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#4 Around The World

「ヒュー、すっげぇ。マジでウチにエレメンタルが来てらぁ」

 別に寝ようとしていた訳ではなかったが、口笛と若い男の驚く声で、ホムラは薄っすらと目を開けた。

 眼下の寂れたガソリンスタンドから、青いツナギを着た高校生くらいのブロンドの短髪少年が、こちらを見上げていた。

「ふーん、私を見ても怖がらないんだ」

 スタンド外の、何もない乾き切った平原にうつ伏せていたホムラは、顎の下で頭を支えていた肘を倒して、大屋根の下の少年を覗き込む。

 いつもなら髪房を地面に目一杯付けてしまうほどの姿勢でも、今は先端を少し擦るだけだった。

 屋根の裏のスピーカーからシャカシャカと流れていたシンディー・ローパーの歌声が、姿勢を落としたせいで直接耳に語りかける。

 車一台、目の前の道路を通らない。だから余計耳に響いた。

「ハロウィンの時、町に遊びに来てたろ。それに金網の向こうでメイドと戦争してるって、ここらじゃ常識だぜ」

 そう言って、少年は給油機の前に停まっていたアイアンハイドのフードを開けた。

 別に、メイド達のように自らの存在をひた隠ししている訳でもない。

 もっと知れ渡ればいい。私達はここにいる。

 そうすれば、世論が私達を変えるかも知れない。世論の方が変わるかも知れない。

 私達は孤独じゃなかった。あなた達もだ。

 それ故に──この宇宙には衝突もあるのだと、気付くはずだから。

「お前、火のエレメンタルだろ」

 少年はオイルレベルゲージをタオルで拭きながら尋ねた。

 その様子をじっと見ながら、ホムラは素直に応えた。

「そうだけど」

「じゃ、このエンジンオイルとか飲めんの?」

「い、いきなり失礼じゃない!?」

 ホムラは声を荒らげて少年にそう言ったが、当の本人はけろっとしたまま。

「ふーん、流石に駄目か」

「美味しくないから飲まない!」

「ああ、飲んだことはあんのか」

「無いけど、絶対美味しくない!」

「そうか、まぁどうでもいいけど」

 自分から尋ねてきたくせに、何がどうでもいい、だ。

 あんまりムカついたら、そのちっぽけな尻をデコピンしてやろうか。

「お兄……じゃない、兄貴は?」

 ぞんざいな口調で問い掛けたホムラに、少年は一瞬きょとんとして。

「……エンリケの旦那?旦那なら中で親父と難しい話してるよ」

 旦那、旦那って。その呼び方がおかしくて、つい笑みが漏れてしまう。

 自分と同い年くらいの世代の男子からみると、そう見えるものなのだろうか。

 そう思うホムラも、エンリケの実際の歳を知らなかったが。

「どうでもいいけどさ」

 少年は足元の道具箱からテスターを取り出し、バッテリーの電極に当てる。

 そしてクリップボードの紙に測定値を書き写してから、ホムラを見上げた。

「お前、何で旦那のことを兄貴って呼んでんの?」



「なぁ、ここが繁盛しねぇのは、立地以前にこいつらを並べるからじゃねぇのか」

 エンリケは天井近くの壁に並ぶ、歴代ソ連書記長とロシア大統領の写真を指して言った。

 だが何故か、上下を逆さに。まるでチャイナタウンの、下を向いた福の字ようだった。

「祖国を滅茶苦茶にしたろくでなし共だ。吊るし首にして何が悪い」

 レジカウンターの奥に座る男はそう返事をしながら、瓶のウォッカを直に呷った。

 分厚いひげを蓄えているのに、頭は完全にツルッツルのスキンだった。

「ま、いつでも空いてるから俺にとっちゃいい場所だけどよ」

 エンリケは肩をすくめながら言葉を続けた。

「お前、絶対コミーだって思われてんぞ」

「ざけんな。だったらわざわざ、資本主義の権化に亡命なんかするかよ」

「だから“Money Changes Everything”なんかBGMにしてんのか」

「いや?元嫁への嫌味だ」

「……色々駄目だろ」

 エンリケは溜め息をつきながら蛇口のバルブを締め、水で満タンになった3ガロンボトルを横に寄せた。

 その横には次のボトルやジェリカンが、まだ4個も5個も並んでいた。

「確かに俺の人生は、最初から最後まで“ボーン・スリッピー”だ。ホロドモールを見て来たお袋からは神はクズ野郎だって言われ続けた。だから生まれてこの方信じたこともねぇし、いたとしてやるこたぁ、死んだお袋の代わりにラリアットかましてやることくらいだ」

