#3 Hey Brother
「ちょっ待てよ!」
10秒チャージを左手に、エンリケはアクセル全開でトップキックを加速させた。
だがこうも不整地で砂だらけでは、思うように進むことが出来ない。
と、ドカッと大きく車体がバウンド。埋もれていた岩を乗り越えたようだ。
車体はガタンガタンと、縦に揺れ横に振れ。
舌を噛まなくて良かった。心からそう思った。
「ああクソッ!」
車内の物が、あちこちに飛んで今も自由に跳ねる。
ルームミラーから下がる小さなミラーボールも、ピョンピョンキラキラと忙しない。
何だってこんな時に、カーステレオはMen At WorkのDown Underなんか流しているんだ。
目の前の光景にあまりにも合いすぎて、最悪だ。
だが両手は塞がっている。そして身長110フィートのクソデカ女は足を止めない。
畜生。どこかにアイツを引き止めて、ついでに朝飯もくれるイカれた女はいねぇのか!
この際ベジマイトサンドでもいい!
こちとらあのケツを追いかけるのに精一杯で、食いっぱぐれてんだ!
「やい!てめぇだ馬鹿!話聞きやがれ!おい!」
エンリケはまた窓から顔を出して怒鳴り散らす。
と突然、その歩みがピタリと止まった。
「うおぁっ!?」
慌てて急ブレーキ。
だが手前のセダン車大の赤いサンダルに向かって、そのままバンパーが吸い込まれた。
ドスンッ。
「ぐえっ!」
顎と喉仏の間を窓の縁にぶつけてウシガエルのような声を上げる中、車内のゴミがダッシュボードやフロントガラスをぐちゃぐちゃにして行く。
フロントはもう、何日も前のスナックやらジュースやらで、酷い有様だった。
「……っんのヲ゛ッ!?」
ぐったりしながらもエンリケが罵ろうとすると、今度は車ごと、グワッと上に向かって乱暴に持ち上げられる感覚。
窓枠で首が締まったまま、体の中の血が一気に足先を目指して落ちていく。
眼下でサスペンションはビヨンビヨン、そして地面はぐんぐんと遠ざかって行くばかり。
そしてだいぶ上り詰めた頃、座席から尻がフワッと浮いた。
気持ちの悪い浮遊感──だがそれも束の間、突然ドアが勢い良く開いた。
一瞬見えた奈落の底は、あまりにも遠く。
そして車体を強く揺さぶられ、身体がズルッと──ってシートベルトしてねぇ!?
「ぬあああああああ!?」
何かを掴もうと悪あがきも虚しく、悲鳴を上げてゴミとともに墜ちて行く。
目下数十フィートの紐なしバンジー──いやすぐに受け止める、柔らかい何か。
「ぶふッ!?」
歯が当たるほどの熱い口付けから、エンリケはよろよろと腰から下だけを起こした。
でも何だか──とても触り心地が良い。
顔周りも立てた膝も、とにかくふにふにと柔らかくて、温かい何かに包まれて。
ああいっそ、このままずっと、頬擦りを──いや。
バクバクと強いビートを打つ心の臓をぐっと押さえつつ、肩から上を震わせながらエンリケは見上げた。
自分のいるやわやわの小さな平地から、自然な曲線を描いて伸びる、狭く、丸く、細い薄桃色の斜面のその先には。
赤いツインテールのクソデカ女が──じっとりとした目で睨み付けて覗き込んでいた。
そう。こいつこそ、俺の──。
「ついて来ないでって言ったよね!?」
ホムラは自分の左手の上で伸びる小人に顔に近付けて怒鳴った。
近くに雷が落ちたかのように、小人は手で耳を押さえて目をひしと瞑る。
少し、声が大き過ぎた。でも、もう知るもんか。
右手に持ったピックアップトラックは、トランスミッションがドライブになったまま、エンドレスにタイヤをゴロゴロとクリープし続けていた。
「いいいきなり振り落としやがって!俺をフリスクか何かと勘違いしてねぇか!?」
耳から手を離した小人が、怒鳴り返して来た。
違う。そんな答えが聞きたかった訳じゃない。
でもそっちがその気なら。
「ふーん、じゃあ食べちゃおっかな」
もう少しで唇が当たりそうなくらい、更に顔を近付ける。
吐息がその小汚いTシャツに当たって、シワが出来たり、消えたり、波打ったり。
けれども、ただの脅しだ。そんな気はさらさらなかった。
とは言えもう、イメージが染み付いてしまったはず。
火のエレメンタルは──私は。
気分次第で何でも燃やし、放射能を撒き散らすゴジラ女だって。
知らないなら、知らないままでいて欲しかった。
とても恥ずかしいことだし、自分のことながら、恐ろしいことだから。
それなのに。
「何でてめぇがカリカリしてんだ!生理か?」
どうして、そんなにケロッとしているの?
こっちの気も知らないで、何を能天気に!
もう頭の中が、マグマみたいにぐちゃぐちゃドロドロ、今にも噴火しそう!
本ッ当、訳が分からない!
「馬鹿ッ!このッ!このッ!」
そう罵って、その小さな背中を指でぐりっぐりっと押さえつけてやる。
「おふっ!?ドゥフッ!」
たったそれだけで、エンリケは面白いくらい情けない悲鳴を上げて悶え苦しんだ。
勿論手加減はしている。本気でやったら、本当に潰れて死んでしまう。
でも何だか少し、変な気持ちに目覚めてしまいそうだ。
「やめッぷッマジッ、マジでッ吐くッ!」
「吐いたらマジで殺すから!」
「殺ッされっ!るッ!前にっ!死ぬッ!」
「意味分かんない!」
勢いでツッコんでしまった。全く無意識に。
でも一番訳が分からないのは──寧ろ自分自身だ。
自分から離れて欲しかったのに、どうして手のひらの上から降ろさないのだろう。
さっきとは逆に、ピックアップトラックの中に無理やり押し込んでやればいい。
追うのを諦めさせたければ、走って行ってしまえばいい。
それなのに、どうして。
どうして私は、手のひらの上で伸びたか弱い小人を、いじめてしまうのだろう?
