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117.あなたの幸せな顔をみることが一番の幸せ

 ヨンキントとバッシャールは、アツリュウとリエリー王女に会うことを許された。


 セウヤ王子は、バッシャール殿下を迎賓として扱うと決めたからと彼の隣を歩かせ、気さくに談笑している。話す内容はバッシャールがヒルディルドについて質問し、セウヤ王子が答える、軽い物言いをしながらお互いに棘を混ぜチクチクと刺し合う。

 余裕の顔でバッシャールとの嫌味の応酬を楽しんでいるセウヤ王子を眺めて、ヨンキントは内心舌を撒いた。


 ピプドゥ国という大国の王子であり、扱い方を間違えれば国の存亡にかかわるバッシャールを前にしても、セウヤ王子は余裕の雰囲気を一度として崩さない。たった18歳の王子の度量は将来どれほどのものになるか、ヨンキントは想像すると恐ろしさを感じた。


 セウヤ王子は、バッシャールが連れてきた2人のピプドゥ人の従者とスオウの同行も許した。

 スオウはセウヤ王子を裏切りシュロム兵士を切った男だ、スオウは死の覚悟もしていた様子だった。しかしセウヤ殿下は自らスオウに言葉をかけ「兄の代わりに私を(いさ)めたことを感謝する。もうリュウヤ兄上に恥ずべきことはしない」と彼を許した。


 ヨンキントはセウヤ王子の王族としての威厳を感じた、それは彼が王子として生きていく覚悟の上にあるものだ。リエリー様もアツリュウを失うと悟った時、(さなぎ)が蝶に羽化するがごとく劇的に変化した。彼女もまた王女としての覚悟を決めた。


 己は王子としての覚悟を今までもったことがあっただろうか……

 ヨンキントにとってヨウクウヒの第三王子という肩書はすぐにも脱ぎたい濡れて重い不快なだけの上着のようなものだった。体を冷やす以外何の役にも立たない。


 セウヤ王子は父から兄を殺され自らも殺されかけ、歩くこともできなくなった。結果彼は正気を失いアツリュウを痛めつけ続けた。それを許せる気持ちにはなれないが、それでもこれから王子であり続けようとする彼の決意の背中を、ヨンキントは自分の境遇と重ねながら眺めた。


 王宮の奥まった小さな間に通された。そこにはヨンキントが心から待ちわびた人の笑顔が待っていた。


「ヤナ!」

 アツリュウが真っ先にその名を呼んでくれた時ヨンキントは今までに味わったことの無い喜びを知った。駆け寄ってアツリュウを抱きしめたいと確かに感じた。けれど、それをするには自分はあまりに大人で、分別のある人間だった。ヨンキントは静かにアツリュウに頷き返した。


 アツリュウが隣に立つリエリー姫の手を繋いで嬉しそうに少し掲げる。

『あなたの幸せな顔を見るのが私の一番望むことです』

 ヨンキントが告げたことを彼が自分に見せてくれているのだと、そう思うとたまらない愛しさが胸を満たした。


 リエリー姫が「バッシャール」と呼んで前に出ようとしたとき、喜びに微笑んでいたアツリュウの顔が、ぎょっとして強張り、リエリー姫を勢いよく引き戻して彼の胸にしまい込んだ。


「バッシャール、おまえモーリヒルドに来たのか?」

 アツリュウの帝国語を聞いて、彼の腕にがっちり閉じ込められているリエリー姫が声をあげた。


「アツリュウ聞いてください。バッシャールはあなたを助けるために来てくれたのです。彼はあなたの恩人です」


 アツリュウは眉間に深い皺をよせ怪訝な顔を崩さない。


「やあ坊や、おまえの首と胴が切り離さると聞いて見物に来たのだ。死んでもいいから女を抱きたいとは呆れたが、今や私もおまえの同類だ。私は彼女の犬に成り下がった。リエリーは極上のいい女だな、お前が溺れるのもうなづける」

 

 バッシャールの言葉は、アツリュウを荒れ狂う海に投げ入れたも同じだった。

「え? な? 何を言っている? いい女と言ったか……犬が……は?」


 ヨンキントはアツリュウの頭の中で駆け巡っているであろう、様々な想像を思い浮かべ、大混乱の彼を可哀そうにと思いつつも、彼の顔が可愛くてちょっと笑ってしまった。


 アツリュウは毛を逆立てた猫のように、ちょっとつつけば飛び上がりそうな顔でリエリーを覗き込んで、彼にとって決死の覚悟であろう質問をリエリー姫にした。


「リエリー、バッシャールと何があった」

「だからねアツリュウ。バッシャールはあなたを助けるために私と一緒にモーリヒルドに来てくれたのです。私の身代わりにグイド王の所へ行くと約束してくれました。彼はとっても優しいいい人です」