 そう言って禿げた男は、相当太い肩を回してボキボキと鳴らした。

 レスラーだったのだろうか。それとも傭兵か、レジスタンスか。

 それともアーケードゲームの中で、ストリートファイトでもしていたのだろうか。

「だが、せがれには──俺より幸せになって欲しい。こんな夢も希望もねぇ世界の果ての荒れ野で、人生を棒に振って欲しくねぇんだ」

「ああ、こんなところで燻ぶらすには勿体ねぇ奴だと思うぜ。腕も悪くねぇ」

「だろ。女房に逃げられてからも、俺の手一つで手塩にかけて育てたんだ」

 息子を褒められた男は口元を緩め、道路と逆側の窓を指差しながら続けて言った。

「裏を見ろ。ありゃ全部せがれが一から組み直した。基礎は俺が教えたが、後は全部自分で覚えていった」

 トラバント601、VAZ-2101、ダチア1100、ZAZザポロージェツ──。

 外に横たわるホムラの巨体と建物を挟んで真反対には、どれも砂を被ってはいたがしっかりと修理された、少なくとも25年以上前の東欧車が、まるで博物館のようにズラリ。

 しかも単に展示物している訳ではなく、どれもちゃんと値札を付けて。

 そして次のラインからやっと、フォードやGMが姿を現す。

 このラインも古いものが多かったが、後ろになればなるほど新しい車種だった。

 だが、日本車はどのラインにもなく、建物の扉の前にやたら使い込まれたスズキの白い軽トラが停まっているくらいだった。

「あいつは俺よりもずっと筋がいい。お前の言う通り、こんなところで燻ぶらせるには勿体ねぇんだよ」

 男はそこで一旦黙り込み、エンリケが次のボトルを蛇口前に置いてキャップを開けるのを見守った。

 そしてようやく、意を決したように。

「だから……せがれをあいつらの星に連れてってくれねぇか」

 バルブを開けたエンリケが、顔をしかめながら振り向いた。

「おいおい、俺を移民斡旋業者か、“ハロー・ドーリー!”と勘違いしてねぇか」

「実際一緒だろ。お前はヒスパニックだし、宇宙人とかなり顔が利くと来てる」

 男はまたウォッカの瓶を呷ったが、その一口で空になってしまった。

「それにあいつらの星は、“男不足”に困ってるって話だろ」

 瓶を捨てようとゆっくり立ち上がった男は、6フィート4インチ近い巨漢だった。

 外でアイアンハイドをいじる線の細い若造とは、骨格が既に別の生き物のようだった。

 横に並んだとして、一体誰が親子と一発で信じるだろうか。

「……エレメンティアは、資源尽きかけの“惑星ベジータ”だぜ」

「何だそりゃ。分かるように言え」

「無駄にデケぇし重力も気圧も地球以上だってんだよ。あんなもやしじゃ、潰れちまうぞ」

「でも、地球から何人も向こうに行ったんだろ。それにあいつ、ああ見えて鍛えてるぞ」

「どうだかな。そう言って意気揚々と乗り込んだくせに、音を上げて帰りたがる奴もいるんだぜ。そう言うのが集まって、阿片窟みてぇなところで干からびてるんだ」

「そうか、どうでもいいけどよ」

 男は、蛇口の前で待つ自分の顔一つ背の低いエンリケの肩をガシリと掴んで。

「きっとここよりずっと必要とされる世界に、どうかあいつを連れ出してやって欲しい。それが神を信じねぇ俺の、精一杯の懺悔なんだ」

 男の握力は凄まじかった。

 片手にだけ力を込め、もう片方はただ押さえるだけで、そのままエンリケを書記長に向かってダンクシュート出来るのではないかと思うほどに。

 きっと、うんと首を振るまで、そこから動くことも、腰を抜かしてしゃがみ込むことも許さないだろう。

 末期のソ連を生き長らえたスラブ人は、やはりどこか人間離れしていた。

「分かった。分かったから、そんな竹原ピストルみたいな目で見つめんじゃねぇよ」

 そう言って、エンリケは自分の肩を掴む太い手を叩いた。

 ようやく、山のフドウのような両腕から解放されたエンリケは溜め息を一つ。

「いつになるかは分かんねぇぞ。あのマッチ棒をeBayに出品するようなモンだからな」

「地元のシャブったホンキートンク・ウィメンに引っ掛かるよりマシだろ」

「何だそれ。ピンク・レディーの真逆かよ」

 皮肉に返されたエンリケのよく分からない例えに、禿げ男はキョトンとしていたが。

「とにかく、あんたの息子アレクサンドルを、特別便申請しておいてやる。本当にいいんだな、ヴラジーミル?」

 続けてそう言われて、男は少し眉間にシワを寄せた。

「なぁ、お前はいつになったら人の名前を覚えやがんだ?せがれはオレクサンドル、俺はウォロディーミルだってんだろが」

「じゃあとっとと表の電飾を直しやがんな。あと発音しづれぇ」

 エンリケが二個目のボトルに注がれる水を止めた丁度その時。

「旦那、話が違うよ!」

 ドアを勢いよく開いて、噂の若いのが入って来た。

「おう、どうしたサーシャ」

 エンリケは自分より背がひょろ高いサーシャ──オレクサンドルを見上げて、目をパチクリした。

 サーシャは汚れたタオルを洗濯機に投げ、親指で外を指差しながら。

「表のウドの大木が、ドル持ってねぇってんだよ。せめてVisaかAmexでもあったら何とかなるのに、訳分かんねぇコード決済しかねぇって抜かしやがんだ。勘弁してくれよ」

