54.ムネゴトウ家の息子
タクマ―の朝は早い。
ムネゴトウ家長男である彼は、一族のしきたりにより、18歳で一つの事業を任された。
本家の長男である彼は、数ある事業の中でも、最も規模が大きい材木業の一部門の責任者になった。
今年24歳、この5年間父の期待に応えるべく真面目一本で頑張ってきた。だが真面目だけではどうにもできないことも世の中にはある。
御者も付けずに、一人で馬車を走らせ、エイヘッドの事務所に向かう。自宅のエイドドアドの邸宅から彼の事務所までは片道2刻かかるため早朝6つ時に家を出ると8つ時に着く。
早起きは何度しても眠いものだが、朝の澄んだ空気は好きだ。
エイヘッドの街を抜け、領主城を左に見ながら、アリタ山へ向かう道を登っていく、いつものように林の中の事務所に一番乗りをした。
馬車から馬を外し、馬止めに引いていく途中、見慣れない物が視界に入った。
事務所の入り口に何かいる。入口の柵の上に座っている姿は大きな猿のようだが、明らかに人間の男だ。
タクマ―がドキッとした瞬間に、その男はとんっと軽やかに柵から飛び降りた。
「おはようございます。あなたをお待ちしていました」
男は丁寧にお辞儀をした。恐々近づくと、驚くほど上等な筒着物を着ている。そしてその礼服に似合わない剣が腰から下がっているのが見えた。
十代後半だろうか年は若い、顔立ちの整った青年だった。
ミタツルギの5男坊は、まだ子供だったぞ。
父が新しく来た領主代行に会った日に、そう苦笑いしていたことが頭に浮かんだ。
「ミタツルギ領主代行様ですか?」
タクマ―が問うと、初対面かと思ったのですがと彼は驚いた。
首を振ってそんな気がしただけですと伝えると、彼はとても丁寧に名乗ってくれた。自分にお願いがあってきたという。
多忙な領主代行に待ち伏せされたのだ、ちょっと怖いなと思いつつ、事務所の中に招き入れた。
事務所に入って椅子を進める。まだ火を熾していないのでお茶がだせなくて済みませんと謝ると気を遣わせて申し訳ないと、こちらが困るくらいの低姿勢だ。偉ぶったところがなく、好感がもてた。
「今日こちらに来たのは、その……リエリー姫はどんな様子だろうか」
代行は恥ずかしいのか、少し視線を伏せて戸惑いがちに聞いて来た。
代行はリエリー様の婚約者だと聞いている、そうか、私のような若い男がいる家に婚約者を任せるのは心配なのだろうか、探りを入れにきたのかな。
「わたくしどもの所に、あのような高貴な方をお迎えでき、家族一同、使用人ともども光栄です。精一杯おもてなしさせて頂きます。あんな美しい方を見たことが無かったので、私は緊張して口もきけないのですが、妹は慣れ慣れしくて、不敬にあたると心配しております。リエリー様はお優しくて、なんでも感謝してくださるのですが、あんな妹で申し訳ありません」
彼ははあなたの妹君のお陰で、姫が助かったと頭を下げる。さらに姫は妹君をとても気に入っているから、叱らないでくださいと頼んでくるほど。
あの野獣みたいな妹の肩をもってくれるのか、懐が深い方だとさらに好感度が増した。
「それで、その姫がそちらに行って3日程になりますが元気にしていますか?」
妹はことあるごとに、代行はリエリー様に冷たいと言っていたが、この方はそんな風に見えないな。
「昨日は新しいエイヘッド大神官のヨンキント様と、エイドドアドの神殿にお参りしてきたそうです。もう夕餉の席で妹のお喋りが止まらなくて……」
タクマーは思い出し笑いをしてしまった。
「神殿で何かあったのですか?」
「はい、なんと男神殿で走ったとか……神殿で走るなんてとんでもないですよね、びっくりしました」
タクマ―は妹が語った、神殿のいきさつを不思議な顔をしている代行に教えてあげた。
新しく来たヨンキント様は、このエイヘッド領で一番身分が高い神官様だ。
彼は来てそうそう、エイドドアドの神殿総括である、『御大』と呼ばれ、エイヘッドの生き神様みたいに皆から尊敬される70代の大神官を叱り飛ばしたらしい。
ムネゴトウ家には、エイヘッドの様々な情報が一早く入って来る、市井には届かない神殿の内情も聞こえてくる。
「ヨンキント様は、今日は御大に会いたくないからと、カーリンとリエリー様に言って、庶民に扮してこっそり神殿観光をしていたらしいのです。でも、ヨンキント様が来ていると、神官に気づかれて、知らせをうけた御大が、挨拶せねばと大慌てで会いにきたらしいのです」