「いい人……て、あいつが……だがらその、リエリー、あの男に触られたりしていないのか?」

 アツリュウのピンと張り詰めた糸が切れるか持ちこたえるか、狂犬を生み出すかどうかの非常に危険な返事であるとヨンキントは悟った、しかしリエリー姫はええと……とちょっと間を置いた。


「バッシャールに触られてはいないですが、ちょっと引っ張られて彼の胸に転びそうになりました」


 これ以上は無理な所までアツリュウの眉が寄った。アツリュウがバッシャールに向けている雰囲気が凍りついた、ヨンキントはアツリュウの剣吞な眼差しがバッシャールを鋭く刺すのを見守った。


「心配するなミッタ―ツルギ、リエリーは触ったら死ぬというので何もしていない。そうだ、良い事を思いついた」

 ビリビリするアツリュウの睨みを、むしろ嬉しそうにしながらバッシャールがセウヤに向きなおった。


「セウヤ殿下よ、一つ提案なのだがリエリー姫と私が婚姻を結ぶというのはどうだろう?」


「はあああ?」

 アツリュウの盛大に不機嫌な声が部屋に響き渡った。彼はあまりにきつく腕の中のリエリーを抱きしめたので彼女は少し苦しそうにした。


 バッシャールはアツリュウにお構いなしに続ける。


「私がヒルディルド滞在中はシュロム王女の婚約者という肩書があれば、ここでの地位が非常に安定する。さらに、ピプドゥとの陸路が突然できて不安になる国民も、ピプドゥ国とヒルディルド国が王族の婚姻によって結ばれたとなれば、その友好関係の証明となり、両国民ともども安心させられるだろう。リエリーはピプドゥ語も堪能だ、良い事づくめだ。どうだろう、リエリーを私にくれないか?」


 すでに狂犬になっているアツリュウの目の前で、セウヤは「悪い話ではないなあ」と意地悪く彼に笑いかけてから「だが、それは私が決められることではない」と続けた。


「リエリーはグイド王から特別な権利を賜っている。彼女が選んだ男と結婚できるのだ。命を懸けた特別な戦いでアツリュウはそれを勝ち取りリエリーに捧げた。ヒルディルドの民衆が証人だ。リエリーが選んだ者しか夫になれない」

 

「そういうことなら、早速リエリーに求婚してみよう」

 バッシャールの声に、アツリュウが「ふざけるな!」と返した。


「リエリー王女は私のものだ。誰にも渡さない!」

 アツリュウの宣言が部屋に響いた後誰もなにも返さない、にやにやとバッシャールは眺めている。


 アツリュウの顔がだんだん赤くなっていく、背中抱きにされているリエリーが彼の腕からするりと抜けるとアツリュウに向き直った。


「私は今こそ、アツリュウが私に与えたくれた恩赦の戦の褒章を使います。皆さん聞いてください。私はアツリュウを夫に選びます。アツリュウ私と結婚してください」

 リエリーがアツリュウの手を取ると彼はすぐに跪いた。


「はい今すぐにでも喜んでお受けします。私の全てはあなたのもの。私はあなただけを愛する夫としてあり続けます」


 ヨンキントの目にはその二人の姿がとても可愛らしく映った。バッシャールが子供夫婦と揶揄(やゆ)するが、本当に若く愛らしい夫婦だった。


 アツリュウがリエリーの手を額に押し付ける。そして彼はすぐ上目にリエリーを見ると「ピプドゥにはいかせない」と心配げな声をだした。


「あのねアツリュウ。バッシャールはあなたをからかったのですよ。彼は私と本気で結婚する気はありません。そうですよねバッシャール」


「その通りだな、リエリー。私はあなたと結婚する気はない。坊やのためにわざわざ乗り心地の悪い船に乗ったからな、ちょっとおどかしてみた。それにしても可愛いなリエリーの夫殿は、リエリーをつつくとすぐに毛を逆立ててフーフー怒る。からかいがいがある」


 リエリーがふふっと笑ったのでアツリュウが「ええっ」と情けない程おたおたして、立ち上がると、またリエリーを彼の腕にしまい込んだ。


「なんで? なんでリエリーそんなバッシャールと分かりあってます、みたいな感じになってるの? 嫌だ、リエリーをもうあいつに見せたくない」


 ジャミルが音も無くアツリュウの前に進み出て「あなたに話がある」と帝国語で告げる。そのあまりに真剣な表情にアツリュウはリエリーを腕から解放すると彼に向き合った。


「あなたに星の導きを問う」

 それは帝国語であったので、その場にいる者は皆、言葉は理解できた。しかしヒルディルドの者には意味するところは分からなかった。


「ミッタ―ツルギ、おまえはジャミルから決闘を申し込まれた。ジャミルはリエリーに心底惚れている」

 アツリュウがギョッとした顔で何かを答えようとしたが、それより先にもう一人のピプドゥ人も彼の前に音も無く動いて立った。


「おい、ミッタ―ツルギ決闘候補がもう一人増えた。そいつの名前はマルワーンだ、気づかなかったマルワーン、女に興味のないお前がいつの間にリエリーに骨抜きにされたのだ」


