48.王女様
寝台で、荒い息で顔を赤くして眠る少女を、カーリンは覗きこんだ。さっき洗ってあげた髪は、黒色から、緑がかった灰色に色を変えた。
どうやら染めていた色が落ちたのだろう。髪色を変える必要がこの少女にあったのだろうと彼女は思った。
「この方本当にシュロムの王女様なのね」
隣で少女を、同じように覗き込んでいるヤマブキ教授に声を掛けると、彼女は安心した顔で微笑んだ。
「信じて欲しいとお願いしている私が言うのも変ですが、あなたが王女だと信じることに驚いています」
カーリンは御者にリエリーを馬車まで運ばせ、エイヘッドにあるムネゴトウの別宅に彼女らを招いた。
大商家であるムネゴトウの本邸は港町のエイドドアドにあり、カーリンは普段は本邸で暮らしているが、今日は領主城に行くためにエイヘッド領都の別邸に来ていた。
すぐに別邸の執事に言って、医者を呼びリエリーを診てもらった。幸いなことに、医者の見立てでは疲れによる一時的な発熱だろうとのことだった。薬を飲んで、一晩経っても熱が下がらない場合は明日もう一度呼ぶようにとのことだった。
「信じない訳にはいかないわよ、あんな可愛い乙女心を見せられてはね」
カーリンは言って、先ほどのリエリーと名乗ったお姫様の様子を思い出して笑った。
リエリーは、別邸に運ばれてすぐ寝台に横になり、1刻ほど眠った。目を覚ますと、取り乱して「アツリュウに会わなければ」と起きようとするのを、カーリンとヤマブキ教授で説得し、「明日には会えるから」と言い含めてなんとか彼女を落ち着かせた。
明日には代行に会えると言ってからのお姫様はとても可愛らしかった。
「どうしましょう、私は臭いのかしら、こんな姿ではアツリュウに会えない……会わなければいけないのに、どうしましょう、彼に臭いと思われたら……嫌われてしまう……」と本気で思い悩んでいる。
乙女にとって、こんなテカテカ頭で婚約者に会えない気持ちは、一応女である私にも分かる。
館の侍女と一緒に、彼女をお風呂にいれて洗ってあげた。彼女は熱で半分ぼんやりしながらも、私が髪を洗ってあげるのを、心底驚いて見ていた。
アメジストのような綺麗な瞳から涙がこぼれ続けて、ありがとうと何度も言う。もう言わなくでいいよと告げても、涙もありがとうも止まらなかった。
このお姫様は、本当に頑張ってここまで来たのだなとカーリンは思った。嘘をついて領主代行に取り入ろうとしているようには見えなかった。そして彼女は婚約者のことが好きなのだろう、領主代行様のことが……
確か、シュロムのお姫様の婚約者は、恩赦の戦で勝った剣士様だったはず……北の地エイヘッドにもその話は届いていたが、どこまで本当なのか、つくり話なのかカーリンは話半分に噂を聞いていた。
けれどこの姫様が本物だとすれば、愛する剣士様のところに1人で来たってこと?
え? ほんとに演劇みたい……
細くて、頼りなげで、こんなか弱そうな姫様が、なんて健気……
カーリンはすっかりリエリー王女様に心奪われて、持ち前の「困っているなら、私に任せなさい!」という姉御気分で、やる気がむくむく湧いてきた。
明日絶対領主代行に会えるように、私が何とかしてあげるからね!
風呂から出ると、リエリー姫様は疲れ果て、寝台に運ばれると同時に眠りに落ちた。
「いったいどういう訳で、お姫様が一人でこんなところまで来ることになったのですか?」
リエリーが眠る部屋で、二人腰掛けて、カーリンはヤマブキ教授に聞いた。
「実は私も、詳しいことはなにも知らないのです。命の恩人である方に、エイヘッドまで一緒に連れて行ってくれないかと頼まれました。私は一度命を失ったような人間ですから、その方に恩をお返しできるならばと引き受けました。リエリー王女はそれは素直な方で、何も困ったことは起きませんでした」
思い出し笑いのように、ふふっと彼女は笑った。
「リエリーにね、船旅の間は弟子として資料作りを手伝わせたのですが……素晴らしく優秀でした。王女様でなければ、本当に私の補佐として一緒に研究の旅に連れていきたいくらいです」
「ええ? もし代行様に会えなかったら、王女様を弟子にするんですか?」
「さすがにそれは無理ですけど、私が言いたいのは、この方は本当に素直で真面目だということです。びっくりするくらい一生懸命資料整理を手伝ってくれましたよ」
急に騒がしい音がした。館に誰かが来たようだが、それにしても大きな男の声がする。
カーリンとヤマブキは何事かと立ち上がった。部屋の戸が叩かれ、執事が慌てて入ってきた。
「お嬢様、ミタツルギ領主代行様がお見えです、お出迎えをお願い……」
「今しばらくお待ちを……あの、もし、お待ちになって」
