21.差し出せる物
離宮のモミジが赤くなった。秋も深まった頃、父からの呼び出しがあった。
久しぶりに会った父は、今までと全く変わらず、リエリーのことは何も尋ねない。一方的に要件のみを伝えてくる。
目の前の父を眺める。
怒りや恐怖があるはずなのに、感情は凍って動かない。
もうこの人を以前と同じ父と思わない。それだけは確かだった。
一方的に父の考えだけで自分のことが決められる。そのことには慣れていたが、説明もなく、人に会わされるのは初めてだった。
「お前の結婚相手だ」
リエリーは1人の男性に紹介された。20代前半と思われる男性はロドリゲス・ミヤビカワと名乗った。名前が帝国人のようなロドリゲスと聞いて一瞬とまどったが、顔つきはヒルディルド人だった。
北のエイヘッド領主ミヤビカワ家の嫡男で、ヒルディルド北方民特有の、薄い色の瞳と、金髪に近い茶色の髪色だった。
シュロムは国の北を源流とする民で、色素の薄い瞳や髪色が生まれやすい。
シュロム王家にまれに生まれる銀髪にすみれ色の瞳。リエリーとセウヤの外見も北の民の特徴だ。
ヒルディルド南方は隣国ハイシャンの流れが濃く、黒髪に黒い瞳が一般的だ。
今は双方の民で混血が進んで、黒髪黒目の人々が国のほとんどを占めるが、北に行くとこのロドリゲスのような北特有の外見の人びとも多い。
彼がヒルディルド最北の地、エイヘッド出身であることをその茶金髪と青い瞳が教えていた。
ただ、彼の印象はそれだけだった。
ああ、北のご出身の方なのだ。そう感じる以外、彼に対する興味が湧かなかった。
「初めまして、リエリー王女殿下。間近に拝見すると、いや本当にお美しい。まるで天使、いや女神。ああ、あなたのような美しい人を妻にできる私は、この幸せをどう表現していいか、ああ」
ロドリゲスは勢いよく話すと、感極まったように天を仰いで、しばらく動かなかった。
絵本の挿絵に描かれる帝国の王子のような派手な服装。リエリーは丈の短いジャケットを見て、あれはどうやって脱いだり着たりするのだろうと、あまりにぴったりと体に張り付いているので不思議だった。
彼はとにかく外見について賛辞を述べ続けた。そして『私の妻』と繰返す。
ロドリゲスは急に近づいてきて帝国式に礼をしたかと思うと、いきなり手を取って甲に唇を押し当ててきた。
驚きに手を引っ込め、後ずさる。こんな不躾なことをいきなりされたことは無かった。
気持ち悪さと、恐ろしさで、部屋から逃げ出したい。
じりじりと扉の方に体は向かったが、父に座るよう促された。従う以外の選択肢は自分になかった。
そこからは、ロドリゲスの饒舌な語りが続いた。
いつか自分が父に言われた先へ嫁ぐことは分かっていた。
王女である己は、そのために存在しているともいえた。場合によっては、他国へ嫁がされるかもしれなかった。そのために教育も受けさせられてきた。
頭では分かっていたが、祖父が癇癪をおこして暴れ、それをどうやって鎮めるのか、そのことしか、長い事頭になかった。自分の結婚よりも、祖父の世話が重要な役目であったのだ。
祖父が逝って、
本来の役目が私にもどってきたのだろう。
分かっていたことではないか。
どうして、こんなにも動揺するんだろう。
どうして、こんなにも悲しいんだろう。
嫌だ。と思ってしまう。
この人に触れられるのは、嫌だと。
自分は何の役にもたたず、
学ぶ機会を与えられても怖くなって逃げ出した臆病者
愚かな己のせいで、兄はもう歩けない。
セウヤお兄様に許してもらえない、
価値のない人間なのだから。
セウヤ兄様は、この父がリュウヤ兄様を殺したと言った。
セウヤ兄様の事故も、父が起こした。
何のために?
ああでも、何のためにするのか分からないことを、祖父はすべてを捧げて、していたではないか?
