未熟なスイカ
青い空! 白い雲! 夏休み! ここは少しさびれた、昼下がりの地方の観光地。そして俺は─────……傷心旅行。大学に入って、サークルに入って、彼女もできて。順風満帆の、はず……だった。
「優希くんは、いい人だよ? 優しいし。だけど、何て言うか……。うん、私よりいい人いると思うから、大丈夫だよ。優希くん優しいし。」
優しい、の、その先を聞けないまま、一ヶ月と経たずその子とは別れた。だけどってなんだろうな? 俺が知りたい。そんなこんなで、友達も少ない俺は、母親の勧めもあって、大きくないまでも地元じゃちょっと有名な観光地に、ひとりさみしく、心を癒しに来たのだった……。
しばらく滞在するつもりで、宿屋に荷物を置いて。軽く背負える程度の荷物を持って、さびれた港町に繰り出す。日差しが暑いけど潮風が気持ちいい。置かれた船を横目にして、砂浜がないだろうかと探して歩く。
「なぁ! そこのお兄さん‼」
声をかけられたのは、お目当ての砂浜を見つけてきれいな貝殻がないかと探し始めた矢先だった。声の先には、小さき人。小学生かな?
「お兄さん観光客⁉」
「そうだよ!」
その小柄な少年は、ぱっと顔をほころばせると駆け寄ってきた。
「そこら辺は全部おれが拾っちゃったから、貝殻ないと思うよ?」
手元にあるカバンから、何かおもむろに取り出す。
「買う? 一個五十円だよ。」
そこにはシーグラスや、シマ模様、マーブル模様の貝殻があった。虹色に輝く貝殻の内側が宝物のように光る。せっかくなので買うことに決めて、見せてもらうことにした。
「どれにしようかな……おすすめは?」
「うーん……取っておきは、これかな!」
そう言って少年は薄ピンクの貝殻をまとめて瓶につめたものを見せてくれる。
「サクラ貝っていうんだぜ、キレイだろ。集めるのに苦労したんだ。それにこの貝、もろくてさ。割れやすいんだ。」
赤ちゃんの爪のように可愛い薄ピンク。少年の言うように欠けたものや欠片が瓶に混ざっている。
「これも五十円なの?」
「いや、これはビン代込みで百円。」
「わかった、これ一個買うよ。」
「やった! 毎度あり!」
お金を渡すと、少年はその小瓶をくれた。
「君、地元の子? 俺ここら辺詳しくなくてさ。暇潰せる所知らない?」
少年はまた嬉しそうな顔をした。
「ガイド料取っていいなら案内するよ。」
無邪気に生意気なことを言うなぁ。お手並み拝見と行こうか。
「お値段はいくらくらいなんだい?」
「一日千円かな! 別途料金がかかる場合もあるかな。例えば、一緒に釣りする場合、オレにもやってほしいならその分払ってもらう感じ。」
「ここ、釣りができるの?」
「釣りの道具を貸してる店があるんだ。なんなら釣った魚は食べられるか教えてくれるし、近くの食堂で料理してもらえるよ。」
流暢に語る少年は、少しばかり大人びてみえる。
「君、大人っぽいね。いくつ?」
「オレ? この前八歳になった。お兄さんは?」
「俺は十九歳。大学生だよ。大学は夏休みが長いんだ。暇してて困ってたんだ。お世話になってもいいかな?」
「もちろん!」
少年は、少年らしい幼い笑い方でニカッと笑った。
少年に案内を頼んで、まず向かったのは貸し釣り道具屋だった。
「おっちゃーん!初心者の客連れてきたぞ‼」
小さくて薄暗い店内に入っていく少年。少し埃っぽい。
「少年、ここホントに営業してるの……?」
少年、と呼んでから、まだ名前を聞いてない事に気づく。
「そういや君、名前何て言うの?」
店の奥に着くと、いかにもな厳ついおじいさんが店番をしていた。
「こいつの名前は『翔太』だ。太く生きる、天翔る命だ。世話焼いてくれるんだってな、ありがとな。」
「あ、いえ……。」
「翔太、初心者用の道具持ってこい。あと、麦わら帽子。」
