19.悪魔の誘い
「子供の頃、シュロム歴代当主の肖像画が飾られた回廊から、父が祖父の肖像を取り外そうとしたことがあった。そのときあの執事のカゲが、父に反対して騒いだのだ。いつも従順な男が珍しいことだと、子供心に印象に残っていた」
驚くアツリュウを面白がるようにセウヤは笑いながら、饒舌に語りだした。
「別邸にリエリーを訪ねるようになって、しばしば私は待たされることがあった。あの老いぼれが騒ぐとリエリーは付きっ切りになったから。私は暇つぶしに、祖父の日記らしいものを引っ張りだして読んだことがあった。その中に、祖父がまだ正気だった若い頃の日記があった。そこに、『執事が気持ち悪い』と『彼の距離感が時に近くて疎ましい』と書いてあった。それで、私はすぐに分かった。」
セウヤは言いながら、にやにやとして、おまえ分かるか?と聞いてきた。
「カゲは祖父を愛していたんだ。それが分かったら今まで不可解だったことが解けた。どうして父はこの館にこれほど金をかけて、宝を詰め込んだのか。カゲから祖父への贈り物だよ。父はカゲにいい様に操られているのに気づいていない。私が強い薬で祖父を眠らせておこうとした時も、カゲが無害なものにすり替えていたんだろう」
愛していたんだという言葉に面食らった。だがさっきの男にとって水鳥の上様が何より大切な存在だったことは理解できた。
「私はそれらしく綴った嘘の日記を作って見せてやった。祖父が、カゲにいかに想いを秘めていたのか、祖父も許されない愛に苦しんでいたとね。私はよく言われるんだよ、祖父の若いころによく似ていると…… 」
セウヤはこらえ切れないようにふき出して、しばしクスクス笑った。
「私はできる限り、可愛らしい顔であいつに言ってやったよ、彼もずっと同じ気持ちだったよって、だから、ずっと一緒にいさせてあげよう。おまえが死んだら、祖父の骨の隣に、おまえの骨を並べてやろう」
ころりと落ちたと、セウヤは言った。
「金でもない、地位でもない。カゲが欲しいのはもはや灰になった祖父だ。数学の解を求めるよりも、ずっと簡単だ」
「ころりと落ちたと言えば、おまえの父親もそうだ」
セウヤは同じ話の流れのように、話題をするりとかえた、アツリュウはいったい何の話なのか全くついていけなかった。
「カゲを手に入れて、早速おまえのことを調べてみた。おまえの父親に会ったぞ、声を掛けたらわざわざイスドまで飛んできた」
父上は王都にいる、イスドに行ったりしない……何を言っているんだ……
「本当におまえのことが自慢で、剣術大会でいい成績を取ったと聞けば、私の息子だと皆に吹聴したかったらしい。だが、残念ながらそれはできない。かわいそうなことだ、隠さねばならぬとは…… 」
セウヤがこちらに真っすぐに視線を合わせて、にやついた笑みを浮かべ大げさにい言った。
「本当の父親なのに」
しまった。と思ったが遅かった。
本当の父親という言葉に反応して、自分が目を見開いてしまったことを自覚した。
すぐに無表情を取り繕ったが、セウヤに、もはや十分な確信を与えたに違いなかった。
心の中が、あっという間にどす黒い嫌悪感に覆われて、穏やかだった水面が、一気に高波であら狂うように、感情が乱れたことを自覚した。
あの男は父親なんかじゃない、そう反論したい気持ちが喉までせりあがったが、そんな反論をしたら、ますます彼が言ったことが正しいと、強調するようなものだ。
なによりも、自分の心が乱れたことを、セウヤが喜ぶと感じた。
表情を変えずにいる、そのことに集中しようとした。
だが、そんな集中は、次の一言で一刀両断に断ち切られた。
「リエリーが結婚する」
体に雷が落ちたような衝撃受けた。
「えっ? 」
呆けた声で聞き返した。
話に、全くついていけない。
何?
何の話をしている?
姫が……
「グイドがリエリーを欲しがっている」
陛下が…… 姫様を?
