108.ヨンキントとスオウ
夜明けと共にリエリー達は山を下りた。
バッシャールの根城を去るとき、リエリーは大勢の男たちに笑顔で見送られ、また来て欲しいと口々にお願いされた。近づいてくる男達が恐ろしかったが、ジャミルが傍について絶対に誰も近づけなかったのでほっとした。
根城の場所を隠すため、リエリーとヨンキントは来た時と同じように、目隠しをされて背負われた。
ココサワ翁の山小屋に着くと、一緒に来た男たちは去って行き、バッシャールと、ジャミル、そして天幕でバッシャールの横に控えていた男が残った。
「この二人を連れて行く。ジャミルとマルワーンだ」
バッシャールに紹介され、リエリーはピプドゥの挨拶をマルワーンにした。そのとき、馬の蹄の音と「姫君!」という聞いたことのない、スオウの大声が森の中に響き渡った。
ものすごい勢いで駆けてくるスオウを見て、黒装束のマルワーンが音も無く動いて、リエリーの前に立った。リエリーはぞっとした。このままスオウが来たら、この男は殺すつもりだと瞬時に悟った。
止めなければ、と思った時にはもう遅かった。
馬を飛び降りたスオウが、走りながら剣を抜き、気づいた時には、キーンと金属の音がしてマルワーンとスオウは剣を交差させていた。
スオウが飛びのきまた打ち込もうとする。リエリーは「やめて!スオウやめて!」と叫んだ。
マルワーンが素早くさがった。
リエリーはそこで信じられないものを見た。スオウが剣をその場に落としたのだ。剣士が剣を土に落とすなどありえない……
けれどスオウはリエリーを見つめたまま突き進んでくる。
気づいたときには、スオウはリエリーの足元にひれ伏すように跪いて、彼女の足元に顔を寄せた。
リエリーはびっくりして、自分も膝をつくとスオウの肩に手をおいた。
「姫君、姫君、ごぶ……じか? 姫君、姫君」
スオウはリエリーの肩を両手ですがるようにつかみ、泣きそうな顔で見上げてくる。
彼の体は震えていて、声はか細く切れ切れに、姫君ご無事かと何度も繰り返した。
「スオウ私は大丈夫です。バッシャールは私と一緒に来てくれます」
彼を安心させようとして微笑むと、リエリーはスオウの腕に引き寄せられた。ほとんど抱きしめられそうになったとき大声がした。
「離れなさい!」
ヨンキントの手が強引にスオウとリエリーの肩の間に割って入ってきた。
むしり取られるようにリエリーはスオウから離されると、ヨンキントはかばうように脇にリエリーを抱えた。
「下がれスオウ。お前がリエリー様に触る資格は無い! アツリュウを殺す男がリエリー様に触るな!」
スオウは勢いよく立ち上がると、ヨンキントに切りかかるような恐ろしさで迫った。
「おまえどうして姫君を止めなかった」
「アツリュウを殺す手引をし、リエリー様を危険に落とした男が何を言う。お前に語る言葉など私には無い、私たちの前から消えなさい!」
いつも温和なヨンキントとは思えない、激しい怒りを見せてスオウに言った。
「ヨンキント、スオウは私達を逃がそうとしてくれたのです。でも私は断りました。だからスオウを責めないでください」
リエリーがヨンキントを見上げて言うと、彼は大きく首を横に振った。
「この男は最低です。なにもかも中途半端に決断できず。リエリー様もアツリュウも救えない。何の役にも立たない男です。こんな人間に二度と近づいてはいけません。行きましょうリエリー様」
スオウは立ち上がるとヨンキントにぐいと迫った。
「私は全てを捨てる。姫君のためだけにこの身を捧げると誓う」
ヨンキントは目を細め、凍る冷たさで「あなたの言葉など信用しません。リエリー様から離れてください」と言い、しっしっと手でスオウを払う仕草までした。
◇◇◇ ◇◇◇
ココサワ翁の山小屋前にある、丸太を横に倒した椅子に、リエリーを真ん中に、バッシャールとジャミルは並んで座っていた。バッシャールの横にマルワーンが控えている。
4人は先ほどから一向に終わらないヨンキントとスオウの言い合いを眺めていた。
「それであのスオウという男はお前の番犬で、リエリーに置いていかれて拗ねているのか」