執事が言い終わらないうちに、侍女の声が執事の後ろで聞こえた時、部屋に「失礼」という男の声が響いた。
あ、若い。とカーリンは一目見て思った。
「失礼する。王女殿下と名乗ったお方を確認に来た。勝手に入って済まない」
そう言って、自分と年齢が変わらないくらいの若い男は、許しも得ずに足早に部屋に入ってきた。
さすがに見知らぬ男が女性の眠る部屋にずかずか入って来る無礼に、カーリンは驚きのまま、リエリーの枕元に守るように立った。
「ど、どちら様」
リエリーを隠すように立って男に強めに言ってやった。
多分代行様なんでしょうけど、あなたいくらんでも失礼が過ぎる……
カーリンは黙った、もう口はきけなかった。すぐに身を避けて、その領主代行であろう男に場所を譲った。これほどまでに誰かが驚きに固まる姿を、彼女は見たことがなかった。
「ひ……め……さま?」
領主代行の口から、小さく声がこぼれた。彼は呆然と立ち尽くし、息もしていない、ピクリとも動かず彼女を凝視している。
ああ、やっぱりこの子は本物の王女様だったんだ。
代行様が彼女の婚約者、あの噂に聞く純愛の剣士様なのか……眉毛きりっとして、鼻筋びしっとして、そしてこの印象的な目、なかなかの美男子だな、絵になるなあこの美少女と並んだら、それにしても、めちゃくちゃ驚いてるこの人……それはそうだよね、驚くよね王女様に一人で来られたら。
代行様がいきなり、すごい勢いでカーリンを振り返った。
「彼女はどうしたんだ。病気なのか? 医者は?今すぐ医者に見せないと……あ、まさか怪我をしているのか、大丈夫なのか?どうしたら……彼女はどうしてここに? なんで? ああ、とにかく医者を」
分かりやすくものすごい取り乱して、代行様がぐいぐい迫ってくるのでカーリンが後ずさりしていると、ヤマブキ教授が間に入ってくれた。
「医者には先ほど診てもらいました。旅の疲れによる一時的な発熱であろうとのこと。今は薬を飲んで眠っています。眠気の強い薬なので、朝まで目は覚めないでしょうが、熱はそれほど高くありません。さほどご心配はいりませんよ」
代行は「そうか」と呟いて、息を吐いた。王女様を見てから彼は初めて呼吸したように見えた。
廊下がまた人の声で騒がしくなり、執事に話しかける低い男の声がした。
「私、エイヘッド領主代行補佐官のオルゴンと申す、代行がこちらに?」
彼は丁寧に礼をして「入ってよろしいか」と尋ねてくれた。口調は穏やかだったが、それにしても厳ついお爺さんだった。
禿頭にふっさふさの口ひげ、鋭い目つきは、戦場で武勲をあげまくった将軍のような威厳がある。
先に入ってきた若いお兄ちゃんと、この強面お爺ちゃんなら、どっち?って聞かれたら10人中10人がこっちのお爺ちゃんを領主代行だって選らんじゃうね。カーリンは心の中でうんうんと頷いた。
「代行、どうでしたか?真偽はいかに?」
オルゴンと名乗った補佐官に、代行は勢いよく答えた。
「姫様だ」
「なんと……本当に」
オルゴンは失礼しますと断って、リエリー姫の顔を見た。そして代行に何とも言い難い複雑な表情を向けた。
「この方が……お前の」
代行がふいと彼から目を背けた。
「ムネゴトウ家のご息女カーリン嬢ですね、急な訪問で驚かせてしまいました。実はシュロムの姫と名乗る者が現れたと聞き、我々信じられなかったのですが、万が一のこともありますので、方々探しておりました。話を受けた者によれば、ムネゴトウのご息女と一緒に去ったと聞き、実は港のエイドドアドのムネゴトウ本邸に先に伺っていました。ご当主にあなたがこちらにいるだろうとお聞きしまして、参った次第です」
顔は怖いが、優しい感じのお爺さんである。カーリンは突然の代行様訪問で、驚いた気持ちが落ち着いてきた。
「そうでしたか、詳しいお話をこちらの方からお聞きになるとよろしいかと思います」
ヤマブキ教授を紹介し、病人の部屋で話すよりはと応接室に案内することにした。
「オルゴン、済まないが話を聞いておいてくれ……俺は、今何を聞いても、たぶん頭の中に入ってこない……だから……姫の……側にいる」
代行がそうオルゴン補佐官に告げた、最後の方は消え入りそうな小さな声だった。
オルゴン補佐官が「分かりました」と答えたので、カーリンは彼のために椅子を用意するよう侍女に指示した。
代行様を残し、皆で部屋を出ていくとき、彼が侍女に話しかけていいるのが聞こえた。
「あなたはこちらの侍女か? 済まないが一緒に部屋に残ってくれ。姫様と二人きりになる訳にはいかないから……」
そう聞こえた。婚約者なのに、硬いこと言うんだなと意外だった。王女様ともなると、そういうものなのかな……
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