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32.神官ヨンキント

 アツリュウ達はアピド『赤ん坊の心臓』に到着した。


 ヒルディルド国は胎児が右を向いた形をしている。

 各都市には、『赤ん坊の〇〇』という別名が付いている。


 赤ん坊の腹の位置にある首都モーリヒルドから、軍馬で4日の距離にあるアピドは、ヒルディルド国の中心に位置し『赤ん坊の心臓』と呼ばれる。

 創世神話の聖地がいくつもあるこの地は、多くの神殿が立ち並ぶ宗教都市だ。


 巡礼に来る人々、神殿に集まる神官や神学生達、それらの人々に物を売る商売人たち、一年を通して常に人々が交流する。交通の不便さがありながら、活気ある都市である。


 大貴族から貧しい庶民まで、さまざまな人が巡礼に訪れるのだ、宿は最高級から雑魚寝安宿まで選び放題である、アツリュウは、オルゴンに今日のお好みの宿はどこかと聞いた。


 この老人は軍人あがりで豪快。細かい事に気を使わないが、宿選びだけは気を遣う。質のいい宿の質のいい寝台に寝かせないと、やれ腰が痛いだの、朝のひげの手入れができないだの、我儘(わがまま)な人なのだ。アツリュウはオルゴンの世話を焼くたびにどっちが上官なのかと分からなくなる。

 

 アピドに着いてオルゴンがあっさり「あすこでいい」と指さしたのは、中の下くらいの安宿だった。

「あんな所でいいの?」

「俺が行きたいのはこっちだ」

 オルゴンが宿の通り向かいを指さすと、そこは大きな大衆酒場だった。「今夜は好きなだけ飲むから、宿は寝れれはどこでもいい」とのことだった。


 大衆酒場は、煙草と酒と、郷土料理だろうか独特の香辛料の匂いが入り混じり、大勢の客で賑わっていた。


 7人の男たちは大きな卓に場所を取ると、次々に注文をした。運ばれてくる酒、また酒。

 オルゴンは無類の酒好きで、5人の護衛と従者もそうらしい。アツリュウは酒に強くない、この中で最も若い男である彼は、年齢に相応しく、脂身があり味付けの濃い肉料理を黙々食べていた。


 他の6人に酒がかなり回り、陽気に騒ぎながらさらに酒量を増やしている。アツリュウが次は何を食べようかと思案していると「もし?」と声が降ってきた。


 声の主を見ると、とても背の高い男性神官がニコニコと無害そうな顔を向けて「今晩は」と挨拶してきた。長い髪を後ろで結って額を出すのは神官特有の髪型で、前髪が無いので明るい笑顔が良く見えた。


 年のころは30歳くらい、上等な神官服には見事な(くじら)刺繍(ししゅう)が見えた。立っているだけなのに品のある雰囲気。神官として上位にある者のようだ。

 顔に見覚えはなく初対面であることは間違いない、どうして挨拶されるのか分からず、軽く会釈を返した。


「私、人探しをしております。不躾(ぶしつけ)恐縮(きょうしゅく)ですが、もしやミタツルギ様でいらっしゃいますか?」

 ピッと警戒信号が頭のなかで灯った。

 すぐに返事を返さず黙っていると、オルゴンが気づいてあんた誰だいと声をかけた。


「私はシルバル神殿の神官をしておりました。ヤンヤナ・ヨンキントと申します」

 シルバル神殿とはアピドで最も権威(けんい)のある神殿だ。さらに彼の独特な姓名は、ヨウクウヒ家に連なる姓であることを連想させた。

 だらけていた一同は居住まいをただした。


「その、神官様が私共に声をかけてくださるとは、どのような……」オルゴンが問いかけると、彼の下がり気味の目じりが一層下がって、にっこりと笑う。神官として最高の雰囲気だ、人を攻撃する感じが微塵(みじん)もない「良い人」感に(あふ)れている。


 だからと言って、いきなりミタツルギの名を呼んでくるのは怪しい、何者だこいつは。

「私はエイヘッド領都のエイヘッド神殿で、新しく神官長になるものでございます。大変失礼な物言いであるとは承知しておりますが、あなた様がエイヘッド領主代行になられますミタツルギ様であることは承知のうえでお声をかけました」


