#2 How You Like Me Now?
大御所の芸人が陽気に歌う声が目覚ましだった。
別に誰がファンだという訳でもない。
朝食が届いた時に流れる仕組みだから、選択肢なんて無かった。
「ふぁぁぁ……」
大きくあくびをして上体を起こせば、朝日がまぶたの中の右目を外へ誘おうと一生懸命覗き込む。
対して左目は、お呼びがかかっていないのを良いことに瞑ったまま。
そんな悪い左目はこうだ。手でゴシゴシしてしまえ。
たまらず、両目が同時に開いた。おはようございます。
目に入って来たのは、赤い大地に建つ模型のような小屋と、両手で拾えるサイズのピックアップトラック。
その後ろには届いたばかりの、赤いキャラクターが描かれた真っ白な紙コンテナ。
小屋もトラックもきっと余裕で入る大きさのそれに、腕を伸ばして口を開ける。
昨夜の注文通り、朝マックが入っていた。ちなみに牛乳は2本。
「……あの間抜けな歌は何とかならねぇのか」
既に地面に倒れていた小屋の扉を踏み越えて出て来る、首も腕も赤く日焼けした小人。
そう、朝日を手で遮りながらしかめ面するこの小さな人間こそ──。
「お兄ちゃんおはよぉ」
ホムラはそう言って、エンリケに人差し指を伸ばす。
まだ結わいていない、長くて赤い髪の毛が、ざぁっとエンリケの周囲に降り注いだ。
だがエンリケは、目の前まで近付いたホムラの指を思い切り引っ叩いた。
ホムラはびっくりしながら手を引っ込めて。
「ねー撫でるくらいいいじゃん!」
「ペットじゃねぇ!」
「減るもんじゃなしー、先っちょだけだからぁ」
「るせぇ!とっとと飯寄越せ!」
「ぶー」
振られて膨れっ面のホムラは渋々パックに手を挿し込み、地球人サイズのセットが入った袋を器用に摘んでエンリケに差し出した。
パックの裏についたトレーを外して下ろせばもっと楽なのに、袋だけ。
「はい、どーぞ」
エンリケは引っ手繰るように受け取り、中身を取り出す。
ソーセージエッグマフィン、ハッシュポテト、プレミアムローストアイスコーヒー。
注文通り、全て揃っていた。
「「いただきます」」
日本式に──日本語でそう言って、各々口にしたいものから手に取る。
ホムラは1本目の牛乳パックにストローを突き立てて、そのまま吸い出した。
その一本が──トーマスの引っ張るタンク貨車一両分だ。
「おい、こいつ動かねぇぞ」
エンリケはハッシュポテトを咀嚼しながら、枯れ木に引っ掛けられたホムラのウェア端の表面を拳でコツコツと叩いた。
勿論サルバドール・ダリの彫刻のように、溶けてはいない。
「あ、昨日アンカーリセットして寝たんだった」
ホムラはエンリケの頭上に手を伸ばして、ウェア端を拾い上げる。
裏返せば、何もはまっていない、空の窪み。
ホムラはどこからかパッと取り出した、指の腹に乗るくらいの深紅色の珠──エンリケから見ればサッカーボール大──をカチリとはめる。
……ジャーンと起動音がして、まもなくアプリが水玉のように浮き上がった。
「はいどうぞ。ラジオ?」
「ああ」
ホムラは画面を指でタップして、アプリの中からラジオアプリを立ち上げる。
最初の選局先が流していたのは、この時間の定番──。
「飽きもしねぇで、毎日毎日デヴィッド・ボウイか」
エンリケは顔をしかめながら、元位置に戻されたウェア端の表面をまた叩き始めた。
「だって象徴だよ?初めて聴いた当時のエレメンタル達は、みーんな涙したんだって」
「そんなかよ」
「そりゃもう、ジョビジョバだよ」
ホムラ自身、この歌は好きだった。ここに来てからもっと好きになった。
目前に映る明け方の空と赤茶けた風景が、火星が舞台の映画のようにマッチしていた。
「見て来たように言いやがって。産まれてすらなかっただろ」
「そうだけど」
エンリケは目もくれず選局をいじり続ける。
選局リージョンが、“プレイアデス”から日本の関西ローカルを何故か一瞬映したが、エンリケは無視した。
「生み親に恵まれなかった私達だけど、この宇宙で孤独じゃなかったんだから」
ホムラは紙包みを開けてエッグマフィンをはむり。
パサパサで塩の効いたその一口に、ホムラの顔色がぱあっと明るくなった。
