25.走らせる
残酷描写、暴力描写があります。
セウヤは父を下がらせておいた部屋に、車椅子をシンライガに押させて入った。
長い時間がたっているにも関わらず。彼はまだ、両腕を護衛官達に抱えられており、乱れた髪が、彼が暴れ続けていたことを告げていた。
ハリーヤはセウヤを見ると、口汚く罵り続けた。
「こんなことをして許されると思うなよ。カリノヤを手なずけたくらいで、シュロムを取った気になっているようだがなあ、動けないおまえなぞ、すぐに。おい、リョクリン、リョクリンはどこだ?」
彼は叫びすぎて、ひび割れひどい声だったが、彼の望みのリョクリンが赤子の第三王子を侍従に抱かせて入ってきた。ゆっくりと歩みセウヤの隣に立つ彼を見て、ハリーヤが目を剥いて雄たけびをあげた。
「まさか! おまえ、裏切るのか? リョクリンこの私を裏切るのか? 」
「リョクリンはね父上を裏切ったりしませんよ、だって、始めからあなたに忠誠を誓ってなどいないんだから」
セウヤは手招きして、リョクリンを車いすの横に跪かせた。
「ありがとうカゲ、きっとお祖父様も喜んでいるよ」
可愛らしい微笑みをつくって、カゲを覗き込む。
セウヤが手の甲をリョクリンに差し出してやると、彼は手を握り唇を当てた。
「リョクリンははね、お祖父様に忠誠を誓ってる、今までも、これからも。父上のことは眼中にないんです。知っていましたか? 」
笑いがこみ上げてきて、我慢できずクスクスわらうと、父の顔が憎悪に歪む、ああこれだ、これを見たかった。
「ねえ、その子をもっと近くで見せて」と侍従の抱く赤子を間近に寄せる。
「本当に、父親によく似ていますね。赤子は生まれたばかりは、その父親にわざと似た顔で生まれてくるらしいですよ」
父は興奮しすぎて、息も絶え絶えになり、両腕を抱えれてやっとの体で立っている。髪も服も乱れて、汗が滴り落ち、唇を噛み過ぎて、口から血が垂れている。だが足りない、もっと、もっと苦しんだらいい。
「母が赤子を世話すると、雄である父親は、自分の愛しい雌を赤子に取られてしまったと錯覚する。だから、怒った雄に殺されないように、赤子はわざわざ父親に似た顔で生まれてくる。身を守っているんです」
赤子は良く眠っている。その頬をセウヤは優しく触った。
「父親の私によく似ている」
ハリーヤが息をのむのが分かった。
わざとらしく赤子を愛おしく見つめた。
「父上が新しい息子を欲しがる気持ちは良く理解できます。兄上も、私も、反抗してばかりだ。あなたの言うとおりにだけする息子が欲しいですよね。でも、父上もお歳ですから、何人女を囲っても、なかなか成果は出なかったでしょう。大変なご努力で、領地の仕事もほったらかしで励むくらいに、それはそれは、ご尽力なさっていた。私はよく存じております」
セウヤはゆっくりと顔を上げた。
「ですからね、私も息子として、そんな父をお手伝いして差し上げようと」
ハリーヤがワナワナと怒りに震えながら声を絞り出す。ミランを寝取ったのか? 赤子の母のなをハリーヤは叫んだ。
「寝取るなんて、私はこんな動けない身ですから、彼女がね私のために協力してくれないと、できないことでしょ、ふふ、父上の方が知っているではないですか、彼女はとても積極的で…… 」
ハリーヤの喚き声でセウヤの声は消えた。代わりにセウヤの笑い声が部屋に響いた。
聞くに堪えない動物のような声で父は喚き散らした、許さん、殺してやると何度も繰り返すが、もはや暴れる力は残っておらず、時折白目になって、意識が途切れ途切れになっている。
車椅子を押して彼の目の前に、そして、最初で最後の質問を父にした。