と、段々と反応が鈍くなって来て、ホムラはハッとした。
どうして、悔いと言うのは──後からしかやって来ないのだろう。
「……ごめん」
手のひらの上をまた覗き込んで、ホムラは素直に謝った。
「エホッ……クソッ……気は済んだかよ……」
時折咳き込みながら、エンリケがようやっと身体を起こす。
今さっきまでしていたことが、自分のことなのに全く信じられなくて。
どうしよう。本当に情けない。一体なんてことを。
胸が張り裂けそうで、痛くて、凄く切なくて。
それでも、ホムラは囁くように尋ねた。
「だ、大丈夫……?骨折れてない?」
「ねぇよ……心配すんな」
いつもならきっと、激しく怒鳴り散らすのに。
怖いくらい落ち着いた答えが返って来て、余計心配だった。気が気でなかった。
どうして私は……私は……!
しばらくの沈黙。何を話す訳でもなく、とにかく気持ちを整理しようと。
出来るかどうかではなくて、ただ少しでも、冷静になりたかっただけ。
手のひらから感じていた荒い息遣いも、段々落ち着いて来たような気がした。
「で?何でてめぇは、勝手に行動取りやがった?」
エンリケが、ホムラの手の上にどっかりと座り直して尋ねる。
今にもどこかその辺に降ろしたいのを我慢して、ホムラは視線を逸らして答えた。
「勝手って……訓練終わったし」
「ああ、そうだな」
ホムラの返答に、エンリケは大きく頷いた。
直近で一番心配だったことが、本当に起こってしまった。
今朝をもって、訓練期間は終了──そう告げられてしまった。
これから黒曜三姉妹や、リーダーのカーネリアのように、自分で考えて戦果を上げたり、副業をしたりしないといけない。
それが嫌だった訳ではない。遅かれ早かれ、そうなるのは分かっていた。
でもこの数カ月間──本当の兄のように慕った人と、こんな形で引き裂かれるなんて。
ここでのことを、何だって教えてくれた。
いつだって、同じ音楽に同じ映画、同じ釜のご飯──。
普通の新入りとして、たった一年のモラトリアムを、普通に享受したかっただけなのに。
敵を、殺す。スコアを、上げる。
敵の残骸や、道すがら見つけたお宝を引き渡して、お金に変える。
引き渡したそれらは、資源問題に悩む遠い母星を支える。
欲しがる人がいる限り、何だって売る。もたらす奴がいる限り、何だって貰う。
メイド達の卑怯な物量は、それはもう格好の素材で、資源で、資金源だから。
だから──。
「なら、どうしようと私の勝手じゃん……」
ホムラが拗ねたように言うと、エンリケが大きく溜め息をついて首を振った。
「……お前、今日のブリーフィング最後まで聞いてねぇだろ」
そう言われて、ホムラはハッとしたように左腕のウェア端を顔に向けた。
エンリケを乗せているのが左手の上で、本当に良かった──。
浮かび出す画面の水玉からトークアプリを探し出して、最新の録音をタップすれば。
『ハァイ♪アース・ウィンド&ファイアのみんな!休暇から戻って来たから、今日からまたヨロシクね♪』
今朝も聞いた、いかにもな陽キャの声が、ウェア端のスピーカーから再生された。
スクールカーストの概念が故郷と少し違っていてホムラにはよく分からないが、クイーン・ビーがそのままクラスレップをしているような感覚だろう。
差し当たり、陰湿さは感じない。ただ、底抜けに気取っていて、自惚れが強いと思う。
そしてにっこりと笑って、メイドの頭を自前の石鎚で次々と景気よくかち割って行く。
カーネリアと言う石のエレメンタルは、そう言うタイプのパリピ女だ。
『地球に戻ったら、何か違うこと言おうって思って色々考えてたんだけど、やっぱり何も変わらないわ。一日一キル、これは絶対よ!寧ろもっと上を目指してくれて構わないわ!メイド達のリスポーンが追い付かないくらい、ガンガンスコアを稼いでちょうだい!』
ここも聞いた。色々ぐだぐだと言っているが、殆どずっと前からの耳タコだ。
カリフォルニア女の世間話並に情報量が少なくて、まるで目新しさがなかった。
……当人はダコタ出身の田舎女だって、以前聞いたことはあるけれども。
『そして、ホムラも今日で訓練期間は終わり!おめでとう!今日からあなたも一人前よ。より一層の戦果を期待してるわ!』
──そう。
今朝、ここでそれ以上聞く気が失せて、むしゃくしゃしてねぐらを後にしたのだった。
と言っても、まだ1時間と経っていない。今も立派な──いや、もうすぐ9時になるところだった。
ああ、昨夜朝飯を発注し忘れたから、モーニングコールがなくて寝過ごしてしまったのだった。
8時を過ぎた頃に寝坊を咎められて、頭に来て、ブリーフィングを尻切れトンボに聴いてそのまま──。
そう思ったら、急にお腹が空いて来た。
『……ってつもりだけど、実は昨夜エンリケから相談があってね。勿論一人前扱いはするけど、コーチングが全然終わってないって言うから、特別に!エンリケのボディガードとして、引き続きペアを組んで貰うことにするわ。エンリケをメイド達から守るのよ。Wow!トランスフォーマーのバンブルビーみたいじゃない!?』
……何一人で盛り上がっているんだ、本当に。