それをナトリウムの炎色反応と言って片付けるのは、野暮と言うものだ。
「そしてやっと出逢えた。私のStarman」
最後に見つけたステーションを表示したボタンをエンリケが握り拳で叩くと、チャック・ベリーのギターリフをジングルに、やっとニュースを流し始めた。
そして振り返ったエンリケを迎える、ホムラのニコニコ顔。
シンクホールの底で女の子座りしながら覗き込むホムラの顔は、かなり近かった。
朝凪の時間に、少し風の流れを感じる程に。
「離れろ。暑苦しい」
「ひっどい」
「マフィンカスの付いたデカ顔なんざ、至近距離で見たかねぇんだよ」
ニュースのBGMがドナ・サマーのHot Stuffだなんて、どんな嫌がらせだろうか。
不満げに頬を膨らませつつも、ホムラはエンリケから顔を遠ざけ、顔の表面温度を上げる。
頬にこびりついていた粉や卵黄が、シュッと一瞬で燃えて消えた。
「ったくクソ便利な身体してやがらぁ。風呂も歯磨きも要らねぇとか、夢じゃねぇか」
そう言いながら、今度はエンリケがソーセージエッグマフィンに手を付ける。
さっきのホムラよりもずっと大量に、粉と卵の黄身が口元を汚していた。
「でも不純物がどうしても溜まるから、たまにアンカーリセットしないとダメなんだよ。昨夜寝る時にそうしたって訳」
「バーベキューグリルの灰を捨てるようなもんか」
「そうそう。と言っても、ただの無駄リスポーンなんだけどね」
シンクホールの片隅に溜まって行く灰の山は、つまりそう言うこと。
エンリケはそれに向かって丸めた紙包装を投げ捨てたが、そこにホムラの手がスッと割り込む。
ホムラの手に当たった瞬間、紙包装は火を噴いて燃え尽きてしまった。
急な温度変化で、エンリケの顔に向かって熱風がぶわっと吹いた。
「あんまりゴミをそのまま捨てないでよ。私のリクライニングが汚れちゃう」
ホムラが抗議の声を上げるが、エンリケは。
「はっ、今度俺のクソもぶちまけて、そこにジャガイモ植えてやるよ」
「やめて!」
「どの道もうすぐクソ溜めが満タンだぜ。さぁて」
「えんがちょ!食べてる時に!」
「おう、人間様は汚らわしいんだよ。てめぇらと違ってな」
エンリケは下品に笑いながら、仮設トイレに消えてしまった。
ニュースを読み上げる声が、それ以上の音をかき消してくれた──きっと。
と、ウェア端にプッシュ通知が入る。
キャプテン代行、ガイアからだった。
『“アース・ウィンド&ファイア”全員へ。カーネリアは今夜復帰する。どやされたくなかったら一人一キルだ。ついでにドロシーも来る。デポ資源は今日で締めだ。何も無いなら今日中に稼げ。以上』
ホムラは溜め息をついた。
ハロウィン以来、それなりに平穏だった日々が、今日で終わる。
黒曜三姉妹──三馬鹿とのキルスコアの融通も、難しくなって来る。
存外楽しい資源集めだけではなくて、真面目に戦争しないといけない。
そうなると、お兄ちゃんといられる時間は──。
「お前、牛乳2本目かよ」
トイレから出て来たエンリケが、呆れたように言った。
ホムラは飲みかけを口から離して。
「だって好きなんだもん」
「水苦手なんじゃねぇのか、火のエレメンタルは」
「そうだけど、飲まなきゃ生きてられないよ。私だって生き物なんだから」
エンリケは肩を竦ませながら、自分もアイスコーヒーを呷った。
「それに、牛乳のおかげで背も伸びたし、胸も大きくなったよ。私地元じゃ背が高い方だし、スタイルだって自信あるんだから」
そう言ってホムラは、人より自信のある胸をぽんと軽く叩く。
更にキャミソールの胸元を摘んで、自慢気にちらり。
「お兄ちゃんの乗り心地にも貢献してるんだよ?どう?」
見上げるエンリケは、アイスコーヒーを飲み切ってから低いトーンで言った。
「……お前変わったな」
「ほんと!?今の私はどう?悩殺されちゃった?」
ホムラは目を爛々と輝かせて、ぐいと顔を近付ける。
くりくりと言うか、ぎょろぎょろとした真っ赤な瞳が二つ、エンリケを見つめる。
その顔目掛けて、エンリケはカップに残った氷を摘んで思い切り投げ付けた。
「いったーいッ!?」
肌がただれる痛みにホムラは悲鳴を上げた。
殆ど脊髄反射で、顔をエンリケから離す。
