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30.隼アツリュウ

 アツリュウは馬の背に揺られながら、ぼんやりとしていた。

 数日前に首都モーリヒルドを出発し、陸路でエイヘッドを目指している。


「姫様……」

『はい』と答えた彼女の声が、甘く耳朶(じだ)に残っている。初めて言葉を交わした。

 覗き込んだすみれ色。自分の額に残っている傷跡を見て、目を丸くした。まるで彼女が痛みを感じているかのように悲し気に銀色の睫毛(まつげ)が揺れて、白い指が伸びて……俺の額に……


 アツリュウはもう痛みのない額の傷に手をやった。

 彼女の目の前に立った瞬間、腕の中に包み込んでしまいたい衝動と戦った。


 久しぶりに見た彼女は痩せたように見えた。もしかしたら、あまり食べていないのかもしれない。

 恩赦の戦の後、離宮で療養していた時、医官が教えてくれた。


「王女様から、あなたの容態について繰り返し質問を受けるのです。あなたの意識が戻らなかった数日は、消えてしまいそうな程に弱っていた。あなたは回復に向かっていますが、反対に私は王女様の方が心配です、あれほどに痩せて……」


 自分を責めないで欲しい。人の為に自分を犠牲にしてきたあなたなのだから、これからはもっと自分を甘やかして欲しい。少女の時にできなかったことをたくさんして、笑って欲しい。お嬢さんにリボンを結んでいた時のように、楽しそうにしていて欲しい。あなた自身を幸せにするためにして欲しいことがたくさんある。


 あなたが幸せに微笑む姿を側で見ることができたなら……


 馬を進めるごとに、モーリヒルドから離れていく。あなたのいる場所から離れていく。

『もう私を求めないで』


 深いため息と共に目を閉じる。

 求める? あなたを? 俺が求めている?


 無意識に髪をかき混ぜる。頭をぐしゃぐしゃにかきむしる。

 姫様と何度も心の中で呼び続ける。


 認めるのが怖い、でも初めから嫌と言うほど分かっている。

 あの眼差しを、微笑みを、俺だけに向けて欲しいと。あなたを自分だけのものにしてしてしまいたいと。


 俺はあなたを求めている。

 でもそれは許されない。己がそれを絶対に許さない。


 婚約者という響きは、信じられない力を持っていた。

 その力は己の胸をこじ開けて、必死に埋めていたものを外へ出してしまう。


 けして手の届かない場所にいるはずのあなたなのに、目の前にしたら、俺はあなたの特別になったのだと。その喜びに思考が麻痺する。


 エイヘッドへ行かないでと、泣き出しそうなすみれの瞳。

 大好きなあなたの瞳。

 お願いだそんな顔をしないで。

 どこにも行かないよ、だから泣かないでと…… 手を伸ばして…… あなたを……


 また激しく頭をかき混ぜた。 

 遠くに行くんだ。姫様から離れて、もっと遠くへ


「おい、置いてくぞ」

 前方遠くからオルゴンの声がして、顔を上げた。いつの間にか馬は歩を止めていた。


 ぼんやりとして動かない自分を、馬を返してオルゴンが迎えに来た。

 彼はミタツルギ家の家令をしていた。今は隠居しているが、エンバード領で領地経営の補佐もして長い事父上の腹心だった人。今回エイヘッド行が決まった時、父が補佐官として彼を自分に付けてくれた。


「お前はそれを何回やったら気が済むんだ」

 頭をかきむしり過ぎて、じんじんと痛み出した。深いため息が出た。

「何回もやるって、何を?」


 彼は60歳を過ぎ老人と言っていい年代。出会った頃から頭に髪はない、立派な口ひげがある顔は、普通にしていても強面(こわもて)だ。昔兵士だったこともあり、馬を操る姿には老いを全く感じさせない。実際剣の手合わせでは60だとは信じられない鋭さを見せる、現役を思わせる元気な人だ。


