付き添う。頼んでないのに、自分の宿直室がいつの間にか離宮に用意されていた。
おい、と班長に呼ばれた。アツリュウはすぐに起立して直立。指示を受ける姿勢をとる。
「お前今日は、午後から空きだ」
胸に突き刺さるその言葉。
アツリュウは目を閉じ、その落胆に耐える。何故だ、今回もなのか。
月に数回訪れる、この俺があからさまにがっかりして、打ちのめされる姿を見るのが、班長は好きらしい。
「……今回は……、どなたが?」
知ったところで悔しいだけなのに、聞いてしまう。
ああ、この班長の嬉しそうな顔。
彼は「スオウ副団長が出るそうだ」と教えてくれた。
これからセウヤ殿下は姫様に会いに別館にでかける。その時に限って、彼はアツリュウに車椅子を押させない。
姫の護衛からアツリュウだけ外し、さらに姫に会いに行くときだけ必ず置いていく。
お預けを喰らわされた犬。
でも、いつかは姫様を見せてもらえるのではと、殿下から離れられない。
アツリュウの首には見えない鎖が付いて、セウヤ殿下は涼しい顔でそれを握っている。
仕方がないので、明日のセウヤ殿下の警護に必要な知識を必死で頭に入れることにした。
セウヤ殿下の車椅子を動かすということは、公務の場で、殿下がどう動くのかを事前に知っておかねばならないということ。後ろに立って控えている他の護衛官とは覚える内容が違うのだ。
なんで俺ばかりがこんな重責を負わされるんだ……と愚痴を聞いてくれる相手もいない。
本来は班長指示のもと、新人は手厚く指導を受け、他の団員と鍛錬などするのだろうが、自分だけ離れ小島に独り状態。セウヤ殿下の安全に関わることについては、伝達、指示が厳しくあるが、他は一人放置されていた。
どうにもむしゃくしゃして、頭を使うことを諦め、一人で体を動かそうと鍛錬場に行くことにした。
鍛錬場に向かう途中、スオウ副団長が全く隙のない物腰で、向こうから近づいて来くるのが見えた。
新入りにとっては、雲の上のお方である副団長である。歩を止めて直立姿勢で待った。
スオウ副団長はこれから姫様のいる別館に、セウヤ殿下の護衛で行かれるのか……
羨ましい……
彼は目の前で立ち止まった。いつもの恐怖の視線が、頭から足先までギロリと見て点検してくる。
「皆と一緒に鍛錬できるよう団長に進言しておいた。励みなさい」
さらり、とスオウ副団長は告げるとすれ違い、去っていく。
もしやこれはついに団員として認めてもらったのでは!
嬉しさがこみ上げ「はい、精進いたします!」とその背に言うと、彼はピタリと歩を止め振り返った。
「団長は本日、直々に君を指導するそうだ」
ここに来て、初めてスオウ副団長に感情らしい表情が浮かんだのを見た。
それは、気の毒になあ、という顔に見えた。
『戦慄』とは、こういう体の状態なのかな……、と考えながら、副団長を見送った。
◇◇◇ ◇◇◇
夜も更けて、すべての支度を済ませ、あとは床に就いて休むだけになったセウヤ殿下の手伝いをアツリュウはしていた。
側仕えの従者もさがってしまい、二人きり殿下の寝室にいる。
『ヒルディルド国』は大陸の東の端にある小国である。
大陸の西むこうには小大陸があり、そこには南北に分裂したルールド帝国がある。
文化の最先端であり、世界の覇者である帝国。
船でしかやってこれない小国ヒルディルドにも、近年、帝国からの大型帆船が次々とやってくるようになり、美を鮮やかに飾る帝国の西様形式が、この50年のうちに、ヒルディルド国にどっと流れ込んできて、生活のありようを大きく変えた。
いまや市井では、貴族にも平民にも、帝国の文化が、街の建物から、食文化から、生活様式、至る所に流れ込んで、古来の文化と帝国文化が混ざり合って、新しい文化を創り出しつつあった。
服装は襟のある帝国式にすっかり取って代われ、筒着物と呼ばれる我が国の装いは、儀式のときの特別なものに変化してきている。
しかし、王族となると、ヒルディルド国の形式に則ったものに囲まれている。
離宮にいると100年前の世界にいるような気分になる。