どうして? と問うて答えが得られたことなどあっただろうか。
狂っている。
祖父も、父も、もしかしたらセウヤ兄も。
自分は正気なのかもはや確かめる術がない。
ただ、あの優しい琥珀の瞳を思い浮かべた。
あの瞳が見たいと思う。
遠くから、見るだけでいいから。
ああ、もう、結婚すればそれも永遠にかなわない。
いっそ、私のことも殺してくれたらいいのに。
ぼんやりとした頭でそう考えていると、いつの間にか話は終わっていたようだ。
名残惜しそうに、ロドリゲスがまた手をとって唇を押し当てた。
自分はまるで人形みたいだなと思った。これから人形になるんだ。
◇◇◇ ◇◇◇
ロドリゲス・ミヤビカワが帰ると、セウヤ兄様に呼ばれた。
兄はイスドで怪我をしたと聞いてとても心配していたが、元気な姿で離宮にもどってきたとシオから聞いていた。
兄の車椅子を押しながら秋の紅葉に彩られた庭園を散歩した。
「お前の結婚式は来春にするそうだ。王家の婚姻だというのに、慌ただしい。そんな短時間で準備などできるのかな。とりあえず婚約だけさせるのかと思ったら。父上はとにかく早く、お前を結婚させたいようだ」
春……それが近いのか遠いのか実感が湧かない。
「エイヘッドのロドリゲスに会ったか?」
ひらひら舞う木の葉。リエリーは「はい」と返事をした。
「聞いていた以上に、吐き気のするような無能。領地に張り付いていなければならないのに、フラフラと都で遊んでいる」
セウヤ兄様はいつもと変わらない調子で話す。自分を許さないと冷たく告げたあの夜から、初めて会った。兄様は私と今まで通りに接するつもりなのだろうか? もう一生口をきいてもらえないのかもしれないとさえ思っていた。
「父の言いなりになって、お前はそれでいいのか?」
思わず車椅子を止めた。
この人は何を言っているのか? お父様が私に言い渡したことで、自分に選択肢があったことが、今まであっただろうか?
「私を、捨てていくのか?」
顔を見せろリエリーと言われ、車椅子の前に回った。
「私をこんな体にして、償うつもりはないのか?」
胸に刃を突き立てらたよう。息を止める。そうです、私が兄様をこんな体にしました。
「私は……償えるのなら……兄様の為になんだってしたい……です……」
絞り出すように、胸の内を告げた。
「だったら、結婚などせずに、ずっと私の側にいろ」
「でも、お父様が…… 」
「リエリー、私の言うことを聞くのか? それともリュウヤ兄上を殺したあいつの言うことを聞くのか? どちらか選べ。私か? 父か?」
そんなことは考える必要もなかった。リュウヤ兄様を殺した父の言うことなど何も従いたくない。
「兄様です」
「いい子だリエリー、ならば私の側にいて、私の足となれ。約束しろリエリー絶対に私の側から離れないと」
そんなことを約束して、実現できるとは思えなかった。
「お前の結婚は私が潰す」
現実味の無い言葉が、耳の中に入ったが、どう返事をしていいのか戸惑った。
「いい子にしていたら、お前の大好きなアツリュウを見せてやる」
はっとして兄を見た。
「あいつといい、おまえといい、私の話は聞かないが、お互いの名が聞こえたとたんにこれだ、目の色が変わる。浅はかで、強欲だ。お前は何も望まないと言いながらあいつのことだけは、そうやって食いついてくるではないか、口に出していってみろ、私は強欲ですと」
アツリュウの眼差しが胸によみがえる。そうだ、自分は望んではいけないことをいつも考えている。
彼のことばかり、いつもいつも、胸にあるのは彼のことだけ、兄様は知っているのだ。
「愚かなリエリー、それでも兄はお前を愛している。だからお前のアツリュウを時々なら見せてやってもいい。でもな、もしあいつが生き残れたらの話だが」
驚きに弾かれるように膝を付いて、兄にすがった。
今なんて? 生き残れたらと言った?
「あいつは私の命令に従わなかった。私が父上を殺すのを止めたんだ。笑えるのがその理由だ。私がいなくなれば、お前が悲しむからだそうだ」
兄様がお父様を殺すのを止めた? アツリュウが私のために?
理解が追い付かない内容だったが、アツリュウが兄に大きく逆らったことは分かった、それも自分のために。
「あれの頭には、お前のことしかないらしい。そういうところは面白くて気に入っている。だがな、私に歯向かったことは許さない。罰としてあいつを殺す」
「やめて! 駄目です。それだけは駄目です!」
「お前の、そんな大きな声を聴いたのはいつぶりだろう。そんなにあいつが大切か?」
リエリーは兄の両腕に取りすがって力を込めた。
止めなくては、アツリュウを殺すのを止めなくては。
「私だってお前を悲しませたくはない。だから、あいつに選ばせてやった。私の為に死ねないのなら、お前の為に死んでみせろと」
私のために死ぬ? どういう意味?
