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27.一人前の男

 王都モーリヒルドは晩秋から冬へと季節を移した。

 恩赦の戦で大怪我を負ったアツリュウは、冬の間、王都のミタツルギ邸宅で過ごした。移ってすぐの頃、まだまだ、安静にしていなければならない体を起こそうとする彼を、家族は何度もたしなめた。しかしアツリュウが全く言うことを聞かないので、とうとう彼は寝台に固定されてしまった。


 寝台に固定された状態で、上から降ってくるお叱りの言葉を彼は浴びた。父は恩赦の戦をしたことを、怒り、嘆き、そして生きのびたことを彼の胸に額を押し付けて感謝していた。もしかしたら泣いていたのかもしれなかった。


 奥方と姉は彼の顔を見た瞬間に号泣し、馬鹿者となじり続けた。

 兄は何も叱らず彼の頭を撫でて、セウヤ殿下は心が無いのか……と悲し気につぶやいた。


 彼を小さい時から知っている古参の使用人たちも、隙を見つけて次々と彼の様子を見に来た、丁寧な言葉ではあるが、もう無茶をしてはいけませんと、だれもが彼を叱った。ここでは自分はいつまでも小さな坊やなのだ。


                 ◇◇◇   ◇◇◇ 


 母が魔法を使ったあの晩からアツリュウは高熱を出して、何日もうなされて眠った。意識が戻ってみると、母の姿は屋敷になかった。


 知らない貴族に囲まれて、一番怖そうな男が「私がお前の父親だ」と言った。

 その言葉をアツリュウは疑わなかった。彼は、自分と目玉の色がそっくりだった。


 アツリュウは6歳でミタツルギ家の5男になった。4人の兄と1人の姉ができたが皆成人した大人だった。嫡男と次男は、領地の仕事を任されて、エンドバード領におり、3男は帝国留学中、姉は嫁いで家を出ていた。


 王都モーリヒルドの邸宅には当主ギナーリュウ、奥方、4男のエリュウがいた。

 アツリュウは当主が外でつくった妾の子で、母親の素性は公にされなかった。

 ギナーリュウはアツリュウをミタツルギ家の子息として他の息子と変わりなく育てた。


 アツリュウは(はた)からみれば、このうえなく恵まれた幸運な子供のはずだった。

 けれど、彼はミタツルギの息子になってから、脱走し、疲れ果てて戻ってくるの繰り返しだった。


 執事のオルゴンがいつもの場所にアツリュウを迎えに来る、気まずくて屋敷に入れずうずくまっている路地裏があった。


 泣き顔を見せるのが絶対に嫌で、顔をうずめていると「母さんは見つからなかったか?」とオルゴンが聞く。アツリュウは頷いて、そして彼と一緒屋敷に戻った。


 脱走は何カ月も続き、彼ははとうとう母を自分で見つけることが無理なのだと悟った。


 アツリュウが脱走をしなくなると、父はアツリュウに約束をしてくれた。

 『お前が一人前の男になったら、母親に会わせてやろう』


 一人前の男とは何なのか?


 少年アツリュウには、それは父のような男のことだと思われた。


 父は当時54歳。彼くらいの少年からすれば、お爺さんに近い年齢ではあったが、アツリュウにとってはこの世に存在する男の中で、最も強く、(まぶ)しいほどに恰好良(かっこうい)い、尊敬してもし尽せないような存在となった。


 アツリュウは一人前の男になるために、そして母を迎えに行くために、剣技、勉学、貴族の振る舞い、その他必要だと言われたことに、なんでも素直に励んだ。


 本人は大真面目だったが、だが何故か、周りにはそうは見えなかったらしい。

 「ああ、坊ちゃんがまた!」と使用人に叫ばれるのはしょっちゅうで「だから窓から出入りしないと何度言ったらわかるんだ」とオルゴンは飽きずに言ってきた。


 庭師を手伝おうと、木の枝の剪定(せんてい)をしていたら奥方の悲鳴があまりにも大きくて、うっかり落ちそうになったことも。エリュウ兄に、人間があんなに高いところにいるのを初めて見たと驚かれた。


 家族の晩餐(ばんさん)の後、使用人達の夕飯を一緒に食べようと、厨房に行き皆と一緒に食を囲んだ。オルゴンに見つかって持ち上げらて運ばれた。奥方から「まあ、アツリュウ、夕食は2回食べてはいけないのよ」と、ちょっとだけ怖い顔で言われたが、叱るところがずれていると、今度は奥方が父上に叱られた。