王族の服装は、伝統的な筒着物を着ていることが多い。
そしてこれが、セウヤ殿下に良く似合う。夜着だというのに、麗しい刺繍の施された筒着物。
もう天使にしか見えない絶世の美青年は、美しい着物姿で、そのお姿に全くもって不釣り合いな重りを片手に持ち、彼が自身に課している夜の体の鍛錬を行っていた。
おとぎ話の中にいるような建物で、天使が体を鍛えているのを補佐していると、自分はいったいどこの世界に紛れ込んだのかと、いつまでたってもアツリュウは慣れない。しかし、殿下は鍛錬の補佐を自分にしか任せない。必ず側仕えを下がらせてしまう。
殿下は、鍛錬しているところを、他の者に見られたくないのだろう。
彼の立つことができなくなった両足は、動かさねば、時と共に筋力を失い細くなっていく。
王子である彼にとっては、身の回りの世話を側仕えがすることは自然で、御召替えや、御湯などは体を見せて当たり前なのだろが、それでも車椅子の生活になってから、どうしても他者に見られたくない部分を彼は人に晒さねばならない。
アツリュウが彼を抱きかかえて、寝台に運ぶとき、彼の悔しさを、その無表情の顔から感じる。寝台に移るのに毎夜男の手を借りればならない屈辱を、同じ男として理解していた。
セウヤ殿下は今、腕を鍛え、己の体を支えて自身でできることを増やそうとしている。
こんな体になって死にたいと叫んでいたセウヤ殿下。
様々な気持ちを彼は飲み込んで、今必要なことを、彼は己と向き合い実行しているのだ。
子どものようであり、
されど、人を操るぞっとするような手管をもち、
己が失ったものと、独りで向き合う……孤独の……
王子を何と形容していいのか、いまだ、アツリュウにはよく分からなくなっていた。
「今日は、あれからお前に土産があった」
アツリュウの心臓が跳ねた。午後、団長に向かい合った時より、その鼓動の音は早かった。
あれ……とは、いや、まさか…… 姫様が……私に?
おい、ぼんやりするな。とセウヤ殿下に不機嫌に言われ、急いで彼の補助を再開した。
意地の悪いことに、殿下はそのあと何も教えてくれず、淡々と鍛錬を続け、期待を込めて待つアツリュウを時々見ては、フンっと鼻で笑った。
セウヤはようやく鍛錬を終えると、仕方が無いなという顔で、いつものように、彼の車椅子の側に跪くよう手で示した。彼は上から見下ろさるのが不快で、『長く話す』ときはいつも目線を同じ高さになるようにするのだ。
長く話す……
セウヤ殿下に仕えるようになってから、アツリュウを何よりも驚かせたのが、殿下の饒舌ぶりだった。
セウヤ殿下の独り言なのか、返事を待たれているのか、対応に苦しみつつも、アツリュウは殿下の話相手を務めている。
その話の中で心から待ち望んでいる話題が、姫様のご様子だ。
初めは、この離宮に暮らしていると思っていた姫様は都の外れの別邸に居られるのだという。
『水鳥の上様』のお世話をして、もう長いとのこと。
姫様のことを1つ知るたびに、1つ切なさが増す。
花の妖精は、ただ美しく自由に花々の中にいるのではなかった。
独りで祖父の世話をする、一人の少女であることが、少しずつ、遠い霧の向こうに見えてくる。
「やっぱりやめる。今日はお前もう下がれ」
「そんな! 団長との手合わせという死地から生き延びたのに。なにも教えていただけないのですか」
殿下に直接返事を返すのは無礼であるが、この寝室では、彼はアツリュウにそれを望む。初めは不敬で罰せられるのを恐れたが、だんだん慣れてきた。
セウヤがほう?と興味を向けた。
「シンライガはお前を受け入れたか。思ったよりずっと早い、お前は誰にでも懐く猫のようだな。寄ってきて足に擦りついてくると、無下にもできぬ、あの男はうっかり猫の頭を撫ぜたか」
いや違う。団長はうっかり撫ぜたんじゃなくて、うっかり殺しにきたんです。とアツリュウは心の中で人間技とは思えない団長の剣技を思い出す。