頬にはジュウッと音を立てる黒点。それを覆うように、プロミネンスのような炎が。
「お前は!いつから!俺に嘘つくタマになりやがった!」
「痛い痛い!氷はやめてぇぇ!」
エンリケは節分豆のように次々と氷を投げつける。
ぶつけられた赤鬼は、身を捩らせて痛がった。
「牛乳で背が伸びただと?だったら俺は今頃ギネス記録だ馬鹿野郎!」
「私に当たらないでよぉ!」
騒ぐ二人のバックで、ラジオのニュースが終わりを告げてしまった。
二人の頭には今日も、ニュースなど何一つ入って来ていなかった。
まさかの会敵、そしてまさかの装備だった。
バリケードにしていた岩山が、もう限界を迎えそうだった。
バカスカと撃ち抜かれ、土手っ腹が幾つも貫かれていた。
「走るよお兄ちゃん!」
「とっとと行け!」
無駄を承知で、ホムラはポーチから引き抜いたクラッカーを背後に放り投げた。
案の定、岩を越えた瞬間すぐ撃ち抜かれ、明後日の方へ飛び散ってしまった。
その間に、ホムラは左手でエンリケのいる胸元を押さえながら走り出していたが。
「消ッ火ァァァッ!!」
咆哮とも呼べるような大絶叫。
当然自分に照準が向いたのが分かった。
「──ッ!」
その瞬間、右脚にズキリと激痛が走る。
次のバリケードに足からスライディングするつもりが、バランスを崩して殆どでんぐり返しで飛び込んでしまった。
「ほぁぁぁっ!?……はぁっ……ひぃっ……」
胸元からは、悲鳴と肩で息をする声。
例えホムラの胸の膨らみが多少クッションになったところで、最悪な絶叫マシンには変わりなかった。
「ごめ……右脚が」
痛みを我慢するホムラが、声を絞り出すように言う。
エンリケが身を乗り出すと、ショートパンツからスラリと伸びたホムラの右脚の、脛から先が──無かった。
その傷がぶすぶすと黒煙を上げたまま、自己再生──リジェネレートがなかなか始まらない。
それどころか黒く変色した箇所が、じわじわと広がって来ていた。
「くそっ、炭化したのか!」
エンリケは拳をホムラの胸元に叩きつけながら叫んだ。
まさかこのカラッカラの砂漠のど真ん中で、岩をも砕き散らすウォーターガンだなんて。
しかし水のままではあっという間に失速するからと、弾頭はご丁寧に鋭く尖らせた氷と来ている。
要するに、飛んでいる間だけ氷の徹甲弾。
それが景気よく岩を穿ち、ご機嫌に破壊して行く。
一体どこの馬鹿が、そんなモンスターハンターにインスパイアされたかのような独国面を発揮したのか。
まるで背負式の農薬散布機か高圧洗浄機を公然と違法魔改造したような、しかしそんなピーキー好きの金田も鼻で笑いそうなクソダサビジュアルなのに。
けれどもそのどストレート過ぎる手段が、火のエレメンタルの弱点をクリティカルに突いているのは、どうしようもない事実だった。
「おい、このままじゃお前を肥料に砂漠が緑化しちまうぞ!」
「か、環境には良いことじゃないかなぁ!」
二人して冗談を飛ばすも、とてもそんな状況ではない。
この劣勢を打開するにはそもそも。
「俺を降ろさねぇと、再生が始められねぇんだろ!」
岩山の崩壊する音が近付く中、エンリケがホムラを見上げながら言った。
「そうだけど!」
手っ取り早くリジェネレートするには、ホムラの体温が十分に上がらなければ。
そのためには、エンリケ自体が邪魔だった。
「降ろせ!いや降りてやる!」
ホムラの胸元から飛び降りようと、エンリケは更に身を乗り出したが。
だがそのエンリケを、ホムラ自身がぐわしと捕まえた。
「何しやがる!」
「ダメだよ!丸腰のお兄ちゃんなんてあっという間に──!」
エンリケの身を掴むホムラの手は、もう既にかなり熱い。
このまま握られ続けていても、低温火傷になりそうだった。
きっと興奮しているからだろうが、それでもまだリジェネレートには足りない。
文字通り、メラメラと燃え上がるほど熱くならなければ──。
「お前が立ち直れなきゃ、どのみち死ぬだろうが!」
「何とかするから!」
「その何とかが何だってんだ!真っ向勝負出来ねぇなら、ここからかめはめ波でも撃てなきゃ無理だろうがよ!」
「は!?」
「は、じゃねぇ!んちゃ砲でも何でもいい!何か出来ねぇのかよ!」
「で、出来るけど!」
……は?
