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28.雪に埋もれて

「お前をリエリーの婚約者にしておいた」


 アツリュウはセウヤの車椅子を押し、彼が好む離宮の庭園を進んでいる。車椅子が移動しやすいよう、離宮の至る所が改修され、前は来るのが難しかった、池の端に椅子を停めた。

 地に寝そべるように這わされた松の大木の枝が水面に映りこんでいる。


 春の訪れを微かに感じさせる3月『狼月』

 アツリュウは19歳、セウヤは18歳になった。


 恩赦の戦から4カ月、まだ完全に元通りではないが、車椅子を押す程度には体が回復した。

 もう少し療養をと、引き留める家族を笑顔で断り、セウヤの元に戻った。


「姫様が…… そう望まれたのですか?」 

 セウヤの話を聞くときは、車椅子の彼の視線の高さになるように膝を付く。

 裁きをうけるような気持ちで、彼の返事を待った。


 どう思う? と残酷にもセウヤはアツリュウに問うた。

 とても答えることはできない。

 

「リエリーはあれから一言も口をきかない」

 彼は顔を近づけて、哀れだなあと肩に手を置いてきた。


「あれはお前を選ばない、自ら望めば、いつでも手に入るというのに」

 裁きは降り、自分は彼女に選ばれなかったことを知った。強い落胆(らくたん)が一、雷のように体を貫いた直後に、深く安堵(あんど)した。


「お前の婚約は、ややこしいことになっている」

 セウヤが言うには、隠居したハリーヤは、エイヘッド家嫡男との婚姻の件を、まだ彼の名において取り下げていない。しかしながら、現在、実質シュロム王家を動かしているのはセウヤだ。


 セウヤの名で大神殿に婚約書を出した、この国の公文書はすべて神殿の了印がいるのだ。そして最高位の大神官である御柱に受理された。それで話は終わるはずなのだが、エイヘッド側が納得しない、それはリエリー姫の選択ではないと、王が宣言した恩赦の戦で姫が賜った約束が実行されていないと。


「私に何かを申せる立場でないと、エイヘッドの間抜けな嫡男は分かっておらぬ。自分の領地がもはや、グイドによって廃され国領地になるか、私に領主の頭を挿げ替えられるかの2択になっていることを。どちらに転んでも、ミヤビハラ家は消える運命だ。あの海賊騒ぎを解決できなければな」


 エイヘッドの海賊騒ぎ

 それは昨年の秋口に起きた、海賊襲撃(しゅうげき)事件だ。

 エイヘッドの領主バンダイ・ミヤビハラが海賊との戦闘で負傷し、現在首都のモーリヒルドのミヤビハラ館で療養している。


 領主自らが負傷するほどの襲撃を受けたのだ。エイヘッド領近海の治安が大いに危ぶまれた。

 しかし、領主負傷の後、海賊の襲撃はなく、シュロム王家により派遣された海兵がくだんの海賊を見つけることもなく。()に落ちる解決がないままになっている。


「あの館に引っ込んでいるバンダイだが、あのタヌキは、父にすり寄って、リエリーとの婚姻を取り付けた。なんとか己の家が廃されないよう必死だ。だが、いい判断でもある。王家の姫を(たまわ)ればさすがに、廃領はできない。父はすでに無謀(むぼう)な戦争でオポロングルド領を失っているからな、これ以上属領地を失って、後世に汚名を残すわけにはいかぬのだろう。だからグイドが軽々に手を出せないように、あの愚かな男はエイヘッドに、リエリーを送り込みたい」


 わたしは、エイヘッド領など、むしろ自ら手放したいがな。と笑いを含んでセウヤがつぶやくと、池の魚が飛び上がって水音をたてた。


「海賊話の以前に、すでにあの領地は終わっている。産業は廃れ、民は困窮(こんきゅう)している。さらに、それを隠すバンダイに重税を掛けられてエイヘッドは瀕死の状態だ。捨てるにはシュロムの名に傷が付き、拾うには金が掛かる。面倒な場所だ」


