37.領主城
アツリュウは生まれてからずっと首都モーリヒルドで暮らしてきた。
エリュウ兄上に連れられて、海を見せてもらったり、狩に山に入ったり、何日かは都を離れたことがあったけれど、彼はミタツルギ家の領地を始め、他のシュロム領地に行ったことがない。
だから領主城というものを見たことがなかった。
「なあオルゴン、これって城なのか?」
目的地、エイヘッド領主城に到着した。
アツリュウが想像していたよりもずっと小規模で、城を囲む堀は、何カ所か崩れていた。
もっとでかくて、頑丈で、塔もいくつも建っていて…… 父上に昔見せてもらったミタツルギ家のエンドバード領主城の見取り図は、そういう感じだったはず……
「そうだな……城というよりは、大きめの砦に見えるな」
やはりオルゴンにも、普通の城には見えなかったようだ。
エイヘッドは領都と呼ぶにはあまりに小さな町だった。
港街エイドドアドが首都を再現したような都会であるのに、ここは北の果てに相応しく、田舎の素朴な集落の集まりに、一か所だけ商店などが集まった中央広場があるだけだった。
ヒルディルドで国内戦争があったのは、250年の昔。南北で争った歴史から、この最北の地は最も戦火から遠い土地だったと言えるだろう。各地いまだ残る城は過去の遺物。エイヘッドには戦争が届かず、大きな城が必要なかったことを、この小さな城は示しているのかもしれない。
領主代行になる重責に押しつぶされそうな自分。でも、このびっくりする程小さな城を見たら、少し気が抜けた。
小さくて頼りない、俺のような城である。今日からここが俺の住処だ。
「うん、ここが気に入った」
アツリュウがつぶやくと、護衛も従者も、冗談でしょうか代行?と驚きの声をあげた。
堀から城内に入る第一門の前に、バンダイ・ミヤビハラの筆頭補佐官を務めているトビタドリが待っていた。
「お越しをお待ちしておりましたミタツルギ領主代行様。私が現在この城の全ての管理を任されておりますトビタドリでございます」
トビタトリはアツリュウ達を礼儀正しく出迎えた。
彼はやせ細って、頬骨が浮き出ており、青白い顔には生気がなかった。髪を整える暇もないのか、肩まで伸びた髪は真っすぐで、頭にぺたりと張り付いていた。
黒髪とは対照的に、北の人らしく、瞳はとても薄い茶色で、細い体と力ない瞳が、彼をとても頼りなく見せた。
事前の調べで、トビタドリは48歳、妻子あり。代々ミヤビハラ家に仕えている家系の生まれで、バンダイに仕えて30年以上、彼は当然ながら、バンダイに忠誠を誓っている男だろう。
彼の腹の内は分からないが、反抗的な表情も見せず、質問にもよく答え、手際よく城を案内してくれた。
第一門を抜けると、堀に囲まれた中に、草が短く刈られた広場がある。そこを進んで、見張り塔がある本城門をくぐると、入り口までは階段があり、登っていき入口を抜けると、広い石畳の城内広場がある。その開けた場所は、領民や貴族を招いて、屋外の儀式や式典などをする場所であるという。
正面の石造りの建物の中には、領主城で働く者たちの執務室や、領主が人々に謁見する間、催事行う大広間などがあった。
その後ろには、一段高い館がある。そこが領主の居住場所となっていた。その建物は比較的新しいように見えた。
城の1階部分は、上級兵士と使用人の居住、厨房、貯蔵庫などがある。
城の右手には渡り廊下が伸びている、その先には高い塔と、石造りの神殿があった。
これがヨンキントの言っていたエイヘッド神殿。古いながら、曲線の浮かし彫りが壁にある美しい神殿だった。
城と神殿は渡り廊下でつながっていた。
トビタドリが言うには、崩れる可能性があるため、その渡り廊下は現在使われておらず、神殿に行くには一度本城門を出て、神殿の入り口に回ることになっているそうだ。
城の後ろ側には、兵士たちの居住棟や厩舎があった。柵で区切られた、いくつかの兵士訓練場があり。そして神殿の後ろには小さいながら庭園があり、春の花がいくつか咲いていた。
アツリュウは領主城で働くものたちを大広間一同に集めて、着任の挨拶をすることにした。
しかし、待てども人は集まらなかった。
アツリュウもオルゴンも呆れて、トビタドリに何時になったらこの城で働く者達は集まるのかと、語気を強めて問うた。
「こちらで全員でございます」
トビタドリの言葉に、アツリュウは呆然とした。
嘘だろう?