「どうして、兄上を殺した」
白目になった父に、怒鳴りつけると、彼の意識が返ってきた。
「あいつが、グイドと笑っていた」
父がギリギリと唇を噛んで、その目に生気が憤怒とともに戻ってきた。
「3王家の制度を辞める時だと、ビャクオムと力を合わせて国を守る時だと、だからあいつはビャクオムの下に、グイドの側に行くと言いおった。許せん、許せん、絶対にそんなことは許せん」
「だから、殺した? 兄上を? あなたの息子を? 」
「初めは殺すつもりはなかった、だがな、宮殿の舞台で隠れ見たんだよ。舞の練習と称してグイドとリュウヤが二人きりでいるところを。まるで兄弟かのようにじゃれ合って笑っていた。そして、あいつらは、くだらないと言った」
ハリーヤは許せんと繰り返し喚いた。
「ビャクオムもシュロムもくだらない、一番くだらないのは月の色なんかを信じている奴らだと、リュウヤはそう言って笑った。王家を馬鹿にし、あろうことが月の神託さえも馬鹿にした」
ハリーヤは首を振り、汗が飛び散る。
「リュウヤはもう駄目になった。グイドに洗脳されている。この国で最も大切な王家も月の神託も侮辱するような人間を、次期シュロム王にすることは許されない」
何もかも、あいつが悪いあいつが悪い……ハリーヤはセウヤを睨みつけて怒鳴った。
「だから殺すしかなかった。出来損ないの息子を殺すのは王の務めだ」
あの晩、リュウヤ兄上は不思議な顔をして、落ちていった。己が身に何が起きたのかも分からぬままに…… あの瞬間が繰り返し脳裏に蘇る。
こんな愚かな男に、兄上の何が理解できたというのだ。
「おまえも、あの時、暴れ馬の下敷きにでもなって死んでいてくれればなあ」
ハリーヤは、お前もリュウヤも出来損ないと繰り返した。
父の太った体が力を失いだらんと垂れた、護衛に抱えられてぶらさがっている。正気を失いかけて、へっへっと笑うように息を吐いている。
「シンライガ連れていけ」
セウヤが呼ぶとシンライガはセウヤを車椅子から抱き上げ、左腕に乗せた。動き出す彼から落ちないように首につかまった。
背が高く体格の良いシンライガにこうされると自分がまるで幼子になったようだと思う。
リュウヤ兄上とは6歳年が離れていたので、兄はいつでもずっと大人だった。シンライガを間近に感じて、これがリュウヤ兄上だったらという思いが込み上げ抱きついた。
離宮の回廊を進み、石の階段を登って離宮の屋上にある舞の舞台に来た。
夜闇の中、月は無く篝火もない。手持ちの僅かな灯りの中、ハリーヤが舞台の中央に運ばれた。彼は失神している。
「カゲ、それではやってみせろ」
指示すると、リョクリンはうやうやしく、指輪を掲げて彼に見せた。
これがゆずり葉の指輪
カゲが、舞台の中央で倒れているハリーヤに近づき手を触れた。
ハリーヤがびくびくを体を動かし、衛兵に体を起こされると、おかしな奇声を発しながら走り出した。
走りながら意識が戻ると、助けてくれと叫びまくった。
舞台の端には腰ほどの壁があり、ぶつかってはまた違う方向に走っていく、よろめき歩き、また走る。
うすぼんやりとしか見えない暗闇の中で、父が無様に走る様子を静かに眺めていた。
「シンライガ」
「なんでしょう殿下」
「私はもっと、笑えると思ったんだ。こうやってあいつを走らせたら……だが何も感じない……」
さすがに重くなったのか、シンライガがセウヤを反対の腕に抱き替えた。間近に彼の漆黒の瞳を覗き込んだ。
「お前、あいつを殺したいか?」
シンライガはしばらく黙ったままだったが、低く「はい」と答えた。
「あいつは殺さない、もっともっと苦しめる。私がシュロムを壊していくのを、生きながら見るがいい」