 エンリケは盛大に溜め息をついて、目元を手で覆った。

 そしてサーシャと一緒に表へ出て行って、開口一番に罵った。

「やい、負け大将!」

 殆ど腹這いになったホムラが、大屋根の下のエンリケを見つけて睨み返した。

 目付きだけは一丁前だったが、しかし何も言い返せずに。

 何しろ今日のホムラは、エンリケの言う通り、まさかの黒星だったからだ。

「てめぇ、あの状況でどうやってイエス・キリスト決めるつもりだったんだ!?アイアンハイドのガスと予備携行缶のを全部抜いて、やっとじゃねぇかよ」

 今日の昼前。

 ホムラは、たまにイタリア語を吐く茶髪ポニーのメイドに、撃破されてしまった。

 ボディガードが先に倒れてしまい、次に目を向けられたエンリケが、絶体絶命の状況でやったことは。

『えっマジで!?たった一人でウチの期待のエースやっちまったの!?すげぇなお前!てかよく見たらお前クソ可愛くね!?どこ住み?ってそりゃ、あの屋敷に決まってらぁな!?名前は?フランチェスカ?長ぇな、フランキーって呼んで良い?それともフラン?どっちでも?じゃあフランって呼ぶぜ?てかフラン、マジツヨカワじゃね?惚れ直すじゃねーの!マジマジ!んなモン見せつけられたら鞍替えするしかねぇじゃねーの!怪獣の懐柔に飽きて来たところよ!何ならご主人さまのお帰りだって、はう~お持ち帰りぃ~してくれよ!頼むよ、情報なんて幾らでも渡すからさ!信じてくれよ、今度は逃げねぇって!分ぁった、なら俺も不退転の決意だ。このトラックからガス抜いて、そのウェア端燃やして使えなくしようぜ!ああ、予備の油も積んでんだ、全部燃やしちまおう!持ち上げて引っ繰り返してくれ!そうそう、あー惚れ惚れする角度じゃねぇの!そうそう、そうやってガソリン撒いてこっちも、あーフランちゃんにして貰うとマジで仕事が早ぇなぁ、やべぇマジで胸がトゥンクって高鳴ったわ。こりゃあマジで……おう、本気だぜ?フランちゃんは可愛い上に強くて優しくて気立ても良いって、最高じゃねーの。俺の心の炎が燃え上がっちまったぜ。この炎のみたいにさ──遅かったなクソガキ。とっととぶちのめせ』

 その後待っていたのは、ただ一方的なリンチだった。

 最初の一本が何故負けてしまったのか、全く理由が分からないほどに。

 そしてガス欠で完全に動けなくなったアイアンハイドを、ホムラがどやされるがままここまで運んで来た訳だった。

「だからって、何で整備費用まで私が払う訳!?」

 顔を真っ赤にしながら不満を言い返すホムラに、エンリケは大声で。

「手間賃に決まってんだろうが。とっとと払いやがれ!」

「無理なものは無理!無―理!」

 エンリケは、文字通り目と鼻の先で言い争うホムラから、サーシャに振り向いて尋ねた。

「サーシャ、PayPal使えるか」

「ああ、アカウントならあるよ」

 よし僥倖。それなら、エレメンタルの“源”立てでも決済が出来る。

 エンリケは、強い日差しの下で汗一筋流さないホムラに向き直り、また怒鳴り散らした。

「聞いたかよ!口からクソ垂れる前に、今すぐそのウェア端にPayPalブチ込みやがれ!この負け犬!」



 お金がない。お金が欲しい。

 ただ無いだけならまだいい。借金をこさえてしまった。

 PayPalアカウントを作ったからって、何だと言うんだ。そもそも元手がない!

 キルスコア手当は、自分が撃破されたらその分引かれてしまう。

 つまり今日は、プラマイゼロだったことになる。

 お陰でカーネリアからはお小言を頂戴するし、今日知り合ったばかりのサーシャからはレッドネック呼ばわり──貧困は一先ず、白人ですらないのに。

 暗がりの中、枯れ木にかけたウェア端から、テイラー・スウィフトのgold rushが慰めのように流れていたが、それも終わりを迎えてしまった。

 次に流れ始めたのは、The SteeldriversのGhosts Of Mississippi。

 誰かに見捨てられたことを呪うブルースが、今日何度流れたか。もう正直苦痛だった。

 だがSpotifyの課金も止めてしまったから、もう聴きたい曲を指定することも出来ない。

 止めるか、我慢して聴くか。

 もう聴き続ける気分ではなかったけど、他にやることもない。

 エンリケは小屋の中に籠もってしまったし、だからプライムビデオも動かない。

 悔しくて、買い溜めておいた手元の備長炭を拾ってボリボリと貪る。

 もはや夕食が、人の食べるものでもない。

 水に浸せばその水が美味しくなるが、それ自体は味気もない、正真正銘ただの燃料だ。

 気分はブルーで家計はレッド、そんな自分はホワイトトラッシュ扱い。まるで星条旗だ。

 そしてお先はどう足掻いても、炭のように真っ黒クロスケだ。

 そうだ、英語が必要以上に心をえぐって来る。だから、母語に励まされよう!

「Siri、矢沢永吉流して……」

 ホムラは哀願するようにウェア端に語りかけた。

 だって、永ちゃんは決して裏切らないから。

 永ちゃんなら、どんな悲しみのどん底からでも引きずり出して、絶対にロケンロールしてくれるから!

 そんなSiriが、しばらく考えた末に出した答えは──“鎖を引きちぎれ”。

 何でまた、一攫千金をどストレートに狙うような歌なんだ!

