38.誰かを守るということ
アツリュウが、寝台で眠っている。あれはエイヘッドの領主城の寝室だろうか。
黒ずくめの男たちが、彼の回りを取り囲む。1人の男の手に光るものが握られている。
あ、短刀!
リエリーがそう気づいた瞬間、その短刀はアツリュウの胸に勢いよく振り下ろされ……
リエリーは飛び跳ねるように、身を起こした。心臓の音が体中を激しく叩く。
アツリュウと声に出して呼んだ。荒く継いだ息に消されて、上手く声にならない。
彼が殺されてしまう夢を見た。
震える体を両腕で抱きしめた。これは夢なのだろうか、それとも本当に彼に何かあったのだろうか。
彼の身が心配で、とても眠れるとは思えなかった。
リエリーは寝台を降り、窓の掛け布を少し開いて夜空を見ると、右側を丸くした三日月が天中に登っていた。
アツリュウがエイヘッドへ発ったのは、3日前の新月。まだアピドの手前にいるだろう。
「大丈夫、アツリュウはきっと無事でいる」
リエリーは何度も息を吐いて、自分を落ち着かせようとした。
◇◇◇ ◇◇◇
アツリュウはエイヘッドへ行ったと、セウヤ兄様から聞かされた。
兄様は以前と変わらないように、リエリーの部屋に時々訪れてはお茶を飲み陽気に話をしていく。
兄は「エイヘッドで片付けるべき仕事を命じてある」と言うだけで、アツリュウに何をさせるのか詳しいことを教えてくれない。
「私の命令を成し遂げたら、お前の夫にすると約束した」
兄は意地悪く笑って言った。もう会えない彼と夫になる……兄の残酷な遊び。
もう婚約者をやめるからと、私をもう求めないでと、アツリュウにお願いしたけれど……彼は恐ろしい兄様に捕えられたまま……彼はいったいどんな命令を受けているのだろう。
恩赦の戦が終わってから、グイド陛下から私宛のお手紙がたくさん送られてくる。セウヤ兄様はそれを全て私に見せなかったけれど、どんどん文面が熱烈になってきて笑えるから見てみろと、とうとう1通私によこした。
グイド陛下は私を正妃にお望みで、私が受けてくれるなら一生大切にすると甘い言葉と共に書き綴られていた。
ミヤビハラ家のロドリゲスも同じで、私を妻にすることを諦めていないどころか、自分が正当な婚約者だと主張する。再三面会の申し出があり、手紙も贈り物も嫌と言うほど届いていた。
兄が公表したので、市井一般には私がアツリュウを選んで、婚約者になったと思われている。けれど陛下とロドリゲスは私がまだ結婚相手を自ら選んでいないことを知っている。特に陛下は恐ろしい、優しい文面のなかにも、彼が権力を使って無理やりに私を妃にするつもりは無いと書きながら、そうする力を彼が持っていることを暗に示している。
私は誰も選ばない。一生1人でアツリュウのことだけを想って生きていけるなら、それは私にとってなによりも幸せなこと……
◇◇◇ ◇◇◇
ロドリゲスがエイヘッドへ発つので、出発の前にどうしても私に会いたと願っていることを聞いた。エイヘッドのことが知りたくて、セウヤ兄様にお願いして会うことにした。
部屋に侍女を何人も置いて、応接室で待っていると、彼は前回にも増して、帝国式の晩餐会で着るような豪華な衣装でやってきた。予想していた通り、前回同様手を取って挨拶しようとするので、距離をとった。
「私は婚約者のある身、触れてはなりません」
リエリーは小さい声ながら、練習しておいた言葉を告げた。
「お姫様、何をおっしゃいます。婚約者は私です。あなたのお父君、シュロム王がお決めになった正当な婚約者です、誰もそれを覆せません」
「私の婚約者は……アツリュウ・ミタツルギです。私が……私の意思で……選んだ人です」
たどたどしくも、何とか声に出していうことができた。
リエリーの選んだという言葉に、ロドリゲスは顔を歪めた。
「それは嘘ですお姫様。私はセウヤ殿下からお聞きしていますよ、あなたが誰も選んでいないことを」
兄様がどうしてそんなことを彼に言う必要があるのかと、リエリーは不安になる。兄様が私とアツリュウを婚約者にしたのに。
「セウヤ殿下はお約束してくださいました。私がエイヘッドで海賊を退治した暁には、あなたを妻にできると! 大丈夫、私はきっとやり遂げて見せます。たくさん武器も買いました。すぐに海賊を退治してあなたをお迎えに上がります!」
「海賊退治……とは?何のことです」
「姫様はご存じないかもしれませんが、私の父を害そうとした賊がまだ捕まっておりません。その賊を捕らえよというのがセウヤ殿下の命でございます」
「アツリュウも……それでエイヘッドに……」
リエリーのつぶやきをロドリゲスが拾って、あんな男と吐き捨てた。
「忌々しいことですが、あの男もセウヤ殿下から私と同じ命を受けています。どちらが先に賊を見つけるか競争なのですよ。でも私は負けませんだって……」
