109.アツリュウを救うための3つの策
「セウヤ殿下が欲しいのはリエリー王女殿下のみ、バッシャールは必要ないのだろう」
スオウは帝国語で話しを進める。
「だから、姫君がバッシャールを無実の証拠だとセウヤ殿下の所に連れていっても、殿下は動かない。アツリュウを牢にいれたまま、姫君を離宮に閉じ込めるだけです」
山小屋の中、リエリー達はアツリュウを救うための計画を立てていた。
スオウの言葉にリエリーはがっくりと肩を落とした。無実を晴らせば、アツリュウを助けられると思っていたのだ。
「おまえの兄はどうして急に怒りだしたのだ。あの坊やは何をしたのだ」
緊迫した顔で話しをするスオウとヨンキントとは対照的に、バッシャールはのんびりとした口調でリエリーの顔を覗いた。
「それは……私が……アツリュウと……」
リエリーが上手く言葉を選べずにいると、スオウが何事でもないように事務的に言った。
「アツリュウは姫君を抱いた。それが兄王子の逆鱗に触れた」
「夫なんだから抱いてなにが悪い」
スオウはリエリーをちらりと見た。
「正確には婚約者」
バッシャールは「ほう?」と顎を擦って、リエリーをまじまじと眺めた。
「まあ、リエリーにとっては夫も同然ということか。ふうん……ちょっと面白そうな話だな、あの坊やに聞いてみたいな、どうして命を懸けても抱きたくなったのか……それにしても、可愛らしい子供夫婦だな、あの坊やは本当にできたのかな……リエリー私が確かめてやろうか、あの坊やがしたのはままごとかもしれんぞ」
ジャミルがピプドゥ語で何かを大きな声で言った。それは何かの俗語でリエリーの知らない言葉だったが、彼を黙らせるには十分だったようだ、バッシャールは「分かった、もうリエリーをからかわない」とジャミルに謝った。
リエリーがジャミルを見ると彼はにこりと微笑んだ。彼は帝国語が分かるようだ。
「アツリュウが、リエリー様を一瞬でもあなたの目に映らせたくないと言っていました。言葉には気をつけた方がいいですよ、アツリュウの前でそんなことを言ったらバッシャール、あなた一瞬で殺されますよ」
ヨンキントが不愉快な顔で言うと「それは楽しみだ」とバッシャールはくくっと笑った。
「では、我々はセウヤ殿下には接触せず、直接グイド陛下に取引を持ちかける。グイド王を動かして、セウヤ殿下がアツリュウを解放しなければならないよう追い込む。」
スオウが話を戻した。「グイド陛下が欲しいものは2つ」と彼は続けた。
「一つはリエリー王女殿下、そしてもう一つはバッシャール。グイド陛下は南ルールドとの友好な関係を保つため、バッシャールを貢ぎ物として南ルールドに売りたいだろう」
「リエリーはグイド王の気も引いているのか? さらに玉の価値が上がった」
バッシャールはにやにやとリエリーを見る。
「気を引くどころではない。グイド陛下は正気を失っている。姫君を手に入れるために、ポートダブドの港は大量の兵士が囲んでいる。姫君が港に現れたら逃がさず捕らえて、宮殿に囲い込むつもりだ。だから、姫君はモーリヒルドに帰れない、ここに留め置かれている」
スオウの話にリエリーは驚きに口がきけなかった。グイド王に求婚されていたが、まさかそこまでとは。
「これは、これは、リエリーは傾国の女か…… 兄王子を狂わせ、この国の王まで篭絡していたとは恐れ入った。ジャミル聞いたか、リエリーを手に入れるのは正に命がけ、夫はすでに牢の中で処刑待ちだ…… いやすごすぎて笑いが止まらない」
バッシャールはいつまでも笑っていたが、すっと真面目な顔になった。
「どうだろうな、私とリエリー、グイド王にとってリエリーの方が価値があるのならば、私が貢ぎ物になってやったところで、グイド王は動かないのではないか? リエリーが愛する男を助けるなど、グイド王にしたらなんの意味もない。むしろあの坊やを殺したいだろう」
しばらく皆は黙り込んだ。
「思いつく手は3つ……」
スオウが静かに話し出した。
「姫君はグイド王の元に行き取引をする。グイド王の力でセウヤ殿下を動かしアツリュウを解放させる。」
ヨンキントが「その取引とは?」と問うた。
「一つは、アツリュウを取り戻せたら、グイド王にバッシャールを与える」
ヨンキントが難しい顔をした。
「でも、それではグイド王は姫君を手にいれて満足し、バッシャールをいらないと言うかもしれない」
スオウはうなづいた。
「二つ目めとして、これはオルゴン殿の案だ。グイド王にエイヘッドを差し出す。これまでのバンダイ・ミヤビハラの失態を証拠とともにグイド王に密告する。シュロム王家はもはやエイヘッド領を管轄できていないとし、領地を取り上げ国領地とさせる。すなわち、エイヘッド領をグイドに売り渡す見返りとしてアツリュウを解放させる」
「エイヘッド領を差し出す……オルゴン殿はそこまでの覚悟がおありなのか」
ヨンキントが驚きにつぶやく。
「そんなことをしたらミタツルギ家もただでは済まないだろう……だがオルゴン殿は本気だ」
スオウの真剣な目に、リエリーはオルゴンの怒りを見る気がした。
「だが……それでもグイド王が突っぱねたらどうする。この北の果ての凍った土地を手にいれるよりも、リエリーの方が価値があるとなったら」
バッシャールの問いに、スオウは目を伏せた。彼は3つ目の案を言わなかった。
「リエリー様、3つ目の策はあなたもお分かりでしょう」
ヨンキントが辛そうな顔で言った。
リエリーは目を閉じ、胸に手を当てた。
「私がグイド王のものになる。その見返りにアツリュウを解放してもらう……」
リエリーには分かっていた。セウヤ兄様を動かせないのならば、自分にできることはもうそれしかないことを……
「話を聞いていると、グイド王を動かすにはそれ以上のものは無いな。まあ、それでいいなら、私は別に付いて行かなくてもいいということだ。砂糖菓子のお姫様。絵本の物語としては良い終わり方だ、愛する男の命を守るために、王様のお妃になりました。めでたしめでたしだ。どうだリエリーそれでいいか?」
バッシャールの問いに、リエリーは答えを返せなかった。
今まで何度己に言い聞かせてきただろう?
