表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/129

17.誰が悪いのか

 アツリュウに会えなくなった。


 リエリーが、いつものように馬場に行くと「今回から私がお世話させていただきます」と初めて見る男性に告げられた。

 アツリュウ様はどうされたのですか? 次回は彼が来ますか? などシオが聞きたい事の全てを質問してくれたが、彼は詳しいことは知らないようだった。


 分かったことは、もうアツリュウは来ないこと。

 これからは、この男性がアツリュウの代わりに『お嬢さん』を引くとこと。


 代わりに来た男性は、お嬢さんを引く間、何度も振り返っては大丈夫ですかと確認してくる。馬場を1周したところで、シオが怒って「姫様お一人でお乗りくださいませ」とその者を下がらせた。


「ねえ、お嬢さん」

 馬場で1人お嬢さんに乗りゆっくり歩かせながら話しかける。

「アツリュウはもう来ないのですって。お嬢さんも寂しいでしょう? 私も……」


 シオたちは遠くにいて、馬場の端を歩く。自分の呟きを聞く者はお嬢さん以外にはいない。それでも自分の胸の内を言おうとすると、言葉に詰まった。

「お嬢さん……、私……、私も……寂しい……の……」


 お嬢さんの首に触れると温かな体温が伝わってくる。たてがみに結んだリボン、このリボンを結んだ日のことが思い出される。あの日は彼がいて……、次も、また次も会えるのだと思っていて……


 こんなに突然終わってしまうなんて、知らなくて……


「私……アツリュウに……」


 会いたい。


 その言葉を口に出すことができなかった。

 たとえ、誰が聞いていなくても口に出してしまったら、もう本当に戻れない場所に行ってしまうような気がした。


 心の中で思うことだけ、それだけは止められないけれど。

 口に出してはいけない。


 願っていはいけないのだ。


 何かを願って、叶ったことなど無い。良い子で、父上の言うことを聞いて、お祖父様の言うことを聞いてただそこにいること。それだけをしてきたのだ。


 何かを願っても、手に入らない事を自分は十分学んだのだ。私は諦めることに慣れている。


 これが普通なのだ。何かを願ってはいけない。


 乗馬を終えると、シオは驚くほど怒っていた。

「私絶対に納得できません。侍従頭を通して、セウヤ殿下にお願いしてみます。アツリュウ様を戻してくださるように」


「いいのです。私はお嬢さんに会えるだけで満足ですよ」

 シオの黒曜石の瞳が悲しみを映している、まるで自分の心を見るかのようで苦しい。

 

「姫様、だって……。姫様がこんなにも元気になられたのは……」


 ああ、言わないで。それを言葉にしないでシオ……

「アツリュウ様のお陰ですのに」


 目を閉じ、胸の痛みにただ耐えることしかできなかった。


 お願い、彼との時間が特別だったのだと言葉にしないで……


 私の心はもうアツリュウのことばかりで、彼との時間を繰り返し思い出してばかりいる。

 彼の背中……

 彼の大きな手

 彼の横顔……

 琥珀の瞳が向けられた時の優しい眼差し……


 この気持ちを言葉にしてしまったら、もうどうやって生きていけばいいか分からないの……


                  ◇◇◇  ◇◇◇



 夏の終わりの嵐が続いて、あちこちで河川の氾濫や山崩れが起き、父はシュロム属領の仕事で、長い事館を開けた。


 父が不在のある晩。

 ちょうど満月の明るい夜。

 真夜中にセウヤ兄に呼び出された。


 彼の部屋に入ると兄は車椅子に乗っていて、部屋に灯りは無いが、窓からの月光で彼の姿が浮かび上がっていた。


「リエリー」

 背を向けたまま、セウヤ兄に名を呼ばれた。

 兄に会うのは久しぶりだった。河川の氾濫の件で忙しいのだと聞いていた。けれど離宮に自分が住むようになってから、どんなに忙しくても、必ず顔を見せてくれていた兄、それがある日を境に全く会えなくなった。


 何か兄にあったのではないか? 心配していただけに、この真夜中の呼び出しはリエリーをさらに不安にさせた。


「兄様、何かあったのですか?」

 側に行こうとして、自分の問かけに無言のままの彼に恐れを感じた。足がすくんで近づけなかった。

 彼は怒っている?


「リエリー、分かったのだ」

 彼の声は低く、いつもの兄の声ではなかった。怒っているというより、ひどく冷たい。


「……何が、分かったのですか?」

「リュウヤ兄上を殺したのが誰かが分かった」


 背に冷気が走りその場に固まって動けなくなった。

「なあ、リエリー。お前は私の言葉を信じていなかっただろう。兄上が殺されたとお前は信じなかった」


 答えられなかった。

 リュウヤ兄上が舞台から落ちた日、自分はその場にいなかった。聞いたままに事故だと思っていた。何故なら、人々が見ている前で、グイド陛下が兄に何かするなど、とても無理だと思われたから。


「お前には話していなかったが、リュウヤ兄上には毒針で刺された跡が体に残っていた。おそらく、神経に作用して、意思に反して走ってしまう毒なのだ。だからあの日、兄上は舞台から落ちた。その毒針を誰が刺したと思う?」


 胸に悲しみが込み上げる。もしそれが本当なら、リュウヤ兄様はどれほど恐ろしかっただろう、自分の体が、意に反して舞台から落ちていくなど……

「なあ、リエリー。誰がやったと思う?」


「あ……、そ、れは……、あの舞台にいた陛下しかできな……い」


 

「そうだろう、私もグイド以外それができる人間はいないと考えていた。だがな、私は先日隠し扉を見つけたんだ。それで、兄上を殺せる人間が他にもいることが分かった。それはな……、よく聞けリエリー」


 車椅子が音もなく動いて、セウヤが振り返った。月明りの窓を背にして、顔は良く見えない。

「父上だ。リュウヤ兄上は父上によって殺された」


 え?