帰るぞとつぶやくと、シンライガは何も言わず、セウヤを抱えて階段を降りた。
◇◇◇ ◇◇◇
父を部屋に閉じ込めておくよう指示し、自室に向かった。
血が登っていた頭が、すっと冷えて、まるで何事もなかった日常に戻った。
回廊を進む、車椅子の車輪の擦れる音と、付き従う衛兵の足音だけが響く。
兄上は馬鹿だ。
あんな、どうでもいい父に、真正面から理想を語るなど、どうしようもない馬鹿者だ。
どうして… 己はもっと早く、兄を助けなかったのか。
こんなにも脆く、簡単に父は壊れるのに。兄が望めば、すぐに父を捨ててやったのに。
あのころ学院に籠って、数学理論のことだけを考えていた。
そうすることが、兄を助けることだと信じたからだ。
無用な争いの種になりたくなかった。自分が兄と敵対するような存在にされたくなかった。
偶然聞いたことがある。
神童と呼ばれるセウヤを、排斥したほうがよいと、兄が進言されているのを。
「いずれあなたの害になりましょう、幼いうちに」と言いよる兄の取り巻き。
「セウヤが王になれるなら、わたしはその方が相応しいと思う」と兄は笑って即答した。
「あれは聡い、あの頭脳を国のために役立てて欲しい、私は、ぜひその補佐役になりいたいね」
兄上は私を分かっていないのだ。
私は、兄上がいないと何も分からない、愚かな子供でしかないのに。
学院にいれば、離れたところにいれば、兄上を守れると、あの時はそれが最善だと……
私はこれから、どこにいけばいいのだろう……
まるで空気になったようだった。存在しているのに、誰からも見えず、気づいてもらえない。
アツリュウが療養している部屋に向かった。
部屋に入ると、シンライガを下がらせた。一人車椅子を押して、寝台の隣に進めた。
小さな灯りの薄闇の中で彼が眠っている。額に包帯を巻かれ片目は隠れている、頬も顎もはれ上がっているが、寝息は苦しそうではなかった。繰り返す彼の寝息を聞きながら、彼の顔を眺めていた。
どれくらい時がたったのだろう、思いがけず、アツリュウの瞼が動いた。
彼が目を開いた。
アツリュウと声をかけると、ぼんやりとした彼の視線がセウヤを捉えた。
彼は頭を強く打っているので、安静が必要だと、覚醒を下げる薬を飲んでいる。その薬のせいか、アツリュウは全く緊張感の抜けた、子供のような気安さで「セウヤ」と小さく彼の名を呼んだ。
「何だ? 」
「姫…… 姫様は?」
ぼんやりとした彼の意識がもっとぼんやりとして、ふっと途切れ、また眠りに落ちていった。
眺めていると、また彼が目を開けて、やはりぼんやりと見てくる。
「姫様は?」
小さな笑い声が聞こえて、それが自分が出した音だったと気づいた。
どうしようもない男だ、頭から足の先まで、この男にはリエリーのことしか入っていない。
可笑しくて、また笑った。
「わかった、心配するな、お前のリエリーを見せてやる。元気になったらな」
アツリュウの意識がすーっと眠りに落ちていくのが分かった。
安らかな寝息をたてているその寝顔は、幸せそうに微笑んでいる。
それを見て、呆れたやつだと呟いて、もう一度笑った。
だが、すぐに、笑いは消えてどうしようもない寂しさが胸を支配した。
「アツリュウどうして……どうしてお前は……」
目から熱いものが出てきて、こぼれ落ちていく。
アツリュウの名を何度も呼んだ。彼に何かを言わねばならなかった。でも何を言えばいいのか、己の胸の内が全く分からなかった。何も出てこない、必死で考えをまとめようとするのに、言わねばならぬのに言葉が出てこない。それなのに目から出てくるものが止まらなかった。