 幼い頃から自分の世話を一番焼いてくれていた、だからお互い遠慮が全くない。

 部下になったはずなのに、彼は変わらず自分を子供扱いする。


「その死体みたいになって動かなくなるのをだ」 

 何を言われているのか身に覚えがない。不機嫌にはいはい行きますと言って、馬を動かそうとすると彼が真面目な顔になって止めた。


「そんなに嫌なら行かなければいい。近衛兵団を辞めたらどうだ」

「……たぶん俺はもう近衛兵団員ではない……エイヘッド領主代行になったから……」


「そうなのか? お前兵団を除隊(じょたい)したのか?」

「……どうだろう?よく分からない」


 オルゴは眉間にしわを寄せ、彼の髪のない頭に指を当てた。これは説教が始まる前の彼の仕草だ。


「よく分からないって、自分のことだろう。それからリエリー王女様と婚約者になったのだろう? ミタツルギ家から必要な書類は滞りなく完了したが、良かったのか?こんな何もしないで出発して」


「何もしないって、何かすることがあるんだろうか?」

「だって王女様の婚約だぞ、しかもお前が恩赦の戦で国民中を話題にして婚約したんだ。何かあるだろ披露目の宴とか何か」


 この人は何を話しているんだ。ぼんやりと見返してまたため息を吐いた。

「そういうんじゃないんだ…… それに、俺は婚約者なのかどうかもよく分からない」

「は?」

「婚約者をやめると言っていた……それに、そもそも俺は姫様に選ばれていない」


「は?え? おい何を言っているアツリュウ、王女様がお前を選んだから婚約者になったのではないのか?」

 アツリュウは首を振り、セウヤ殿下がそう決められただけだ……と呟くように返した。


 道の向こうで待っていた、5人の男たちが馬に乗って近づいてくる。


 彼らは、エイヘッドで自分の領地経営の補佐としても働いてくれる護衛兵士4人と、ミタツルギ家から来てくれた幼馴染の従者キボネである。近衛兵上級士官をしている兄エリュウが、弟のために人選した優秀で信頼のおける人たちだ。


 父上も兄エリュウも、自分のことをとても心配してくれている。

 エイヘッドの領主代行など、馬の世話と車椅子を押したことしかない19歳の自分に務まるはずもない。


 さらに、セウヤ殿下は一個小隊をこれから船で、エイヘッドに送って来る。エイヘッド特別隊として、自分が海賊捕縛のため指揮するのだ。


 小隊の指揮など、どうやってすればいいのか考えただけで荷が重く震えあがる。士官としての経験もあるオルゴンがいてくれることは本当に心強い。

 しかし、オルゴンは部下である前に、うるさい叔父さんにしばしば戻って小言を言いだすので、めんどくさい。


 おまえちょっと話を聞かせろとオルゴンが、道端の適当なところを見つけて、皆を馬から降ろした。


「婚約者じゃないって、お前それはどういうことだ。あれだけの目にあって、命までかけて王女様を手にいれたんだろう? それをなんだ、王女様は選ばないどころか、お前を捨てたのか?」


 オルゴンはとても怒っているようだ。普通にしていても(いか)つい顔は、怒るととてつもなく恐ろしい顔になる。

「捨てるって言い方はちょっと……違う気がするけど。でも、まあ、王女様はいずれ誰かと結婚を……」


「ふざけるな!」

 え? ちょっと何するんだ、と思った時にはアツリュウの体は土の上にねじ伏せられていた。他の護衛兵がオルゴンを引き離して、どうしたんですとなだめるが彼は怒りまくった。


「アツリュウ、お前はどうしてしまったんだ。堀に飛びだかこんだかと思えば、今度は恩赦の戦だ、ギナーリュウ様も奥様もどれほど苦しまれているか、だけどな、お前が王女様と婚約だと聞いて、やっと……」


 オルゴンの鬼のような顔が歪んだ、まさかと思ったが泣きそうだった、しかし彼は泣かずに猛獣のようにさらに怒って飛びついて胸倉(むなぐら)をつかんできた。


「それを王女様は誰かと結婚とはどういう了見だ、おまえ王女様を愛してるんだろうがあ!」

 顔を突き合わせて、団子(だんご)のように集まっていたごつい体格の7人の男たちはピタリと動きを止めた。


 その場にまったくそぐわない「愛しているんだろうがあ」というオルゴンの怒声が響き渡って、気まずい感じが男たちを取り巻いた。

 すごい台詞を吐いて、少し冷静になったのかオルゴンが静かになって手を離したのでやっと起き上がった。


 どう返事を返していいのかわからず、立ち尽くした。家族を心配させていることは頭では分かっている。自分勝手なことばかりしていることも。でもどうしようもないのだ。


「おまえはそれでいいのか? 婚約者ではなくなって、王女様が誰かと結婚しても」

 

