55.一番したい事
『あなたのように美しい人に出会えたことは、暗闇だった私の心に一筋の輝く流れ星が射したかのよう。ほんの束の間だと分かっておりますが、この幸運を女神に感謝したい。
どうか私の贈り物を受け取って欲しい。あなたに愛する婚約者がいることは理解しております。わたくしは何の見返りも望みません。これは、女性へではなく、女神様への贈り物なのです。
愚かな男の願いです、どうか贈らせてせてください。この思い出でで私はこれから幸せに生きて生けます、ですからどうか』
先日、リエリーの前に膝を付き、ムネゴトウ家の嫡男であるタクマ―が、聞いたこともないような台詞をとても落ち着いた様子で淡々と語った。
リエリーは初め、何かの詩を読んでいるのかしらと聞いていたが、どうやら自分に話しかけていると分かった。情熱的な言葉のように聞こえるが、タクマ―は本の朗読のように言い、最後に「よし」と頷いた。
「うわー気持ち悪い」とカーリンは兄に吐き捨て、「息子がようやく女性に興味をもった!」とムネゴトウ家の奥方は涙ぐんだ。
それからカーリンと彼女の母は、翌日仕立て屋を屋敷に呼ぶと、物凄い勢いでとっかえひっかえ、リエリーに色んな衣装を着させ、様々な飾りを試し、あれや、これや……
リエリーは着せ替え人形になった。
「どれがよろしいかしら? 何色がいいかしら?」
リエリーは問われる度に考え始める、けれど決められないうちに次の質問が来る「どちらにします?」
荒れた海に放り込まれたように、あっちへこっちへ翻弄され何も言葉を返せない。
◇◇◇ ◇◇◇
やっと仕立て屋が帰り、お茶をしていると、いくら好みを問われても何も選べなかったリエリーに、カーリンが聞いてきた。
「リエリーはドレスなんてモーリヒルドの離宮で毎日着ているでしょう? そういうのは侍女が選んじゃうの? だから自分では選ばないの?」
「私は、宴用のドレスは1度しか着たことがないのです。普段は筒着物で過ごしています。それも……自分で選んだことはないです」
「そうか、王族の方々は筒着物だよね。それにしてもお姫様なのにドレス1回しか着たことないんだ。すごく意外。その1回は何時着たの?」
思い出がよみがえり、胸が少し痛んだ。私はまだこの出来事が辛いんだなと情けなくなった。
「14歳の時、父様が私のためにパーティーを……」
言い終わる前に、カーリンが「あー私もー!」と目を輝かせた。
「14歳の時、私もしたよ!あの帝国式のパーティーいいよねー。リエリーもダンス踊った? 誰と踊ったの? あれ、リエリーどうしたのそんな顔して」
私の顔? どんな顔しているのだろう。
「何か悲しそう」
「あの……あの時のドレスはとても素敵でした。嬉しくてお祖父様に見せてあげたの。お祖父様は心の病気を患っていて、混乱して、私のパーティに来てしまったのです。それで……お祖父様はパーティ会場で騒いでしまって、父が捕まえようとしたら走って逃げまわって、会場がめちゃくちゃになって……それで、パーティーはできなかったの」
カーリンはそんな……と呟いて優しく手を握ってくれた。
「私が悪いんです。お祖父様にドレス姿を見せたりしたから……だから混乱させてしまって」
「そんなことないよ。だってリエリー14歳だったんでしょ、そのお爺さんのことは大人が見てあげないと、お医者様とかさ。リエリーはもう一度パーティーやり直せって怒っていいよ」