こう言う無駄におめでたいところが、正直ホムラは苦手だった。
シンプルに、いかにもアメリカンで、ノリが合いそうにない。
その絶対的に重いはずの体組成の割に、頭から尻まで全てが軽そうで。
黒曜三姉妹のガイアの方が、根っこが知的で好感が持てた。
ガイアはガイアで、少し皮肉っぽくて損得感情が強いけれども。
『それじゃあ、今日のブリーフィングはこれで終わり!Everyday I’m shufflin’!』
録音はここで途切れた。別に、自動で消えたりはしない。
きっとこの後、またLMFAOのParty Rock Anthemで、ご機嫌にステップを決めていることだろう。
……米国地質調査所の面々が、頭を抱える姿を想像出来てしまう。
西海岸の断層群から外れた立入禁止区域で、無駄にリズミカルな群発地震を観測してしまうのだから。
「一人でやりたいなら、取り消してやってもいいんだぜ」
手のひらの上から、しばらく存在を忘れかけていたエンリケがこちらを見上げて言った。
ウェア端の方がよっぽど重いのだから、仕方ない。はっきり言って誤差の範疇だ。
そんなエンリケと一瞬目が合って、ホムラはすぐ目を逸らしてしまった。
「……怖くないの?」
ホムラは遠慮がちに尋ねる。
再び視線を向けると、真っ直ぐ見上げるその目と合って、また逸らしてしまう。
何故だろう。今までずっと、普通に出来たことなのに。
目の前の小人を、直視出来ない。
「何がだ?」
エンリケが眉をひそめて聞き返した。
ホムラはまたもじもじしながら。
「……放射能」
それを聞いたエンリケは少し考えるような仕草をして、自分のカーゴパンツをごそごそとまさぐり出した。
そしてまもなく取り出すは、あたり前田の──。
「……ガイガーカウンター?」
エンリケはその手に持った、紐付きの小さなメーターを振り回しながら。
「元から常備してんだ。こかぁ表向き、軍の爆撃演習場だ。どこに何が落ちてっかも分かんねぇからな」
逆の手でパシッとそれを捕まえて、画面を覗き込んで言った。
「お前の近くは──まぁ気持ち高ぇかも知れねぇが、だから何だってんだ?被曝線量の目安を超えるほどじゃねぇだろ」
……何だろう。
突然、肩に伸し掛かっていた重荷がドサドサと、落ちて行くような。
モヤモヤ、ムカムカとしていた気持ちが、びっくりするほど素直に晴れて行く。
けれども、まだ何か釈然としない。何でだろう。
ああ──分かった。この人は──あまりに慣れ過ぎているのだ。
エレメンタルという、地球外知的生命体に。
勿論ところどころ、知識が足りていないこともある。
にも関わらず、余りにもあっけらかんとしていて、寧ろ逆に驚かされてしまう。
ねえ、どうしてあなたは、そんなにも──。
「……それで、私達の戦場で“お兄ちゃん”が何するの?」
何だか久しぶりに、そう呼び掛けたような気がする。
いつものように怒られるだろうか。叱られるだろうか。
いつも以上にビクビクとしながら、その答えをホムラは待った。
小さく、手のひらの上から溜め息が聞こえた。
「言ったろ。俺はCIAだってよ」
覗き込んだその顔は──何だか少し、得意げで。
こんなにちっぽけなのに、身を委ねたくなるくらい、何故かとても頼もしい顔だった。
……手のひらに体重を委ねられているのは自分だけども。
「俺は今日から“アイアンハイド”に乗って出る。お前はそれを守れ。ただそれだけだ」
アイアンハイド──あのピックアップトラック、実際の車名はGMCトップキック。
実写版トランスフォーマーでその役柄だったからと、エンリケはそう呼んでいた。
別に、本当に変形する訳でもない。人格なんて、もってのほかだ。
重い、でかい、燃費が悪いなどとなじる割に、大した愛着ぶりだと思う。
「……お前の存外デカい乳から離れるのは、少し心残りだがな……」
何かぼそっと聞こえた気がして、ホムラはまた手のひらの上を覗き込んだ。
「何か言った?」
もう、迷いはない。
あなたを──お兄ちゃんを、しかと見つめている。
今度はエンリケの方が、少し目を逸らす番だった。
「腹減ったっつったんだ。てめぇのせいで食いっぱぐれだ」
「あーそう言えば私も……あっ」
ホムラは思い出したように、ショートパンツのポーチに手を差し入れて。
「ドロシーさんのお土産の、ショートブレッドなら持ってるよ」
紙の袋に入った、2個入りフィンガーサイズのそれを取り出してそう言った。
貰ってそのまま、いつかおやつにするつもりだった。別にそれが今でも、構うものか。
だが。
「あぁ?あいつまた親の故郷でネッシーでも探しに行って来やがったのか!?てか、口の中クッソ乾くぞそれ!」
エンリケの反応はいまいちと言うか、明らかに嫌がっていた。
確かにあの後、パリダカのラリーカーのように、時速50マイルの何十歩を必死で追い掛けてきたのだから、飲み物の準備なんてどう見ても無さそうだった。
ところでこのショートブレッド……ごく普通にエレメンティアから取り寄せたものだと、勝手にホムラはそう思い込んでいたのだけれども。
地球上で、そんなギネスレコードが狙えそうなサイズを本当に作っているのだろうか?