「私はこの女に殺されたい……」

 擦れる低い声で、マルワーンがささやいた。それは調子の外れた弦楽器が鳴るような、ガザガザするのに変に耳に残る不思議な魅力のある声だった。


「アツリュウ、最初の男はいいが、2番目の男とはやり合わないほうがいい、彼は強いとか強くないとかそういう次元じゃない。せっかく結婚するのにすぐに死んだらもったいない」

 部屋の隅でずっと黙っていたスオウがアツリュウに声をかけた。


「リエリー、俺を助けに来てくれてありがとう。でも知らないうちにセウヤ殿下を叱り飛ばして、バッシャールを犬にして、このジャミルさんを虜にして、さらにマルワーンさんにいたっては殺されたいとまで言わせ……あ、あとスオウを自分だけの剣士にしたんだよね……リエリーってすごい……ね。ちょっと俺、もう倒れそう。」


 リエリー姫が「決闘は恋人や妻の女側が了承しないとできないことで、私は絶対受けません」と慌ててアツリュウに言っている。ジャミルがピプドゥ語でリエリーに抗議すると、リエリーがきっぱりした言い方でジャミルをたしなめる。それを見てバッシャールが大きく笑った。リエリーに跪くマルワーンから彼女を遠ざけようとアツリュウが慌てている。そんなワイワイ騒いでいる様子を、ヨンキントは少し離れて眺めた。


 誰かを特別に好きになるという感情を初めて知って、幸せだけでなく、失うと恐怖したときの、自分を見失う己の愚かさも知った。アツリュウに出会わなければそんな自分を一生知らずに生きただろう。

 自分は幸せになってはいけないと泣きそうな顔で告げてきたアツリュウ。あの彼が自信に満ちてリエリーを誰にも渡さないと宣言した。


 ヨンキントは、これで満足ではないかと己に言い聞かせる。

 どこにいても、ヨンキントの心の中に今日の幸せな顔のアツリュウがいてくれるのだから。


 ヨンキントの隣にスオウが来た、彼が言うことは分かっていた。

「ヨンキント殿、私はいつでも償う準備はできている」


 このスオウという男がヨンキントは始めから好きではなかった。自分がグイド王と繋がっている負い目もあったかもしれない、彼の油断ならない観察してくる目が不愉快だった。

 アツリュウに告白したとき、嫉妬はほとんどしないと彼に告げた。スオウがいなかったら、たぶん嫉妬はしないと言っただろう。ヨンキントは何故かスオウにだけ嫉妬する。


 アツリュウがスオウを嫌がるそぶりをみせながらも、心から信頼して頼り時に可愛い顔を彼に向けているのを見ると、二人を引き離したいという欲求をヨンキントは確かに感じる。初めての気持ちにとても戸惑ったが、これを嫉妬というのだと気づいてからは、アツリュウのことを愛しているのだと自分に認めるきっかけにもなった。


「スオウ殿は私に殺されてもいいと仰いましたからね、あなたに二言はないのでしょう。でもあなたを殺したら私は神官ではいられなくなります。わたしは一生月女神さまにお仕えしたい。あなたを殺すのはやめておきます、ただ……アツリュウに手枷をしたことを許すことはできません」


 スオウは無表情で頷いた。けして感情を見せなかった彼が、泣き出しそうにリエリー様に(すが)りついて取り乱す情けない姿を見れた。それでわだかまりをさげるとしようとヨンキントは自分に言い聞かせた。


「スオウ殿、アツリュウを守ってください」

 ヨンキントはこれで彼との話が終わると思ってそう告げた。


「ヨンキント殿、すまないがそれは約束できない。私はリエリー姫君だけの剣士となることを誓った。リエリー様に全てを捧げる身となっては、時にアツリュウの側にいられないこともある」


 ヨンキントは、がっかりして息を吐いた。

「いや、あなたの意味することはよく分かります。ですが、今の会話の流れからさっしていただければ、分かったと一つ頷いていただけば、私たちの話は終わるのですよ。心持(こころも)ちの話です。アツリュウに大事(だいじ)があればスオウ殿が動くと、そういう大義の話をしています」


「……私は時々、言い方に問題があると弟達に注意をうけるのです。誠意をもって会話をしているつもりですが、時に驚くほどに人をがっかりさせてしまう。ヨンキント殿すまない。改めて誓う。アツリュウを守る」


 ヨンキントはほんの少しだが、スオウへの気持ちが柔らかくなった気がした、だからスオウに微笑むことができた。

「アツリュウのことを頼みます」


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