「怒る? 私が?」
「私なら怒るよ」
リエリーは首を傾げた。
「でもお祖父様のお世話をするのは私の仕事だったし、私が間違ったことをしてお父様に迷惑をかけたのだわ」
「はあ? なにそれ」カーリンの眉間にしわが寄った。
「なんで子供が病気のお爺さんの世話をするの?」
「それはお父様のお言いつけです。守らねばなりません。私は10歳の時からずっとお祖父様をお世話するのが務めでした。上手にできなかったけれど」
「お世話って何をするの?」
「お屋敷で二人で暮らして、お祖父様の心が穏やかになるようにお話し相手になったり、お祖父様の好きな所へ一緒に行ったりするんです」
「え、ちょっと待って。10歳のときからずっと病気のお爺さんと暮らして、お世話して、他には何してたの?」
「何も、それが全部です」
「ドレスも一回しか着たことがなくて? 王女様ってお貴族様とお茶会したり晩餐会したり、外国の要人に会ったりして社交のお仕事するんでしょう?」
「それが……情けないのですけれど。私はそういう王女の務めを果たしたことが無いのです。だから人前でどう振る舞っていいか分からないのです。王女らしい話し方も分かりません。お祖父様以外の人とお話しする機会がほとんど無かったので……だから王女と呼ばれる度に怖いのです。こんな私が皆さんにばれてしまうかと思うと声が出なくて……でもカーリンは友達になってくれたので、お話しするのが怖くありませけど」
「リエリーはとっても素敵な王女様だよ」
カーリンが優しく微笑んだ。
「なんだか、今聞いたことがあんまりにも酷い話しで、あなたのお父さんに腹が立ちすぎて怒鳴りつけたい気分なんだけど、王族って普通の人たちとはやっぱり違うんだね、でもそれにしても酷い話。私リエリーをモーリヒルドに帰したく無いな、ずっとここで私の友達していてほしい。もう少しここにいることはできないの?」
「アツリュウに伝えることはもう言えたし、私のすることは終わって……だからここに居る理由はなくて……帰らないといけないと思います」
「リエリーはどうなの?」
問われた言葉の意味が全く分からなかった。
「リエリーはどうしたいの? 本当にそれでいいの?」
私がどうしたい?
「……帰らなければいけないと思います」
「それは代行様が決めたことでしょう。私が聞いているのは、リエリーがどうしたいかってこと」
「よく分かりません」
「分からないって、自分がどうしたいのか分からないってこと?」
「私がどうしたいか考えても、それは必要ないことというか、だって帰りなさいと言われているのに、帰らないと言ったらそれは間違っているでしょう?」
「えええ、何いってるのリエリー、なんか変なこと言ってるよ。私なんかお父さんにやれって言われても、絶対嫌だって断ってばかりだよ。自分のやりたいことやってるよ、それの何が間違ってるの?」
あまりの衝撃的な言葉に、リエリーは固まってしまった。
お父様やお兄様に嫌だと言って、自分の好きなことをする? 想像もできない。
「リエリーは王族だもんね、私とは違うよね。それでもさあ、なんだかすごくもやもやする。リエリーが帰るというなら引き留めることはできないけど、でもせめて、何かリエリーが満足できることをして帰ってほしいな、何かここでしたい事とかない?」
私がしたいこと?