その予想外の答えに、エンリケはポカンとした。
動揺でブレブレだったホムラの巨大な瞳も、その反応に一瞬パチクリした。
「出来んのかよ!何でやらねぇんだ!」
「ちょ、著作権的に!」
「うっせぇわ!」
「あと!」
「何だよ!」
「物凄く、格好が悪い……」
「アホかてめぇはぁ!」
「だって、まんま巨神兵だよ!?」
「最高だ馬鹿!見てくれなんか気にしてる場合か!」
「嫌なものは嫌!」
ドゴオン!
そんな次元の低い言い争いをしている間に、背にした岩山が弾け飛んだ。
「お兄ちゃんっ!」
降りかかる岩石からエンリケの身を守ろうと、ホムラはそのちっぽけな身体をぎゅっと抱き締めた。
地響き、轟音、土煙。
ガラガラガラ、ドドドドドド……。
アニメ版ドラゴンボールZにありがちな、戦いの中のインターバルだった。
だがそこにいるのは、ブロリーでも別のサイヤ人でもない。
アッシュブロンドの髪は重力に逆らったりせず、シニヨンにして後頭部にきっちりとまとめられていた。
そして風に翻る、フリルエプロンと紺のロングスカート。
「痴話喧嘩?余裕綽々ねぇ劣等種」
なんて地獄耳だろう。さっきのが聞こえていたとでも。
「まさかこんなに他愛もないなんて……やはりFeuerにはWasser。一見馬鹿馬鹿しいけど、やってみるものね」
銃口は落としていない。確実に、ホムラを向けている。
ごく普通の可視情報以外で、その向きを捉えていた。
しかし先程のように撃って来ず、だからといって弾切れの様子もなく。
「今度こそ殺してやるわ。リスポーンもリジェネレートも追い付かないくらい、徹底的に撃ち抜いてやる!」
シャワー程度に水勢を弱めたって、最早勝利は確定的だった。
だがそんな容赦など、してやるものか!
「そしてその次はあんたよエンリケ!ゆっくり……嬲り殺してやるわ!」
アッシュブロンドのシニヨンメイド──ヒルダはサディスティックに笑いながら、崩れて散らばった岩山の残骸を、編み上げ靴で更に踏み砕いた。
と──。
「……ん?」
ぴたり、とヒルダはその脚を止める。
そして視線を、顔を、空へと向けた。
「イェリコのラッパ──」
何も見えない。少なくともヒルダ以外には。
いや微かに、風切り音が聞こえて来た。
「シュトゥーカの真似事!?ふざけるな!」
ヒルダは銃口を上空へと向けた。
段々とその正体が、近づいて来る。
ウウウウウウウウ──ッ!
初めて聞いたとて、きっと誰もが嫌がる音が、増々大きくなってゆく。
「何が来ようと、私のケルヒャーが切り裂くわ!」
対空砲のように次々と撃つ。弾道に、虹を浮かび上がらせて。
ズドンッ!