「まあ、分からぬでもない。お前を見ていると時々どんな余興よりも面白い。暇つぶしに猫を1匹くらい置いておくことにしたのだろう。だが、お前は私の専属だ。父上の仕事はしなくていい」
シュロム宮廷護衛団は『シュロムの守り』当然シュロム王ハリーヤ殿下の護衛も受け持つ。
シンライガ団長直々の手合わせ、すなわちそれは、団員として認められたということ。これからは他の護衛と同じように、自分もハリーヤ殿下やリエリー王女殿下に付くことも当然あると思っていたのだが、セウヤ殿下の専属とは……
自分はこれからも『セウヤ殿下のお気に入り』という、皆からの嫉妬の的にされる残念な名札を、首から提げておかないといけないようだ。
「お前の話はよほどおもしろいらしい。リエリーの目がまた丸くなった」
アツリュウがシュロム宮廷護衛団に来てから2カ月ほど、ずっと緊張の中にいるが、姫様の話を聞く時だけは、何物にも代えがたいの癒しの時だ。
それはセウヤにとっても同じなのか、姫の話をする時は、温かい茶を飲んでいるときのように、他を寄せ付けない王子の顔がほどける。今、彼の頭の中には、妹が目を丸くしてそこにいるのだろう。
「今日は、お前に贈り物があった。リエリーがこれなら許してもらえますか? と」
姫様からの贈り物。あまりのことに胸が高鳴り苦しいほどになる。
「あれは前々から、直接おまえにお礼が言いたいと、繰り返し申してくる。私が必要ないと言って聞かせるのだがな。この頃は、せめてお礼の品を贈りたいと願うが、それもすべて許可していない。そんな1人の護衛官に王女が物を渡すなど、特別扱いできぬ」
そんな、殿下は私をさんざん特別扱いして、挙句こちらは皆の『矢の的』みたいになってるのに……
セウヤに指示されて、アツリュウは車椅子の後ろの袋から、小さな包みを取り出し手渡した。
彼が受け取り、中から小さな硝子の小瓶を出した。
高足の小さな卓に、セウヤが小瓶を載せた。覗くと小さな赤い玉が1粒入っている。
「金平糖ですか?」
そうだ、とセウヤが頷く。待ち望んだ、「今日の姫様」の話を始めてくれた。
姫が、毎日忙しい日々を過ごしていることは常々聞いていた。
セウヤ殿下から見れば下らないことではあるが、彼女は祖父の要望に応えるため一日忙しく務め、自由になる時間は、一日の中でそれほど無いのだという。
そんな生活を続けすぎて、姫は自分の自身の楽しみをほとんど持たないことを、彼は寂しそうな顔で話す。
ところが今日は、最近夢中になって作っている物が彼女にあるというではないか、セウヤ殿下はそれにとても興味を魅かれたそうだ。
「あれが作った物を見せてもらった、それがこれだ」
金平糖を指さす。
「星座が広がっていた」
セウヤは優しく微笑んだ。それは今日、彼の妹に向けたであろう笑顔。
「あの館には、神殿の見取り図を広げるための、とても大きな卓がある。そこに黒い敷布をして、リエリーは1粒ずつ金平糖を並べて、天の星空すべてを創っているんだ」
姫様が、星座の形になるように、小さな粒を慎重に並べていく姿を思い浮かべた。
体の力がすっかり弛んだ、柔らかい心地。ああなんて……
『可愛いい』
アツリュウは心の声が漏れそうになったが耐えた。
姫の小さな幸せを、こうしてセウヤ殿下から教えてもらう。
1つ、1つとアツリュウはそれを胸の内にしまう。
幼い頃、一緒に遊んだ姪子が宝物だと言って菓子の木箱に、大事に入れている宝物達を見せてくれた。走り回る男子の自分には、何が面白いのか分からなかったが、今の自分はそれと同じ。
心の中にしまった姫の話を、宝物のように1つ取り出しては眺め、また大切にしまって。そしてまた次の1つをだしては愛しく思う。
彼女の話を聞くと、どうしてこんなに安らぐのだろう。
「これは私の星なのだ」
セウヤが小瓶の中を覗き込んだ。そして、不敵な顔を向けると、よく聞けすごいだろうと言わんばかりに笑う。
「これは一角獣の角。リエリーはこれが私の星だといってくれたのだ」
天に輝く星で最も明るい星、それが一角獣の角。
最高の星ではないか!