 奥方は、いつでもたっぷりお菓子をくれるので、甘やかしすぎだとよく父上に小言をもらっていた、だからいつも見つからないように、奥方と二人でこっそり食べた。


 エリュウ兄はシュロム近衛兵士官で忙しく、ほとんど館にいなかったが、休みには必ず帰って来て、外にもよく連れ出して遊んでくれた。勉学と行儀の練習は苦手な彼を兄は優しく助けてくれた。


 姉が実家を、時々訪ねてくるのが楽しみだった。年の近い甥や姪が一緒に来るので、せがむ彼らの前で、とっておきの回転技や跳び降り技を披露(ひろう)してやった。「アツリュウすごいすごい!」と絶賛されるのが最高の気分だった。


 アツリュウは、勉学や行儀はからきしだったが、体を俊敏(しゅんびん)に動かすことについては天才的だとみなを驚かせた。剣技において、12歳でエリュウ兄から1本取り、14歳ではたいていの大人は彼の相手にならなかった。


 剣技が上達すると、単純な彼は子供らしく有頂天(うちょうてん)にすぐなるのだが、その鼻っ柱を折るのが執事のオルゴンだ。

 アツリュウにとって、父は憧れの近寄りがたい存在で、オルゴンは口うるさい気安い叔父さんのような相手だった。父にもオルゴンもアツリュウは剣技で勝てず、一人前の男になるのは、そう簡単にはいかなかった。


 父が大好きだった。


 琥珀の瞳に黒い縁取りがあるのは、ミタツルギの家系に出る特徴で、狼の目だと教えてもらった。

 父と同じ狼の瞳は、彼の誇らしい宝。父と自分を繋ぐ、ゆるぎない証拠だった。


 父は質実剛健、自分にも他人にも厳しいが、誰にでも公正だった。貴族だろうが、平民だろうが身分で差別しない。心の中で貴族になり切れないアツリュウにとって、父の厳しくも誠実な優しさが、彼を安心で包んでいた。


 母に会えない寂しさは常にあったが、彼は確かに皆から愛されて幸せだった。


 世界がひっくり返ったのは15歳。

 『狼の目』の男が現れて、私が本当の父親だとアツリュウに告げた。

 

 王都に来ることを父から禁じられているあの男はすぐに去ったが、アツリュウの心は毒蛇に噛まれた。

 何故今まで気づかなかったのだろう。


 これほどまでに真面目な父が、どうして平民の娘と外で子供をつくるのだ。

 どうして奥方は、アツリュウを実の子のように可愛がるのだ。


 アツリュウは耐えきれずにオルゴンに問いただした。

 自分の本当の父は長兄のシュスリュウなのかと?


 オルゴンは答えなかった。

 しかし、毒が回って、アツリュウの心はどんどんしぼんでいくようだった。

 何日か後、彼はアツリュウに告げた。

「シュスリュウはお前の母を妊娠させた。だがなアツリュウ、何があろうと、お前の父上はギナーリュウ様だ」


 15歳の男子には、そんな子供だましの、取り繕った言葉で、納得できるはずもなかった

 すべてを聞くまでアツリュウは譲らなかった。


 アツリュウの母エミーは、エンドバード領のとある貴族の屋敷で行儀見習いをしていた少女だ。たまたま領都に来ていたミタツルギ家嫡男シュスリュウは、つるんで遊んでいた友人の館で少女を見つける。館の者が、かなり大きくなったエミーの腹に気づいたのは、彼女がシュスリュウの玩具にされてから数カ月が経った後だった。


 領主ギナーリュウの知るところとなり、シュスリュウはすぐに王都モーリヒルドに返されるはずだったが、彼の少女への異常な執着に、シュスリュウは首都に戻ることを禁じられた。代わりにエミーが首都に連れて来れれ、ミタツルギの邸宅で出産した。難儀な出産で、エミーは男子を出産後、生死をさまよった。

 何日も名がないのは不憫(ふびん)だと、ギナーリュウが自らアツリュウと名付けた。エミーはしばらく療養の後、赤子を連れて出て行った。ギナーリュウが息子として大切に育てるからおいていかないかと勧めたが、エミーは断固として応じなかった。