考えようとすると、王女の嗜みも学ばずに何を怠けている。と叱られる気がした。
それでも、ここには父も、兄もいないのだからと自分を励まして考えてみた。
したい事は1つしかなかった。
アツリュウに会いたい。
それは、本当にしていい事なのだろうか。彼は私に会いたくないのではないか……
それでも、思い切って口に出してみた。
「あの……無理だとは思うのですけど……アツリュウに会いたいです」
「それで? 会ってどうしたいの?」
「会って、彼を見られたら、それだけでいいのです」
「はあー?」
出会ってから、何度も聞くカーリンの「はあー?」が出た。
「見るだけってなによ。せめてなんか言ってやりなさいよ。リエリーの苦労も無視してあんな態度をとったあいつに、言いたいことがあるでしょ。リエリーが腹にためてることを言うの!」
カーリンはアツリュウに怒っているようだ。
「ええと、溜めていて、言えない事? それは……」
リエリーは胸に秘めている、アツリュウへいつも思っていることをカーリンに教えた。
「どうして……あなたは、そんなに……や、優しいの?」
信じられないほど大きな、はあー? が館中に響き渡った。
両肩をむんずとつかまれて、前後に大きく揺さぶられた。
「おかしい、おかしいよリエリー、あなた絶対におかしい」
リエリーはされるがままに、あわあわと揺れて目がまわりそうだ。
「あいつが優しい? あいつはねえ、どんだけ冷たくあなたを追い払ったか、モーリヒルドから、リエリーが一人でが苦労して来たっていうのに、たったの10日で都に帰すんだよ」
カーリンは、わーっと叫びながら、両足を広げて立つと握りこぶしを振り上げた。
「冷たい、どう考えても冷たすぎる。雪だるまを氷です巻きにしたくらい冷たい。なんで?「よく来てくれた」とか「俺も会いたかったとか」礼儀でもそれくらい言えるでしょうが、それが何? あの顔、あの言い方、くー、思い出すと腹が立つ。こんな健気なリエリーの乙女の気持ちを踏みにじりやーがって、やっぱり顔の良い男は信用ならん」
カーリンがぐわっとリエリーの方を向いて、絶対に断ることは許さないぞ、という顔で言った。
「いいじゃないしようよ、リエリーが1番したい事。あいつに会って」
カーリンは拳をぎゅっと抑えて、ボキボキと鳴らした。
「あいつに私がきっちり言ってやる。領主代行がなんだあー!」
屋敷中にカーリンの決意の雄たけびが響き渡った。
部屋の扉が開いて、カーリンの父と母、使用人が何事かと入ってきた。
廊下から、タクマ―の「かんべんしてよ~」と情けないこえが聞こえた。
◇◇◇ ◇◇◇
翌日領主城から知らせが来た。3日後に都からの迎えが来るとのことだった。
リエリーがエイヘッドに居られるのもあと2日。3日後には船の中だ。覚悟していたこととはいえ、エイヘッドでの生活があまりにも刺激的で楽しく、帰ることが自分でも驚くほどに辛かった。
でも、なにより苦しいのはもうアツリュウに会えなくなること。
ここで会わずに帰ってどうする。一番やりたいことをしようと言って、どうやっても譲らないカーリンに引っ張られるように、城に行くことになった。
領主城からムネゴトウ家に配置されている護衛を引き連れて、馬車で領主城に向かう。馬車の中で、リエリーは複雑な気持ちだった。もし会えたとして、何の用事かと問われても、会いたかっただけですとしか答えられない。
彼はきっと迷惑そうにするだろう。
いいえ、きっと……会ってさえもらえない。
馬車から見える街並みが切れて、林道に入った。エイドドアドとエイヘッドを繋ぐ道は整備されていて揺れが少ない、滑らかに草原や林の中を進んでいく、モーリヒルドの都しか知らないリエリーには目に新しい自然溢れる景色だった。
こんな馬車の旅ができただけで、十分楽しめた。これ以上何かを願うなんて、いけないことのように感じる。
城に着き、前回通された、こじんまりとした控えの間で待った。
もしアツリュウが会ってくれたら、きっと無理、でも、とぐるぐる考えるほどに鼓動が早くなった。
隣でカーリンが、言ってやる、絶対に言ってやると拳を握りしめている。