「はーい。そういや兄ちゃんの名前も聞いてなかったな。聞いていい?」
「いいよ。優希って言うんだ。呼び捨てでいいよ。」
「ありがとう! ……ゆうき、な。じゃあ道具揃えてくる!」
「はぁい、よろしく。」
ニコニコ見送ると、店主のおじいさんがボソボソと話し出した。
「あの子は可哀想な子でな……。金は取られると思うが、遊んでやってくれたら嬉しいよ……。」
可哀想な子? どうして……と聞こうとしたところで翔太が帰ってくる。
「ゆうきお待たせ。おっちゃん!これでよかったか?チェックしてくれよ。」
バラバラっとカウンターに並べられた道具を、店主がチェックする。
「うん、初心者にはこんぐらいの装備でちょうどいい。でけぇ背びれのカサゴに気を付けろ。毒がある。トゲに触っちゃなんねぇ。翔太、おめぇは優希さんが慣れるまでサポートしちゃれ。」
「わかった。エサは? どんくらいくれる?」
「一番少ないのでいいだろ、冷蔵庫から持ってこい。」
「はぁい。」
よくわからないまま話が進んでいく。
「暑いから麦わら帽子かぶってけ。釣った魚は近くの食堂で料理してもらえるように電話しとく。場所は翔太が知っちょる。今日は全部で千円だ。すまんね。」
「いえ! 払います。ありがとうございます。……あの、さっきの」
「ゆうきぃ! 見てみろよ! おもしろいぞ!」
可哀想な子、の意味を聞こうとして、本人に遮られる。仕方ないか。諦めよう……。
「何が面白いの?」
「この箱開けてみろよ、そーっとな。オレも支えてるから……。」
「んん? どれどれ……どぅわ‼」
「あっはっは‼ びびってんじゃん!」
魚のエサって、そういやミミズみたいなやつが主流だったっけ……。気持ちわる……。え~~これ触るの……?
「そいつは『ゴカイ』と言ってな、噛むこともあるから気を付けろ……。」
余計に触りたくなくなる情報!
「平気だよ、最初はオレも手伝ってやるから大丈夫だよ!」
笑いながら翔太が言う。
「頼むよ……? 慣れるまで時間がかかりそうだ。」
「おう! 任せとけ! ガイド料分きっちり働くよ!」
「そうだった、今日の分のガイド料払っておくよ。はい、千円。」
翔太の顔がぱっとほころぶ。
「わ! ありがとう‼」
チラリと店主の顔を見ると、翔太を見て微笑んでいる。最初のいかつい印象とは打って変わって、優しい人のようだ。
「ゆうき、早速釣りに行こうぜ。」
「おっ、いいな。行くか!」
こうして人生初の釣りに向かったのだった。
砂浜が途切れた縁に、コンクリートが打ってあった。よく目を凝らすと波間に魚の影が見える。
「ここならでかいのは釣れないけど、けっこう釣れると思うぞ。初心者向けスポットだ。」
そう言いながら翔太が準備してくれる。
「ここな、こうやってやるんだ。針が危ないから気を付けろよ。」
「手際いいなぁ。」
「そりゃ慣れてるからね。」
そう言ってエサのゴカイも手際よくつける。
「とりあえず、こうやって釣り針をゴカイの頭に刺せば大丈夫だ。」
「なるほどォ。」
「で、投げ方はこう。周りに気を付けて、思いっきり投げろ。……ほらな!」
ポチャンと浮きが浮かぶ。鮮やかな手際で釣りが始まる。
「あとは、魚がかかれば浮きが沈んで、すぐわかるんだぜ。そしたらここを巻いて、この網ですくうんだ。」
一通りのレクチャーが終わったのか、翔太が竿を渡してくる。
「あとはゆうき、あんたに釣りの女神が微笑むかどうかだぜ。」
「カッコいいこと言うなぁ。」
そうして釣りの女神は微笑んだ。上々だなぁと翔太は言って、夕食にはちょうどいい量の魚を食堂で料理してもらった。メジナの煮付け、ガザミの味噌汁。ついでにナマコの酢の物、茶碗にいっぱいの白米。一緒に食べよう、と翔太に声をかけて、一緒に食べた。