「私、平気だよ?」
「お前はな!俺はいい」
「……一口だけ、食べよ?ね?」
ホムラは紙包装の中から、ショートブレッドを一本押し出して言った。
パラパラと、零れた砂糖や焼き上がった小麦粉の塊が、砂漠の中に消えて行く。
朝の柔らかな風に乗ったバターの甘い香りが、ふわりと二人の鼻を撫でる。
確かに空きっ腹の虫を直に刺激する、とても良い匂いだった。
「……一かけらだけくれ」
ホムラはにっこり笑って、調度良く近場にあった、おあつらえ向きの高さの岩山の上にエンリケを降ろした。
そしてショートブレッドの端っこを少し爪で摘んで、パキンと心地良い感触とともに折った。
「はい、どうぞ」
エンリケはホムラから両手で欠片を受け取って、スイカの一切れのように噛み付いた。
バリ、ボリ、ゴリ──。
「オフッ!?ゴホッ!」
突然──いや案の定、エンリケは激しくむせた。
あんなに頬張れば、当然だ。
「だ、大丈夫!?小さくしたつもりだけど、お兄ちゃんには大きいんだから……」
そんなエンリケの小さな背中を、ホムラは優しくさすってやる。
落ち着いたエンリケは汚れた口周りを拭って、今度は小さく齧り付く。
そして口の中でしっかり咀嚼して、何とか飲み込んだ。
それを見ながら、ホムラの顔に自然と笑みが漏れた。
「あ?何笑ってんだ?」
きっと今も口の中のボソボソに耐えながら、エンリケはきまり悪そうに言った。
「えへへ、何でも」
そう言って、ホムラもショートブレッドを半分以上口にして、そのまま噛み切る。
甘くて、濃厚で、ボソボソとしていて。でも、とても香ばしくて。
「んだよ、さっきまで親の仇みてぇに睨み付けてやがったくせに」
そう悪態をつきながら、エンリケはそっぽを向く。
「そ、その節はその……」
また謝ろうとしたホムラを、エンリケは目もくれず、片手を上げて制止した。
そしてまた、向日葵の種を前にしたハム太郎のように。
駄目だ。どうしても口元が緩んでしまう。
小動物が一生懸命何かを食べる姿を見て、何も心に響かない女子がいるだろうか?
まさか、そんな訳が。
例えそれが、大の大人の男でも。
だって可愛いものは、可愛いのだから──。
「あーくそ……ブリカスの泥水が飲みてぇな」
エンリケはそう言い捨てて、次の一口を噛み切った。
「今から頼もうか?」
ホムラはそう尋ねて、残りを口に放り込み、ウェア端の画面を叩く。
エンリケは黙って首を振ったが、別に何てことはない。
寧ろこのままねぐらに戻らないなら、飲み物を用意しておかないと。
干からびてからでは、もう遅いのだから。
そんな──いつもより遅めの朝ご飯を。
今日も、お兄ちゃんと一緒にすることが出来た。
遠い──遠い異星の、砂漠の真ん中で。
今だけ、ここには銃声もない。雷の音だって聞こえない。
誰にも邪魔されず、二人で、静かで──。
「で、俺のアイアンハイドはどこだ?」
と、変な満足感に浸っていたホムラを、一気に現実に連れ戻す青天の霹靂。
「うぇっ!?あれ!?」
ホムラの右手にあるのは、二本目のショートブレッド。
右手に持っていたピックアップトラック、いつ地面に降ろしたっけ!?
ギョッとして、足元を見下ろせば。
近場から 向こうへ続く タイヤ痕
その先待つは メイドの屋敷──
「……追い掛けろ」
「ま、待ってアイアンハイドぉ!」
ホムラは再びエンリケを拾い上げて、大股で歩き出した。
砂漠の中に消えた、“いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう”を追って。
「あんでぇ、生身の人間じゃんね。あーあ」
シャベルの剣先を引き抜きながら、ミケーネは溜め息をついた。
砂上に伏したメイド服から、プシッと真っ赤な鮮血が噴き出した。
苔と間違えそうなくらい小さなサボテンを次々と飲み込んで、真っ赤な水溜りがどんどん水かさを増して行く。
これがもし、全て黒いダイヤこと石油だったら良かったのに。
だがただの一滴とて、何の役にも立ちはしない。
価値あるものは、百歩譲ってもそこに転がる得物くらいだった。
「おはようございまーす」
知っている声がした。
血のべっとりとついたアサルトライフルを拾って顔を上げれば、手前を走るピックアップトラックを追って近付いて来る、赤いツインテールの後輩の姿が。
「ようホムラ、ブリーフィング通りじゃんけ」
足元近くを止まらずに走り抜けるトラックを見下ろして、ミケーネが応えた。
「わっ、今日最初のスコアじゃないですか」
目の前まで来たホムラが、そこに転がる骸を見てぱちぱちと拍手した。
だがミケーネは憮然として。
「っても、生身の人間じゃんけ」
「何か問題があるんですか?」
「臭ぇ汚ぇ金にもならんのに、シャベルの剣先が錆びらぁ。だっちもねぇら?」
ミケーネの言葉は特に癖が強いから、たまに意味がよく分からないことがある。
だが要するに、ただのキルスコアはノーウェルカムだと言いたいのだと。
機械化メイドなら、その骸が母星に送る金属資源になるのに。
メンバーで一番がめつい、ミケーネらしい言い分だ。
「ああ、そうだホムラ、こいつに火くれろし」
と、今思いついたかのように、ミケーネがメイドの骸を指差して言った。
「荼毘ですか」
「そーそー!ほんでその火で煙草吸うら!」
……このドケチにも、人を弔おうという殊勝な感情があるのかと、一瞬思ったのに。