自分がどんな表情をしているのかさえ、意識になくなった。頭の中がぐらぐら揺れて、セウヤの言うことがすぐに頭に入ってこない。
「シュロムの姫を妃にしたいと王が望んでいるらしいと、カゲがその話を拾ってきた。まだ正式な話にはなっていないが、グイド本人が乗り気のようだ」
だが、セウヤはさきほど、姫は結婚すると言いきった。食い入るように彼を見詰めた。
「父上は、それはそれはご立腹だ。ビャクオムに娘を嫁がせるなどと、そんなことは父には受け入れられない。父は生まれた時から、教え込まれてきたのだからな、ビャクオムは格下だと、シュロムに跪く存在なのだとな」
セウヤは小さくため息をついた。
「面倒が起きる前に、さっさとリエリーを片付ける、のだそうだ。」
彼は目を伏せた、眉根をよせ、しばし黙ったが、仕方がないという風にさらりと告げた。
「だから、リエリーは結婚させられる。父がとりあえず丁度いいと目を付けた、まあまあ家格のよさそうなところの男と」
姫様が結婚……彼女は王女で16歳、いつ結婚してもおかしく無い。それなのにそんな想像すらしてこなかった。いや想像するのが怖かったのだ。
「今のシュロムの現状を考えれば、リエリーが王妃になることは、けして悪い話ではない。だが、おまえも分かるだろう。リエリーはシュロムに利益をもたらすように、王妃として上手に立ち回れるような、そんな度量はない。しかしあの美しさだ、お人形として飾るには、この上なく役に立つだろう。ビャクオムにすれば、いよいよ、シュロム王家はビャクオムに屈し、配下に下ったと誇示するための、良い象徴になる。正式に話がくれば、断るのは難しいだろう。だから父上はとにかく急いでいる。できるだけ早く結婚を……」
姫様をどこへ連れて行くのだ。
姫様が、いずれはどこかへ嫁ぐことは理解している。
自分が姫の結婚をどうこう言える立場でないことは心の底から分かっている。
1度でいいから、ただ、姫様を見ることができれば、それで満足だとそう願ったのは自分だ。
それなのに望外の幸せを味わってしまった。
身の程もわきまえず、怒りを隠すことができない。
シュロムに役に立つとか、役に立たないとか。
面倒だとか。
彼女をずっと閉じ込めて、夢見る年頃の少女の時間をすべて取り上げて。
傷ついた彼女は言葉も話せなくなったのだ。
いきなり投げつけられた、本当の父親の話。動揺が収まらないところに、姫の結婚話。
セウヤの話術の攻撃に翻弄されて、正気は吹き飛ばされる。
怒りのままに睨みつけたが、彼は目もそらさず黙っていた。
「わたしは、リエリーを側に置いておきたいんだ。ずうっとだ」
セウヤの顔は笑っていない、本気なのだ。
「リエリーは可愛いだろう? ああそんなこと、おまえは知っているか」
王家の娘がどこにも嫁がず、兄に付き添っているなど、そんなことは無理な話だ。
「わたしは、リエリーを側において、どこにも行かせない。誰にもやらない」
彼女を、祖父の世話係にしていたように。
こんどは、車椅子の兄の世話係にして、彼女の一生を縛るのだろうか?
怒りで体が満ちていたはずなのに、心の奥の方から、怒りでは無い、別の感情が、コポリと小さな泡のように浮いた。
深い底では、粟粒のように小さな感情。
けれど、せりあがってくるほどに、大きくなって、己の体を包み込んだ。暗い喜びの感情。
もしも……
姫が、ずっとセウヤの側にいられるならば。
自分もまた、その傍らで、彼女を見続けられる。
心の奥から、湧き上がる感情を抑え込もうとする。
それは、彼女の本当の幸せとは異なるものだ、と。
兄の側にいることが、彼女の幸せとは思えなかった。
それなのに
彼女が知らない男の妻になって、もう見ることもかなわない遠くへ行ってしまうことが、苦しい。
息が止まるように、耐えがたく、苦しい。
「おまえ、リエリーの為なら死ねるのだろう?」
いつの間にか、奥歯を噛みしめうつむいていた。
セウヤの言葉に顔を上げた。
「おまえの命をかければ……」
そこで彼は言葉をきり、それきり黙ると瞳を鋭く覗き込み、深く意識を探っている。
「私の命をかければ? 」
沈黙に耐えきれず、続きを問うた。
「リエリーを失いたくないだろう? アツリュウ」
頷いた。
それ以外の答えなど無い。
「わたしはおまえに約束しただろ、特等席で妹を見せてやると。命を懸けて、その席を守って見せろ」
この命を懸けることで、姫の側にいられる道があるならば、喜んで進もう。
まるで、強い酒を一気に飲み干して、理性は酩酊したかのように、まともに考えられなくなった。
酔っている。
まるで正気じゃない。
妹をずっとそばに置いておきたい狂った思考の兄に、喜んで協力する俺は、俺は何だ?
俺は、この男の犬だ。
姫という餌を目の前に置かれたら何でもする犬だ。
「どうすれば、いいのです。教えてください」
姫の側にいられる方法があるならば、教えてくださいと
自ら乞うた。
愚かにも、餌が欲しいと、そのためなら死んでもいいと、自ら求めた。
「恩赦の戦いに出ろアツリュウ」
恩赦の戦、それは獄中の人間が、命を懸けて戦い、勝利すると釈放される制度。
長らく大きな戦いが、国内で起きない平和の国ヒルディルド王国。
平和の中の、殺戮。
平和に飽きた人々は、命を懸けた戦いを、熱狂的に喜ぶのだ。そのため、真剣での剣技大会が催され、時に命を落とすものもいる、それだけに剣士の地位と名声はこの国で大きい。
その中でも恩赦の戦は別格だ。
罪人は勝てば自由の身となる。
対戦相手は、王に望みを申告し、勝てばその望みを、王の名のもとに叶えることができる。
恩赦の対象になっている罪人は、現在1人。
あまりに非道な罪状に、1度の勝利では恩赦を許されず、10人勝つことが彼の放免の条件だ。
しかし長らく、対戦を請け負う者がいない。
すでに彼は9人の対戦者を瞬殺した。
『潰しの巨人』の異名を持つ、巨漢の殺人鬼。
「おまえはリエリーとの結婚を掛けて戦え」
「可哀そうになあアツリュウ。おまえは自分の体が厭わしいのだろう?」
聞き取れないほどの声で囁いて、セウヤが顔を近づけた。
「大丈夫だアツリュウ。おまえが戦いに勝って夫になっても、私がおまえからリエリーを守ってやろう。ずっと私のそばに置いて大切にする。おまえは側でリエリーを好きなだけ見るといい。それがおまえの望みだろう?」
『あの人は悪魔にもなるぞ』
スオウ副団長の言葉の意味を身をもって知る。
セウヤは悪魔だ。分かっているのに、自ら悪魔の誘いに身を投じる。
姫様を誰にも渡したくない。