 アツリュウはセウヤの聞き役の人形よろしく静かに立っていた。政の話は、彼の関係するところではなかった。


「お前を、領主代行にしようと思うんだ」

 我ながらいい思い付きだ。とセウヤが子供のような無邪気な顔を向けた。このお方は顔立ちだけは、純真無垢(むく)な天子様だなといつも思う。

 彼が発した『リョウシュダイコウ』という謎の言葉の意味を思いめぐらすが見当もつかない。


「おまえをエイヘッドの領主代行にするから、行ってきて海賊騒ぎを収めてこい」

「……はい」

「おまえ、私の話を理解しているか?」

「……いえ、……してません」


「前から私は思っていたのだがな、お前は体の動きは誰よりも素早いが、頭の動きは驚くほど遅いな」

「申し訳ございません」

「珍しく、殊勝(しゅしょう)()びるから説明してやる。領主代行というのはだな、私がこれで終いだとお前に命を下すまで、エイヘッドの領主をしてこいということだ」


「嫌です」


「海賊騒ぎを収拾できたら、リエリーと結婚させる」

 護衛官として許されない行為であるが、立ち上がるとセウヤから離れて、彼に背を向けて立ち尽くした。

 


『姫との結婚』

 その言葉が耳に入っても、心(おど)ることは何もない。婚約者だろうと、結婚だろうと、姫と本当の夫婦になることは永遠にないのだ。己とて彼女に触れることを望んでいない。だが、セウヤに使えながら、姫を見ることはできる。

 

 ただ、その為だけに、セウヤが垂らす細い糸に取りすがって、引きずりまわされてきた。死ぬほどの血を流して。


 エイヘッドは、冬には極寒と呼ばれる最北の地。そんな遠方に行けば、もう姫を見ることは叶わない。


「しかたがない、この話は無かったことにする」


 とっさに振り返った。とても嫌な予感がした。不敵な彼の笑顔が恐ろしい。

「では、あの男にこの件は任せるとしよう。話は終いだ」

 セウヤは顎をわずかに動かして、帰るぞと合図した。


 車椅子の後ろに立ったが、動かずにいた。

 帰れない。このまま帰す訳にはいかない。


 この男は私の操り方法を熟知している。腹の底から悔しいが、首輪を付けられた犬は、ご主人様の気分でどうにでもなるのだ。


 私を煩わせるな、とセウヤが明らかに不機嫌になった。

「誰です、その男は」


「わからないのか? 本当に呆れるくらい頭の動きが悪い。しょうがないな、教えてやる。ロドリゲスだ、エイヘッドの嫡男であり、いまだリエリーの婚約者でもある間抜(まぬ)け男のことだ! あいつも、お前と自条件は同じだ、海賊騒ぎ収めたらリエリーと結婚させる」


 いいかげんにしろよ、セウヤの野郎、このまま池に落としてやろうか!


 王子殿下に非常に不遜(ふそん)な言葉を心の中で吐いた。本当に車椅子を動かさなかったのは、剣士の誉れを彼に叩きこんだ父ギナーリュウの功績だろう、アツリュウは車椅子の持ち手を握り締めて耐えた。

 

「どうして、そんなでたらめな話になるんです」


「筋は通っている。エイヘッドの問題を解決するのは本来ロドリゲスの仕事だ。そして、あちらの言い分も無下にはできない。なぜならお前はリエリーが直接選んだ結婚相手ではないからだ。ロドリゲスにだってリエリーとの結婚に可能性がないわけじゃない。リエリーが選んだ男と結婚できるようにしたのは、おまえ自身だろう」


 そんなこと、姫様は望んだりしない……と思わずつぶやき、はっと口をつぐんだ。

「へえ? 随分(ずいぶん)な自信だな色男、こっちに来て顔を見せろ」


 セウヤが目の前で膝をつくよう命じると(あご)(つか)んで上を向かせてくる。


「お前知ってるか? 恩赦の戦の後、都でお前の人気は鰻登(うなぎのぼり)りだ。王女のために命を懸けて戦う、剣士様の恋物語で大衆劇場は連日満員だ。聞いた話によると、舞台では終盤(しゅうばん)、剣士がめでたく王女と結ばれて、抱きしめあって口づけするそうだ。そんなこと現実では永遠に起きるはずもないのになあ。だってお前の望みはあれを見ることだけだ。そうだろう? ロドリゲスとは違って」


