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122.自分を許す方法

 リエリーは自分の住まいとなった領主城の奥方の居室で、キボネが選んだ最高に座り心地の良いソファーに座っていた。彼女の膝の上には、柔らかなくせ毛の濃茶の頭が乗ってクークー寝息をたてている。


 アツリュウに会えない日が続いていた。帰りが深夜になって起こしてしまうからと、アツリュウはリエリーの寝室にこない。そしてまだ暗い早朝から仕事に出てしまう。


 今日は久しぶりに昼を一緒にたべようとリエリーの部屋に来てくれたのに、座ってリエリーの膝に頭を乗せた瞬間にアツリュウは寝てしまった。


「シオどうしましょう。もう起こさないとお昼を食べる時間が無くなってしまいます。でもこんなに気持ちよく寝ているから、もっと寝かせてあげたほうがいいかしら」


 シオはアツリュウに目をやって優しく微笑む。離宮にいた頃は決められた侍女服だったが、ここではそんな規則をもちろんつくるつもりもない。ピプドゥの雰囲気を取り入れた夏の装いが、シオ本来の魅力を引き出してとても似合う。

「軽食は後でもとれますから寝かせてあげましょう。アツリュウ様はとにかく眠らないといけません」


「体が心配です。アツリュウはあまりにも無理をしています」

 リエリーはため息をついて後ろを振り返る。部屋の隅に護衛として控えるスオウと目が合った。リエリーは彼に言葉をかけようとしてやめると体を戻した。


 もう何度もスオウとは話をしている。アツリュウがスオウに補佐官となって仕事を手伝って欲しいと思っていること。心からスオウを信頼してずっとそばにいて支えてほしいと彼が願っていること。それを必死の思いでリエリーは彼に伝える。けれどスオウは岩のように態度を変えない。

 自分は姫君の剣士になったから、あなたを守る以外のことはしない。返事はそれだけなのだ。


「スオウはどうして……」

 リエリーは本人が部屋にいるのに、思わず不満げにつぶやいてしまった。

「彼は、自分を罰しているのですよ姫様」


 シオの意外な言葉に「何を罰しているの?」と問うた。

「彼は人に厳しいですが、それ以上に自分自身にも厳しいのです。今まで彼が犯した過ちの全てを、彼は許せないのです」

 静かな部屋の会話なので、普通に話してもスオウ本人にはよく聞こえているはず、けれどシオは構わず続けた。


「リュウヤ殿下をお守りできず。セウヤ殿下が堀に落ちたときも自分の至らなさのせい。姫様がバッシャールの所に行ってしまったのも自分のせい。アツリュウ様を守れなかったのも自分のせい。そうやって彼は自分の犯した過ちに縛られている。でもすごく独りよがりの傲慢な人ですよね」


 リエリーはシオのきつい言い方に心配になって、スオウを振り返った。彼はまるで空気のようにそこに立っているだけだ。「スオウこちらに来て」と声を掛けると、やはり空気のまま存在感なく静かにリエリーの前に来て立った。


「シオ、どうしてスオウが傲慢だと思うのです。私にはスオウはとても謙虚な人に見えるけれど」


 シオはスオウの前に立った。シオが目を合わせてもスオウは人形のように無表情のまま興味を向けない。

「自分に全ての責任があると思うならば、すなわちそれは、自分の力で全てのことができると信じていると同じ、この男は自己評価が信じられないほど高いのです。だから罪も全て自分が負わねばならぬと思う。なんという傲慢さ! 己の至らなさを知り、素直に人を頼って皆の力で物事を成そうとるすアツリュウ様とは真逆の人間なのです。こんな独りよがりの自分の世界から一歩も出られない、面白みのない男、姫様捨てておしまいなさい」


 さすがにここまで言われてスオウがシオを睨みつけたが、それは一瞬のことだった。またすぐ空気にもどってしまう。

「彼はアツリュウ様の下で働く資格が、自分にはもう無いと思うのでしょう。彼を罪人として扱った自分を許せないのです。本当は護衛官としての自信ももうないのでしょう。ただ……」

 シオは容赦なくスオウに近づいて、背の高い彼の目をギリと見上げた。


「ただ死にたいだけなのです、事が起きたとき姫様の盾となって身代わりに死ぬ。それだけがこの腑抜けた男の望みなのです。鬱陶しいと思いませんか姫様、こんな男がいつでも部屋にいるのですよ、アツリュウ様が嫌がる気持ちがシオにはよくよく分かります」


 シオがまっすぐにスオウに怒りをぶつけるので、リエリーは戸惑った。シオははっきり物をいう性格だというのはよく知っている。そしてスオウが何を言われようとリエリーの目の前で怒らないのも知っている。そして今、二人の関係はひどく険悪になったことは間違いない。彼らの主は自分である。ここを取り持つのはリエリーの役目だ、しかしどうすればいいのだろう。


「スオウ、何かシオに言いたいことがあれば遠慮なく申しなさい」

「……別に何もございません」


 リエリーは会話の声もまったく届かず深く眠っているアツリュウの頭にそうっと触れた。

「ねえスオウ。アツリュウがこのまま疲れ果てて倒れてしまっても後悔しないと言える?」


 リエリーの問いにスオウは黙って答えない。


「困った男ですけれど……私を再び姫様のもとに連れてきてくれた人でもある……もう諦めていたから、探し出して迎えにきてくれてとても嬉しかった。感謝しているのスオウ」


 シオの雰囲気は柔らかくリエリーが知る優しいものにもどった、そこに香水がふわりと鼻をかすめるように何かが加わった。大人の女性の何か。


「あなたは自分を許せないのではなく、許し方が分からないの。自分が今、どうすればいいか分からずに迷って困っていることに気づいている?」


 ブルーグレーの瞳がほんの微か細められた。彼に敵を警戒するような冷たさが増した。

「あなたのことは好みじゃないけど。教えてあげてもいいわ、どうやって自分を許すのか、そのやり方というものを。あなたに恩があるから特別に」


 その瞬間のシオから目が離せなかった。まるでピプドゥの艶やかな舞を踊るがごとく、それはあまりに美しい遠くから見ることしかできない歌姫のようだった。漆黒の瞳はもっと覗き込みたいと思わせる強い魅力が放たれて見る者を魅了する、その光をシオは自在に操れるのだとリエリーは知った。


