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31.オルゴン

 セウヤ殿下は恐ろしいお人だ。アツリュウよ、何故こんな悪魔に捕えらてしまったのだ。


 長くミタツルギ家で家令を務めてきたオルゴンは、幼馴染であり、我が主であるギナーリュウの苦悩を思うと後悔の念に縛られる。


 なあギナーリュウ、俺たちは間違えたのだろうか?

 とてつもない間違いを犯して、もはや取り返しがつかないところまで来てしまったのか。


『アツリュウは内側から腐っていく、どんどん腐ってやがて死ぬ。そうさせたのはお前だろうギナーリュウ』

 セウヤ殿下は楽しそうに笑ってギナーリュウに毒を吐きかけた。


 アツリュウが『恩赦の戦』などという馬鹿げたことをすると知ったのは、戦まであと10日という日だった。ミタツルギ家は騒然として、アツリュウの父ギナーリュウは命に代えてもアツリュウを取り戻すと言って、離宮に駆けつけた。


 ギナーリュウはもともとミタツルギ家の3男だった男。当主になる予定はなく、彼は軍人の道を選んだ。シュロム近衛兵士となり、最終的には将の1人として軍を率いて『オポロングルド』を戦った。シュロム王ハリーヤが始めた『ハイシャン国』との勝ち目のない戦争。辛くも『オポロングルド』全土を失うかと思われたが、戦友の屍と引き換えに、オポロングルド領を半分取り返した。


 あの地獄の戦地を共に生き延び、帰還してみればギナーリュウは兄2人をはやり病で失っていた。

 それから2人で悪戦苦闘して、なんとかエンドバード領を治めてきた。


 あまりに忙しく、振り返れば確かにギナーリュウは息子を顧みれなかったかもしれない。

 どうしてシュスリュウはあんな事件を起こしたのか。


 エミーが赤ん坊のアツリュウを連れて、モーリヒルドのミタツルギ家の館を去った後、ギナーリュウは5年間、領地に張り付いてシュスリュウと向き合った。13歳の子供に手を出すなど許されない。だが貴族が使用人に子をなすことは、外聞が悪くとも特別珍しいことでもない。この事件だけをもってシュスリュウを次期当主から外す理由にはならなかった。


 本当に?

 なあギナーリュウ俺たちはどこから間違えたんだ。


 離宮でギナーリュウはセウヤ殿下に『恩赦の戦』を取りやめるよう迫った。

 戦争で将を務め、領主をしてきた60歳を過ぎた男を、たった17歳の少年はいともたやすく、手のひらで転がすように(もてあ)んだ。


「お前の息子が自ら出たいというから、私がわざわざ手はずを整えてやったんだ。私があれに命令したのではない」

 セウヤ殿下は17歳にしてはあどけない、可愛らしい顔で言った。

 ギナーリュウはそれならアツリュウに会わせてくれと、息子を連れ帰ると申し出た。


「へえ? お前にアツリュウを連れ帰ることができるのかな、だってアツリュウを恩赦の戦に出すのは、お前の希望だろう?」

「私が息子にそんなことを望むなど、あろうはずがございません。殿下何をおっしゃいますか」


「おかしいな、お前はアツリュウが自らを殺そうとするようにゆっくり育ててきたのだろう? いよいよ思い通りになって良かったではないか。楽しんで見物するといいお前の息子が自ら死ぬのを」


 後ろに控えてそれを聞いた時、全身に寒気が走った。私たちが目にしているこの少年はいったい何者なのか。ギナーリュウはしばらく何も言えなかった。


「いいだろう、お前がアツリュウを説得できるなら恩赦の戦を止めてもいい、だがな今回止めても同じことだ、あいつはまた自分を殺す。アツリュウは内側から腐っていく、どんどん腐ってやがて死ぬ。そうさせたのはお前だろうギナーリュウ」


 セウヤ殿下は知っているのだ、アツリュウの出生の秘密を。

「愚かな男だギナーリュウ。お前はシュスリュウを愛している。アツリュウが最も憎む相手を、アツリュウの目の前で可愛がっている。『なあアツリュウ、お前さえ我慢してくれれば、お前さえ黙って耐えてくれれば何もかもうまくいくんだ』そうやってあいつを育ててきたのだろう。思い通りに育ったじゃないか」