ホムラは黙ってしゃがみ込んで、メイド服の乾いている布地を掴んで引っ張った。
血が今もどんどん滲み出ている。ただ火を放ったのでは、すぐ消えてしまう。
ならば、この血を一気に蒸発させてやるまで。
手から、少し強めに熱を送り出す。
メイド服がほぼ一瞬で発火して、これ以上の血の拡大を妨げた。
更に熱を送る。段々鉄の匂いが立ち籠めて来た。
地面に生えたミニサイズの灌木にも次々と火が燃え移ったが、仕方ない。
もっと熱を送り込む。ようやっと、肉の焼ける匂いが混ざって来た。
「おう悪ぃじゃんね!」
上機嫌な声を上げて、ミケーネは手にした煙草を火に近付けた。
紫煙がふわりと上がったのを見て、ミケーネはそれをフィルターから深く吸い込む。
そしてぷかっと、まん丸輪っかの煙を吐き出した。
「うめぇ~!こいつぁよ、前にぶっ殺した生身の奴が持ってやがったっつこん!」
別に興味もないのに、向こうからペラペラと。
ホムラはろくに返事もせず、すっと立ち上がる。
ああ、変なところで無駄に“リソース”を使ってしまった。
と、ウェア端がピピピッと鳴る。
画面に出た受電ボタンを押すや否や。
『道草食ってんじゃねぇよ!とっとと来い!』
スピーカー越しに、エンリケに怒鳴り散らされた。
全くだ。もう行こう。
「それじゃあ、火元だけ任せますね」
ホムラは乾ききった笑顔をミケーネに見せて、その場を後にした。
ミケーネはまた煙を吐き出しながら、ニカッと笑みを返した。
「もちさよぉ!ああ、これからストリーミングステーションおっ立てて、BGM垂れ流すっつこん、聞きてぇならラジオ立てとけし!」
余り期待は出来ないけれども、社交辞令だ。
一応ラジオアプリを立ち上げて、ホムラは大股でアイアンハイドの轍を追い掛ける。
どの道このまま屋敷に近付けば、Spotifyはメイド達に逆探知されてしまう。
その点ラジオには、受信するだけならその心配がない。
わざとSpotifyで誘き寄せる、という使い方もあるが、それは他のメンバーに任せよう。
エンリケを──お兄ちゃんを、直に危険な目に合わせたくないから。
そしていよいよ流れ出すのは──一心不乱に歩く後ろ姿を、気取って歩くジョン・トラボルタにでも見立てたのだろうか。
ノリは古い。けれども、決して悪い選曲ではない。
足取りが、段々と毎分103のテンポに引っ張られて行く。
心なしか、振り上げる腕も段々上がって行く。
そして何十歩と歩いて、やっとアイアンハイドの小さな車体の横に並ぶことが出来た。
『離れんな馬鹿!俺が危ねぇだろうが!』
通話を切らなかったウェア端から、エンリケの叱咤の声がする。
「ごめんお兄ちゃん」
『で、早速出迎えだ!10時の方向!』
下に落としかかっていた視線を、反射的に上げた。
向こうに粉塵を上げながら、こちらよりもずっと速く砂の山を駆け降りる──いや、ほぼ立ったまま超々低空飛行するショートヘアのメイドが。
『高機動型だな。いい脚してやがんのに、バーニアが玉に瑕じゃねぇか』
標準より大分短いスカートからスラッと伸びた長い脚から、キーンと飛行機のような音がしている。
おっと、気付かれた。進路がこちらに変わった!
『俺は止まんねぇぞ。離れて奴を仕留めろ。爆発に巻き込まれたくねぇからな』
先程は離れるなと、今は離れろと。全く、色々と注文が多い。
でも理由がはっきりしているから、別に文句を付けることでもない。
そして。
『余裕だろ?』
ウェア端のエンリケの声が、短くそう尋ねた。
誰に見せる訳でもなく、ホムラはニッと笑って応えた。
「……任せて!」
ホムラはショートパンツのポーチから、磁石取付け式のビーコンを取り出してしゃがみ、アイアンハイドの屋根にガチャンと貼り付けた。
そして再びポーチをまさぐって、いつものクラッカーを一つ握りしめる。
ぐんぐんと近付くメイドの手前に向かって、それを投げつけた。
気付いたメイドが、抱えたアサルトライフルを振り上げてこちらに向ける。
銃声がタタッ鳴ったその瞬間、クラッカーが爆ぜて、濃い煙を撒き散らした。
昨日ドロシーから納品された、更に煙が多めの完全煙幕用試供品だ。
この煙の濃さにビビって立ち止まるか、それとも駆け抜けて来るか。
だが、やることは変わらない。
更にホムラの両手に宿るは、小型の投擲用──ヒートトマホーク。
同時に握りしめたそれを、煙幕の中にやはり同時に投げ付けた。
ガキンッと、金属が切断される音。
そして煙幕から躍り出る、左肩口にトマホークを受けた高機動型メイド。
ライフルを振り上げようにも、左腕が言うことを聞かずだらんと銃口が下がっていた。
さぁ、後はぶっ飛ばすだけ。ホムラの手にはいつもの大型斧──ヒートマサカリが宿る。
バランスを崩したまま突っ込んで来るメイドのボディを、野球のバッターのように思い切り迎え撃った。
メキッと嫌な音を上げてひしゃげる上半身、バチバチと駆け巡る火花。
そしてまもなく、ズドンと破滅の音。
破砕物がホムラの身体にも降りかかったが、今となってはもう、ただ痛いだけ。
次々空いて行く傷口は、やはり次から次へと塞がって行った。
いつもみたいにエンリケと密着していたら、絶対出来ないことだ。
『次、9時の方向!同じだぶっ飛ばせ!』
ナビアプリは既に立ち上げ済み。
ビーコンの信号が、エンリケの現在地と進路を映し出している。
エンリケは2時の方向へ、そこから3時引いて──よし見つけた!