「あっ、考えなしに誘っちゃったけど、翔太はお家のご飯、大丈夫だったの?」
飄々とした感じで、翔太は言う。
「うち、夏休みは自分でご飯作ることになってるんだ。各自、自分の分。だから助かったよ。」
「そうなんだ、変わってるね……。」
その後、翔太は石段を登った先にある神社に俺を案内した。夕日に照らされて、波間がキラキラと輝く。
「綺麗だな……。」
遠くの船の影が神秘的だ。一眼レフの望遠レンズでも持ってくれば良かった。これはスマホカメラじゃ上手く撮れない。けどいいんだ、そういう細々したことを忘れに、ここにやってきたんだ。
「翔太、ありがとう。なんか心が洗われた気がするよ、ここはいい町だね。」
「まだゆうきを連れてく所はいくつかあるぜ。」
「それは楽しみだ。明日は、最初に会った浜辺集合でいいかい? 何時ごろがいい?」
「朝はやることあるから、ゆっくり目で十時なんてどう?」
「いいね、そうしよう。」
翔太は、宿屋まで送っていってくれた。そしてそこで解散した。夕飯はいらないと連絡してあったので宿屋での夕飯はない。戻ってきた俺に、宿屋の女将さんが眉をひそめた。
「今の、鈴木さんとこの翔太くんじゃない? ……関わらない方がいいわよ。」
「え、どう言うことですか?」
「親がちょっと……ね。」
言葉を濁す女将さんに、少しイラつく。親がなんだってんだ。あの子はあんなにも無邪気で、「いい子」だったっていうのに。……そりゃ金は取られたけど。
「どういうことかよくわかりませんけど、僕は明日も彼と会う約束してるんで。放っておいてください!」
「そう? まぁ、親御さんと会うことはないだろうからいいけど……。気をつけてね。」
「ご心配ありがとうございます!」
自分でもなぜこんなムキになっているのか判らず、部屋へと向かう。二階の客室から、今日遊んだ海が見えて、汗ばんだ肌がベタベタして気持ち悪かった。
次の日、翔太は水浸しで現れた。
「海で貝殻拾ってた。」
とポツリと言った。その後に真水で頭から爪先まで洗ったらしく、十時までには乾くと思ったんだけどな、とカラカラ笑っていた。時折パタパタと服を乾かす素振りを見せる翔太に、新しい服を着ればいいのに、という言葉が喉まで出かかった。けれど、あの女将さんの言葉が思い出されてつっかえた。親御さん。家に行けば、翔太の親に会う確率も高くなる。それは避けたかった。厄介事は、勘弁だ。そしてなんとなく、翔太にも迷惑がかかる気がする。
「さ、今日は子ども達のパラダイスに案内するぞ。」
翔太は気にしない風にいつもの調子で、濡れたビーチサンダルでベチャベチャ歩き出した。俺は通りすがりの観光客。家庭環境に踏み込める立場じゃない。チクリと、何処かが痛んだ。
「さぁ、着いたぞ! 子ども達のパラダイス───……駄菓子屋だ‼」
こじんまりしたその木造の建物の中は、小さなお菓子でたくさんだった。品揃えも中々だ。ふと、中に入らず日差しの中に立ち尽くす翔太に気づいた。
「翔太は、買わないの?」
んー、と、翔太はバツが悪そうに自分の指を絡ませる。
「ほら、オレ今水浸しで、お菓子濡らしちゃうかもしんないし……。今日はオレお金持ってないんだよ。」
昨日渡したお金は? と思ったが、詮索するのも野暮か。今は、持っていないというだけの事だ。
「そっか、じゃあ俺がその分のお金払えばいいんだよね? かかる経費は俺が払う約束だったもんな。おいで。翔太の服、日差しで乾いてきたから大丈夫だよ。」
「でも……。」
どうしたんだろう。当初の、金を払ってくれよ! って感じの押しの強さがない。
「翔太、どうした? なんか……」
「お菓子はいいや、オレ。なんか悪いし。案内してるだけでいい。それでお金もらえるし、お菓子まで買ってもらわなくていい。」