「俺が恩赦の戦で願ったのは、初めからそういうことだ」


 その場にいる男たちは黙りこくった。従者のキボネがあの……とためらいがちに口を開いた。

「アツリュウ様と王女様は恋人同士なのでしょう?」

 え? と驚いて、違うと慌てて否定した。


「私は劇場で、もう10回は見ましたけど、大恋愛をしてそれで恩赦の戦を……」

 いや、それは劇だから。架空(かくう)の話だから。というかどんな話になっているんだ。


「おまえと王女様はどういう関係なのだ?」

 オルゴンにそう問われたとき、平手打ちされたような気分になった。


 どういう関係? 姫様と自分を繋ぐなにか特別な関係が今まであったか?

 ただ……見ていただけだ。


 シュロム宮廷護衛団に配属され、護衛官となったのに、他の団員がしている姫様の護衛さえ、自分は1度としてしたことが無い。


 何も無い。姫様と自分を繋ぐ特別な言葉を、何一つ見つけられない。

 初めから自分はただの1兵士でこれからも何もない、そしてそれを自分自身が望んでいる。


 自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、護衛達に不憫(ふびん)がれれていることは感じた。

 キボネが「大団円(だいだんえん)ではなく、悲劇だったのか……」とぽつりとこぼした。


「いやいや、エイヘッドもいい所ですよきっと、上手い食べ物があるかもしれない」

 護衛たちはあれこれと言って、自分を励ましだした。かなり(あわ)れまれている。


「そうです代行、北には美人も多いと聞きますからね、あなたは何といっても有名人だ。女たちが向こうから寄ってきますよ、俺は『巨人殺し』だと、ちょいと(ささや)いてやればいちころ……」


「……がう」

 いきなりのアツリュウの不機嫌な声に、わいわい言っていた護衛達が黙った。

「違う!おれは『巨人殺し』では無い」


 猛烈(もうれつ)な怒りが込み上げた。みんなで俺を憐れむのは勝手だが、これだけは間違えてもらっては困る。


(はやぶさ)アツリュウだ!」


 恩赦の戦の後、グイド王より剣名(つるぎな)を賜った。

 この国では、剣名を得ることは、剣士にとって夢であり最高の栄誉(えいよ)だ。


 戦で戦果(せんか)をあげたものに与えることが一般的だが、戦果のある大きな戦が長い事無いヒルディルドでは、剣名を王が授けることは久しく無かった。


 現在存命で剣名のある剣士は片手の指で余るほどしかいない。剣名のある剣士は『火竜』『銀狼』『白虎』など雄々しい獣を(かん)して『火竜の〇〇』などと呼ばれる。


 剣名のある剣士であれば、国の英雄のようなものだ。それがグイド王のはからいなのかは分からないが、王女の夫になるに足りる身分を、剣名というかたちで自分は手に入れた。


 『ハヤブサのアツリュウ』

 に(ほま)れ高くもなったはずだったが、恩赦の戦の傷がやっと()えて、あれから4カ月。

 まだ誰も彼をハヤブサと呼ばない。


 この体が嫌でたまらない、だがどうあがいてもこの体から逃げ出せない。

 それでもこの剣名は、自分の体を離れて、(ほま)れだけでできている。俺が初めてもらった輝く称号だ。


 隼アツリュウでいるならば、本当の自分を見ないでいられる気がする。


 いくぞ、と皆に声をかけた。

 俺は行くのだエイヘッドへ。そしてモーリヒルドへは戻らない。決めたではないか、前を向け、進むんだ。


今回から後半スタートです。

ここまで読んでくださった方々感謝しております!

北の地に飛ばされたアツリュウの話が続きますが、リエリーちゃんも出てきますので、お付き合いください。後半はシリアス減って、ほのぼの増しになります。



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