50.こんなくだらないこと
リエリーが目覚めると、熱が下がって頭がすっきりしていた、体に力が戻っている気がする。久しぶりに侍女に手伝ってもらって朝の身支度をして、動きやすいカリス女学院高等科の制服を着た。
「よかったね、元気になって」
カーリンの緑がかった茶色の瞳は優しく、嬉しそうに笑ってくれた。お姉様というのは彼女のような雰囲気なのかなと思った。
「カーリンありがとう。あなたに命を救われました」
おおげさだなあ、と彼女は笑う。
朝食の席で、ヤマブキ教授が別れを告げて来た。リエリーが王女として代行様に会えたので、彼女は研究の旅に発つという。「さようならリエリー、またお会いできるといいですね」と最後まで彼女はリエリーと呼んでくれた。それが嬉しかった。
代行様にも会えたから……ヤマブキ教授は言った。
カーリンも昨夜代行様はここにいたと言った。
けれど、リエリーが目覚めた時、アツリュウの姿は無かった。早朝彼は領主城に帰ったとカーリンは言っていた。
「リエリーが元気になったって領主城に知らせたから、代行様すっ飛んでくるよ。だって、一晩中姫様が心配だって張り付いてたんだから」
朝食時にそう聞いてから、リエリーは通された応接室で体を耳にして待っていた。
エイヘッドの時告げの鐘が遠くで10回鳴った、それからしばらくすると執事が来て「お嬢様お客様です」と告げ、カーリンは部屋を出て行った。
リエリーは立ち上がって待った。やっと会える。6日間の馬車と船の旅、長かった、時に本当に辛かった……そして、残してきたシオ……大きなものと引き換えに、とうとうここまで来た。あなたのために、アツリュウあなたに会うために、私は今までの全てを捨てて来た。
扉が開いた。カーリンの顔が見えて、その後ろに……誰?
「王女殿下お初にお目にかかります、私はアツリュウ・ミタツルギ領主代行の補佐官を務めております、ゴウ・ゴルゴンと申します」
目の前の年配の男性が、膝を付いて名乗っているのに、リエリーは後ろにアツリュウがいるのだと信じ、いつ現れるのかと気になって、彼の顔も見ずに扉の向こうを見ていた。
「王女殿下」
なんとも力ない声で呼ばれて彼を見た。大柄で髭があって、怖い顔の年配の男性は、明らかに心配そうにこちらを見上げていた。情けないような悲し気な表情は、彼の強面の雰囲気を消して、とても力なく見えた。
「それが……その……ミタツルギ代行は今手が離せず……私が代理で参りました。本当に申し訳ございません」
「アツリュウは……」
彼はいないのだと分かり、力をいれて握っていた手をほどいた。それならば、会いに行けばいいのではないだろうか。
「あの、アツリュウはお城にいるのですか? 私すぐに会いに行きます」
オルゴンと名乗った老人は、いや、あの……と困った顔をした。
「王女殿下がお一人でこちらまでお越しになりましたのには、よほどのご事情があったのだと拝察いたします。代行本人にお会いになりたいとおっしゃるのは、当然のことでございます。しかし……その、もし、よろしければ、少しばかり、そのご事情を私に話していただけないでしょうか……」
「はあ? なにそれ」
カーリンの呆れた声が部屋に響いた。
「そんなの、代行様が直接来て聞けばいいじゃん。だって、一人で来たんですよ、ここまで一人で! よっぽどの理由があるに決まってるでしょ」
「おっしゃる通り、ですがその、できましたら少しばかり理由を教えていただけましたらと……」
オルゴン補佐官は非常に歯切れ悪く答えた。
もしかして……アツリュウに何かあったのだろうか?