扉が開いた瞬間の緊張は、二人それぞれの意味で最高潮だったが、来たのはオルゴン補佐官だった。
アツリュウは手が離せない要件があり、本日会うことは難しいとのことを大きな体をこれでもかと二つに折って、せっかくお越しですのに申し訳ございませんと詫びてくれた。
それは忙しいんじゃなくて、わざと会わないとしか思えないね、とカーリンがリエリーに耳打ちしたが、声は存外大きくてオルゴンに言っているようだった。
リエリーもアツリュウが自分に会いたくないのだとしか思えなかった。胸は痛んだが、あの顔を見ないで済むと安心する自分もいた。
気を張っていたせいか、会えないと分かると、変な疲れに襲われて、二人で座ったまま、ぼんやりしていた。
「ねえリエリー、あの代行様はさ、あなたのために恩赦の戦をしたのでしょう? それくらいあなたのことが好きってことなんだよね。私、さっぱりわかんないんだよね」とカーリンはため息をついた。
「なんで、仲良くできないのかな? 婚約者なのに」
リエリーは答えようとして、胸に込み上げた気持ちが落ち着くまで待たねばならなかった。愚かにも、笑顔で迎えてもらえると信じていた。でも、考えてみたら初めから何も無い。アツリュウと自分の間に、言葉で表せる何か、そんなものは無いのだ。あるのは、兄が勝手に決めた婚約という言葉だけ。
「それは、そういう約束なのです」
「結婚するまでは、慎み深くとかそういうこと?」
目を背けて見ないようにした現実が、彼女の前にはっきりと舞い戻って生きた。
「結婚しても…… 彼は、ここにいて」
リエリーは強く目を閉じた。そうだ、これが現実ではないか。会えなくて当たり前なのだ。
「私は、都でお兄様の側にいるの」
ガタっと勢いよくカーリンが立ち上がった。
リエリーは目を閉じて、顔を伏せていたが、あまりに長い事カーリンが何も言わないので、彼女はいなくなったのかと思い顔を上げた。
眉根を寄せて、泣き出しそうな彼女の顔があった。
「こんなこと聞いて、悪いんだけどさ。リエリーは本当に代行様のことが好きなの?」
その問いに驚ろきながらも、リエリーは頷いた。
「そうだよねえ、わかるよ、だって一人でここまで来て」
カーリンは胸元の服を握ると、ごしごし擦った。
「ごめんね、本当にこんなこと言ってごめんね、でも、私、正直に言う。気持ち悪い。リエリーなんか、すごく気持ち悪いよ」
カーリンは泣き出しそうになるのを必死でこらえているようで、胸をごしごし擦る。
「私、あなたが全然王女様らしくなくて、友達として好きだよ、その気持ちは変わらないけど、だけど、やっぱり分かったっていうか…… あなたはやっぱり、普通の人ではないんだね。王族の人は何を考えているか分からないよ。結婚しても一緒に暮らせないなんて、そんなの……代行様……可哀想」
最後の言葉は鋭くリエリーに届いた。
カーリンは扉に向かって走っていって、勢いよく開いた。
リエリーは彼女について行こうと立ち上がったが、足は動かなかった。
彼女は振り返り、一度深呼吸すると、無理やりの笑顔を作ってリエリーを見た。
「大丈夫、ちょっと頭を冷やしてくるだけ。そうだ、補助金の申請はその後どうなってるか聞いてくる」
扉の向こうに彼女が消えて、音を立てて勢いよく閉まった。
誰もいない部屋は、リエリーを一人取り残したまま、静けさがけがあった。
アツリュウが神殿の堀に飛び込んだ姿が、頭から血を流して倒れた姿が、そこに居るかのように鮮明に|蘇る。可哀想なんて言葉より、もっと残酷なことを、私は彼に強いてきた。
お兄様が、こんどこそ彼を壊してしまったら?
両手で顔を覆って俯いた。泣くのは許されない気がした。
扉が開く音で顔を上げると、カーリンがぴょこんと頭だけを出して覗いていた。
「申請書の話がさ意外に進んでて、結構掛かりそうなの。適当に時間をつぶして待っててよ。あのさ、さっきはごめんね。気持ち悪いとか言って。私リエリーのこと好きだよ。だから、その、一緒に帰ろうね」
早口で彼女は言うと、頭は引っ込んで、音をたてずに扉が閉まった。