姫様の兄に向ける愛を感じる。
羨ましいと顔に出ていたと思う。セウヤは頷きながらご機嫌に笑っている。
しかし、瓶の中の金平糖は1粒。
自分への土産とは?
次のセウヤの言葉を待つが、少しずつ彼の機嫌が下がってくるのがわかった。
「リエリーはお前の星も選んだ」
言いたくないな、というセウヤの顔。
絶対聞く、聞くまで帰らない。
「……鯨の心臓」
勝ったな。俺はセウヤ殿下に勝ったとアツリュウはにやりとしてしまった。
鯨の心臓とは、北天の中心にある星。
暗く、時に見つけることが難しい。
しかし、航海での守り星。天でたった1つ動かぬその星を頼りに、大海を行くことができる。
唯一無二の特別な星。
嬉しさに身もだえする。
姫が金平糖を指に摘まんで、1つ1つと並べて鯨座をつくり、そして心臓の位置に1粒置いて、そして、これは俺の星なのだと、あの人が思った瞬間があって、さらにそれを、この1粒だったら、差し上げてもいいですかと、健気に兄に聞く姿を想像したら、ああ、もうどうしたらいいんだこの感動を。
冷たい目でセウヤが見ている。
「それで、その金平糖はどちらに?」
アツリュウは笑い顔をどうやっても真顔に戻せなった。
「無い、私が食べておいた」
「え? それはどういう意味ですか?」
「だから、気に食わないから、お前の星はリエリーの目の前で、食べておいた」
一瞬にして、高い場所から蹴り落された感覚。
「殿下は、お前に土産があるとおっしゃいました、先ほど……」
「私は、土産があった。と過去の話をした。よく聞いておけ」
「これは飾っておこう。どこがいいと思うアツリュウ」
自慢げに口の端をあげて、セウヤは大げさな手つきで、小瓶を掲げた。
◇◇◇ ◇◇◇
殿下を寝台に運び、アツリュウは部屋を静かに出た。
廊下の衛兵に軽く敬礼をして、宿直室に向かう。
先ほどの、にやにやと意地悪そうに笑う殿下の顔が浮かぶ。
妹の話をする時だけ、彼は柔らかく人に戻る。
ここは砂漠だ。
セウヤ殿下は独り砂漠を渡る。
車椅子の後ろで彼の日常を垣間見る、そこに血が通う会話は一度として無いことを知った。驚くほどに、会話らしい会話をセウヤは人とすることがない。
セウヤは指示し、そして報告を受ける。または父殿下から指示を受け、そして報告する。
それ以外の会話が、彼の周りに存在しない。セウヤの周りの人間はみなよそよそしく、その最たる者が父親で、息子の顔さえ見ずに最低限のことだけ告げる。王族とは、こんな乾いた砂漠のような世界に生きる人々なのか……
自分であったら、人との心の触れ合いと呼べるものがなければ、いったい何日もつかわからない。されど、セウヤはこの水のない砂漠を涼しい顔で渡っていく。
『ハイシャン国』にいるという、砂漠を渡るラクダという生き物のように、無尽蔵に水を溜める袋が、彼には備わっているのだろうか。
それでもラクダといえど生きた動物、いつかは水を飲まないと干からびて死んでしまう。
その水が、きっと姫様なのだろう。
彼にとって、姫様だけが温かく血が通い、彼を何より愛してくれるたった一つの砂漠の水場。
そしてたぶんセウヤ殿下の存在は、姫様にとっても同じなのかもしれない。
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