「金、金、金!もーっ!」

 ホムラは頭を抱えて唸った。

 最近のSpotifyは、何かのセンサーでも実装したのだろうか。

 確かに何くそ魂は揺さぶられたが、選曲が見えない悪意に満ちていてイライラした。

「おう、シブいの聴いてんじゃねぇかクソガキ」

 この怒りと悲しみと憂鬱の、元凶の声がする。

 憎しみを込めてキッと睨みつければ、小屋の壊れたドアの前でジャック・ダニエルをラッパ飲みしながらヘラヘラと笑う小人が。

 拳をぎゅっと握りしめながら、ホムラは黙ってぷいとそっぽを向く。

 また嘲るような、嫌な笑い声がした。

「そう腐るなよ。てめぇの身から出た錆とは言え、俺だって心を痛めてんだぜ?」

 嘘だ。絶対に信じるものか。

 この小さな悪魔に、何が分かるって言うんだ。

 ああお腹が減った。備長炭じゃ、お腹は膨れない。胃がムカムカする。

 満たされない、ああ満たされない、満たされない!

「そんな可哀想な妹に、お兄様から最ッ高にハイな提案だ。耳かっぽじれ」

 嘘だ。絶対にろくなことじゃない。

 もうとっとと寝てしまいたい。でも眠くない。

 聞きたくない、ああ聞きたくない、聞きたくない!