真っ直ぐこちらに向かって、いや今横に跳ねた。
さっきの猪突猛進よりは色々考えているようだが、どこまで持ちこたえるか!
そしてあいつの得物は──なんだブレードだけじゃないか。
つまり向こうから、いずれはこちらに飛び込んで来てくれる。
しかも今脚のバーニア切って、自分の足でギザギザと之の字を描いて来る。
それ故に横飛び幅が、規則正し過ぎて進路がバレバレだ。
要するに、地球の重力下での横飛び一歩分以上、更に横へ進むことがない。
でも、いい加減うざったいな。目であっちこっちと追うのが七面倒だ。
ならば脚を一本、お釈迦にしてやろう。
ホムラの手に再び発現する、火のトマホーク。
それを着地点に向かって一つ投げ、すぐに二つ目を投げ、更に三つ目。
一つ目は至近を空振りした。だが目の前を掠めていくそれを見て、メイドが怯む。
そして二つ目が命中。ただ、ブレードをはたき落としただけだ。
三つ目。ようやくメイドが軸足にしようとしていた脚の付け根をへし折った。
大きくバランスを崩すメイド。
慣性のままに横飛びしていく上半身を、今更バーニアを噴かしてこらえようとする。
もう遅い。寧ろそのまま跳べば良かったものを、なんて思い切りの悪い奴だろう!
ホムラは大地を蹴って、突進する。
その右手には、またヒートマサカリが煌々と輝く。
左手で握りを掴み、もう一度バッティングのようにフルスイング。
慌ててブレードを拾い上げようとしたその頭と胴を、ハンバーガーのバンズのように、パカーンと切り裂いてやった。
後ろ半分と前半分になった頭から脊髄にかけて、やはり火花がバチリ。
そしてまもなく、メイドは爆発した。
飛び散る軽金属の大きな破片が、ホムラの頬や脚をかすってスッと切り傷をつける。
だが、その傷口から炎が噴き出して、そして見る見る内に塞がって行った。
ダダダダダダッ!
3時の方から、銃を連射する音。
ああ全く、いきなりなんて忙しさだ。
次の奴は……そこの岩陰から頭を少しだけ見せるだけ。
「不要過來火精鬼子!」
おっと、あいつは知っている。
そしてまた、ライフルをダカダカと撃つ……全くなんて下手くそなんだろう。
多分あいつは、バズーカの方が上手いと思う……あいつらのは半誘導式だし。
なのにそれを持って来ないのは、大方弾数の都合なんて言うケチな話だろう。
でも、わざわざここまで来てしまった。見えてしまったのだ。
なら、勝ちに行くしかないだろう!
ホムラは走り出す。ライフルがバラバラと鳴る。
弾ける地面に貫通する肌。だからどうした、知ったことか!
その瓶型クラッカーを投げよこしたところで、だから何だと言うんだ!
そんなもの、ただ痛いだけで何ともないんだよ!
だからほら、もう目の前だ。
今更岩陰に縮こまるメイドを、岩ごとマサカリで薙ぎ飛ばす。
たまらず吹っ飛ぶ、黒髪ダブル団子のメイド。
転がり続けても尚、ライフルを当てずっぽうに乱射する。
そのライフルを、足でげしと踏み付けてやった。
一瞬びっくりしたような表情をして、その目が合った。
「天啊……讓我走……!」
何か言っているが、意味が分からない。
英語か、日本語を喋れ。それが出来ないなら。
「早く私のスコアになれ」
ザクッザクッバキンッズドン──。
今までに何度も聴いた、よく聞き知った全く同じ爆発音。
エンリケは口元に笑みすら浮かべて、足をブレーキペダルからアクセルに踏み変えた。
三人目があまりに近場に現れたものだから、岩陰に隠れてやり過ごしていた。
アイアンハイドが、肌を焼き付けるほど強い陽光の真下に躍り出る。
それとほぼ同時に、赤いサンダルを履いたよく知った女の足が、岩山の向こうから大きな一歩を踏み出した。
「ハッハァ!やるじゃねぇか!」
エンリケは暑さも顧みず窓を開けて、殆ど上を見上げながら上機嫌に叫んだ。
あのケチのキルスコアの三倍だ。一気に稼いでしまった。
逆光で表情はさっぱり見えないが、その顔はきっと得意げに笑っていることだろう。
その軽やかな手足の動きで分かる。
左手に巻いたウェア端からは、今も流れるBee GeesのStayin’ Alive。
ああ、今のお前は最高にイキイキしている!
「頼りにしてるぜ相棒!このまま例のポイントまで突っ切るぞ!」
「オッケー!」
全く、本当に良い返事だ。
ホムラ、お前を俺というくびきから解放してやったのは、間違っていなかった!
エンリケは嬉しくなって、アクセルを更に強く踏み込んだ。
車内の揺れが酷くなる。車内の何もかもが、あっちこっちに跳ねている。
クシャクシャになった数日前のニューヨーク・タイムズが、ガラクタの下で少しずつ破れて行く。
だからどうした!誰が気にかけるものか!
今夜は、本当に良いサタデーナイトを過ごせそうだ!
心から、そう思った。
が、その矢先。
バリバリバリッ!