「あの、アツリュウは無事ですか? 怪我をしているんですか? 彼の無事を確かめたいのです」
リエリーは不安になって、ずっと膝を付いたままのオルゴンの前にしゃがみこんで聞いた。
「いえいえ、代行は元気です」
彼は額に手をやり大きなため息を吐いた。
「王女殿下のお気持ちはもっともだ。分かりましたお連れします代行の元へ」
その言葉を聞いて安心した。そして自分が名乗りもしていないことに気づいた。立ち上がり、王女としての礼をした。
「シュロム王女リエリーです。こたびは私の勝手な訪問に、皆様の手をどれほど煩わせているか心苦しく思っています。どうか許してくださいませ。それでも私はどうしてもアツリュウに直接伝えねばならないことがあるのです。私を彼の元に連れていってください」
◇◇◇ ◇◇◇
カーリンが館の馬車を出してくれて、先に馬で帰ったオルゴン補佐官を追うように、二人で領主城に向かった。着くとすぐに応接の間に通された。
リエリーとカーリンは、帝国式のソファーに並んで座った。古びてはいるが上質なソファーだ。この部屋の調度は品の良い上質なものではあるが、どれもとても古かった。
「私、お城に入るのは初めてよ、外見も古いけど、中もなんだかくたびれてるね」
隣でカーリンがあちこち見まわしながら話しかけてくる。二人はここに着いてから、もうずい分と待たされていた。
アツリュウに会える……彼の無事な顔を見たい。
バンダイ・ミヤビハラ領主は寝込みを襲われたとロドリゲスは言った。もし、アツリュウが彼と同じ領主の居室を使っているのだとしたら、その場所に黒ずくめの集団が来たのだ、そんな場所で眠って欲しくない、彼が心配でたまらない。
遠くで争うような声が、扉の向こうの廊下から聞こえた。カーリンが「なんだか騒がしいね」とつぶやいた。「いいかげんにしろ」とオルゴン補佐官らしき低い声が言っているようだ。
扉の向こうに明らかに人が来た気配がする。「おい、アツリュウ入るぞ!」オルゴン補佐官の叱るような大声がして、リエリーとカーリンは驚きに体がびくっとした。
扉が開いた、オルゴン補佐官が厳しい顔で「失礼します」と入りかけ、すぐに後ろを振り返って「アツリュウ」と不機嫌な声を出した。
「王女殿下お待たせしました」
入って来るオルゴン補佐官の後ろに……彼が見えた。
「アツリュウ」
思わず叫んで、無意識に駆け寄っていた。扉から半歩入りかけたその体に向かって、思わず手を伸ばした。あなたに会いたかった、あなたのことだけを考えていた。アツリュウ、アツリュウ……
彼の二つの大きな掌が、彼女の目の前に出された。止まれ!とその手は強く警告して、リエリーは、はっとして立ち止まった。
アツリュウの厳しい眼差しがあった。彼は両掌を突き出して、来るなとはっきりと示している。
体が凍ったように固まった。
彼はすぐに手を降ろしたけれど、瞳はリエリーが知っているそれとは違って、とても冷たかった。眉間にはしわが寄り、明らかに迷惑そうにしている。「来ないでくれと、それ以上近づかないでくれと」彼の目が言っている……
「王女殿下……お座りください」
アツリュウの声が、突き放すように言った。知らない男の人のようだった。
何かを失った気がした。
ずっと張り詰めて、緊張し続けて、必死で歩いて来た。きっとその先にアツリュウの笑顔があるのだと勝手に思い込んでいた。あの優しい瞳で見つめてくれるのだと……
会いたかったのは自分だけだったのだ。
動かないリエリーをそのままにアツリュウは勢いよく、リエリーが座っていたソファーの向かいに腰を下ろした。
オルゴン補佐官の「姫様」という小さな声や、カーリンが側に来て肩を抱いて「リエリーこっち」と耳元で告げる声も、なんだか遠い気がした。カーリンに促されるままに、彼女の隣に座らされた。
オルゴン補佐官が困った顔で、アツリュウの隣に座った。誰もしばらく口をきかず、沈黙が流れた。
リエリーはもう一度、向かいに座るアツリュウを勇気を出して見た。瞬間、自分がどれだけ愚か者だったのかが良く分かった。彼は口を引き結んで怒っているようにしか見えなかった。じっと見据える目は何の優しさも映していない。
「あの、姫様……こちらにいらしたご事情をお話しいただけますか?」
オルゴン補佐官の、本当に申し訳ないといった風の顔を見た。
私の事情? ああそうだ、私はこのために来たのだ。しっかりしなければ。
「お伝えしなければいけないことがあります。アツリュウと二人きりで話しがしたいのです」
ロドリゲスは、内通者がいるだろうと言ったのだ、だから誰にも聞かれずに、アツリュウだけに知らせなければならない。
「それでは私たちは出ます、カーリン嬢……」