 ……だったら、素直に耳を塞げば良かったのに。

「久し振りに行くか?あのゴーストタウンへよ」

 聞こえてしまったその提案は、まさに悪魔の囁き。

 握りしめた手をワナワナと震わせながら、しかしホムラはゆっくりと頷いた。



 まるで昨日の続きのように、ウェア端がGhosts Of Mississippiを歌っている。

 ただし今日のは、同名の別曲。ジョーイ・ギルモアのそれだった。

 ブルースであることには変わりない。

 だが初めて聞いたその曲には、多少の生気が戻って来た感じがした。

 もっと陽気な、都会のファンクで気分を上げたかったが、もうウェア端の好きにさせた。

 ひょっとしたら良い音楽を掘り出せるかもと、言い訳しながら。

『よう、あの時以来じゃねぇか』

 エンリケのご機嫌な声が、スピーカーに混じる。前を走るアイアンハイドからだ。

 だがホムラは返事をしなかった。そんな気が無かった。

 下らないことを言ったら、いつでも蹴っ飛ばせる。

 でも、今はしない。今のところは。

 そしてようやく、ゴーストタウンへの最初の一歩。

 ミニチュアの寂れた町に、ホムラはサンダルを履いた足をずしりと踏み入れた。

 アメリカにしては比較的幅狭な街路。アスファルトの道は穴ぼこだらけ。

 だがそれ埋めるように、砂がどんどん町へ侵食している。

 様式の古そうな建物が、軒を重ねるようにひしめき合う。

 木造もある。鉄コンもある。

 プエブロ風も、コロニアルも、ただのハウストレーラーも。

 何十年とそのままだった生活感や道半ば感が、窓からうっすらと覗く。

 現行の州道や鉄道から離れた、単に歴史の古い街。

 それでもきっと、7,80年代くらいまではちゃんと人が住んでいて、それなりに栄えていたはずだった。

 それがたった一夜で、財産を殆ど放棄しての強制移住を余儀なくされた。


 向こうにうっすらと見える、ホテル・カリフォルニアの出現によって。


『どうだ、お前の視界からお宝は見えるか?』

 Spotifyの再生を止めたその時、エンリケが尋ねた。

 それでもホムラは返事をしなかった。

 だが速度を落としたアイアンハイドを上から追い越し、ずんずんと中へと向かう。

 崩れたチャペルを、バランスを崩したワイヤー吊りの信号を、道路のど真ん中から生えたオルガンパイプサボテンを難なく跨ぎ、どんどん中心へ向かう。

 途中、大きく開けた場所も通過する。

 何もないのではなくて、何もかもボロボロで。

 それもそのはず。

 着任から間もない、まだリスポーンアンカーを体内から取り出してなかった頃。


 あのナナシと初めて出くわし、殺されかけた場所だから。


 良い思い出のない区画を足早に通り過ぎ、ホムラはやっとオールドタウンに辿り着いた。

 一際古そうな、けれども立派な建物が並ぶ一角で、ホムラが足を止めてしゃがみこんだのは、いかにもな古典主義建築の建物の前だった。

 折れたコラムの間から見える大穴に、ホムラはすっと腕を差し入れる。

 そのままの記帳台やカウンターデスクの感触を指に感じながら、中へどんどんと伸ばして行く。

 そしてまもなく中から取り出したのは──まさかの耐火防犯金庫。

 その扉を力尽くでバコンと開くと、すっかり色落ちした大量のグリーンバックスがバサリと落ちた。

「最初にやるのが銀行強盗たぁ随分洒落てんじゃねぇか、トントさんよ」

 アイアンハイドを降りたエンリケが、そう言って嘲笑った。

「お札、まだ価値ある?」

 ホムラはエンリケの皮肉を無視して尋ねた。

 エンリケは手前の一枚を拾い上げてすぐに。

「多分駄目だな。通し番号も古過ぎるし、こんな保存状態じゃ誰もロンダリングしねぇぜ」

「そう」

 それを聞いて、ホムラは中をほじくって空にした金庫を、アイアンハイドの荷台にドスンと乗せた。

 流石のアイアンハイドも、突然の上限ギリギリの荷重にサスペンションからミッシミッシと軋りを上げた。

 そしてまた、銀行の中に手を差し入れる。

 バキンと音がして、またしても取り出したのは……大きな金庫室の扉。

「あー……銀行改め金属泥棒さん?」

 ホムラは返事をせず、それを乱暴に背後へ投げた。

 宙を舞った、明らかに重いであろう扉が、向かいのコーヒーと黄色いケーキの看板を掲げた建物のファザードにズドンと当たり、瓦礫と砂埃と轟音を上げて落ちる。

 そして最後は、交差点のど真ん中に転がって行ってバタン。

 アスファルトが、ミシミシとひびを広げながら少し陥没した。

 宇宙戦争のトライポッド初出現のシーンと一瞬デジャブしたエンリケは、今言おうとした言葉を忘れ、しかしハッとしたように。

「お、お前、それを買い取る方のこと考えたことあるか?その手の焼入れした合金は……」

「うるさい」

「アッハイ。どうぞお好きに」

 エンリケはそれ以上の言葉を飲み込み、両腕を抱えて目を逸らした。

 それでも何か小声で言っていたが、ホムラは無視した。

 更に手を差し入れれば、まだザクザクと出て来る、金属、金属、金属。

 金庫トレー、錆びた硬貨、オフィス家具の骨、配管、箱入りソフトポイント弾。

 ありとあらゆる金属をほじくり出して、全て道に放り出した。

「ドロシーのギャン泣きが目に浮かぶな……」

 エンリケは、あっという間に出来上がったスクラップの山の上に登ってしゃがみ込む。

 ゴソゴソとトレーを漁り、出て来たものに目を丸くして──自分の懐へ忍ばせた。

 だが。

「……お兄ちゃん、今インゴット拾ったでしょ」

 こちらを見ずとも言い放ったホムラに、エンリケは一瞬で身震いを覚えた。

「な、何のことかな。兄さん分からないなぁ」

 全身からブワッと噴く冷や汗。特に脇の下は、文字通り滝のように。

 太陽が容赦なく照りつけてこんなに暑いにも関わらず、寒さすら感じた。

「ふーん」

 銀行に差し入れていた腕を抜き取ったホムラは、道路の対岸の建物の、さっき金庫室の扉が衝突して開いた穴に、また同じようにスッと差し入れる。

 ガシャンガシャンと、中で食器や家具が強引に押し退けられて鳴る音。

 あの恐ろしく器用なホムラが──それだけでもう、寒気が倍増した。

 やがて、何かを手にしてまた腕が抜き取られる。

 握りしめられていたのは、カフェの窓を覆っていたであろう木製のブラインドと、クシャクシャになった埃だらけの赤絨毯。

 両方の短い辺の方を指で摘んで、エンリケの前でバサッと広げて。

「簀巻きにして置いてっちゃうよ?」

 カチカチに凍てついた眼差しが、ちっぽけなエンリケを容赦なく突き刺すように。

 うん、これは本気と書いて、ガチと読むかも知れない──。

 エンリケは懐に手をつっこんで、黄金色に光るインゴットを取り出す。

 そして元あったトレーの中に、それを戻した。

「ネコババは許さないからね」

 ブラインドと絨毯を元の場所──には戻しきれなかったが、空いたホムラの手が上空に伸びて来て、ダイヤモンドバックスのキャップの上からエンリケの頭を軽くぽんぽん。

 いつも頭を撫でられたら怒鳴り返すエンリケも、今この瞬間だけは沈黙を貫いた。


 ドン……。


 遠く、発砲音がした。

「……やっぱりな」

 音のした方を見ながらそう言うと、エンリケは足早にアイアンハイドに乗り込んだ。

 ホムラも銀行を漁る手を止め、ふうと溜め息をついて立ち上がった。

「どうすんだ。今日は予備のガスなんかねぇぞ」

 エンジンを始動させ、窓を開けたエンリケは、逆光の中のホムラに尋ねた。

「先にウォロディーミルさんのスタンドに行ってて」

「……そうかよ。じゃあ後でな!」

 エンリケはそう言い捨てると、アイアンハイドのアクセルをぐっと押し込んで急発進。

 バタン、と荷台のアオリが倒れて、折角乗せていた金庫を振り落としてしまった。

 でも、それでいい。事情が変わった。

 無事逃げおおせてくれるなら、何をしてくれたって。

 だが次の瞬間。


 ズドン!!


 その進路の廃墟が、弾け飛んだ。

 いや進路どころじゃない、もう殆ど目の前だったじゃないか!!

「お兄ちゃん!!」

 ホムラはスクラップの山を飛び越え、瓦礫にタイヤを掬われて横転したアイアンハイドに駆け寄る。

 拾い起こしたアイアンハイドの、全開になった運転席の横窓の向こうで、シートベルトにもたれたエンリケが肩で息をしているのが見えた。

「カハッ……畜生……畜生ッ……」

 咳と、囁き程度ながらも罵る声が。

 目立った外傷はない。その安堵と共に、怒りが身体の奥底から込み上げて来る。

 更にあちこちの廃墟が、爆ぜ上がった。

 何の見境もなく、ただ無秩序に。ただただ意味もなく、平等に。

 ホムラはまだ生き残っている銀行の前まで戻り、エンリケを乗せたままのアイアンハイドを金庫室へ。

 握り締めたままでは瓢箪に手を突っ込んだ猿状態だったが、最後は指を伸ばしてぐっと押し込んだ。

 見た目よりも立派で大きな金庫室を持った銀行で良かった。しかも玄関から見て真正面。

 何とかギリギリ、お尻まで入った。

 これで、多少はシェルター代わりになるだろうか。

 

 ズドンッ!