「アツリュウは本当に良い子だ」セウヤ殿下は、なあそうだろうギナーリュウと妖艶に微笑んだ。


「大好きな父親のために、アツリュウは母親を犯した男を憎いと言うことさえ許されない。代わりに自分を何度も殺す。堀に飛び込んで、今度は殺人鬼と殺し合って、可哀そうになあ、こんな狂ったお前とお前の息子に捕まって。おまえなにか勘違いをしているのではないか? わたしがアツリュウを苦しめていると思っているのか?笑わせるな、お前が元凶だろうが、お前のせいでアツリュウは死ぬんだ」


 悪魔だ。このセウヤという王子は、ギナーリュウを罪悪感で縛り付け、心臓を何度も刺して楽しんでいる。


 ギナーリュウが額を床に擦り付けて、どうかアツリュウに会わせてくれと懇願する。あのギナーリュウが、無様にひれ伏している。

「アツリュウを連れ戻したいなら、やることがあるだろう? アツリュウの目の前で、シュスリュウの首を切ってやれ、そうしたらようやくアツリュウは楽になれる。できないか、どうしてできないか教えてやろうか、お前もしょせん幼い子供を(もてあそ)んだシュスリュウと同じなのだ。楽しかっただろう?幼いアツリュウに愛を注いで、弄ぶのは」


 やめてくれと叫びたかった。これ以上聞いていたらギナーリュウが壊れてしまう。

「アツリュウは剣の鍛錬中だ、案内させる。いくらでも説得してみるといい。お前の言葉がアツリュウに届くとは到底思えんがな」


 鍛錬場について、俺とギナーリュウは息を飲んだ。

 これが鍛錬か? 殺し合いじゃないのか? 

 シュロム近衛兵団最強の男と名高いシンライガが、真剣でアツリュウの相手をしている。鬼気迫る二人の世界に、声をかけることは不可能だ。一瞬でも集中を途切れさせたらどちらかの体に剣が埋まるだろう。


 シンライガが手を止めた。アツリュウが息を上げながら、どうしてやめたのかと(いぶか)しむ。こぼれ落ちる汗を腕で拭うと、こちらに気づいた。


 ほんの3秒、アツリュウはギナーリュウに目を向けて、そして逸らした。

 それきりこちらを見ずに、シンライガとの打ち合いを再開した。


 あんな人形みたいなアツリュウの目を見たことが無い。

 結局、ギナーリュウはアツリュウと一言も交わせぬままに離宮を出た。

 

 アツリュウを育てたことが間違いだったのだろうか……


 エミーに抱えられてやってきた6歳のアツリュウ。あのあとエミーは何年も心を病んで、とても子育てできる状態ではなかった。繰り返し脱走するアツリュウを、あのとき手放すべきだったのか……


 では間違えたのはあの時か? どうしても納得しないアツリュウに真実を告げた時。たった15歳の子供にすべてを教えたのはこの俺だ。ああだが、事実を知る者があまりにも多すぎた、いずれあの子の耳に入るならと……


 『アツリュウは本当に良い子だ』悪魔のような王子の言葉。


 俺たちがアツリュウを愛したというよりも、俺たちがあの子に愛された。跳ね回っては皆をびっくりさせて笑わせる。あの子がどれほど愛おしかったか。館中のものが愛さずにはおれなかった。俺たちはアツリュウを手放すことができなかった。


 アツリュウは奇跡的に恩赦の戦を生き延びた。月女神に心から感謝した。

 アツリュウが命を懸けて求めた女性と婚約したと知らせを受けた時、ミタツルギ家の皆がどれほど喜んだか。ギナーリュウと私も、一筋の救いの光を見たと信じた。王女様がアツリュウの救いとなってくれるのだと。


 エイヘッド領主代行の任を受け、アツリュウは北へ向かう。


 ポートダブドの港から大型帆船にのり、エンドバードの港に着けば、そこから小型船に乗り換えて、目的地のエイヘッドへは6日で着く。


 それなのに、2週間もかけて陸路でエイヘッドに馬で向かうことをアツリュウは決めた。

 あの子は、エンドバード領に入りたくないのだ。ミタツルギ家が預かるエンドバード領。領主はシュスリュウ。アツリュウは、万が一にもシュスリュウに会いたくないのだろう。


 アツリュウの苦しみを、俺たちはどれだけ理解していただろうか。ギナーリュウ俺たちはできるだろうか、この子を暗闇から引っ張り上げることが。

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