あのウェア端から、割れに割れた音が鳴り響いた。
流れていたStayin’ Aliveが、もうすぐ最後の節というところで止まってしまった。
それに驚いたホムラも、足を止めた。
エンリケも遅れて、ブレーキを踏んだ。
『いってぇー!しくった!こいつも頭だけ機械化してやがった畜生!』
しゃがんだホムラの腕のウェア端から、ミケーネの悲鳴混じりの声がした。
「あの馬鹿!ずっと死体と一緒にいたのかよ!……いや、やっぱりか」
エンリケは一瞬罵り、しかしすぐに悟ったように。
「どうする?戻る?」
ホムラが少し、不安げに尋ねた。
「いいや。このまま進む」
「大丈夫……?」
ああ、お前は本当に良い奴だ。
損得感情に囚われず仲間を思いやれる奴なんて、ここにはそういない。
みんな、てめぇの稼ぎに必死で、わざわざここに来るようなものなのだから。
「ああ、あいつは馬鹿だが、この程度でくたばる奴じゃねぇ。行くぞ」
エンリケはそう言って、再びアクセルに足をかけた。
砂にタイヤをガリガリ擦りながら発進するアイアンハイドの後ろを、ホムラはまた追い始めた。
アイアンハイドは、砂の丘をザァッと切り崩しながら、その頂上付近の平坦な場所で停まった。
エンジンを切り、エンリケはキャビンから降りて、荷台に飛び乗る。
焼けるように熱いキャビンの屋根に厚手の麻布敷いて、その上から肘を乗せる。
そして首から下げた双眼鏡を持ち上げて、それを覗き込んだ。
「“ホテル・カリフォルニア”は、今日もウネウネしてやがるな……」
比喩ではない。
砂漠の向こうに霞む巨大な蜃気楼が、本当にグネグネウネウネと、意志を持っているかのように形を変えて行くのが見えた。
まるで全身が、マインクラフトの機能ブロックで作られているかのように。
だが完全に無造作にではなく、確実に目標に向かって、少しずつ。
ハロウィン以前の──陥落前の元の姿に向かって。
「ホテル・カリフォルニアなんて、何気取ってんの?」
丘の麓に座り込んだホムラが、ウェア端をポチポチといじりながら言った。
麓に座り込んでも、目線の高さはエンリケより少し低い程度。
そしてまもなく、シアトルスタイルの蓋付き紙コップが、空からストンと足元に落ちて来た。
「あいつら、本当にそう呼んでんだぜ。あのクソデカ屋敷をよ」
「でも、ここアリゾナだよ。カリフォルニアじゃないよ」
「歴史的にはここもカリフォルニアだ」
「ふーん、はいお茶」
興味なさそうな声で、ホムラは地球サイズのアルミ製マグをエンリケに渡した。
中には、さっき落ちて来た紙コップの中から少し分けた、緑色の飲み物。
緑茶よりずっと濃厚な緑色に、少し白みも混じっていて……そして甘ったるい匂いが。
「……何だこれ」
「アイス和三盆抹茶ティーラテ」
ホムラは呪文のようにそう言って紙コップを呷り、すぐ顔をしかめてべっと舌を出した。
無理して俺に合わせて、アイスなんて注文するからだ。
……きっと味は、全く俺好みじゃないが。
あいつにとっては、きっと強炭酸のような刺激があるに違いない。
エンリケも、少しためらいがちに一口を付ける。
想像の斜め上の甘さが口一杯に広がって、見る見る内に眉間に皺が寄った。
けれども、もう喉がカラカラだった。
エンリケは我慢しながら、そのまま更に口に含んで、甘さの暴力にひたすら耐えた。
あの紙コップの側面に描かれた、髪の長い緑の女のえびす顔が、ただただ恨めしかった。
「で、お兄ちゃんに言われるがままここまでついて来たけど、どうするの?」
ホムラは紙コップを軽く振りながら尋ねる。
「あの修復シーケンスが終わるまでどの道近寄れねぇし、今日は潔く帰るしかねぇが……」
エンリケはマグの中身を飲み干すつもりでぐっと呷り、しかし半分も飲みきれずマグをゆっくりと下ろした。
溜め息を一つ、そして意を決したように言った。
「いずれ突破口を探し、潜入する」
バシャン。
紙コップが斜面に落ちて、抹茶色の液体がざあっと斜面を流れ落ちていく。
Green Dayのミュージックビデオで、あんなシーンを見たような。
「何言ってんの!?冗談でしょ!?」
大声とともにぐっと近付く、ホムラの顔。
自分の顔より大きな瞳が二つ、至近からこちらを睨み付ける。
流石に度肝を抜かれ、エンリケもマグを落としてしまった。
「あんなに大変な思いして助け出したのに、あの中にまた戻る!?ふざけるのもいい加減にしてよ!」
ホムラは朝よりは控えめに、それでも大声で怒鳴った。
抹茶ラテの匂いがする甘く熱い吐息が暴風となって、エンリケにブワッと吹き付ける。
T.M.Revolutionのよりに身体を捩って、突き抜ける息をいなすしかなかった。
「……おい、話を聞け」
エンリケは興奮する義妹を落ち着けるように、声のトーンを低くして言った。
「ありゃ、お前らと繋がっている俺が捕虜になったから問題だったんだよ。やれ“ご主人様”、エレメンタルの殺し方を教えて下さいやがりませってな」
……メイド達は、地球人を捕虜にする。自らの意思でここに来る奴なんて、いやしない。
早いサイクルなら一ヶ月に一回。この北米のどこからか、仕入れて来る。
大体は、ワルと無縁で幸せそうな、ボンボンの若い男だ。
だから、メイド達に可愛がられている内に、段々とその気になってしまう。