 それから後はアツリュウも良く覚えている。ミタツルギ家が取り計らって、母は首都の外れの、貴族の屋敷で、住み込みで働いた。金銭的には豊かではなかったけれど、母とアツリュウは陽気に穏やかに二人で生きる、ごく普通の母と息子だった。


 ある日、「あいつに見つかった、あいつが来る」と恐怖に我を失い、良くしてくれている屋敷の人びとに助けを求めることさえ思いつかぬほど錯乱(さくらん)して、母はアツリュウを抱えて屋敷を飛び出した。働き口を探したが、着の身着のまま、素性も知れない子ずれの女を雇うところなど、あるはずもない。あっという間に路上で困窮(こんきゅう)した。


 あの時の母が何に恐怖したのかを、アツリュウは15歳でようやく理解した。


「母は何歳で俺を生んだの?」

 お前は母の歳を知らぬのか。


 オルゴンは驚き、アツリュウが見たことがない顔をした。

 彼が(あわ)れみの目をアツリュウに向けたのはその1度切り、でもアツリュウは心の底から理解した。

 己が可哀想にと哀れまれる存在だと。

 

 知らぬ方が良かったのかもしれない、しかしオルゴンは15歳の少年に、彼が自ら知りたいと求めた真実を告げた。


「エミーは13歳で妊娠し、14歳でお前を生んだ」


 シュスリュウという蛇に噛まれた毒は全身に回り、遂にはアツリュウの体をも(むしば)んだ。

 彼は無意識に、血を流すほど体をかきむしるようになった。

 物を言わず、一点を見詰めて動かない日が続いた。


 シュスリュウは今もなおミタツルギ家の嫡男で、次期領主になる男。

 自分は一人ではしゃいでいたのだ。一人前の男になるのだと。父上のような男になるのだと。

 家族も、館にいる使用人たちも、自分以外の全員が、本当のことを知っていたのに。


 ねえ父上、どうして母さんを傷つけたその男を罰しないの?

 どうして皆、僕の母さんを傷つけた男をずっと黙って守っているの?


 すべてを憎んで家を飛び出したかったが、アツリュウはあまりに愛され過ぎた。家族にも、使用人にも大切にされて、そして、父上のことがあまりに大好きで、憎しみも悲しみも行き場を求めて彼の体の中を蛇のようにのたくり回った。


 ある日の剣術の稽古で事件が起きた。

 アツリュウは前触れもなく、激しく打ち合っている最中に、唐突(とうとつ)に棒立ちになった。

 相手の腕が良かったので、致命傷を受ける寸でのところで事なきを得たが、アツリュウは初めて父の本気の怒り声を聞いた。


 剣士としての心得はどうしたかと説教を受ける中で、ぽつりと返した。

「打たれると、ああ良かった……と、思うんです」


 翌日オルゴンに外に連れだされた。彼は木々の陰から、一軒の家を指さして、アツリュウに見ろと促した。


 母がいた。


 遠目でも母だとすぐに分かった。5歳ぐらいだろうか、幼い男の子が家の前で遊んでいて、母の足元にはもっと小さい女の子がいた。そして、母のお腹は大きくで、もうすぐ赤ちゃんが生まれるのだなと分かった。

 どれくらい眺めていたのか、男が家の中から出てきて、母に何か話しかける。二人は嬉しそうに微笑みあった。


 そうか。

 母さんは大丈夫なんだ。

 僕がいなくても。


 長く背負ってきた重いものが、軽くなるのが分かった。安心した。良かったと素直に感じた。

 消えた重いものと一緒に、自分も消えてしまったような気もした。

 嬉しいとか、悲しいとか、そういう気持ちにもうならなくてもいいんんだ。


「会いに行くか?」

 会いにいってもいいのではないかと思った。だってもう、一人前になって迎えに行かなくても、僕がいなくても大丈夫なんだから、だから、気楽に顔を見せて、やあ母さんって…… 


 『狼の目』

 あいつが来ると恐怖に取り乱した母の顔が(よみが)った。


「会わない」

 いいのか?と聞くオルゴンを見ずに、家に背を向けてもと来た道を歩き出した。

「まだ、一人前の男になってないから会えないよ」

 思ってもいないことを言うと、人は笑ってしまうことを知った。


 自分はもう、一人前の男には永遠になれないんだから。

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