「ッ──!」

 その時、脇腹を激痛が貫き、その射線上の道路もえぐり抜いた。

 当たって爆ぜなかった。きっと徹甲弾のようなもので撃たれた。

 そのまま勢いで、ホムラはスクラップの山に倒れ込む。

 痛みに耐え、耐え続け、やっとぶわっと吹き出た炎が、腹の風穴を徐々に埋めて行く。

 そしてゆっくりと起き上がると、スクラップの山のあちこちから、炎が上がっていた。

 よく見ると、燃えているのはあのすっかり変色した旧札だった。

 ああ──何て儚いのだろう。

 そこには、FRBと合衆国が保証する価値が、間違いなく書かれていたはすなのに。

 今やもう、全く分からない。全部、灰となっていく。

 だから、紙のお札なんて何も信用出来ない。

 信用していいのは、物質と、その質量と──。

「この町にだって、沢山の人の営みと思いがあったのに!お前らはッ!!」

 ホムラは殆ど飛び跳ねるように立ち上がり、そのまま目抜き通りを走り出す。

 古いダッジのパトカーがバウンドして更に歩道に寄る。割れた信号がくるりと翻る。

 廃墟からネオン管が落ち、ジョリエット通りと書かれた道路標識が根本から倒れる。

 その先には、まるでコマンドーに出て来たようなロケランを担いだメイド。

 慌てて向きを修正したが、ホムラの進路を後から追うだけだった。


 ドンッ──。


 だから、どんどん間合いを詰められるその最中に、弾を無駄にする。

 予測より向こうで、複数の建物が着弾して爆ぜ上がった。

 格子状の街路に、律儀に沿って走って来た赤い悪魔が、もう目の前に。

 そして姿勢を低くして──次の瞬間にはもう、足先から地面の感触が消えていた。

 例の炎の斧で、力尽くで薙ぎ飛ばされたのだと思われる。

 ついでに、腹も横真っ二つに引き裂かれたとも思われる。

 目の中に、エラーインジケーターが幾つも重なって──。


「一人──!」

 低空で爆発するメイドの身体から、破砕物が町中に散った。

 破砕物は小さな隕石のように、建物の屋根瓦を砕き、窓を貫き、フロアを二枚も三枚も撃ち抜いて行く。

 だが、そのまま地上で爆散されるよりはましだった。

 例えゴーストタウンでも、必要以上に壊したくない。

 かつて、ちゃんとそこに存在した栄華の価値を、これ以上蔑ろにされてたまるものか。

 その価値を小遣いにしようとする私は泥棒だが、それをただ破壊することしか出来ないお前らは、パブリック・エネミーズだ!

 殺せ、殺せ、殺せ!!

 そうだ、次はそこでド下手糞なトンプソンを撃ちまくるお前だ!

 よく見ろ。お前の進路は民家で一杯だ!

 何の配慮もなく踏み潰して走るお前に、情けなんかかけてやるものか!

 定められた道を走れ!見てくれだけ一丁前な外道め!

 だから、そんなつまらないところで、足を引っ掛けて転ぶんだ!

 そこに涸れ川があることも予測出来ず、ただ馬鹿正直に突き進んだ間抜けめ!

 ほら立てよ。お前にその得物は無用の長物だ。

 往生際が悪いな。その邪魔な腕切り落としてやる!

 お前は、すぐにでも殺す。でも、こんな町中では殺らない。

 市中から引き摺り出して、町外れで処刑してやる!

 さっさと歩けよ!このBoulverd of Broken Dreamsを!

 出来ないなら、その脚も切り落としてやる!

 ほら、多少は言うことを聞くようになった。人間、素直が一番だ。

 素直じゃない奴は──ああそうか、もう人間辞めてたっけ。納得した。

 もう、生きてないんだ。電気とデジタルに、生かされている。

 だから覇気がない。絶望を絶望と感じていない。

 生きていて何の価値もないことすら、もう感じられないんだ。

 あの三人の方がよっぽど、機械の割には生き生きとしていた。この差は一体何だ!

 さぁ町外れに着いた。残った脚で跪け。命乞いをしろ。

 お兄ちゃんを殺しかけたことを、いつか本当の死をもって償わせてやる!

 いずれお前らの謎を解き明かす人を、お前らなんかに渡しはしない。

 私に、故郷へ連れて行ってくれと言ってくれた人を、渡しはしない!

 それだけじゃない。このゴーストタウンだって──このワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカだって、渡すものか!

 つまらないところでうっかり滑ったことを、後悔すればいい!

 それが出来るだけの、人としての知性が残っているのなら!

 さぁ、殺してやる。

 どうせ近い未来、また逢えるだろう?絶対に御免だけれども。

 その時は、エメット・ブラウンみたいに歓迎してあげるよ。

 もっとも私は、マーティ役でなくて、タネンの役の方だけどね!

 それじゃあ、さようなら。

 お兄ちゃんの前に、二度と現れるな──!