タクマ―はその様子を思い浮かべると笑ってしまう。
「迫ってくる御大から逃げるために、3人は神殿の最上階の聖歌を歌う回廊に上がったのですが、なんと70歳を超えた御大が、階段を駆け上がってきて、それで3人は走ってにげ、そして、それをさらに追う御大、神殿の上回廊で追いかけっこになったそうですよ」
「姫が、神殿で追いかけっこ、それでどうなったのですか?」
彼は驚いている。神殿で普通走ったりしない。
「結局御大に追い詰められて、そこからはたいそうな挨拶をされ、神官達をぞろぞろ引き連れての参拝になったそうです。カーリンが、もうすごい大げさで目立って嫌だったと言っていました。でもヨンキント様が御大に負けたと悔しがっているのが面白かったそうです。カーリンが話す横で、リエリー様も笑っていました、楽しかったようですよ」
彼が少し切なげに「姫はふふって笑うでしょう?」と囁くように聞いた。
「そうです、とても小さい笑い声ですけど、そんな風でした」
「姫が楽しそうでよかった。様子を教えてくださり感謝します」
「代行がここに来たのは、リエリー様の様子を知るためですか?」
タクマ―が問うと、彼は少し言いづらそうに目をふせ、そして思い切ったように強い視線をビシっと合わせて大きく息を吸った。
「あなたにお願いがあるのだ。私の代わりにドレスを買ってくれないか」
「はい? ドレスといいますと」
彼は、かなり緊張しているようだ。次の言葉にも決心がいるようで、しばし言葉を溜めた。
「姫は、ほとんど何も持たずにここに来たので、必要な物をもっていない。だからここに滞在中に着る服や靴、飾りなど必要なものをそろえて欲しい、私は女性の服装に疎いので、何が必要か分からないのだが、良ければドレスのような華やかなものも用意してやって欲しい」
タクマ―はうーんと唸ってしまった。
「ですが代行、リエリー様は10日ほどの滞在と聞いております。服を仕立てても、出来上がりに間に合いませんよ、既製品でよろしければ、仕立て屋を屋敷に呼びますけれども」
「そういうものなのか、私は服のことは良くわからないんだ。既製品でかまわない、ドレスでも筒着物でも彼女に贈りたい。ただし、重要なことが2つあるのだ、そこをよくよくあなたに頼みたい」
彼の勢いにちょっと引いた、お願いとは何だろう。
「一つは、リエリー姫は絶対に物を欲しがらない方なのだ。どれが欲しいですか?と聞いても彼女は欲しがらない。だからこちらから、ぐいぐい決めて買ってやって欲しいのだ。もし、姫がこれが欲しいと選んでくれたらそんな嬉しいことはないのだけれども」
そんなことかと、拍子抜けした。男にとっては愛する女の気持ちは重要なのだろうが、周りから見れば小さなことだ、なんにしても彼はリエリー様が好きなのだろう。
「そういうことなら、ご心配はいりません。押しの強さはエイヘッド一番を誇る妹がおりますし、実は母はリエリー様にメロメロなのです。あの方を飾れるとなれば、母は10着くらい仕立てますよ、ご安心ください」
それで、もう一つのお願いとは?と聞いた。
「姫に贈る全ての物は、もちろん私が支払う。しかし、そのことを姫には一切告げないでくれ、それで、タクマ―殿にお願いなのだが、全てあなたから贈ったことにしてもらいたい」
「ええー!なんでですか?」大きな声が出てしまった。
「あなたには妻か婚約者か、姫に贈り物をしたら嫉妬してしまう女性がいるだろうか」と問われ「おりません」と答えた。
「その、私から贈ったことは絶対に伏せてほしいのだ。駄目だろうか」
「あの、代行はいいのですか? あなたという相手を差し置いて、別の男が婚約者に贈り物をするんですよ」
「ああ、そうお願いしている」
タクマ―は口元に手を当てて考えこんでしまった。
「やっぱり不自然ですよ、私がリエリー様に懸想していると思われる」
「あなたに迷惑をかけてしまうか……そうか、ではどうすれば知られずに贈れるだろうか……」
林の中には爽やかな朝の光が差し込み、小鳥がにぎやかに囀っている。代行は思い悩んでいる、彼本人が贈るという最も正しく簡単な方法は選べないようだ。
見れば見るほど、彼は若い。十代の後半といえば、自分も思い悩むことは多かった。
女性に対してどう向き合うか一番苦しい時期かもしれない。代行に聞くのはためらわれるが、悩める若い青年と思い、いったいどんな事情があるのですか? 話してくださいと優しく言ってみた。
彼は目を合わせずに、静かに、ぽつぽつと話した。