何かが空中で爆発した。
濃い煙と破砕物が、虹を一瞬でかき消した。
更に爆発。やはり泥のように濃い煙が、更に青空へ飛び散った。
ズダダダダダダッ!
それを貫くように、機関銃が撃たれた。
射線上の大地を一直線にビシビシと弾いて行く。
その行き着く先は──。
チュチュイン!
「っく!」
背負ったタンクに、2発。
その衝撃でヒルダはぐわんと身体のバランスを崩し、しかし何とか脚で踏ん張る。
だがその間に。
ズドォン!
もっと大きな弾が、タンクに落ちて爆発した。
水と破砕物と、火花と火の粉が、入り混じって背中から飛び散る。
だがその程度で大穴が開くようなボディでも、メイド服でもない!
「Scheiße!」
遠ざかる風切り音に、体勢を整えたヒルダは懐から抜いた拳銃を1発、2発。
手応えがないまま、ドラム缶大の空薬莢が、ドウン、ドウンと音を上げて地を弾んでいった。
その空薬莢が一つ、転がった末にやっと失速したところを。
「おい、まさか弾切れじゃねぇよな?」
ボールか何かのように足で止める、下等人種。
例え機械の体になろうとも、この感情だけは失わない。
もう、順番など──どうでも良かろう。
ゆっくりとシャフ度を決めながら、ヒルダが見返る。
一歩、二歩、そして三歩。
「あーら“ご主人様”、ご機嫌麗しゅう。妹を放って降伏かしら?」
近くへ足を振り落とし、握り拳を叩き付けて逃げ道を塞ぎ。
まだ煙を上げるワルサーの銃口を、どうしようもないほどちっぽけな、真下のエンリケに向けた。
けれどもエンリケは、真っ直ぐ見上げたまま動じない。
どうしてこいつ、わざわざ自分から懐に潜り込んで来て、こんなに堂々としているのか。
腹が立つ。完全に舐め腐っている。
踏み潰してやろうか、叩き潰してやろうか、それとも四肢を一つずつもいでやろうか。
いや面倒だ。このまま撃ち殺してやろう。
ヒルダは引き金にかけた指に力を──。
バキィン!
右腕が、千切れて吹き飛んだ。
もぎ取られた下腕と共に、回転しながら飛んで行く真っ赤な投擲斧が見えた。
そして向こうの大地に突き刺さると同時に、ボワッと煙とともに消えた。
「Verdammt!」
ヒルダは力任せに右腕の上腕を地上に叩き付ける。
ガァンと鋭い音と共に、傷口から金属骨格が砕けて散らばった。
しかしそこに下等な小人種は──もういなかった。
砂上に微かに残った足跡を辿れば──少し先に全力で逃げる矮小生物。
「このクソ猿がァァァッ!」
膝を立て、残った左手を振り上げて、ヒルダは絶叫する。
それに応えるように、向こうの瓦礫の山が、盛り上がって崩れ落ちた。
ドコドコと大小の岩を振り落としながら、そこに現れるは。
「……お兄ちゃん、どいて」
淡い光を帯び、空気を揺らめかせながら立ち上がる、ツインテールの赤い悪魔。
その右足は、特に強い光を放って燃え上がっていた。
そのツインテールは、どう言う訳か先程より少し短くなっていた。
そしてその真っ赤な目が、こちらを捉えてギラリと光る。
手前のエンリケがヒルダを挑発するように尻を叩き、また全力疾走で明後日の方へと逃げ出した。
「そいつ、殺せない──!」
右手に出現する巨大な斧、更に短くなる髪房。
大地が陥没するほど強く蹴って、ホムラは吶喊した。
目前の敵の首を、跳ね飛ばすために!