頑なな翔太の瞳が、大きく揺れる。ぼたぼたっと、涙の跡が地面に作られる。
「だって、母さんが、お菓子は贅沢だって。おれ、朝とか、パンとか自分で買って食べるけど、かあさん、起きてこないから……。寝てて、起きてこないから……、家でお菓子なんて、食べたことないし……。お金のムダだから、買うなって、いつも怒られるし……。」
ぼろぼろとこぼれ落ちる言葉が、翔太の家の事情を物語っていた。このくらいの歳の頃なんて、お菓子なんて日常的に食うもんじゃないのか? それを、親が押さえつけてる。
けどこれは、それだけじゃなさそうだ。
「……翔太。俺、一人で旅行に来て、どこに行けばいいか困ってたんだ。それを助けてくれたのはお前だよ。お礼に今日は翔太が食べてみたかったお菓子、全部は無理かもしれないけど二個ずつ、このかごに入れて。買うよ、俺。一緒に食べよう。それから、お家のこと、俺に聞かせて。何か出来ることがあれば手伝うよ。今度は俺が助ける番になるかもしれないからね。いいかな?」
こくこくと、ぐしゅぐしゅと涙を拭いながら翔太がかごを受けとる。俺に、何が出来るだろうか。面倒事は、勘弁だ。だけど、目の前で泣かれて黙っていられるほど、我慢強くもない。
「オレのかぁちゃん、うつびょうなんだ。」
やっぱり遠慮気味の翔太の代わりに、これ食ったことねぇな、これ旨そうじゃんと、どんどん袋いっぱいになった菓子を間に置いて、海辺のブロック塀の堤防の上で二人座っていた。
「病気だから、料理が作れなくて、かーちゃんはカップ麺ばっか食ってる。部屋もゴミだらけだし。オレもお金貰えたり貰えなかったりで、観光客から手間賃貰うようになったんだ。そのお金で商店でパンとか買ってるんだ。」
「そうか……。んっ! これ旨いぞ。食ってみ。」
「ありがと。今朝ずぶ濡れだったのも、家で風呂入ると水道代がかかって怒られるから、海辺のシャワーで水浴びして、暑いからそのまま乾燥させられるから……。」
違和感が、その正体を現していく。
「冬はどうしてんだ? 風呂。」
「濡らしたタオルで拭くんだ。」
「なるほどな。……学校は? 行けてるのか?」
「……臭いって、いじめられてるけど、行ってる。」
「そうか、えらいな。」
思春期に入るか入らないかの年頃じゃないのか。そういうの、気にするだろう。きっと、そんな学校生活から解放された夏休みだからこそのあの無邪気な笑顔だったのだろう。
俺でも知ってる。これはネグレクトだ。
さて、どう動くか……。とりあえず、ネットで検索する。ネグレクト、見つけたら……。とりあえず、通報するのが先決らしい。「いちはやく」一、八、九、だ。俺がここにいる間に、なんとかなればいいけれど……。ともあれ、本人の気持ちも大事だとふと我に返る。
「翔太、俺は、お前の今居る環境がいい環境だとは思えない。世間ではこれは、育児放棄、ネグレクトって言うんだ。きっとうつ病のお母さんもしんどいと思うんだ。二人のために、児童相談所なんかの、職員さん達が力を貸してくれると思うんだ。助けてくれる。だから連絡してもいいか?」
キラキラ光る水面に反射した翔太の顔が水面に吸い込まれそうだった。
「ゆうきは、その方がいいと思う?」
「うん。俺はお前を助けたい。だけど、俺だけが頼むだけじゃだめなんだ。翔太、お前自身が助けてって言わないといけない。これから確認のために、何度か翔太はどうしたいか聞かれることがあると思う。俺も、お前がどうしたいか聞いておきたい。今の生活のままで、しんどくないか?」
やや時間がかかって、翔太は口を開いた。
「オレ、今のままじゃしんどい。助けてほしい……。」
「解った。今から連絡するな。」
