温(怨)泉談義
大浴場に入ると、既にピークは過ぎているのだろう。風呂には数人しか入浴しておらず、身体を洗い終わる頃には、既に俺だけしか残っていない、いわゆる貸切状態になっていた。
「極楽極楽」
何人もが入れる大きな湯船に一人で浸かる。
独り占めできる開放感から、俺は湯船で体を大の字に広げて寛ぐ。
勝負は明日だ。
爆弾を全て解除出来れば勝ち。
解除出来なければ最悪、花火や祭りの中止で負け。
爆弾の威力次第では、死人も出るだろう。
頑張らなければ。
そんな事を考えていると、大浴場に一人の見覚えのある男が入ってくる。
それは、事件の犯人である太田焔だ。
「おお、確か・・・太田だったか?」
俺は警戒させない為にも、気軽に太田に話しかける。
俺の言葉に、太田は笑顔を見せる。
「名前、覚えてくれていたんですね。有難う御座います、七加瀬さん」
その笑顔は、幸子の言っていた話が嘘であるかの様に柔和であった。
しかし、実際にはこの笑顔こそが嘘、飾られた偽物である事を俺は知っている。
全くもって、恐ろしい演技力だ。
「探偵は記憶力が良いんだ」
俺は太田の名前を覚えていた事実を、適当に誤魔化す。
「隣、良いですか?」
太田は前屈みになり上目遣いをしながら、風呂に入る許可を俺に貰おうとする。
こういう行動も計算された物なのだろう。
万人受けする、親しみやすいキャラ作り。
仮面が剥がれる時が、今からでも楽しみだと思ってしまう俺は、それはそれで性格が歪んでいるな。
「大浴場の風呂に入るのに、他人の許可なんているか。ただ、」
「ただ?」
「最低でもかけ湯はしてから、風呂に入れ」
「ああ、そうですね。すいません」
太田は俺の言葉通りにかけ湯を行ってから、湯船に入る。
太田が入ってきても、遠慮せずに大の字を崩さない俺。
そんな俺に、太田はやけに近い距離感を取る。
何か話したいことでもあるのだろうか?
「七加瀬さん」
案の定、太田は風呂に入るや否や声をかけてくる。
一体何を聞かれるのかと身構えるが、その質問は余りにも平凡な物であった。
「何で、探偵になったんですか?」
そんな、探偵なんてマイナーな職業を前にしての当然の疑問。
拍子抜けしたからだろうか?
つい俺はその質問に対して、濁さずに本当の事を言ってしまう。
「復讐の為だ」
「復讐・・・」
「ある男に、最愛の人が殺された。ソイツを殺す為、色んな奴に探偵として協力しながら、ソイツの所属する組織の情報を貰っている」
「そうですか。聞いてはいけない事でしたかね?」
「いいや?こんなのは、よくある話だ。それにこういった話は、近しい人間より赤の他人の方が話しやすい」
「それも、そうかもしれませんね」
「俺も秘密を話したんだ、お前も何か秘密にしてる事を言えよ」
俺のその言葉に、太田は一瞬驚いた表情を浮かべるが、直ぐにいつものニヤけ顔に戻る。
「等価交換だったんですか?」
「勿論だ。探偵は報酬には五月蝿いんだ」
「だったら、そうだな・・・こんなのはどうでしょうか?僕はこの旅館に住み込みで仕事をしてる、とか」
「そんなもん、客が減ってきてから普通に大浴場に浸かりにきた時点で分かりきってる。ノーカンだ」
「厳しいですね」
そこで会話が止まり、静寂が場を支配する。
お互い目を合わせずに、湯に浸かる。
そろそろ上がるかと思った時、太田がのぼせたのか我慢できなくなったのか、ポツポツと話し始める。
「それでは、僕も・・・復讐の話でもしましょうかね」
「・・・随分と間を溜めたな。コレは期待できそうだ」
「いいえ、良くある話・・・ですよ。幼い頃から、会っても居ないのに嫌っている男が居たんです」
太田は復讐と話しながらも、昔を懐かしむ様な優しい顔をする。
「その男はロクでもない男だと、幼い頃から周りに聞かされていました。僕も、そうだと疑わなかった。しかし、その考えが変わったのが二年程前。高校を卒業した僕と友達は、火遊びを始めました。といっても、しょせん子供の火遊び。年齢を偽り、酒場で慣れない酒を飲んだりする程度です。しかし、ある時ある酒場で、その嫌いな男とバッタリ出会ってしまいました。僕はその男の名前を知っていたので、すぐに分かりましたよ。もっとも僕は名前を秘密にしていたので、向こうは気づきませんでしたが」
「でも嫌いだったんだろう?」
「ええ、嫌いでした。だから、どうやったらこの男を嫌な気持ちにできるだろうと、色々と話しかけてみたんです。そうしたら、その男は確かにガサツで、嫌味で、捻くれていて、見てくれも悪くて、酒臭いオッサンでしたが・・・それでも、意外と良い奴でした。それに幼い僕達には、その真っ直ぐでない、捻じ曲がった大人がカッコよく見えたのでしょうね」
「意外とチョロいんだな」
「ええ。チョロい方が、モテるでしょう?」
「顔によるな」