「あいつは喜んで承諾したぞ」
「何をさせるんです」
「あいつを恩赦の戦に挑ませる。望む褒美はお前だリエリー。民衆の前で、王が承諾した褒美を、父上とて覆せない。あいつは勝って、お前の結婚を取りやめさせる」
恩赦の戦? そんな……今年も恩赦に選ばれているのは、あの恐ろしい殺人鬼だと兄様知っているはず。
「そんなこと、させないで、そんなことをさせるくらいなら、わたしはエイヘッドへ嫁ぎます」
「リエリー約束しただろう、私の側にいると。そしてこれはやるか、やらないかの話じゃない」
駄目ですと叫ぶのに兄様は聞いてくれない。
「あいつが選んだのはどうやって死ぬかという話だ。私の為にか、お前の為にか、でも私は優しいから、運が良ければ助かる道を残してやった。戦いに勝てば、あいつは生き延びる。あいつが死んだら、残念だが、お前の結婚話をつぶす方法は他に考えよう」
あいつが死んだら、の言葉に絶望する。恩赦の戦でもうずっと人が死んでいる。
「運よくあいつが助かったら、あいつをお前の夫にしてやってもいい。だが、名目だけだ。約束しただろうリエリー、お前は私の為に生きていくと。」
「私の結婚なんてどうでもいいの。アツリュウを助けて、そんなことさせないで。望まないから、私はアツリュウを望まないから、何でもしますお願いやめて」
「想像してごらん、もしあいつが勝ったら、今までのように、時々あいつを見ることができるぞ、私の側で、どこにも嫁がずに、あいつを見ていられる一生。それはお前にとって最高の幸せだろう?」
アツリュウをずっと見ていられる?
ああでも、怖い。アツリュウが死んでしまうのが怖い。
「わたしは知っているぞ、お前が望んでいることが何かを。私の言うことを聞いていろ。そうすれば、兄は愛しい妹の為に、お前が一等望むものを与えてやろう。わたしの言うことが聞けないのなら。お前の一等望むものを、殺す」
彼の足に取りすがった。お願いしますやめてくださいと泣いて繰り返した。
「リエリーお前がしがみついているその足は、使い物にならないただの棒。私にとっては、お前は何もしていないのと同じだ。やり方を間違えると、何も成果は得られないのだと知れ。お前は私を止めたいのだろう、だがしていることは、私の足にしがみついて泣くだけだ。そんなことで私の心は動かない」
冷たく言い捨てられて、絶望に取りすがっていた兄の足から顔を上げた。
「よく覚えておけリエリー、人を動かす方法は2つだ。最も望むものを与えるか、最も大切なものを奪うか……だ」」
兄が美しい顔で笑っている。こんな異様な美しさを見たことが無い。
「兄様の望むものは何ですか? 教えてください」
こんなことしか言えない自分の愚かさを呪う、でもどうにかして兄を止めなくては。
「聞いて教えられるものじゃない、それを知られれば、相手に命を握られたも同じだ。知りたければ、よく観察するんだ相手を、そして考えろ、そうして見つけ出せ、相手が最も望む物を……それができた時、お前は知る。己に自らひれ伏す愚かな者どもの目を、どうかそれをください、そのためだったら何でもしますから……と」
兄様が欲しい物? それは何か。必死で彼の目を覗き込んだ。
「お前には特別に教えてやろう、私が望むもの」
優しく、けれど残酷に兄が笑う。
「おまえだよリエリー。私の周りはすべて地獄だが、お前だけはそうではない。ずっと側にいて、私を慰めておくれリエリー」
優しく私の頭を撫でる手が心からお恐ろしい。
「アツリュウは、己が何をしたのかを身をもって知らなければならない。リュウヤ兄上がいなければ、私には地獄しか残っていない。あの事故の時、死んでしまえばよかった。もう私は何もかも、どうでもよくなった。父上を殺してそのまま死のうと思った。それなのに、あいつがまた私を助けた。2度も私の命を助けた。忌々しい男だ。自分がしたことの対価を払ってもらう。私を地獄に引き戻した対価だ」




