124.アツリュウにできること
アツリュウはしばらく泣き、気持ちが落ち着いてくると、乱暴に涙をぬぐった。ものすごい気恥ずかしさが襲ってきた。こんな姿をさらしてしまいスオウを引き止めたことを後悔した。ちらっと彼に目をやると、物言いたそうにブルーグレーの瞳がじっと見ている。
「スオウは、俺とヤナが特別な関係だったと疑うか? リエリーに言えないようなことをしている仲だったと思ったか?」
鍵をかけて二人きりで会っていたのだ。そう誤解するのが普通だろうとアツリュウは思った。
「いや思っていない。俺がきっと誤解するだろうからとヨンキントから彼の思いと、特別な事情も打ち明けられた。まあ、その話を聞かなくてもおまえの姫君に対する気持ちは疑っていないし、おまえが器用にそんなことをできないことも知っている。ただ、ヨンキントのお前に向ける愛情は、きっと想像以上に激しく強い。おまえがモーリヒルドに連行された後の彼は、神官であることを捨て、おそらく人であることも捨て地獄に落ちた」
スオウの強烈な言い方に、何を言い出すのかとアツリュウは混乱した。
「ヨンキントは唯一姫君がバッシャールの根城に行くのを止められる立場にあった。だが、あの男は姫君を行かせた。愛するアツリュウを救う手立てになる可能性があるならば、姫君が何人もの男に凌辱されても、それを目の前にしながら殺されてもいいと選択した。それが神に仕える人間がすることか? ヨンキントは姫君を命がけで守るほどに大切にしている。しかし、そんなことは吹き飛ぶほどに、アツリュウおまえを愛しているのだろう。この世界の全てを敵にまわしても、己が生涯を捧げる信仰さえも捨てるほどに」
スオウはこれから真剣で切り合いを始める前のような、残酷な雰囲気を漂わせた。
「性欲がないから何もしてこない、清く美しい友情みたいなものだと安心しきっているんだろう? おまえ油断していると、あいつの烈火のような愛情に焼き殺されるぞ」
アツリュウはスオウの言っていることを、感覚で理解しているような気がした。ヨンキントの心の内にある強烈な熱を自分は知っている。でもそれを恐れてはいなかった。
「スオウそれは心配しなくていい。なぜなら俺をもっと激しい大火の炎で焼き尽くしてくる相手がいる。俺がもし他の男や女のものになった時、剣を心臓に突き立て殺しにくる、俺に死ねと言った女だ。俺を殺すのはリエリーただ一人」
アツリュウはスオウの目の前だと自覚しながらも、恍惚としてため息がでるのを止められなかった。
「俺はリエリーに殺されたい」
スオウは目を閉じ指を額にあてて息を吐いた。「他人の恋愛ごとに口を出すのは愚かなことだった、好きにしてくれ」と、もうどうでもいいといった態度になった。
他人の恋愛ごとと聞いて思い出すことがあった。
「そうだ、スオウはシオと仲を深めたとリエリーが言っていた。どこまでいったのだ」
スオウがちらりとこちらを見て「おまえに言うことは何も無い」とぼそっと答えた。
「いやある。妻の専属護衛官が妻の侍女に手をだしたかどうかは、夫は知っておくべきだ。どうなの、抱いたのか?」
スオウは口元に片手をやって、少し考えるふうに上を見た。アツリュウはこの人に女を抱いたかどうか聞く日が来ようとは信じられず内心びくびくしていたが、好奇心に勝てなかった。
「抱いた……いや、抱いてはいない……か」
「はい? なにそれ。やりかけて途中でやめたってこと?」
「……いやしたな。でも……あれは……正確に言うと抱かれた」
うわっと声を出してアツリュウは勢いよく立ち上がると、興奮を隠せずちょっとうろうろ歩いてしまった。このどんな場面でも人に絶対主導権を渡さない、冷徹な司令官から降りたことがない男が、抱かれただとう! 何をされたんだ。知りたい!
ちょっと詳しく聞かせろと迫ってみたが、スオウは片眉が少し上がったくらいで表情も変えず、何も教えてくれなかった。
これが大人の秘密……
アツリュウの頭の中で男の都合だけのどうしようもない空想が繰り広げられる。
「さっきまで、鼻水をだして泣いていたとは思えない顔だな、まあでも元気になったのならいいことだ」
「スオウ良かったな、そんな女神様がいきなり降臨してきて恋人になってくれて!」
「いや、別に恋人になった覚えはない」
アツリュウはびっくりして「なんで? お互い好きになったんだろう?」と当然のことのように聞いたが、「一夜限りだ」と返事はそっけなかった。
「アツリュウ、さっき自分のことを夫と言ったな。気にはなっていたのだが。おまえ達はまだ婚約中だろう? 姫君と寝室をともにしているがこのままでは良くない」
「そんなこと、王女の侍女に手を出しながら責任もとらない男に言われたくない。まあスオウとシオはお互い大人だから好きにすればいいですけど」
スオウのブルーグレーの瞳は何かを見ているようだ。高速で彼は何かを考え始めた。
「責任と言ったか……ならばシオを私の婚約者にする……いずれ妻にする。よろしいかリエリー王女の将来の夫殿、あなたの妻の侍女に求婚する許しをいただきたい」
「呆れた。何だよ一夜限りとか言っておいて、思いっきり惚れてる。どうぞお好きに求婚でも結婚でもしてくれ。でもさシオは簡単に落ちなさそうだ、勝算はあるのかスオウ」
当然あると余裕満々で答えると思ったのに、スオウは無表情のまま答えなかった。そして「おまえのことだが」とあからさまに話題を変えた。スオウは婚約中にずるずる夫婦のようになるのは良くないと真っ当なことを言った。