「どうして我々がそうだと思われるのです」とオルゴンが問うと、ヨンキントと名乗った神官は酒場の戸口を指さした。

「あの者に教えていただきました」


 見ると、シュロム近衛兵らしき男が1人いた。シュロム近衛兵のアピドの拠点に昼間のうちに顔を出して挨拶していた。その時に顔を合わせた士官の1人のようだった。


「私は首都モーリヒルドの大神殿より、領主代行がエイヘッドに向かわれると知らせを受けました。実は海賊事件が起きた後、エイヘッド神殿では神官長を始め、多くの神官がモーリヒルドに戻ってしまったのでございます。いまエイヘッド神殿がどのような状況なのか、問い合わせても要領(ようりょう)を得ない状況なのでございます、それで……」


 ヨンキントはゆっくりとした口調で、穏やかな雰囲気を崩さまいまま話す、そして「あの話が長くなりますので座ってもよろしいでしょうか?」と微笑んだ。


 怪しさは消えないが、彼の『良い人感』に押し切られアツリュウはどうぞと示した。8人用の卓に一つ余っていた椅子を引いて、彼は自分の隣に座った。


「私はきっとこちらに寄られるのではないかと、シュロム近衛兵の本部兵舎で皆さまをお待ちしておりましたが、運悪く行き違ってしまいまして。それで、あちらの士官様にお手伝いいただき、このあたりの宿から食堂から探しまわっていたのでございます」

 ヨンキントが手を振って、戸口の士官に礼を送ると、士官は会釈して出て行った。


 (めん)が割れているなら隠しても仕方がないと考え、アツリュウ・ミタツルギだと挨拶をした。彼は目じりを下げて、嬉しそうに両手で握手してきた。


「私皆様とご一緒したいのです。エイヘッドまで同行させてもらえないでしょうか?」

 ヨンキントはアツリュウに是非とも!と迫った。背の高い彼は座っても頭の位置が高い。


 オルゴンがエイヘッドに向かうならば、エンバート経由で船で行くのが無難であること、我々は非常に交通の便の悪い、難所の『赤ん坊の首』を越えて陸路で行くことを説明した。


 それでもヨンキントは引き下がらない。

「私が同行させてもらいたい理由は3つございます。1つは安全です。今エイヘッドは領主のみならず、神官たちを始め、多くの貴族、大商家の者たちがエイヘッドを離れている、言い方をかえれば、多くの者が逃げ出していると聞き及んでおります。そのような場所に、私は領主代行より先んじて行きますのは身の安全の点で不安なのでございます」


 2つ目と言って彼は続けた。

「領主代行はご存じでしょうか? エイヘッド領都のエイヘッド神殿は他とは異なった特徴があるのです。あの神殿は、領主城の中にあるのでございます」


 皆知らないことだったので、7人ともそんな神殿があるのだと驚いた。


「ですので、神官長として着任しましたら、領主代行と頻繁(ひんぱん)にお会いすることになるかと……。ですので、同行させていただけば、交流を深める良い機会になると思いまして」


 穏やかな口調に笑顔を絶やさない、そしてあなたと仲良くなりたいんですという感じをかもしてくる。

「そして3つ目が最も私の希望なのですが」

7人はすっかりヨンキントの話に集中している。彼の無害な感じと『良い人』感が半端ない。


「私は知りたいのです。エイヘッドの領民の現状を。エイヘッド神殿の神官長とは、すなわちエイヘッド全ての神殿を統率する者です。そしてすべての神殿は、そこに暮らす全ての人々のためにあるのです。わたしは、知る義務がある。今エイヘッドで人々がどんな暮らしをしているのかを」


 皆の酔いが一気に醒めた。この男の言っていることは正論だ。人は正論を真面目に語られると居心地が悪くなるものである。特にこんな酒をガバガバ飲んでいるときにはなおさらだ。

 