 何を言っているの?

「どうして、そんなことをお父様が……するの?」


 兄は冷たく笑った。

「どうして? どうしてだろうなあ。それは私にも分からない。そしてもはや、父上の理由などどうでもいい。あるのは、あいつが兄上を殺したという事実」


 理解が追い付いていかない。本当にお父様がリュウヤ兄様を? そんな、信じられない。


「ゆずり葉の指輪、お前がさんざん聞かされてきた指輪の名。あの指輪に毒針が仕込んである。そして、あの老いぼれが繰り返し言っていた言葉。『ムラドを走らせる』と」

 それはリエリーが6年間、繰り返し祖父から聞いた言葉だ。


「あの舞台は、新月の舞いを踊るビャクオム王を走らせ、落とすために造られたのだ」

 セウヤは声をあげて笑いながら言った。


「それなのに、あの老いぼれは、ムラドを走らせることができず、その息子の父上は、代わりに大切な自分の息子を、走らせて殺したんだ。馬鹿みたいだろ、どうしようもない馬鹿で、愚かな……」


 笑っていた兄が、急に黙った。

 それきり、何も言わない。


 音もなく彼が車椅子を進めて、リエリーの足元に来た。下から覗き込む、彼の瞳が月の光を反射して、そこに目があることは分かるのに、表情は見えなかった。


「あの日、父上は『ゆずり葉の指輪』をしていた。兄上の葬儀の日だ」


 脳裏に、白馬に乗る前の父と兄のことが浮かんだ。


「あの日、父上は恐れたのだろう。私が、リュウヤ兄上の体に、毒針の証拠があると大勢の前で示されるのを。父上は一刻も早く、リュウヤ兄上の体を焼いてしまいたかった。だから……私も走らされた」


 あの日の白馬……

 

 あの時のことは、鮮明に覚えている。固唾を飲んで、兄の一挙手をつぶさに見ていた。なぜなら、兄が何をするのか、怖くてたまらなかったからだ。


 セウヤお兄様が乗馬して、従者が離れて、最後にお父様があの白馬を撫ぜていた。

 あの時は、セウヤ兄を励ますようなそんな仕草に見えた。けれど、あの時まで馬はとても大人しかった。

 それなのに、兄上が乗馬したとたんに、走り出した。


 がくがくと足が震えてとても立っていられなくなり、その場に崩れるようにしゃがみこんだ。

「嘘、そんな、お父様が、あの時白馬になにかしたの?」


「そうだよリエリー、父はリュウヤ兄上が殺されたことを知られる訳にはいかなかった。私がしようとすることを、止めねばならなかった。だから、馬に毒針を刺して、事故を起こした。まあ、私が堀に落ちるとまでは想定していなかっただろうが、だが、暴れ馬から落ちれば、どうなるか。死んでもいいと判断したことには違いない」


「顔を上げろ……」

 震えたまま床にへたり込んで、何とか両手で体を支えていた。とても顔を上げられない。


「まさかな、リュウヤ兄だけでなく、私まで、殺そうとするとはな……だが、一つ、分からないことがあるんだ」


 顔をあげろともう一度冷たい声が頭から降ってきた。恐々と頭を上げる。

「どうやって父は、私の計画を知ったのだ?」


 彼はもう、答えを知っているのだ。

「……言いました。私が……お父様に、言いました」


 『リエリー、けして誰にも言うな』

 葬儀の前の晩、兄から告げられた計画。けして言わないと約束したのに、私は恐怖に耐えられず……


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 自分のせいだったのだ。

 セウヤ兄様の足が動かなくなったのは。

 もう、一生歩けないのは。

 

 自分が約束を破ったからだ。


「ごめ…… ん…… な……さ」


 この期に及んで、口からこぼれたのは、幼子が使うようなごめんなさいとういう言葉。

 なんという、うすっぺらな、謝罪の言葉。


 兄を裏切った事実も、彼が足に負った傷も、自分が何をしようと、何を言おうと、もう元には戻らない。


「許さない」


 それきり、兄はもう何も言わなかった。

 彼は車椅子を動かして、窓辺に行き、背を向けて振り返らない。

 満月の光は、部屋中に満ちて、影を作るほどに明るく部屋を照らした。


 失ったのだ、と思った。

 私は兄にけして許してもらえない存在になったのだ。


 セウヤ兄のことを、怖いと思うことがあった、でも、兄はいつでも自分を気にかけてくれていた。妹の自分を愛してくれる唯一の人だった。

 そして、己はずっと、セウヤ兄を守りたいと思っていた。


 セウヤ兄を守りたかったのに、現実は、彼の心も体も深く傷つけた。


 これからどうやって兄に(つぐな)えばいいのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