「ホムラちゃああああ!」
白銀色の胴のほうきを地面に落として、ユパを見つけたナウシカのように半円を描いて走って来るのは。
「わっ!ドロシーさん!?」
ホムラの胸に飛び込んでそのまま顔を埋める、青いキルトとウェストコートを着た背の低いエレメンタル。
被っていた黒い三角帽子が地面に落ちて、青緑色のセミロングヘアがふわっと姿を現した。
「久し振りのホムぱい~ふぁぁぁやぁらけぇ~」
そう言って、頬ずりするだけならまだ良かった。
油断したホムラの胸を、両手でぐわし。
「ひゃあっ!やっ…やめっ!」
「いいじゃねぇでいすか、減るもんじゃねぇでいす。そしてもっとふちゃらせろでいす!」
完全にエロ親父的思考で揉みしだくドロシーを、ホムラは力尽くで引き剥がした。
更に新喜劇流におでこを押さえ付けてやれば、ほらもう届かない。
まるで大人と子供の体格差だった。
「ぶー!つれねぇでいす!髪もそんなに短くして、ピンチみたいだったから助けてあげたのに!ほほー、ボクに何の感謝もねぇでいすか。そーですか」
帽子を被り直したドロシーは、つついたら音が出そうなくらい頬を膨らませてぷいとそっぽを向いた。
おっとまずい。主要取引先を怒らせたら、本当にお金に困ってしまう!
「あ、ありがとうございます!すごく助かりました!」
ホムラは慌てて手を引っ込め、頭を下げて感謝した。
頭を垂れた日本人は、油断の塊──すかさずドロシーは、再びホムラにぎゅっ。
「ぷひゃひゃ!お代としてどろり濃厚熱烈ハグしやがれでいす!」
「だ、だからぁ!」
砂を巻き上げながらまたじゃれ合う巨人二人。不思議と地響きも揺れもさほどない。
それを見上げながら、その足元にやって来る小さな人影。
「おい、クソアマ」
二人して見下げると、ダイヤモンドバックスの帽子越しに見上げるその顔は明らかに怒り顔。
今度こそ、ドロシーの方が自ら離れた。
「そこに直りやがれ」
尋常ならない気配に、ホムラはすぐ正座した。だがそれでも、かなり見下ろしたまま。
ホムラの並んだ膝小僧の前に立ったエンリケは大きく息を吸い、そしてびっくりするほど大声で怒鳴り散らした。
「何セルフハンディキャッピングしてやがんだてめぇは!」
耳がビリビリする。
グリーンアーミーメンのような小ささで、なんて大声だろう。
「格好悪いだ?ざけんな!どこの誰が優雅お淑やかに戦場歩きやがんだ!」
「オーガレス・ミヤビ……」
ドロシーが小声で言うと、エンリケがキッと睨み付けた。
自分の指ほどの背丈しか無い小男の剣幕に気圧されて、ドロシーは萎縮した。
「商いと飛ぶしか脳がねぇクソデカすかしっ屁は黙ってろ!」
「ひ、ひでぇです……」
ドロシーを黙らせたエンリケは、ホムラに向き直ってまた怒鳴った。
「野蛮だろうと卑怯だろうと格好悪かろうと、勝ちゃいいんだろうが!どクソイケメンだろうが、女とヤるときゃナメクジみてぇになんだろうが!」
言う必要があるのかどうか分からないくらい、酷く下品な例え。
けれども、ホムラの目元に大粒の涙を浮かばせるには十分だった。
肌がもう、黒く腫れ始めていた。
「見てくれなんざ知るか!巨神兵になって迷わず撃て!嫌なら今すぐ星に帰りやがれ!てめぇなんか真っ赤な炎じゃねぇ!臆病者のイエローだ!帰れイエロー!」
見上げて怒鳴るすぐそばに、沸騰した涙がバシャンと落ちた。
跳ねたそれが、クソ熱くて痛い。ふざけやがって。
だが、弱みを見せる訳にはいかない。
例え、そのどうしようもない迫力に圧倒されたとしても。
俺は、こいつの兄貴だから。
「エンリケたん」
「黙れ」
「大事な話だから」
「うるせぇと言ってんだ!」
向き直ったエンリケの目の前に、握り拳がドシンと落ちる。
風圧で、エンリケの身体はたまらず吹っ飛んだ。
滑空、墜落、横転──停止。
よろよろと上体を起こし、口に入った砂を咳とともに吐き散らして見上げた。
「マジレスするですよ」
四つん這いのドロシーが、拳を解きながら引き上げるところだった。
ホムラよりもっと弱虫に、いとも簡単に吹き飛ばされて、全く格好がつかなかった。
畜生、なんてザマだ──。
「本当にホムラちゃに熱線を撃たせる気なら」
感情を押し殺すように、ドロシーが言う。
「一緒にいられなくなるどころか、ガイガーカウンター常備で安全地帯を探し回ることになるですよ」
「……何?」
エンリケはさっきまでの威勢が、一気に萎んで行くのが自分でも分かった。
言われたことが、単なる脅しに聞こえなかった。
「火のエレメンタルの底抜けのエネルギー源は、核融合でいす」
ジリジリと照り付ける灼熱の陽光の下で、脇の下に寒気すら覚えた。
今朝、クソデカ朝マックで牛乳を2本飲んで、満面の笑みを浮かべていた奴が?