バッシャールが聞くので、リエリーは番犬ではないと慌てて否定した。
「いや、ほとんどお前の足を舐める勢いで飛びついていたではないか。あの男はお前の僕だ、見てわからないのか?」
バッシャールは長い脚を組んで、面白そうにヨンキントとスオウを観察している。
「あいつらの喧嘩は終わりそうにないから、面倒だが眺めていよう。その間にジャミル好きなだけリエリーを口説くといい」
バッシャールはのんびりと言ってジャミルに笑いかけた。彼は野生の狼から、黒い大型犬に雰囲気を変え、昨日までありありと見せていた凶暴さを上手に隠している。
誰よりも強く余裕のある顔をするバッシャールの内面は、たった一人の女性を想い、崩れ落ちそうになりながら生きている。弱みを見せたバッシャールをリエリーは怖いとは思わなくなった。
先ほどからヨンキントはスオウを激しく断罪している。
「スオウあなたは、みすみすアツリュウをセウヤ殿下に渡してしまった。アツリュウがここにさえいれば、助ける策はいくつもあったのに」
「助ける? セウヤ殿下は刃向かえば兵団を送ってくるぞ。アツリュウはそれを命を張ってとめたのだ。あいつの覚悟を尊重した」
「覚悟? どうしてたった19歳の彼にそんな覚悟をさせるのか? 死ぬ選択しかできないところに追いこまれたアツリュウを、あなたは守らなかった。誰よりもそれができる場所にいながら、己の保身で動かなかったそうでしょうスオウ」
スオウは苦い顔で「ここで戦争を起こす訳にはいかぬ」と絞り出すように言った。
「戦争? これは戦争の話ではない、おもちゃを取り上げられた子供の癇癪だ。セウヤ殿下はまるで子供、でもあなたはセウヤ殿下を諫めすることもできず、エイヘッドに逃げてきたのでしょう? あなたはただの逃げ犬。だから、一言命令されれば、アツリュウを身を張って守ることもしない。上の言いなりに従うことが何より重要で、そのためには大切な人が死んでもどうでもいいのだ」
「神官のお前にはどうとだって言える。ではここの兵士とセウヤ殿下が送ってきた兵士で戦わせればよかったというのか! その後どうする、アツリュウを本物の反逆者にしてしまう」
スオウがギリギリと睨みつけ、ヨンキントも一歩も引かずに睨み返す。
「アツリュウを送り付ける代わりに、バッシャールを連れていけばよかったでしょう? そうすれば謀反の意思無しと殿下を納得させられる」
「そんなことは……」
「無理ですか? ごらんなさい、リエリー様はたった一人でバッシャールを動かしましたよ」
ヨンキントの言葉にスオウはぐっと耐える顔をした。
「一度退けたところで、セウヤ殿下は次々とアツリュウを捕らえる理由をつくるだろう。殿下はただ、アツリュウを罰したいだけなのだから」
「罰するといいましたね。殺すといい直しなさい。スオウあなたは、どこかでセウヤ殿下がアツリュウを殺さないと踏んでいるのではないですか? だからこうも簡単にアツリュウを引き渡した。私が腹を立てているのはそこだ。あなたは自分が何をしたか分かっていない。アツリュウは殺されると本気で思っていないのだ、ふざけている、あなたは何もかも中途半端だ、二人を逃がす本気も見せない、アツリュウを守る本気も、そうして、アツリュウが本当に死ぬのだという覚悟さえできていない。最低の、最低の、屑男、おまえになんの価値があるのだ、リエリー様の前から消えなさい!」
「私が屑だというのは認めよう。だがおまえはどうなのだ。どこの間者か知らないが、アツリュウを手玉に取って情報を売っていたのだろう。ヨンキントおまえこそ姫君から離れろ。お前は神殿の飼い犬であり、そしてどこかに違うご主人様がいるのだろう? 私が気づいていないとでも思ったか」
ああ気づいていましたか、とヨンキントは軽蔑したように吐き捨てた。
「だったらスオウ、あなたは本当に無能だ。アツリュウはすっかり私に懐いて、心底私を信用している。それからリエリー様は、私を選んだ。スオウあなたではない、ここに一緒に来たのは私だ。怪しい神官から二人を引き離すこともできなかった、なにからなにまでほんとうにお粗末ですねスオウ」