「エイヘッドで、ヤナに司ってもらい結婚式をあげようと考えていたんだ。でもヤナがいない今、どうするべきか迷っている」
「それなら、エイドドアドの神殿にいる、御大にお願いしてみてはどうか。彼はエイヘッドでは一目おかれているし、ヨンキントとの関係も良い」
「リエリーとも相談して考えてみる。でも俺たちの結婚はヤナにしてもらいたい気持ちが強いんだ、彼を待ちたい気持ちがある」
ヤナが帰って来るのかどうか、希望は持ちつつも彼の境遇を考えると苦しい思いが胸に広がる。もしかしたら、思い通りにならないことで父王が常軌を失っていき、ヤナは薬漬けにされて廃人になってしまうかもしれない。悪い方に考えると坂を転がるように止められない、でもヤナを信じたい、負けずに帰ってきてくれることを。
「姫君とよく相談してくれ。では俺は神殿側から帰るがお前はどうする?」
スオウが立ち上がって、出たら鍵は掛けておくと言った。ここはヤナとおまえの場所だろうと言葉にはしないが、ヤナを待つアツリュウの気持ちを知っていてくれるのだろう。
「俺は壁の上を歩いて領主城にもどるよ、いつもそうしてる」
「くれぐれも落ちないでくれ代行殿。俺の仕事が増える。……アツリュウ、ヨンキントのことだが」
スオウが真面目な声で、すこしためらいを含んで話し始めた。
「彼が権力を望んでいないことは知っている。だが、今回神殿の中枢にもどり、もし仮に父王の意向通りに彼が次期ヨンキントの王になれば、それはこの国にとって大きな転機となる。ヨンキントは台風の目になりえる男だ。ビャクオム王グイド陛下とシュロム王子セウヤ殿下が手を取り合い、これから協力してヒルディルドを改革していく。敵は大国である帝国やハイシャンであることは正しいが、最も大きく強敵であるのは、ヨウクウヒ王の神殿勢力だ、我が国の建国以来の絶対の支配者に、二人の若い王が勝てるかどうか。そこにヨンキントが現れた。彼がヨウクウヒ王になり、今までの神殿の在り方を壊すことができるなら、ヒルディルドは大きく生まれ変わる。だから俺は、ヨンキントが父王に捕えられたことを好機と見ている。彼の受けるであろう拷問を思うと甚だ勝手な言い分だがな」
スオウの言わんとすることは理解できる。しかしアツリュウはヤナが払う犠牲が大きすぎる事がどうしても受け入れられない。ヤナは権力争いに身を投じて力を得たいのではなく、純粋に月女神の教えを人々に説くただ一人の平凡な神官でありたい人なのだ。
「ヨンキントはお前が思っているよりずっと腹黒く、野心家で強かだ。まあ好きな相手の前では猫をかぶるものだ、アツリュウの前では無欲で優しいだけの男だったのだろう。心配するな、あの男はしぶといぞ。お前に会うためなら、どんな手段をつかっても地獄から這い出してくる、それに……」
スオウはアツリュウの顔を覗き込んできた。
「おまえもこの国の権力の中枢にいる重要人物だ、セウヤ殿下を動かすことができる男。すなわちセウヤ殿下を使ってグイド陛下を動かすことも不可能ではない。国家権力を使ってお前に惚れている男を助け出してみたらどうだ、陛下を使って神殿に揺さぶりをかけてみろ」
「どうやって?」
アツリュウの問いにスオウは口の端を上げて不敵な顔をした。
「どうやって? その問いの答えはアツリュウが見つけるしかない」
恩赦の戦で勝ち目の無い中で巨人を倒し、エイヘッドでは姿の見えない海賊と戦った。次は真っ暗な光の届かない場所に空いた穴に落ちるような、得体のしれない巨大な敵にである神殿が立ちふさがる。
自分にいったい何ができるのだろう?
みるとスオウのブルーグレーの瞳は興奮したように輝いている、アツリュウを観察して戦争を始めるのか否かを見極めようとしている。
「スオウはさ、目的が達成されるのなら血の海に立っても笑う人だ。面白そうだと顔に書いてある。恐ろしい奴、そのくらいじゃないと宮廷護衛団の団長にはなれないのかもな。リエリーや俺のためにエイヘッドに帰ってきてくれたと思っていたけど、スオウもしかして、その戦闘的な血を満足させるために俺の側にいたいのか?」
「意外なことを言うな? なんだ突然」
「自分がどんな顔をしているか気づいていないのか? なんというかすごく好戦的だ。元はリュウヤ殿下の側近として国を動かす人の隣に立とうとしていた人だ、これが本来のスオウなのかな。俺はすごい人に補佐官になってもらうんだな」
「まあ神殿と戦争すると考えたら、戦略を練るのが楽しそうだ。だが俺がおまえの補佐官になるのはそんな理由ではない」
「何?」
「可愛いからな、それだけだ」
いつもだったらふざけんな!と怒って怒鳴るところだが、アツリュウはぽかんとしてスオウを眺めてしまった。たいして表情は変わらないが、明らかにスオウの雰囲気が違う。可愛いなんて真顔で言う奴ではないはずだ、なんだこれ……
こいつ浮かれてやがるな。
シオに気持ち良いことされ過ぎてまだお花畑にいるんだ。今おまえ無敵だな。
なんにしても、シオのお陰でやる気全開になったスオウがいてくれるので、これからはリエリーとの時間がとれるだろうと思いアツリュウは嬉しく思った。
『次に会う時まで、リエリー様と幸せでいてくださいね』
「分かったよヤナ」とアツリュウは心の中で返事をした。