何も望まない。
遠くから彼を見るだけでいいから。
アツリュウのためなら、人形になってセウヤ兄様の隣にいるから。
あなたを守るためならなんだってする。この命を捨ててもかまわない。
アツリュウが幸せになるなら、私なんてどうなってもいいから。
ねえ、リエリー本当にそれでいいの?
それが、あなたの本当の気持ちなの?
「嫌……」
口から気持ちがこぼれ出た。
リエリーは立ち上がり、男たちを見た。内から燃え上がる炎を隠すことができない。
バチバチと燃え盛る怒りに震えた。
野獣のように唸り声をあげて、怒りを爆発させたかった。
「私はアツリュウだけのもの、誰のものにもならない!」
リエリーは大きく息を吸い込んで、大きな声で皆に教えた。
「私はアツリュウに命令しました、私のために死になさいと!」
男たちはだれも口をきかない、リエリーを真っすぐ見ている。
「だから彼は命がけで私を愛してくれた。誰にもアツリュウを殺させない、アツリュウは私のためにしか死にません。私も同じ、グイド王のものになるくらいなら私は自分を殺す、アツリュウのためにしか私は死なない」
リエリーは怒りと共に大声で言い放った。
「アツリュウは私のものです! 兄様には絶対に渡さない! 絶対に誰にも渡さない!」
リエリーの叫びの後、しんと山小屋の中は静まりかえった。
男たちはリエリーから目を離さず何も口をきかない。
リエリーの胸の内でたぎるように燃え盛った怒りは真っすぐにセウヤに向かっていく。
お兄様を許さない。
バッシャールはリエリーの前に立つと黒曜石の瞳でのぞきこんでくる。
「ぞっとするほどに美しいな、おまえのアメジストの瞳が妖しいほどに光っている」
彼は吐息のようなため息を一つついた。
「リエリーよ、おまえの兄がどうやってもミッタ―ツルギを殺すなら、その時はどうする」
リエリーはバッシャールを睨みつけた、答えは決まっていた。
「セウヤ兄様には殺させない、兄様の目の前で私がアツリュウを殺す、そうして私も死ぬ」
バッシャールに獰猛な狼の目がもどってきて、顔をぐっとリエリーに近づけた。
「愛する男を殺すと言ったか。まるで妖魔のように色香を振りまいていると気づいているのかお姫様、痺れて死にそうだ」
バッシャールは良い声で笑うと「退屈せずにすみそうだ、思う存分楽しませてもらう」と呟いた。
「よかろうリエリーの潔い凶暴さが気に入った。だから私がもう一つの策を提案しよう」
もう一つの策。リエリーがグイドのものにならなくても済む方法があるのだろうか?
「ピプドゥ現王ヌーフは北ルールド帝国と繋がっている。ピプドゥが北ルールドに取り込まれるのは必至、南ルールドは私が欲しいだろう。何故なら私は兵力さえあればピプドゥを取り戻せる、13部族も私をバッシャールと認めている、私はピプドゥを取り戻し、今まで通りの南ルールドの犬に戻すことができる最高の切り札だ」
ヨンキントとスオウはうなづいた。
「そこで、私がグイド王にかくまわれていると南ルールドに知らせる。当然南ルールドは私を引きわたせと要求してくるだろう。だがグイド王の手元に私はいない。居場所を知っているのはリエリーだけだ。だからリエリーはグイド王と交渉できる、ミッタ―ツルギを解放しなければバッシャールは渡さないと脅せ。私を渡さなければ、南ルールドは武力をもってヒルディルドを攻めるだろう」
「この国を人質にとって、グイド王を脅すということか」
スオウが問うとバッシャールは「そういうことだ」と答えた。
このヒルディルド国を人質にアツリュウを取り戻す!