「なあリエリー」
のんびりした口調でバッシャールが頬杖をつきながら話しかける。
「私はちょっと飽きてきた。あの神官は何でか知らんがひどい怒りようだ、あれは止まりそうもない。リエリーどうする? あの2人ならどっちを使いたい、口が立つ方か、腕が立つ方か……リエリーの好きな方を選んできてくれ」
リエリーはバッシャールにすぐに返事ができなかった。なぜならリエリーはジャミルの恋の詩を諳んじるような、熱のこもった告白を聞き続けていた。「あなたは私の星の導き……たった一人の運命の人……」
リエリーは立ち上がり、言い争う二人の男の前に進んだ。背の高いヨンキントとスオウを見上げる。
二人は言葉を止め同時に言った。
「リエリー様」「姫君」
ヨンキントが怒った顔で何かを言おうと口を開いた時、スオウがリエリーの前にひれ伏した。
「姫君、私はあなたを失ったと思った。いやあなたが賊にどんな酷い目にあわされているか、考え続けていた。私のせいであなたを……」
スオウは額を土に押し付けた。
「もう何も望まない。あなたが無事でいてさえくれれば、私はもうそれだけでいい。リュウヤ殿下が愛したあなたを失いたくない。だから、どうか私をあなただけの剣士にしてください。私は全てをあなたに捧げます。セウヤ殿下には従いません。リエリー王女殿下、私はあなたの言葉だけに従い、あなたの盾となって命を捨てます。どうか私がお側であなたを守ることをお許しください」
リエリーは大きく息を吐いた。この人を自分はどれだけ心配させたのか痛い程に感じた。そして、スオウは、セウヤ兄様にもう従わないとさえ言った……彼の覚悟を自分は受け取るかどうか、リエリーはその重みを考えた。
「スオウ、私の望みはただ一つ、アツリュウを取り戻すこと。そのためにならすべてを敵にしてもかまいません。その覚悟で付いてこれますか?」
スオウは跪き、頭を垂れた。
「姫君のお心のままに従います。この命どうぞご自由にお使いください」
リエリーはヨンキントを見た、彼は眉根を寄せて怒りを消していない。
「ヨンキント、私はスオウを信じます。彼は嘘をつきません」
「リエリー様、ええこの男はあなたに嘘をつかないでしょう。でも肝心な時に動けない腑抜けであることは間違いまりません。しかしリエリー様がこの男を許すならば、私はリエリー様に従います」
ヨンキントは冷たい目でスオウを見下ろし言った。
「アツリュウに手枷をはめたお前を生涯軽蔑する、けして許さない」
「その言葉胸に刻みけして忘れぬ、アツリュウを救うために私は動くと誓う、ヨンキント殿どうか同行を許して欲しい」
「分かりました」とヨンキントは低く返事をした。それを聞くとスオウは立ち上がり、バッシャールの前に来て片膝をつき礼をした。
「ピプドゥの第二王子バッシャール殿下とお見受けする。リエリー王女殿下の願いを聞き入れてくださり感謝いたします」
彼は流暢な帝国語で告げると、もう一度深く礼をした。
「おまえ、どうしてあの神官をあすこまで怒らせた。何をしたのだ」
バッシャールの問いにスオウは無表情なまま答えた。
「アツリュウ・ミタツルギに手枷をはめ、罪人として引っ立ててモーリヒルドへ送り付けた」
バッシャールは顎を擦りながら「よくもまあ、リエリーに顔を見せられたものだ」と鼻で笑った。
「そういうことなら、おまえのせいでリエリーは賊の根城に来たことになるな。私に好きなだけ犯された後、部下に投げ与えられて、最後に狼の餌にでもなったリエリーの体を拾いにきたということか。まあせいぜい罪悪感にまみれてリエリーの下僕として働いてやれ。私はリエリーが愛する夫どのを救うのに付き合ってやる、砂糖菓子の王女様の大人しい犬になってやろう」
スオウは表情を変えず、立ち上がると帝国式に礼をした。「それでは作戦会議をします。山小屋を借りましょう。アツリュウ救出の策を立てる」彼は振り返って大きく声をかけた。
「よろしいか姫君、ヨンキント殿、始めよう」