 しばらく真面目な顔で、7人は黙りこくった。人格者なのだろうヨンキントという神官は、わざわざ山越えしてまでして付いて来るというのだから。彼の理想のために。


 ヨンキントもその雰囲気を察したのだろう、彼は話をやめると食事を注文し、そして酒も付けた。

 あ、神官なのに酒を飲むんだ……と皆思った。


 しばらく世間話をして過ごしたが、オルゴンが代行お返事をなさったらと促した。

「やはり、神官様を山越えに同行するのは心配です。兵士である我々に付いて来るのは難しいでしょう。安全面でご不安ならば、到着の時期を遅くされてはいかが?」

 無害そうな神官に見えるが、初対面の彼を信用して同行することは避けた方がよいだろう。アツリュウは迷いなく断わった。


「そうですか……分かりました。でもこうしてお会いできたことはとても幸運でした。今晩はこのまま同席してもよろしいですか?」


 あっさりと彼は引き下がったのでなんだか拍子抜けした。皆はなんだか申し訳ない感じを薄めるために彼に酒を勧めた。


 オルゴンは今晩は好きなだけ飲むと宣言した通り、皆とガンガン飲んで陽気にしている。酒を飲まないアツリュウは満腹になると暇になった。

「ミタツルギ殿は酒を飲まないのですか?」

 ヨンキントは白く濁った酒を飲みながら聞いて来た。


「アツリュウでいいですよ、私の兄が近衛兵団の士官なので、ミタツルギと言えば兄のことを指すのです。だから皆私を名で呼ぶ。あなたとはこれからよくお会いするだろうし、皆と同じように呼ばれた方が気楽です。酒はね……弱い方なんで」


 全く飲めないのですか?と問われ少しならと答えた。彼の飲んでいる酒は甘いから()めてみろと勧められ口にすると飲みやすかった。彼がそれなら1杯おごると言う。


「あいつらが5杯飲む間に、俺は1杯飲む」

「ふふふ、アツリュウ殿はお若く見える、おいくつですか?」


 19歳と答えると彼は31歳だと教えてくれた。

「実はね、この若さで領都の大神官になる者はいないんです。普通は50代でも若いといわれる役職なんです。すごいでしょ大出世なんですよ」

 でもね、と彼の口調は元気がなくなった。


「これって左遷(させん)ですかね…… 最果ての北の地エイヘッドは、領主も逃げ出したいわくの場所ですよ」

 左遷なのかはアツリュウには分かりかねた。酒をちびちび舐めた。


「私は実は、ヨウクウヒ王家に連なる家の出で、しかも(くじら)年の、鯨の日に生まれたんですよ」

「すごいですね、特別なうるう年のうるう日に生まれるなんて縁起が良い。それで鯨の刺繍の服なんですね」

 刺繍(ししゅう)を見せてヨンキントはそうなんです!と笑った。またでもね……と言って彼は続けた。


「王家と言っても、王位継承者が30人くらい死なないと私に回ってこないくらいの無害な家でして、そしてこのすばらしく縁起の良い私の出自(しゅつじ)がですね……都合いいみたいなんですよ」


 何に都合いいのかと問うと、神殿での勢力争いの緩衝材(かんしょうざい)として、彼は、適任者が見つからない時のとりあえずの人材として、いろんな役職にぽいっと突然任命されるのだと言う。


「私前職もめちゃくちゃ高位の上級神官してまして…… 何なんですかね…… 私は出世に興味が無いのに」

 出世に興味が無い……心にぐっと響く言葉だった。

「私もです」

「そうなんですか、そんな気がしてました。19歳で領主代行は若すぎます、いくらなんでも」

「わかってくれますか」

 ヨンキントは私たち同士ですねと、嬉しそうにうなづいた。


「私ね、思ったことを遠慮なくいう性格なんです。それで、神殿の長老たちとね……最近やってしまったんですよ」

「何をしたんです」


「とんでもなくお(えら)い神官様にね、それ経典の解釈間違ってますよって、言ってしましまして、そうしましたら、決まったんですよ、今回のエイヘッド行きが……やっぱり左遷ですかね……」


