104.リエリーが始めること
8日目の朝が来た。
その日が特別の日であることを、リエリーもアツリュウも知っていた。
昨日海辺の町から戻り、リエリーは領主館のアツリュウの寝台で目を覚ました。いつもいてくれるアツリュウが隣にいないことに気づいて不安でいっぱいだった。
大丈夫と自分に言い聞かせて侍女に身支度させると、キボネが「アツリュウ様はオルゴン補佐官のお部屋です」と教えてくれた。リエリーが領主館を出ようとすると、館の入り口の広間にスオウが立っていた。
スオウは壁にもたれ掛かり、片足を少し前に投げ出して腕を組んで立っていた。
10歳のときに護衛官として彼が自分に付いていた頃から今日まで、そんな姿勢で自分の前に立つ彼を見たことがなかった。
リエリーはスオウの前で立ち止まった。それでも彼は姿勢を正すことなく、彼女に目も合わさず怠惰に立っている。王女の前でする態度ではなかった。
「これは、私の独り言ですが……」
スオウは目を合さず、低い声で小さく告げた。
明らかにいつもと違うスオウの態度に、リエリーは込み上げてくる不安に取り乱しそうになる。
けれど懸命に耐え、スオウの顔を見ずに平然な顔をつくって次の言葉を待った。
エイヘッドから送られる書簡は、船と早馬で天候が良いと4日でモーリヒルドに着く、そして返ってくる返信も4日、すなわち二人の関係がセウヤ兄の知るところとなり、彼がどんな判断を下したかが明らかになる日が今日だった。その知らせをスオウは受け取ったのだ。
「代行はモーリヒルドに戻される。セウヤ殿下はアツリュウを罰する」
感情のこもらない彼の声が低く小さくリエリーの耳に届く。
「罰する……何を罰するの? 婚約者と契ったこと?」
リエリーは怒りに彼を睨みつける、その怒りは今ここにはいない兄へのものだ。
兄がどう出るのか、リエリーはずっと恐れていた、でも一方で希望も持っていた。エイヘッドに滞在することを許した兄が、アツリュウと自分を許しているのではないかと……
ずっと目を合せなかったスオウがリエリーを見た。ブルーグレーの瞳は冷たい。
「お二人が戻らなくても、私は追うつもりは無かった。けれどアツリュウはあなたと共に昨日帰ってきた。アツリュウの覚悟はできていると私は受け取った」
スオウの瞳は問うている、あなたの覚悟はできているのかと?
「なんの罪だというのです。私達は兄に罰せられるようなことをしていません」
スオウは壁から背を離した。いつものように兵士然とした無機質な姿に戻った。
「エイヘッドを拠点とする山賊集団と共謀し、シュロム王家に反逆を企てた猜疑で、私はこれからアツリュウ・ミタツルギ領主代行を拘束しセウヤ殿下のもとへ連行する」
「反逆を企てる?」
思いもしなかった言葉に、リエリーはスオウの言った意味を理解するまで呆然と立ち尽くした。
「アツリュウはそんなことをしていないと、スオウが一番知っているではないですか!」
「代行はバッシャールと接触し交渉した。それをセウヤ殿下がどう解釈するかは、私の職務の及ぶところではありません。セウヤ殿下が連行せよと命令されるならば、私は従います」
目の前の男はあまりにも冷たく言い放った。リエリーは声を出そうとして唇が震えていることに気づいた。
「反逆罪となれば、アツリュウはどうなるのですか?」
「王家に謀反有りとなれば処刑、ミタツルギ家も子息が反逆罪となれば処分を免がれることはできません」
リエリーは爪が食い込む程に手を握りしめても、その場に倒れそうだった。叫び声をあげて泣きたかった。けれどそんなことに意味がないことを知っていた。
「私がやめてと命じたら、あなたはやめる? スオウ」
スオウはリエリーの前に跪いた、見上げるように顔を上げる。
「やめません姫君。私がアツリュウを拘束しなければ、他の者がするだけです。私はこの役を己の手で全うしたい。私はこのためにアツリュウの元に使わされたのです」
冷たい声、表情のない顔……でも、スオウがどんな気持ちかなんて……エイヘッドで同じ時を過ごしたリエリーには痛い程に分かる。
「これは私の独り言です。代行を拘束するのは1刻の後……」
その言葉の本意に気づいて、リエリーは思わずスオウと口の中で名を呼んだ。
1刻の時間の猶予を彼は与えてくれるという、それは逃げることを見逃すという意味だ。それは彼の命と引き換えにするに等しい。アツリュウと王女を逃がせば、兄はスオウを許しはしないだろう。
リエリーは目を閉じた。息を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。
どうするの?リエリー。己に問いかける。
今あなたは自分で考え、自分で答えを見つけねばならない。
セウヤ兄様から逃げるの?
『おまえが私に約束したことを忘れるな。それができないのなら責めはアツリュウに負わせる』
あの言葉通りに、責めを甘んじて受けるの?
目を開いた。
「スオウ」
微笑みかけると、彼が驚いたように目を見開いた、そんな表情のスオウを見たことが無かったから、リエリーはもっと大きな笑顔を見せてやった。
「あなたがくれる1刻を受け取ります」
彼が「姫君?」と問うようにつぶやいて、跪いたまま心配げに見上げてくる。
「スオウ、あなたの忠義しかと見定めました。しかし私は逃げません。あなたは1刻の後、兄様の命を全うしアツリュウを連れて行くといい」
スオウは苦し気に顔を伏せたが「面をあげなさい」とリエリーは静かに命じた。
戸惑いを見せるブルーグレーの瞳に王女の顔をつくって見せた、不安を隠し自信に満ちた微笑みを。
「アツリュウは私のものです、兄様には渡しません」
リエリーはセウヤとの戦いを始める。