「ふふふ。確かにそうですね。それに、その男は、僕達が酔っ払いに絡まれた時や、未成年とバレた時に、身体を張って助けてくれた。まあ、酔っ払って気が強くなっていただけでしょうけどね。でも僕はどんどんと、その男に惹かれていった。だから、その男が馬鹿にされているのが許せない。ただの酒飲みで終わらせたくない。悪い事は正して、イーブンに戻さなきゃならないんです」
「それが、お前の周りの人間に対する復讐って訳か?」
「そうじゃないんです。僕がするのは、元凶を正すだけです。そして全てをゼロに戻してから、それから、もう一度全ての関係をやり直してほしい。それが僕の復讐です」
「抽象的過ぎて良く分からないな」
「抽象的で、ミステリアスな方がモテるでしょう?」
「それは、マジでよく分からん」
俺のその言葉に、やけにスッキリした様な笑顔を浮かべ、太田は湯船から上がる。
「さて、僕は軽く身体を洗って出ます。七加瀬さんは是非、この光玉館を、そして布連通町を楽しんでいってください」
軽く会釈をして身体を洗い流した後に、逃げる様に大浴場から出て行く太田。
太田の残した最後の言葉は、彼の真意はどうあれ、事情を知っている七加瀬からすれば、非常に皮肉に聞こえたのであった。
風呂から上がり、もう一度入念に身体を洗うと俺は大浴場から出る。そして、鍵のかけてあるロッカーを開けて自分の服を取り出す。
そして取り出した、夏場でも着ている一張羅のスーツのジャケットを軽くまさぐる。
すると胸ポケットの奥に、何やら薄型の小さな機械が入っていた。
「・・・」
小さな、スピーカーの様な穴の開いた機械。
コレは、小型の盗聴器だ。
恐らく発信機も付いているだろう。
仕掛けたのは十中八九、太田。
当たり前だ。
あんな俺しかいないベストなタイミングで、偶然太田が風呂場に現れる訳がない。
このタイミングを、ずっと狙っていたのだろう。
しかし、わざわざ俺に姿を見せた所を見るに、少し罪悪感があったか、それとも盗聴器に気付かれないと高を括られていたか。
俺は盗聴器を取り外さずに、もう一度ジャケットのポケットの奥にしまう。
そしてそのまま部屋へと戻る。
「おかえりなさい、七加瀬さん」
「い、意外と長かったな。混んでたのか?」
太田と話し込んだ関係で、既に有利と幸子は部屋に帰ってきていた。
二人は座敷でゆったりと、テレビでバラエティ番組を見ていた様だ。
「いいや。貸切だったよ。だから逆にゆったりとしすぎてしまった」
盗聴器は付いたままなので、太田の内容は伏せる。
もしここで二人に口を滑らされたら、たまったものではない。
「さ、さぁ、スマブラやろう七加瀬」
テレビの前に既にゲーム機を並べて、やる気満々だった幸子が、バラエティ番組を切り上げてゲームを起動する。
そんな上機嫌な幸子に対して、俺はそっけない言葉をかける。
「何言ってんだ。明日が正念場なんだ。早めに寝るぞ」
しかしそう言いつつ俺は、二人に見える様に、口の前に人差し指でバッテンマークを作る。
その俺のジェスチャーに、有利と幸子は驚いた表情を浮かべるが、すぐに軽く頷き、俺に話を合わせる。
「そうですね。早めに寝ちゃいましょうか」
「し、仕方ない。明日にするか」
「んじゃあ布団出すぞ」
俺は部屋の布団とシーツが何個も仕舞われた収納スペースの戸棚を開ける。
そしてスーツのジャケットを脱いで、取り出した布団でそれをぐるぐる巻きにして、もう一度それを収納スペースに戻す。
最後に、その収納スペースの戸棚を音がしない様に慎重に締めた。
「ふぅ。さて、もう大声さえ出さなきゃ普通に話して良いぞ」
「突然何事と思いましたが、盗聴器ですか?」
「ああ。ジャケットに仕掛けられていた。風呂場で太田に会ったから、その時に仕掛けたんだろうな」
「で、でも、更衣室のロッカーの鍵は閉めていたんだろう?」
「太田は従業員なんだ。合鍵くらい持ってるさ」
「そ、それもそうか」
「それでは、盗聴器を壊します?」
有利は爆弾解除君を構える。
「いいや、敢えて俺は付けたままにする」
「ど、どうしてだ?」
「この盗聴器は発信機もついてるものだと思う。俺のいる位置で、敵を油断させる事も出来る。それに俺のトランシーバーだけ電源を切って、携帯で連絡を取り合えば、簡単に偽の情報も流せるし良い事だらけだ」
「成る程。確かにそう考えると、意外と使えるかもしれませんね」
「ただそれだと、明日の爆弾解除は有利と幸子がメインになるんだが・・・どうだ?出来そうか?」
「はい、勿論です」
「わ、私も頑張るよ」
有利は余裕の表情で、幸子は決意を固めた表情で頷く。
「よし。なら、とりあえずは明日に備えて今日は本当に寝よう。さっきそう言ってしまったしな」
そうして、俺達は正念場となる明日に向けて、早めに就寝するのであった。