オルゴン補佐官の言葉が終わらぬうちに「いい、そのまま居てくれ」と鋭い声が遮った。
「オルゴンこのままここに居ろ、王女殿下のお話しは二人で聞く」
オルゴン補佐官は頭に手をやり、うんざりした顔でため息をついた。
「お前は朝からいったいなんなのだ、姫様に対してどれだけ失礼を働けば気が済むのだ。私は出ていくぞ」
「だめだ、代行命令だここにいろ」
オルゴン補佐官はまた大きくため息を吐くと、開いたままの扉に向かい、廊下に控えている侍従らしき者に指示を出した。
「それではカーリン嬢、別の間にご案内させます、こちらへ」
カーリンが背中を優しくさすってくれた。「私待ってるからね」そう言って部屋を出て行った。
目の前に、アツリュウとオルゴン補佐官が並んでいる。リエリーが話し出すのを待っている。
アツリュウが、一緒に聞くというのだから、信頼のおける人なのだろう。だから、内通者のことだって、きっと話しても大丈夫なのだろう。でも、こんなに悲しいのは、アツリュウが私のお願いを聞いてくれないからで……
二人になるのがアツリュウは嫌だと言っていることが、とても悲しくて……
泣いては駄目だ。ちゃんと伝えないといけない。
「黒ずくめの集団が……」
話始めて、自分がどう伝えればいいのか、分からなくなってしまった。悲しさで体が縛られて、頭が上手く働かない。息を吸って吐いて、落ち着こうとした。
「あの……ロドリゲスに会いました」
「あいつに会った?」
アツリュウが不機嫌に聞き返した。
「はい、エイヘッドに海賊を捕まえに行くと言っていました。あなたと競争すると。でもあなたは殺されるから、彼は自分が勝つと言うのです」
「私が殺される?」
アツリュウの問いに彼を見る。やはりとても怖い顔をしている。苦しくて下を向いた。
「あなたが、バンダイと同じように、寝込みを黒ずくめの集団に襲われると……バンダイは、寝込みを黒ずくめの集団に取り囲まれて切られたそうです。窓も開いていない部屋に入ってきたから、きっと、内通者がいるんだろうと……だから……」
一息に話して、リエリーはまた息を吐いた。緊張に体が硬くなる。オルゴン補佐官を見て、大きな声で言うために息を吸った。
「だから、お願いです。アツリュウが殺されないように、して欲しいのです。バンダイと同じ部屋で眠っては駄目です。いつも誰かと一緒にいて、守ってください。絶対に殺されないように、守ってください。お願いします」
ちゃんと大きな声がでた。でも上手く言えただろうか、分かってもらえただろうか?
「それを言うためにここまできた?」
ささやき声がした。アツリュウの声は怒っていなくて……彼を見た、瞳が驚きに揺れている。
「姫様は……それを伝えるために、たった一人で……こんなところまで? 俺のために?」
彼は何かを言おうとして、息を吸うけれど、言葉は出なくて……
何度も何かを言おうとして、大きな手が彼の口を覆った。
覆われた口から、苦し気に声が漏れた。
「あなたは馬鹿だ……こんな事のために来るなんて。こんなくだらないことのために、どれだけ危険なことをしたか……あなたは……どうして……」
彼の瞳が真っすぐに向けられた、歯を食いしばって苦し気で、すごくすごく……
怒っている。
ああと声を漏らして、アツリュウは下を向くと、すごい勢いで彼の髪の毛を両手でかき混ぜた。
どうにも押さえられない怒りを、彼は必死に自分に向けているように見えた。
『こんなくだらないことのために』
刃のように、彼の言葉が胸に刺さった。
アツリュウが勢いよく立ち上がった。
びっくりして見上げると、ぼさぼさになった髪の毛の下に見える目は真っ赤だった。歯を食いしばって怒りを堪えているようで、握り締めた拳は震えている。
「お話は、よく分かりました。これからは十分気を付けますので、王女殿下はご心配なさらなくても私は大丈夫です」
彼が一気に大きな声で告げた。
「姫様」
護衛官の時、彼がしていた直立姿勢だった。
「はい」
「すぐにセウヤ殿下に知らせを出します。おそらく10日の内には迎えが来るでしょう。モーリヒルドにお帰りください。滞在中は護衛を付けます。危険な行動は一切なされませんよう」
「おい、そんないきなり」と声を出したオルゴン補佐官に、彼は顔を向けた。
「後は頼む、私は戻る」
言って、アツリュウは素早く動くと、扉を開け、すぐに廊下に消えた。
あまりに一瞬のことで、呆然として言葉がでなかった。
ゆっくりと、彼の言葉が体に入って来る。
『セウヤ殿下に知らせを出します』
私はすぐに帰らされて……
そして帰ったら、兄様は私を許さない……今度こそ永遠に会えなくなる。
アツリュウはそれを望んでいるんだ。