セウヤ兄様のやりように、胃が気持ち悪くなって吐いてしまいたいほどだった。アツリュウに恩赦の戦までさせながら、まだ私の結婚を餌にこの人を踊らせて、アツリュウを動かしているのか。
ロドリゲスは鼻で笑うと、だってあの男は死にますからねえ、と小さく言ってそのまま嫌な笑顔を張り付けたまま、リエリーに近づいてきた。
「アツリュウは……死んだりしません」
リエリーは後ずさりしながら言うと、ロドリゲスは私がいますとリエリーの手を取ろうとする。シオが部屋にいるリエリーの護衛を側に呼んでくれた。護衛がそれ以上お近づきになるのはおやめくださいと間に入ると、彼はやっとリエリーと距離を取った。
「お姫様はあの男に騙されているのです」
ロドリゲスは長椅子に座ると、足を組んで嬉しそうに、教えて差し上げますと得意げな顔をした。
「あのミタツルギの五男は、前当主が平民の女に産ませた下賤な血の流れた人間なのです。シュロム王家の姫君の相手に納まろうなどと身分違いも甚だしい。あの男のことを考えただけで、おお寒気がする」
わたしの婚約者を侮辱しないでと口に出そうとし、「わ」と言いかけただけで、ロドリゲスはなおも続けた。
「あんな、汚いだけのどうでもいい男ですが、どうやら剣の腕だけは立つ。でもね、大丈夫あいつは殺されますから……くくく……あいつだって寝込みを襲われれば、さすがに死ぬでしょう」
リエリーはその言葉にぞっとした。寝込みを襲う?
「どういう意味……ですか?」
「お姫様にだけ、特別に教えてあげましょう。私の父は領主城の寝室で、寝込みを賊に襲われたのです。父が言うには音もなく黒ずくめの男たちに取り囲まれていたと。城に内通者がいるのです。そうでなければ、窓も閉まっていたのに城の内部の領主の部屋にまで来られるはずがない」
ロドリゲスは笑いを堪えながら、だから領主城はあの男に譲ってやりますと言う。
「あの男は、何にも知らずに領主城でゆっくり眠るとといい。新しい領主を内通者がまた手引きして、夜に紛れてやってきた賊に、夢をみながら刺されてしまえばいい」
アツリュウが刺される様を想像してしまい、リエリーは驚きに固まってロドリゲスから目を離せない。
「お姫様、あの男が死んだらきっとすっきりします。私はあの男の死体と賊を土産にすぐ帰ってまいりますからね、そうしたら盛大な結婚式をしましょう。あなたに似合うドレスを実はもう準備してあるのです、きっと気に入ります。楽しみにしていてくださいね。それから私たちの住む館ですが、モーリヒルドにゆくゆくは邸宅を新しく建てて……」
彼の言葉は、リエリーに全く届かない、それでもロドリゲスは延々としゃべり続けてから、ようやく帰った。帰り際、彼の例の挨拶をリエリーにすると言って聞かなかったが、護衛に半ば抱えられるように出て行った。
『内通者によって、手引きされた賊に、アツリュウが殺される』
その言葉だけが繰り返しリエリー頭の中で響いた。
◇◇◇ ◇◇◇
リエリーはその日から、思い悩んだ。アツリュウに危険を知らせる手段はないかと懸命に考えた。
すぐにセウヤ兄様に伝えたが「だから、それがなんなのだ」と返された。アツリュウに知らせて欲しいと懇願しても「それくらい自分で対処するだろう、死んだらそれがあいつの実力だ、しかたがない」と冷たく取り合ってくれなかった。
手紙は全て、セウヤ兄様に調べられている。正しく彼の元に届くとは思えない。上手く手紙を送ることができても、受け取るアツリュウにセウヤ兄様の見張りが付いていることは間違いないのだ。彼の手元に確実に届ける方法をリエリーは思い付かない。
では、誰かに頼んでエイヘッドまで行ってもらい、直接伝えてもらうのはどうだろう?
自分が信頼し、セウヤ兄様に逆らっても自分の願いを聞いてくれる人。それは侍女のシオしかいなかった。シオにエイヘッドに行ってもらう?
兄の目を盗んで、兄に逆らうことをすることも。遠い北の地に護衛もつけず女性を旅させることも。
それはシオに命を掛けろというに等しかった。
リエリーは考え続けた、エイヘッドに行ってくれる人物を。
アツリュウのために、命を懸けてくれとお願いできる誰かを。
月様の光の下で、眠らずに考え続けた。そして思い当たる人物をリエリーは見出した。
アツリュウを助けるために命をかける……それは、私だ、私であればいいのだ。
彼が私にしてくれたこと。堀に飛び込んで兄の命を救ってくれた時も、セウヤ兄様が父を殺そうとするのを止めた時も、そして……血まみれになって恩赦の戦をしたときも。
アツリュウは彼の命を懸けて、自分のためにしてくれた。
ならば、彼の命のために、今度は自分が命を懸ける。どうしてそんなことに気づかなかったのだろうか。
『アツリュウに会いに行く、彼に命の危険を知らせるために』
リエリーは心を決めた。
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