まるで猫型ロボット──いや。
「……ゴジラかよ」
エンリケはそれでも精一杯の声を、絞り出すように言った。
立膝で見下ろすドロシーも、正座してまだ泣き続けるホムラも、否定しなかった。
代わりにドロシーは、話を続けた。
「10年くらい前、“エレメンティア”の東京で、軽度ですが放射能事故があったです。場所はえーと」
「千住です……」
叱られてから一度も喋らなかったホムラが、やっと口を開く。
エンリケもドロシーも、ホムラの顔を覗き込んだ。
涙が伝った肌が、湯気を上げている。
顔まで炭化してたまるかと、言わんばかりに。
「……お前か」
その問いにホムラは、小さく頷いた。
「お化け煙突を見に行ってはしゃいだ時に川に落ちて、助けを求めるつもりで……」
即死だ。リスポーンも出来ない年齢で、それが本当だったなら。
それを、まさか──。
「んな理由で千住が燃えた訳か──」
エンリケが、声を漏らした。
だが、それを聞いて。
「……?」
「エンリケたん、どうしてその時火事もあったことを知ってるですか?」
ホムラもドロシーも、エンリケを見下ろした。
集中する視線を避けるように、エンリケはキャップを深く被り直して。
「いや……E-Wikipedia程度で読んだことはあるが……眉唾だった」
「まぁあれは嘘八百書けるから無理もねぇです」
ドロシーは納得したように言うと、エンリケは胸を撫で下ろした。
「火のエレメンタルは、自分の特性を理解して、我慢に我慢を重ねてるか、自分の力を加減してるです。人口比率が日本語圏に偏りがちなのも、そう言うことなんでいすから」
我慢を美徳とする社会なら、確かに暴発をある程度抑えられるかも知れない。
けれども、どこまでそれが保つかは分からない。
堪え性なし、豆腐メンタルがいないなんて保証は、どこにもない。
集められた江戸っ子達が、喧嘩もせず行儀よくなんて、果たして本当に出来るのか。
「お前も良く知ってんな。ガリ勉だったろ」
「ま、まぁ……地球デビューまでガチのナードキメてたのは認めるですけど」
エンリケのつっこみに、ドロシーは少しばつが悪そうに頬をかいたが。
「火のエレメンタルは、ボク達空気のエレメンタルから派生した姉妹種でいすから」
ドロシーは、ようやっと泣き止んだホムラを立ち上がらせる。
そして甲斐甲斐しく、身体についた砂をはたいてやった。
……足元に、エンリケがいるのにも関わらず。
「だから」
砂を自分ではたき落とすエンリケの目の前に、ドロシーは手を伸ばす。
指は折り曲げず、伸ばしている。
何とは言わない。だがそれはつまり、乗れという意味。
そしてその手はよく見ると、赤茶けた砂漠の地面を少し透かしていた。
「煽り過ぎない方がいいですよ、“地球人”」
忠告を重ねたドロシーの手のひらに、エンリケは黙って片足を乗せた。
その肌の柔らかさは、まるで風船のようだった。
デヴィッド・ボウイのStarmanが、微かに聞こえる。
枯れ木に引っ掛けたウェア端から、音量を絞って流されていた。
「おい、タコスが冷めるぞ」
エンリケはブルックリンラガーの瓶を呷りながら、立坑櫓のナトリウムランプに照らされ照らされる膝小僧を抱えたままのホムラを見上げた。
帰って来てからずっと、あんな調子でぼうっとしていた。
段々、腹が立って来た。
「お前のナチョスから食い散らかしてやろうか」
そう言って、エンリケは紫色のベルが描かれた紙コンテナを蹴っ飛ばした。
大きくても紙。何度か蹴れば、穴が空いた。
「……出来るものならやってみなよ」
ホムラはようやく、紙コンテナに手を差し入れてタコスを一つ持ち上げる。