リエリーはその大きさに驚き慄いた、だが、そこまですればグイドとて応じるだろう。
「ではバッシャールを確実に隠さねばならない、グイド王に見つかればこの策は終わりだ」
スオウの言葉にヨンキントが答えた。
「私がヨウクウヒ王家の力を使います。神殿の力を使うならば、シュロムからもビャクオムからもバッシャールを隠すことができるでしょう」
スオウはもの言いたげにヨンキントを見た、そこには苛立ちのような怒りのようなものが含まれていた。
「スオウ、あなたの言いたいことは分かります。私を信用しきれないのでしょう? でも、あなたと同じです。私もまたアツリュウが無事でさえあるならもう望む物は無いのです。あなたがセウヤ殿下を捨てるように、私も保身を捨てましょう。私が父の言う通りの良い息子に戻れば、ヨウクウヒ王である我が父は、私の言うことを何でも聞いてくれます」
スオウはなおも疑わし気な顔をヨンキントに向ける。
「おまえは本当にヨウクウヒの第三王子なのか?」
ヨンキントは寂し気な微笑みで答えた。
「残念ながら本当です。父は私が欲しくてたまらないのです。父に私を与えましょう、それでこの国の神殿は私の好きにできる」
そう言ってヨンキントは目を伏せ、もう一度目を開いた時、冷たくスオウを断罪した。
「だから、私はアツリュウをセウヤ殿下から隠すことができたと申し上げておりますスオウ殿。あなたが私を頼っていればアツリュウを救えた。代わりにあなたは逃がした罪でセウヤ殿下に殺されたでしょう、でもね……」
ヨンキントは凄みのある顔を見せてスオウに近づいた。
「お前に死ぬ覚悟があれば、アツリュウを助けることができたのだ、覚えておけこの無能」
「いくらでも私を罵倒しろ、私は甘んじてそれを受けよう」
リエリーはスオウの横から離れてヨンキントの隣に行き、神官服の袖をそっと握った。
「ヨンキント……」
彼のあまりにも普段と違う怒りを吐き出す様子に、声をかけようとしたものの、リエリーは何と言えばいいのか分からなかった。見上げると、ヨンキントの顔に怒りはなく、ただ悲し気にリエリーの手を取った。
「すみませんリエリー様。もう怖くてどうしようもないのです。私たちが間に合わずアツリュウが殺されてしまったらと思うと、正気を失いそうです。だからこの不安をスオウ殿にぶつけてしまう、彼が許せないのです。あの引っ立てられていくアツリュウを思い出すと、スオウ殿を責めて、責めて、違う……アツリュウを守れなかった自分が、許せない。みすみす行かせてしまった自分が……」
ヒルディルド語でそう言うと、ヨンキントは顔を手で覆いうつむいた。リエリーが握るもう一方の手は震えていた。
「ヨンキント殿の言う通り俺は無能だ。アツリュウを守れず、姫君を守れず……リュウヤ殿下を守れず。私はいつも誰も守れない愚かな無能なのだ。だが今度こそアツリュウを守ることができたら、その時はヨンキント俺を殺していい、それだけのことを俺はアツリュウにしたのだから」
「分かって……いるのです。スオウ殿がどれだけアツリュウを大切にしていたか……この役も、他の者にさせたくなかったから……己で実行したのだと……分かっているのです……」
リエリーは「ヨンキント」と優しく呼んだ。
「私もアツリュウのことを思うと怖くて叫び出しそうです。でも考えるんです。今頃アツリュウは船の中で何をしてるのかなあって。きっとね、ハヤブサアツリュウの頭に付ける言葉をサンバシと熱心に考えてますよ。ヨンキント様見えるでしょうアツリュウが、笑ってますよ心配すんなって。大丈夫私たちは絶対にアツリュウを守ります。必ず取り返します」
ヨンキントが顔を上げ、赤く潤んだ目でスオウを見た。
「どうしても許せない、でももう責めません。今ここから同士としてアツリュウを助けにいきます。スオウ殿共にアツリュウを取り返しましょう」
スオウは何も言わず頷いた。
リエリーは皆の顔をみた、笑顔をつくって大きくゆっくり宣言した
「私は必ずアツリュウを救い出す。皆、私に力をください」
「ヨンキント殿、あなたは神殿の力を使いバッシャールと行動を共にしモーリヒルドに潜伏してくれ。私と姫君は別行動でモーリヒルドに向かい、グイド王と交渉する。バッシャールをグイド王に渡してはならない、姫君をセウヤ殿下に渡してはならない、この2つの失敗を犯さなければ勝機はある。では出発しよう」
いつもの冷静な声でスオウが言った。
リエリーはセウヤをみすえた。今ここにいない兄、けれどはっきりとその顔が見えた。
私は負けない。
アツリュウあなたを守る。