不安そうな顔の翔太がこっちを見ていた。ニッと笑って見せて、頭をがしがし撫でた。
「あっ、もしもし。はい、はい。佐藤優希と申します。はい、そうです。今旅行先なんですけど、仲良くなった小学生が、ネグレクトに合ってるみたいで……。はい、本人は隣に居ます。代わった方がいいですか?……はい、わかりました。」
「翔太、今電話のお姉さんが質問してくれるから、答えられることだけでいいから答えられそうか?」
「……うん。」
真面目な顔をした翔太がスマホを受けとる。
「もしもし。……はい、鈴木翔太です。はい。住所は、……。」
きちんと両手でスマホを持って、翔太は真面目に答えていく。
「学校でも、汚いからっていじめられてます。ゆうきが、助けてもらえって言うから電話しました。……はい。……助けて、ほしいです。」
よく言えたな。えらいぞ。そう思って翔太の頭を撫でる。
「え、ゆうきに代わればいいの?」
はい、と渡されたスマホを耳に近づける。
「はい、変わりました佐藤です。ええ、はい。そうですね、命がすぐに危険、というわけではないので……ただ、状態はかなり悪いと思います。あの、例えばなんですけど、このまま俺たち遊んでて、一緒に飯食ったり、汗かいたから風呂入ったりしても問題ないですかね?もちろん変なことしないですよ、そういうシュミないんで。やっぱり親御さんに一度会って、許可もらった方がいいですかね? それとも刺激しない方がいいっすかね? はい……あぁ。なるほど……。わかりました、じゃあ俺は大人しくしてます。え?俺の連絡先?もちろん。しばらくは近くの宿屋に滞在するんで、日中は本人と一緒に居るし、力になれることがあったらいつでも連絡してください。え? はい……。」
受付のお姉さんは、四十八時間ルール、四十八時間以内に専門職員が現地に行って確認する規則があることを伝えてくれて、近々訪問すると予定を教えてくれた。そうして、電話はあっという間に終わったのだった。
まずは、俺は翔太を宿屋に連れていった。
「佐藤さん、あんた……。」
手を繋いで帰ってきた俺たちに、女将さんがやれやれと言わんばかりに声をかけてくる。
「児相に連絡しました。無用なトラブルにならないように関わるなって言ってくれたの、解ってます。お金はちゃんと払うんで、翔太を風呂に入れてやってもいいですか。」
手をヒラヒラ振って、お金は要らないよ、と女将さんは言った。
「翔太くんの服洗濯してあげるから、かごに入れて外に出しといて。子供用の浴衣、着といて。夕飯は?」
「ここで翔太も食べていいなら、お願いしたいです。」
「わかった、用意しとくよ。」
奥に消えていく女将さん。
「……翔太。」
「なあに、ゆうき。」
繋いだ手をにぎにぎとしながら、俺は翔太に言った。
「受付のお姉さんに言われたんだけどな、周りの大人が下手に口出しすると、トラブルになりやすいらしい。だから、釣り道具屋のおっちゃんも、宿屋の女将さんも、下手に口出しできなかったんだ。こんな田舎だからな……。翔太のことを心配してなかった訳じゃないからな。」
「うん。わかるよ。」
大人しく髪を洗われる翔太と、備え付けのシャンプーハット。
「流すぞぉ。目、潰れよー。」
「はぁい。」
ジャバー! っと桶に溜めた湯をかける。
「温けぇ!」
無邪気な声が浴場に響く。一応、全身を洗いながら「アザ」が無いか確認していく。電話の最後に、児童相談所のお姉さんに頼まれたことだ。幸い何事も無さそうだ。
「お湯、熱いかな? どうだ?」
「たぶん大丈夫。」
そーっと湯船に入る翔太。見守ってから、自分も身体を洗う。
「ゆうき!」
「んー? どうした?」
「温かいな!」
「そりゃ良かった。」
俺も身体を洗い終わって湯船に浸かる。
「……俺さ、この旅行、傷心旅行のつもりで来たんだよ。」