コンテナに侵入したエンリケの頭に、サルサがべっとり付いたレタスがドサリと落ちた。
「ぐあっ!何じゃこりゃあ!」
悲鳴混じりの怒号を上げるエンリケの頭から、ホムラはダイヤモンドバックスのキャップごとレタスを拾い上げる。
そしてレタスだけ口に入れて、キャップはまたエンリケの頭に被せてやった。
ポスッ、なでなで。
「このアマ舐めてんのか畜生!」
不意に頭を撫でられたエンリケが、コンテナの中から怒鳴り散らした。
けれどもホムラは、無視してタコスを頬張り続けた。
「クソッ、今日も風呂入らねぇといけねぇじゃねか」
エンリケは悪態をつきながら、コンテナの中から出て来る。
元々赤くて分からなかったが、キャップはサルサでベチョベチョだ。
このまま頭皮を唐辛子で刺激し続けるのは流石にまずい。
目元に垂れて来たら、もっとまずい。
でも水は高い。
それなのに。
「はい」
湯気をもくもくと上げる熱々の風呂が、先に出迎えた。
誰がそれを?考えるまでもない。
余りに行動が早過ぎる。
もうどうでも良くなって、エンリケは服を脱ぎ捨てて風呂にダイブした。
「ねぇお兄ちゃん」
突然、ホムラの方から話しかけて来た。
湯船の中のエンリケは、瓶の残りを飲み干してから返事をした。
「あぁ?」
「明日、訓練期間終わりって言われたら、どうする?」
「どうもするかよ。俺は元の仕事に戻るだけだ。おい、次のビール寄越せ」
エンリケがそう言うと、王冠を爪で摘まれたクアーズの瓶が天から舞い降りて来た。
受け取ると同時にホムラの手が離れ、王冠が跳ね飛んだ。
瓶の首がほんのり熱かったが、ビールはまだしっかり冷えていた。
「元々何してたの?」
「聞いて驚くなよ。俺はCIAだ」
エンリケはそう答えて、渡されたクアーズを呷った。
だが。
「……うっそだぁ」
その返答は、まるっきり信じていない。
エンリケにとっても、そんなことは正直どうでもよかった。
「ハッ、意外過ぎて信じられねぇだろ」
「まっさか。先週はNASAで、来週は何になるの?公安9課?」
「るせぇ!秘密だってんだよ!」
皮肉られたエンリケは、怒ってクアーズの瓶を投げ飛ばした。
瓶は中身を撒き散らしながら、最後にホムラの腕に当たって──破裂した。
咄嗟にやってしまった。少しやり過ぎたと、エンリケはその場で反省した。
だが、謝ろうとはしなかった。
「……そっか、秘密なんだね」
ホムラの答えは意外なほどあっさりだった。
「お、おう。だからあんまりほじくるんじゃねぇ」
「うん、分かった」
気味が悪いほど引きが早い。
あまり良い予感はしなかった。
それなのに、エンリケはまだ謝らなかった。
どうしてこう、意固地になってしまうのだろう。
もっと、素直になっても──。
「私、寝るね。おやすみ」
ホムラが、唐突に言う。
普通に応答するつもりが、エンリケはハッとして。
「は?お前、ナチョスの残り……!」
湯船からザバンと立ち上がったエンリケを迎えたのは、夜風と静寂。
デヴィッド・ボウイの掠れた歌声は、もう流れていなかった。
それどころかホムラの巨大な身体も、忽然と消えていた。
エンリケはタコベルの紙コンテナの方を振り向いた。
自分が空けた穴から見えるのは、文字通り山盛りのナチョス、エレメンタルサイズ。
「おい、どうすんだよあの量……」
途方に暮れたエンリケは、それ以上何が出来る訳でもなく、湯船に浸かり直して、またハッとしたように言った。
「……Siri、AviciiのWake Me Upを流しやがれ」
再び枯れ木に引っ掛けられたホムラのウェア端末は、何の反応を返さず、ただ時刻だけを映すだけだった。