 左遷だなこれは、間違いなく。

 思ったことを遠慮なく言ってしまうという彼の言葉に、自分と似たものを感じて嬉しくなった。彼と仲良くやっていけそうだと思い酒をこくりと飲んだ。気分が良い。


「アツリュウ殿は恩赦の戦に出られた方でしょう? よくご無事でしたね」

「皆にそう言われます」


「お母様はたいそう心配されたでしょう?」

 母と言われて、はっとした。そういえば、今回の恩赦の戦は広く国中の民衆が知っている。当然母の耳にも入っただろう。そのことに考えが及んでいなかったと気づいた。

「あ、いや。母とは長く会っていないので……」


「そうですか、どこにいるかもご存じないのですか?」


「母の居場所は知っています。会っていないだけで、たぶん兄弟が3人いて」

 ヨンキントはええ?と驚いて、声を大きくした。


「あなた、居場所を知っているのに、お母さまに恩赦の戦の後、顔を見せていないのですか? そんな、どれだけお母様心配したか、元気な顔を見せてやってくださいよ」

 ヨンキントは勢いよく言ってきたが、アツリュウが何も返せずにいると、済みません……と彼は謝った。


「ご事情があるのですよね。すみませんね、思ったことを言ってしまうのですよ。ははは。神官として、人の欲を餌に殺し合いをさせるあの制度が好きではないので、つい、考えてしまったのです。あなたのご家族のお気持ちを」


 ヨンキントが大きな声を出したので、護衛の1人が会話に入ってきた。

「恩赦の戦の話をしているんですか? それにしても代行はすごかった。あの巨人を」

 彼は勢いよく立ち上がると、「一()しだ」とでかい声で(やり)を突く真似をした。かなり酔っぱらっている。


「みんな見てくれ、ここにいるのは俺の尊敬する(あるじ)様、巨人殺しだ!」

 でかい声で酔っ払いは叫んだ。

 周りの客の視線が一気に集り、頭を押さえた。勘弁(かんべん)してくれ。


 その後の混乱は、アツリュウを奈落(ならく)に落とした。人だかりができ、取り囲まれ、『巨人殺し』だ『純愛の剣士』だ俺にも見せろ、こんなに若いのか、握手してくれ、家に来てくれ、家の娘の婿になってくれ、なんだかんだと、ぐちゃぐちゃにされた。もう我慢ならないと思った時、朗々と響く声で「おやめなさい」とヨンキントが驚くほどの声量で言った。


 店中の者がヨンキントを見た。彼は神官であるのに、あろうことか(くつ)のまま(たく)の上に立った。

「皆さんは間違えている!」


 彼が、演説を始めるかのように、大きく片手を挙げて語りだした。あれほど騒がしかった店が静かになる。


「ここにいる方は『巨人殺し』ではない。彼が(たまわ)った剣名(つるぎな)は……『(はやぶさ)のアツリュウ』です!」

 

 頭の中で祝福の鐘が鳴り響いた。

 良い人、この人は良い人だ!


 ヨンキントに(うな)されて自分も卓の上に立った。

「みなさん、(はやぶさ)のアツリュです」

 彼に紹介され、皆から拍手された。ヨンキントが触ってはいけませんよと皆をたしなめたので、混乱は収まった。

 

 最高の気分。座り直しておごってもらった酒をごくごく飲んだ。何故か飲み干したと思った酒がもう一杯あって、それも飲んだ。


「アツリュウ殿、私も同行してよろしいですかね」

 卓に突っ伏して、半分寝ていた。ふわふわととにかくいい気分だった。横を向いて目を開けると、同じように卓に顔をつけた、ヨンキントの顔がすぐ目の前にあった。アツリュウは嬉しくなってニコニコと目を猫のように細めた。

「いいですよ、いいに決まってます。一緒にいきましょう!」



 翌朝、宿の前に旅支度を整えたヨンキントが笑顔で待っていた。

「アツリュウ殿のお許しを昨日頂戴(ちょうだい)しました。どうぞ皆様よろしくお願いします」


 オルゴンにわき腹を(ひじ)で突かれた。

「おまえ、この人に酒で落とされたのか、このお子ちゃまが!」

「いや、酒のせいじゃないくて、ヨンキント様は良い方だから……」


「本当に良い方は、あんな強い酒を子供に飲ませない」

「子供じゃない!」


「まあいい、お前が責任を持って神官様をお連れしろ」

 ヨンキントは爽やかに笑っている。良い人に見えるこの長身の神官は、ただの良い人ではないようだ。だが落とされてしまったのだから仕方がない。どうしても隼アツリュウと言ってくれた嬉しさに顔が笑ってしまう。残念ながら俺はまだ子供らしい。


 同行者を1人増やして『赤ん坊の首』と呼べれる山脈へ向け出発した。

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