「私は、姫の婚約者ではあるが……結婚はしないのだ……姫は将来誰かを選んで、私ではない者と結婚する」
彼は言い終わると、作り笑いを浮かべた。笑えていないことに彼は気づいているのだろうか。
「それは、決まっていることなのですか?あまりにもひどい話だ、あなたはそれを納得されているのか?」
「私もそれを望んでいる」
タクマ―は大きくため息をついた。
「そうですか、でもそうだとしても、今現在はあなたが婚約者なのだから、贈り物をしても全く問題ないように私は思いますけれども」
それは、そうなのだが……と言って、彼は辛そうに下を向いた。
「私は姫に見せたくないのだ。自分勝手だと分かっているのだが、私の好意を姫になにも示したくない。私という存在を姫になにも残したくない」
あ、辛い、これは辛いかも……胸にキリキリ刺さってくるぞ。
俺は今、この大人になりたての子供みたいな若い男に同情してしまったかもしれない。
タクマーはどうやら面倒なことになったぞと思った。
リエリー様はあなたと結婚しないことを納得しているんですか? と聞きそうになって言葉を飲み込んだ。彼女はたった一人で会いにきたんだぞ、代行に命をかけても会いにきた。そんなの……
愛しているにきまってるだろ。
そして、この目の前の男ときたら、「ふふっと笑うでしょう?」と切なく言いやがった。そしてドレスを秘密で贈れときた。
こっちも愛してるにきまってるだろ。
ああやめて、俺はなんだかとんでもないことに巻き込まれたぞ逃げた方がいい、こんな二人の間に挟まれてみろ絶対どんどん辛くなるぞ、激痩せして布団から出れなくなったらどうする。勘弁してくれよー。
「すまないタクマ―殿、私の我儘につき合わせた。他の方法を考えてみる」
力なく肩を落として帰ろうとする彼に、まあ待ってくださいと声を掛けた。
商売人の心得を父は常々タクマ―に教えてくれる。そのうちの一つが、『恩は売ってもいいが、情には流されるな』である。さて、俺は今思い切り情に流されそうになっているが、この男に恩を売るのはけして悪い話ではない。
「あなたは、あの港の要塞を壊すと約束してくれましたね」
代行は「そうだ、私が領主となればな」と即答した。
「私はね、5年前一つの事業を引き継ぎました。18歳の私には野望があった、そしてそれを成功させる自信があった。自分の力を思う存分試したかった。ですが、あの要塞が港を塞いだ。私のやりたかったことは、5年前から、ずっと港の出口を出られない」
代行、ちゃんと私を見てください。これは大事な取引ですよとタクマ―は静かに言った。
「私はあなたの恋路には関りたくない、爺さんも言っていた、恋は身を滅ぼす、時に女は商いの災いになると、だからあなたの込み入った話には近づきたくありません。しかし、あの要塞を壊してくれる方を助けるとなれば話は別です。絶対にあなたが約束を果たしてくれるなら」
「ありがとうタクマ―殿、領主になれたら、真っ先にあの要塞をぶっこわすと約束する」
「はは頼もしいです。では私はリエリー様に懸想する馬鹿な男になってあげましょう」
「もう一つ頼みたい、私はあなたに今日みたいに会いにきてもいいだろうか、姫の様子を聞きたいのだ」
「いや、それはおやめください。私は毎日この事務所に来るのではありません。困りましたね。それでは、事務所に来た日は、帰りに領主城に行って、あなたに会っていきますよ、それでよろしいですか?」
彼は嬉しそうにありがとうと何度も言った。どうしようもないな若者よ、そんなに婚約者のことが知りたいのだな。どこかの恋愛小説でも読まされている気分だ。いけないと思いつつも同情してしまう。
不憫な人だとすこし泣きそうになった。こんな若くして代行になり、好きな女と婚約者になりながら結婚できないという。
「どうして結婚できないのですか?」
答えてもらえるとは思わなかったが、尋ねると意外なことを言った。
「俺は、何もかもどうにもくだらないちっぽけな人間で、駄目な男だから、姫様には相応しくない」
めんどくさい男だなと思いつつ、早く結婚しろとせっつかれるのに、自分に自信がなくて女から逃げている自分も似たようなものかもしれない。
まあ自分だって若いのだ。お互いなんとかやっていこう代行殿。
彼の言葉には何も返事をしないでいた。外に馬が来る音が近づいてくる、他の勤め人が来たようだ。
ではまたと代行に挨拶すると、彼はもう一度ありがとうと言って去って行った。