 ほーっと心を奪われてシオに見とれた後、リエリーはやっとスオウの顔を見た。これほど近くで美女の誘惑を受けて、この人はどうなったのだろうと純粋に興味をもった。けれどスオウは無表情で空気にもどっていた。


「どうするのスオウ、私に教えて欲しいの?」

 スオウは黙ったまま答えないのかと思われたが、ずいぶん間をあけてからささやくように返した。

「……別に……必要ない」


 シオはくすくす笑った。リエリーは彼女がこんなにも可愛らしく魅力的な顔を持つ人だと知らなかった。ずっと母のようだと思っていた、けれど彼女は母では無い、もっと若い一人の女性なのだと気づいた。


「姫様、スオウの返事を聞いてどう思いました。彼は私の誘いを断った、それとも受けたどちらかしら?」

「え? そんなの今スオウは断ったでしょシオ」


 ふふっっと微笑んでシオはスオウを見つめる。

 彼女の長く美しい指が上がってすっと(あご)から上に彼の頬をなぞった。


 スオウに触った! 

 リエリーは心臓が止まるかと思うほどの衝撃に体が固まった。スオウもそれは同じだったようだ。彼の瞳は間違いなく動揺して揺れた。


 シオはまたくすくす笑った。

「彼は私の誘いを受けました」


 シオはまたあの光を瞳に戻した。漆黒の瞳はスオウを見つめ彼は逸らすことができない。リエリーは二人を見ているだけなのに頬がどんどん熱くなって、心臓がどきどき鳴った。


 目の前で大人の世界を覗く後ろめたさを感じつつ、シオはもうそれを自分に隠さないのだと知った。彼女はもう自分を子供扱いしないのだ、これが本来のシオ……なんて魅力的なんだろう。

 リエリーは見つめ合う二人に耐えきれず目を伏せた。そこには緩み切って口を開けて寝るニャンコがいたのでちょっと我に返った。


 シオはすっとスオウから離れた。スオウは無表情だけれど、内心ぜったい動揺しているとリエリーは確信していた。事実彼の視線はシオを追って離れない。


 シオは卓の上に用意されているアツリュウとリエリーの昼食の整えに戻ってしまい、こちらを見ない。

 しばらくリエリーとスオウはシオから目を離すことができず、声も出せずにいた。


「二人には悪いのだけれど。私が教えてあげるといったのは、二人が想像していることではないわよ。許し方といっても、いろいろ方法があるの……」


 シオがやっとこちらを見て、いたずらっ子のように微笑む。リエリーはてっきりスオウを誘惑して大人の関係になるのだとばかり思ったので、ちょっと恥ずかしくなった。スオウはどうなのかなと思い、顔を見たけれど、相変わらずその無表情からは何も読み取れなかった。


「だからねスオウ、怖がらなくても大丈夫よ」


 リエリーの前にいたスオウがすっと動いて、シオの隣に立った。シオはブルーグレーの瞳が強く見つめているのに気づいていないかのように彼に顔も向けない、作業が一区切りつくとようやく彼女は顔を上げた。なあに? とでも問うように余裕の微笑みを見せる。


 スオウの人差し指の先がシオの(あご)の先に入れられて、ついと彼女は顔を上げさせられた。

 今度はスオウがシオに触った!

 リエリーは心臓がまた跳ね上がって「キャー」と心の中で叫んだ。


「私を怖がらせることができるのかな?」

 艶のある低い声、同じはずなのにいつもと違うスオウの声。


「困った人、待てないの?」


 ブルーグレーの瞳が細められ、ほんの少し眉根がよる。スオウの顔がシオに近づけられる。

「私はあなたの誘いを受けたつもりはない」


 ふわっと微笑んだシオの顔は女神のように揺るがない強さと美しさがあった。リエリーでさえも胸がきゅーっとなった。

「あら」


 シオのその言葉の先に続きがあるのだと疑わずリエリーは彼女が話すのを待った。きっとスオウも同じ気持ちだっただろう、彼はほんの指先にシオの顎を乗せたまま、問うような瞳でシオをじっと覗き込んでいた。

 けれどシオは彼を見つめ返すだけ、見つめ合った時間の後でスオウが瞬きをした。ぱっと手を引いたかと思うと、さっと身を返して足早に歩き、部屋の隅の所定の位置に戻ってしまった。


 うわわ、何でしょうこれは、私は何を見せらたのでしょう。すやすや眠るアツリュウに、この内心慌てているに違いないスオウを見せられなくて、リエリーは残念だった。でもシオの言う通り、本当にスオウはシオのお誘いを受けたのかしら? スオウは2度も断ったけれど……


 シオの言う特別とは何するのかしらとリエリーはあれこれ想像し、アツリュウとの二人だけの時間のことをつい思い出して赤面した。

 振り返ってスオウを見る、こうするといつもは必ず自分に視線を合わせ、「どうかなさいましたか?」と瞳で問いかけてくれる。それなのに今、あからさまに目をそらした。これはやっぱりスオウはお誘いを受けるつもりだなとリエリーは納得し、二人は何をするのかなあと好奇心を押さえられず、むふふと変な笑いがでてしまった。

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