 興奮が、治まらない。

 目の前の土煙を見ながら、肩で息をする。

 多分、そんなに時間は経っていない。

 けれども何時間も、ここにいるように思えた。


 チュイン!


 ホムラの頬を掠めた弾が、町中の道路に跳弾した。

 朝より短くなった髪房を揺らして、弾の飛んで来たであろう方角を見る。

 きっと、あの山の上にいる。さっきから何度も、徹甲弾を浴びせてきたスナイパーが。

 スナイパーと言えば、心当たりは一人。あの三人の、頭。

 金髪で、シニヨンで、背が高い。エンリケの話では、ヒルダとか言うメイド。

 中長距離射撃は、そこそこ上手い。

 氷徹甲弾なんてでたらめを使ってですら、対空射撃が出来る。

 そうだ、あいつが昨日も撃って来たんだ。

 目の前を走るアイアンハイドの上に倒れることも出来ず、ただ痛みに耐えていたから、油断した。

 だから、あの茶髪ポニーにとどめを刺された。いつもなら、やられる奴じゃないのに!

 あいつの目に物見せてやろう。

 次は、私を狙撃しようなんて思わせない。

 私達がナナシを避けたいと思うくらいに、思い知らせてやる。

 今なら、お兄ちゃんとも十分距離がある。壁の分厚い金庫室の中で、眠っている。

 だから──もう、いいか。


 ホムラは腕からウェア端を、ショートパンツのベルトからポーチを外してビルの屋上に置き、更に町から外へと歩き出した。

 その間も、徹甲弾が身体を撃ち抜いた。

 痛くて、よろめきもした。それでも、歩き続けた。

 そしてアスファルトの道が砂に飲み込まれた場所で、ようやく立ち止まる。

 深呼吸をして──体温を、一気に上昇させる。

 サイヤ人のように、しかし金色ではなく、赤いオーラが身を包む。

 急激な上昇気流が町外れに立つ。瓦礫や小物が、塵芥のように吹き飛ぶ。

 燃え残っていた札束が激しい気流に飲み込まれ、次々と自然発火していく。

 やがてホムラの周囲の空気の輝きが、赤から青へと徐々に変わって行く。

 空が──太陽の方が暗く感じるほどの、青白く強い光に。

 その身に纏うのは、最早火の粉や、プロミネンスのような炎ではない。

 稲妻のような閃光が、その身体から空へ、空から地へ、まるで荒ぶる龍のように。

 ツインテールを縛っていた白いリボンは、あまりの高温でいつの間にか燃え尽き、しかし髪はもう、殆どショートまで短くなって。

「……やっぱり、こんなの見せられないよ」

 そう言って苦笑しながらホムラは、きっと見てはいないだろう、寧ろ見ていたら困る相手の方へ振り向いた。

 強い光の中に照らされたゴーストタウンは、今や完全に色を失った。

 ただ、白と黒のコントラストだけが、世界を支配する。

 こんなもの、まともに見たら、ムスカでなくたって目が潰れてしまうから。

 だから、ホムラはただ微笑んだ。

 悪魔は悪魔らしく、ただ静かに。

「お兄ちゃん。これが私の、かめはめ波──」



「エンリケ!目を覚ませエンリケ!」

 殆ど殴られるような衝撃に、三途の乗船券を叩き落とされたような思いだった。

 だがうっすらと目を開けても、視界のぼやけが取れない。

 別に視力が悪い方ではないのに、一体何だろう。

「親父、水!」

「よしかけろ!」

 ザバアッ!

 まだしぶとく夢心地だった感覚が、突然の冷や水で一気に現実全振りになった。

「ブハッ!ガハッ!」

 エンリケは反射的に身体を起こし、盛大に咳き込んで口に入った水を吐き出した。

 視界を晴れると、そこには見知った親子の顔が。

「ヴラジーミル……?」

 そう言った途端、エンリケは両肩をガシリと掴まれ激しく揺さぶられ。

「ウォロディーミルだッ!露助読みすんじゃねぇよ馬鹿野郎!」

「親父、今いいからそんなことは!」

 サーシャが窘めると、ウォロディーミルは低く唸りながらも、しかしやっとその手を放した。

 が、エンリケがまた力尽きそうになって、そのいつになく弱った背中を支えてやった。

「俺は……いや、何でここに……」

「昼間、お前らの戦場の方角に凄まじい閃光が見えたと思ったら、クッソでけぇ爆音がその後から響き渡ってな」

「閃光……爆音……?」

 事情が読めず、エンリケはただキーワードを言い返すだけ。

 ウォロディーミルは続けて。

「その後だ。ホムラがお前の乗ったトップキックを抱えてやって来たのはな」

「ホムラ!?」

 名前を聞いて、エンリケは立ち上がろうとしたが、驚くほど全身に力が入らない。

 さっき水をかけられたときに、自力で身体を起こせたのは何だったのか。

 またウォロディーミルに助けられながら、大屋根まで出て来る。

 今さっきまで気付かなかったが、東の空は既に暗くなり始めていた。

 そしてその大屋根の外に──ホムラの巨体が横たわっていた。

「今さっきまで起きてたんだよ。おーい、サガットのステージみてぇだぞー」

 サーシャが、恐れもせずホムラの顔を叩いたが、それでも起きない。

 ただすやすやと、その巨体の割に静かな寝息を立てていた。

 何か、いつもと様子が違って見える──ああ、随分と髪が短い。

 いつものツインテールが、完全に姿をくらましていた。

 まるでサンか、アシタカか。縛るものがなくなって、少し髪型が荒れている。

 だがそれはつまり──何か、大量にエネルギーを消費するほどのことをしたという証。


 俺が気を失っている間に、一体何があったのか。

 あの時、ここで落ち合うという約束をして、俺は先に出発して──。

 ああ、すぐ横の廃墟に着弾があって──そこから何も覚えていない。

 何も、全く、だ。

「あとな、お前らの貸しは帳消しだ」

 やっと自力で踏ん張れるようになって来たエンリケの腕を肩から下ろしながら、ウォロディーミルが言った。

 お前、ら?いや、ホム、ラだろう?