俺は、ひょっとしたら、こいつらと幸せを築いて行くのかも知れない、と。
……その先の人生が、ケージの中のハムスターのようだと言うことも知らないまま。
「だが次は捕虜じゃねぇ。なる気もねぇ。自分の意志で潜り込み、奴らの情報を盗んで、ちゃんと帰って来る。それが俺の任務だ」
エンリケはホムラを真っ直ぐ見ながら言った。
ホムラは黙ってそれを聞いていたが、すっと、摩天楼のように立ち上がった。
「おい、どこに行く気だ!」
エンリケが慌てて大声で怒鳴って、アイアンハイドの荷台から降りる。
その答えはすぐ返って来た。
「ワシントンD.C.!」
「馬鹿やめろ!あとCIAはワシントンじゃねぇぞ!」
振り上げようとしたその足を、しかし結局やり場を失って、ホムラは元の場所に戻した。
ホムラの地理感が、アリゾナ周辺以外余り育ってなくて、本当に良かったと思う。
例え当てずっぽうに歩いても、いつか本当に辿り着いてしまうだろうから。
ポトマック川の、少し上流にある対岸に──。
「頼むから、合衆国の敵になるな。お前の想像より──ずっと簡単に滅ぼせるんだ」
エンリケは自分よりずっと大きなホムラに、諭すように言う。
相手が話の通じるゴジラなのなら、尚更ゆっくりと、落ち着けるように。
「んなことしても、誰の為にもならねぇんだよ。お前らの故郷の為にもな」
ホムラの目付きから、ようやっと険が抜けて行く。
ああ──よく、耐えてくれたと思う。
多感な十代半ばのクソガキにとって、耐え忍ぶことほど難しいことはない。
もし同じ位の大きさだったなら、あの頭の優しく撫でてやりたかった。
だが、それは叶わない。
何故なら俺は、ちっぽけな地球人。
そしてお前は、異星から来た炎の大巨人──エレメンタルなのだから──。
「……この星にとっちゃ、ただの迷惑でしかないお前らの戦争で、一番厄介なのはリスポーンだ」
カリスマ教師か、スティーブ・ジョブズのように。
エンリケは砂の上を、ゆっくりと歩きながらそう言った。
砂に腰を落としたホムラは、黙ってそれを聞きながら両目で追う。
「お前らのリスポーンは、“アンカー”の賜物だが……メイド共はどうやっている?」
「……機械の体」
「そうだ。だがどうやって奴らは、次のボディとの自己同一性を保っている?」
今までずっとエンリケを捉えていたホムラの両目が、それを聞いて泳ぎ出す。
そうだ。それが当たり前だったから、深く考ええもせず、ありのままを受け入れていた。
だからこそ今、問いかける。
奴らは何故、さっき死んだボディと同じ自我を保ったまま、次の身体でリスポーンする?
これは、未だ誰も明かしたことのない、メイド達の謎だった。
「さっき、ミケーネがしくったって言ってたな?」
ホムラは、こくりと頷いた。
「ここ最近、完全生身の奴は少ねぇ。しかも表を歩哨する奴らは、大概電脳化だけは済ましてやがる」
ここアリゾナは、他の地域と比べても、メイド達の機械化率がずば抜けて高いようだ。
そして更に、機械化された部位というのが、通常と真逆が多い。
つまり、身体が生身で頭は電脳──まるで山寺宏一の声で喋りそうな組み合わせだ。
「そして撃破されれば、同じ顔でリスポーンしやがる。そうなれば、晴れて全身機械化だ。それが奴らの手なんだ」
無限に続く、金太郎飴のように。
斬っても、斬ってもまた現れ、そして記憶をほぼ引き継いでいる。
その気持ち悪さは、エレメンタルよりもかえってタチが悪いかも知れない。
まるでメイド服を着た、出来の悪いエージェント・スミスのようだ。
「……俺の仮説だが」
エンリケは続けて言う。
「奴らの“本物”は、お前らと同じように、必ずどこかにある。機械の体──“アバター”に都度記憶をコピーしたり、差分を埋めたりするための、受け皿としての役目のだ」
話題がウォシャウスキーから、ジェームズ・キャメロンに飛躍した。
だがホムラは、今の所話について来られているようだ。
ホムラが、三馬鹿と違って映画を見る方で良かった。
だから、ねぐらに帰ればクロームキャストとプライムビデオが大活躍だった。
「きっとそれは、あの屋敷の中だ。と言っても、地上のマインクラフトじゃねぇ。ラピュタと同じで、あの下に中枢があるはずだ」
飛行石などない。いや仮にあっても、今のところそれに興味はない。
知りたいのは、寧ろロボット兵の方だ。
「その証明が出来れば、この不毛な泥沼に一筋の光が差す。それを探るのが俺という訳だ」
ホムラの喉が、こくりと鳴った。
今日、わざわざここまで連れて来た目的の一つを──ようやく達成することが出来た。
「……お前らには、何としてもこの戦争に勝利して貰わなきゃならねぇ。その為に、俺がここにいる。分かるな?」
エンリケがそう言うと、ホムラはゆっくりと頷いた。
理解者を久し振りにやっと得て、エンリケは満足だった。
ここにいる顔触れで理解を示したのは、ホムラの他にカーネリアだけだった。
目先の利害に囚われず、だが素直に俺を気遣い──そしてあの時も、俺を助けるために、一番槍にホテル・カリフォルニアに飛び込んだお前なら。
エンリケは自分の手を胸に、深呼吸をして──ゆっくりと口を開いた。
「お前ら、いや──お前が勝った暁には──俺を星に持ち帰れ」