 あいつはもう、ずいぶんとリエリーに触れていたそうだぞ、と言い捨てて顎をちぎるように放った。

 頬に爪が引っ(ひっか)く痛みが浅く走ったが、そんなことは意識に登りもしなかった。


「あの間抜けがリエリーを訪ねた時、帝国式の挨拶をしたらしい。甲に口づけて、随分(ずいぶん)ベタベタやったらしいぞ。帝国では触れる真似が礼儀らしいがな。まねごとの帝国式の挨拶で直接肌を触れられて、リエリーもさぞ不快だったろう」


 黙りこくって動かない自分に、おまえは護衛官のなのだから、感情を表に出さない訓練をもう少ししたらどうなんだ。と頬をペシリと叩かれた。


「そんなに怒るな」

「怒っていません。気分が悪いだけです」


 立ち上がると、セウヤの許可も取らずに、車椅子を動かして、池を背に小路を戻る。


「ロドリゲスとお前は同じ条件でエイヘッドに行かせる。まあ、心配するなあの間抜けは何もできない。問題は海賊の方だ。領主バンダイの傷はとっくに()えているのに、いまだ療養が必要だと、館に(こも)って出てこない。廃領(はいりょう)が怖いくせに、領地に帰らない。あれは何かに(おび)えている。エイヘッドのタヌキが何を隠しているのか、私にもわからん」


 恩赦の戦の後から、1度も姫様の姿を見せてもらっていない。

 どうしているだろうか? ちゃんと食べているだろうか? 泣いていないだろうか?


 しだいに車椅子の速度を落とし、やがて静止した。

 ゆっくりとセウヤの前に立つと、ミタツルギで叩き込まれた完璧な所作で礼の姿をとった。跪き、頭を垂れる。


「私アツリュウ・ミタツルギは、エイヘッド領主代行の任を謹んで拝命いたします。断碑(だんぴ)の覚悟で海賊を拿捕(だほ)いたし、殿下の前に引き連れて参ります」

「いい子だ私の犬。面をあげろ」


「海賊を収束させたら、代行を外して、お前を領主とする。お前は恐ろしいという言葉では足りないほどに、強運だな。この短期間にどこまで出世する」

 砂粒ほどもそれを望んでいないことは知っているがなとセウヤは残酷な顔で笑った。


「私は約束を守る。領主となった暁にはお前はリエリーの夫だ。それがどういう意味か、お前はもう分かっているだろう? お前はエイヘッドに留まり、リエリーはこの離宮から出さない。そうなれば、お前はなにも心配することはない。リエリーは他の男の物には永遠にならない。嬉しいだろう?」


「ロドリゲスが成功したら?」

 セウヤは声をたてて笑った。


「想定するまでもない、あの間抜けにはなにも解決できない。だが万に一つあれが何かを成しても、リエリーが離宮を離れないのは変わらない。あれはお前よりもずっと(ぎょ)しやすい。お前が犬ならあれはカエルだ」

 心配するだけ無駄だとセウヤは馬鹿にしたように言い捨てた。

 

「アツリュウ間違えるな。お前の敵は、バンダイ以外誰も見たことがない、姿の見えない海賊だ」

 黙ったまま、彼女を想う気持ちのままにセウヤを見詰めた。


 セウヤは息を一つ吐き、観念したように頷いた。

「いいぞ、許す。だが1度だけだ。素直に言うことを聞いたご褒美だ。今回は特別に言葉を交わしてもいい。そしてこれはお前と私の永遠の約束だ。リエリーに触れることは許さない、そのときはお前を殺す。絶対にお前を殺す」


 乾いた笑いが出た。

 そんなことを約束させなくてもいいことを、殿下は知っているだろう?

 それを許さないのは私自身なのに。


 冬はようやく終わり、春の気配を感じさせる。一面の枯野だが、春一番を競って葵色の小さな花がまばらに地表を飾る。


 いっそあの人の瞳を見ずに、去った方がいいのかもしれない。

 それでも、覗き込みたいのだあの瞳を。

 月神の眼差しのように、柔らかく降り注ぐすみれ色。

 己惚れていると罵られてもいい。

 でも、知っている。

 彼女の瞳が俺に告げる。

 あなたを慕っていると。

 あなたを想っていると。

 波の無い、()いだ海の温かい水の中に沈むように。

 あなたが俺に安らぎをくれるのだ。


 いつか、あなたが勇気を出して、私の贈り物の(ふた)を開け、生涯の伴侶(はんりょ)を選んでくらたならば、その時は

北の地の雪に埋もれて眠ってしまおう。


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