「ショーシン旅行?」
「女の子に振られて傷ついた心を癒しに来たんだよ。」
「ゆうき、モテなさそうだもんな。」
「なんで判るんだよ……。」
翔太は腕を組んで、値踏みするように俺を見る。
「だってさ、なんかさ、優しいんだけど、それだけな感じだもん。」
「うぐ。そうなんだよ、元カノにも、『優しいんだけど、だけど』って言われたんだよな。相手の顔色伺って、居心地いいようにって言えば聞こえはいいけれど、自分が傷つきたくなくて、安全な道探ってただけなんだよな。」
「それのどこがダメなんだ?」
「ダメって訳じゃないさ。けど、」
けど。
「俺の父親も、うつ病だったんだ。家の事は母親がやってくれてたから荒れはしなかったけど、父親はいつも余裕がなくて、かぁちゃんにも俺にも当たり散らしてた。だから、人の顔色を伺うようになっちまったんだ。」
翔太が小さく、
「ゆうきの父ちゃんも、うつ病……。」
と呟く。
「俺の父親は、結局しんどすぎて自分で死んじまった。誰も助けてくれないと思ったんだろうし、きっと判ってくれる人も少なかったんだ。だから俺は、お前を自分の事のように助けたいと思ったし、お前のお母さんのことも、助けられるなら助けたいと思ったんだ。」
「ゆうきは、オレと同じなの……?」
「全く同じではないなぁ。けど、似てるな。それに、俺には、助けてくれる人は居なかったよ。」
「ゆうきは今、つらい?」
いや、つらくないよと俺は言った。翔太のこと助けられそうだから。だから、俺も救われるんだ、ありがとう。
その日は、唐突にやってきた。蒸し暑い日だった。児相の職員さんから連絡があって、俺は行かずに、翔太だけが児相の職員さんが来ている自宅に帰るように指示があった。
後から聞いた話だと、翔太の母親はかなり暴れたらしい。母親の主治医にも連絡を取って、これ以上の子育ては出来ないという事で、翔太はそのまま保護施設へ一時保護され、その後少し遠くの祖父母の元へと送られた。ここまでの情報は、児相からは個人情報保護の観点から教えてはもらえない。俺が渡した俺の自宅の住所に、翔太が手紙を送ってくれたから知ることができた訳だ。
翔太の祖父母の家から、翔太はたまに手紙を送ってくれる。おじいちゃんもおばあちゃんも優しくていい人だってこと。二人とも、
「お母さんは翔太が嫌いであんなことをしてたわけじゃない。」
と言ってくれること。新しい学校では清潔な服を着て、虐められることもないということも。中には、俺への感謝が書かれた手紙もあった。
「ゆうき、ありがとう。助けたいって言ってくれて。俺一人じゃどうすればいいか、わからなかった。ゆうきは助けられてくれてありがとうって言ったけど、そんなの、オレのほうがありがとうだよ。ここに居られるのは確実にゆうきのおかげで、あの海辺で、ゆうきに会わなかったら叶わなかった。だからありがとう。ゆうきが『オレのほうが救われるんだ』って言った意味はまだわからないけれど、おばあちゃんに話したら、楽しかったことを手紙に書いてあげればいいって! だからこれからも書くね。いつかオレにもわかるといいな。じゃあ宿題が残ってるからまたね! また手紙書くよ。翔太」
何とかなって良かった、と思う反面、どうにもならない現場もあることに思いを馳せる。そして、そんな過ぎ去った日々が原因で二次障害に苦しむ人がいる。今なお過去の経験に囚われている人がいる。苦しんでいる人がいる。
目標ができた。翔太にカッコいい! って思われるような人間になること。何ができるか、判らない。けど無理でも、やってみてから後悔したい。そんな生き方をする。決めた。
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