使用人が料理人も含めて数人。
領地経営を担っていた事務官たちは誰もいない。
御者兼馬丁が数人。
それとトビタドリ。
城警護の衛兵はそれなりにいるらしく、それは港のヒシダが采配してくれていた。
「やはり、新しい領主に反抗して、皆出て行ってしまったのか?」
アツリュウの問いに、トビタドリは滅相もございませんと否定した。
「バンダイ様が海賊に襲われ負傷し、首都に戻られました後、城の使用人たちは皆、海賊を恐れて出て行ってしまいました。そのあとロドリゲス様がすぐいらしたのですが、その……」
口ごもるトビタドリにオルゴンが、ロドリゲス殿に言いつけたりしないから教えてくれぬかと優しく問うと戸惑いながら彼は続けた。
「それが、その……ロドリゲス様はすぐ飽きたとおっしゃって、連れて来た使用人ともどもこちらを去ってしまったのでございます」
「それは何時の話です」
「3カ月ほど前でございます」
「え? ではこの領主城は、3カ月の間このもぬけの殻のような状態で……」
「では領地のことは誰がどうやって……」
「ロドリゲス様がエイドドアドにいらっしゃる間は、そちらに指示を仰いでおります、しかしロドリゲス様は首都のモーリヒルドに度々行かれてしまうので、なかなか……その……」
放置か……
領主不在だったのか……
セウヤ殿下が言っていた。グイド陛下によって国領地にされるか、セウヤ殿下に新しい領主と代えられるか、ミヤビハラ家は廃領される道しかないと……
バンダイと、息子ロドリゲスのあまりの無責任さに、怒りを通り越し呆れるしかない。まさかここに姫様が嫁いでいていたら……想像することも恐ろしい。
どうしてこの待った無しの窮状を抱えるエイヘッドに、セウヤ殿下は俺を選んだのか……
まあ仕方がない、このもぬけの殻の城で始めるしかないのだ。
長い旅を終えて、ようやくアツリュウ一行は新しい住処で休むことにした。
領主の居住する城の館、領主の部屋は驚くほどに質素だった。
財をこらしたエイドドアドの街、豪華な造りに宝を詰め込んだ街の領主館、それらを目にしてきたアツリュウには、このがらんとした、必要な物しかない領主の居室と寝室がとても意外だった。
領主の寝室にに1人になると、一つの扉が目に入る。先ほどは見なくてもいいと案内を断った、妻の部屋が寝室の続きにあった。
静かな真夜中に、その扉を開けてみた。
窓かけの布も取り払われ、月光がさしこんで部屋は明るかった。
驚くほどに何もない。寝台も長椅子も、調度の全てが取り払われて空っぽの部屋だった。
バンダイがこの部屋を空にした気持ちが分かる気がした。
もしも家具があったら、もしかしたらこの部屋に、妻が訪ねてきてくれるのではと、戻って来てくれるのではと、そう期待してしまうから……
だからそれは不可能なのだと、戻る場所がないから彼女は来ないのだと、そのために、この部屋を空にしてあるように感じた。
領主としての責任を投げうって、モーリヒルドに隠れているバンダイを心から軽蔑する。だが彼が長年味わった孤独を、自分もこれから嫌と言うほど知っていくのだ。
アツリュウは空っぽの部屋から見える、半分の月様をいつまでも眺めていた。
遠いモーリヒルドでも同じ月様の光が姫様を照らしていること想像しながら……