「……は?」

「売れたんだよ。お前らのお陰で、不良在庫が!」

 そう言ったウォロディーミルがいつになく嬉しそうに、大屋根の逆側に腕を広げると。

「はーうでぃー♪」

 ぬうっと、三角帽子のよく知るエレメンタルが覗き込んで、ニッと笑った。

 「ドロシー!?お前どうして」

 「ホムラちゃから、スクラップを一杯掘ったから買い取ってって、呼ばれて飛び出て来てみたんでいすよ。ところがどっこい!こっちの方が断然高く売れそうじゃねぇですか!」

 そう言ってドロシーは、その手に引っ掴んでいたものをずずいと差し出した。

 あの、鉄のカーテンの向こうの車が一台、値札を剥がされていた。

「……この砂まみれのソビエト・ノスタルジアが?」

「ここじゃてんで売れねぇが、エレメンティアに輸出すれば買い手いるかも知れねぇんだ。どの道向こうじゃ、環境が違い過ぎて現地改造しねぇといけねぇらしいからな」

「こんなに完璧に修理されてたら、すぐ飛びついてくれる人がいるですよ!」

「ああ、アメリカンドリームはあったんだ!お袋は間違ってなかったんだ!」

 ウォロディーミルは、歓喜に満ちた大声を上げた。

 そしてドスドスと足音を上げながら大人気なくはしゃいで、向こうで待つドロシーとハイタッチを決めた。

 ……ドロシーにとってはロータッチだったが。

「てな訳でぇ、ミシチェンコ親子とは輸出車両修理の専門業者として、独占契約を結んだところなのでいーす!」

 そう言って、ドロシーは手をにぎにぎとさせたが。

「おい何言ってんだ?お前宛てにサーシャの特別便申請を出したはずだろ?」

 驚いたエンリケが、ドロシーを問いただす。

 だがドロシーはすっとぼけたように。

「何の話ですか?地球にいた方がいい人を運び出すなんて、お猿さんのやることでいす!ひーっひっひ!」

 ……本物の斡旋業者がそう言ってしまったのでは、もう何も言い返せない。

 十中八九、ドロシーはカーコンテナしか手配していないだろう。

 この、自動車の奥に積まれた山のようなスクラップ、一体どうするつもりなのか。

「それに、ホムラが屑鉄の他にすげぇ数の廃車拵えて来やがってよ。当面仕事に困らねぇってか、忙しいんでな。サーシャを手放す訳にはいかなくなっちまった」

「腕が鳴るぜ?映画ん中でしか見たことねぇような車種で一杯なんだ」

 サーシャは、自分が身売りされかけていたことなんか、まるで興味がないかのように。

 いや、生き方が強かなのだろう。ちょっとやそっとのことで、折れることがない。

 縦にばっかり伸びたくせに、その影は横に図太い。

 そうでもなければ、アメリカでも旧ソ連でも生き残れない。

 だから、どうでもよいのだ、そんな下らないことは。

「ったく……」

 向こうで、ミシチェンコ親子とドロシーが侃々諤々と何かを話す中。

 エンリケはフラフラと、寝息を立てるホムラの横に倒れた顔の前に寄って、そのままもたれかかるように座り込んだ。

 頭上から、すうすうと寝息が。

 背後にしたホムラの頬に振り返り、いつになく優しく撫でる。

「ん……」

 エンリケの身長くらいありそうな口が、もごもごと動いた。

 腕も上半身もホムラから離して、まだ瞑ったままの目を見る。

「おに……ちゃ……」

 耳元から日本語で呼ばれ、エンリケは少し驚きながら退いた。

 だが。

「ごめ……ね……と……もっと……つよくなる……ら……」

 ホムラは、日本語で寝言を続ける。

 夢の中では、まだ怒られ続けているのだろうか。

 だがあの時、素直に謝ろうともしなかったホムラが。夢の中では──。

「どうして俺達は、お互い秘密が多いんだろうな……」

 エンリケは、またホムラの頬をすっと撫でた。

「悪かったな。撃たれてたんだろ、お前」

 そう言うと、エンリケはホムラの頬に軽く口付けした。

 少し名残惜しげに、エンリケはホムラの横倒しの顔から離れる。

 だが今思い立ったように、エンリケはカーゴパンツのポケットをまさぐった。

 そして取り出した線量計を見て、エンリケはポツリと一言。

「線量が高い……」

 ウォロディーミル・アンド・サンズ・ガレージサービスの大屋根のスピーカーが、今、ウォーレン・スミスのUranium Rockをご機嫌に歌い切ったところだった。

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