#1 2 Worlds Collide
風に吹かれて舞い立つ、砂。
風に押されて地に尾を引く、石。
風が当たるがままただ聳える、岩。
風に乗って響く、大音量のハードロック。
『いいいいいたああああああああッ!』
荒々しい声が、BGMに負けじと轟いた。
『追い込め!勝負だてめぇらぁ!』
『分け前ねぇらなぁ!』
『えええええもおおおおおのおおおおおおお!』
もう二人の声が、底抜けのハウリングにかき消された。
腕に巻いたウェア端末のスピーカーの方が追い付かず、バリバリとむせ返っていた。
「三馬鹿が。戦闘中くらいSpotify切れってんだ」
呆れ返った男の声。
長く赤い髪房を二つ風になびかせて、ホムラがひょっこりと岩陰から顔を出した。
更に身を乗り出せば、その豊満なキャミソールの胸元に、真っ赤に日焼けした一寸法師が。
カンガルーの子宜しく半身を乗り出して、地平線の手前を横切る砂嵐を横目で追った。
「楽しそうだね」
ウェア端の音量をぐっと絞って、ホムラはそう言った。
獲物は何よりスコアで、スコアは稼ぎだ。エキサイトしない訳がない。
それに、何よりも感じられる。
生きている、ということを。
この赤茶けた大地を、ただ踏み締めているだけでは物足りない。
だから端末の向こうの三人は、追い立てる。
獲物を、スコアを、稼ぎを。
だだっ広いこの砂漠を、元気に走り回るに十分な理由がそれだ。
「混ざるなら降ろせ。酔っちまう」
向こうに興味を失った男は、ホムラの胸元にふんぞり返って言った。
だがホムラは、にっこり笑って答えた。
「ううん、お兄ちゃんと一緒にいる」
じりじり照り付ける太陽の下、一体誰がそんな薄情な真似が出来るだろうか。
その答えに男の眉間の寄っていた皺が、少し和らいだ。
「それじゃあ、私達の“獲物”を探しに行こ、お兄ちゃん」
ホムラは明るい声で、代わりのプランを提案したが。
「で、今日はどこで砂場遊びだ?」
溜め息とともに、半ば貶すような言い草。
「あ、遊びじゃないよ!お小遣い稼ぎだもん!」
ホムラは頬をぷっくりと膨らませて反論したが。
「そうか。幾ら稼いだんだ?」
「……ううっ」
痛いところを突かれて、黙り込んでしまう。
実際、もう雀の涙ほどしか手持ちがない。
これから稼ぐのは他でもない、今夜の飯代なのだから。
「毎度毎度ガラクタに無駄遣いしやがって。どんだけアイテム課金厨なんだお前は」
「半分はお兄ちゃん用なんですけど!?」
「頼んでねぇし、そもそも俺を戦力にしようとすんじゃねぇ!訓練が終わりきってねぇからって、甘え過ぎなんだよ」
一方的に責め立てる男に、ホムラは少し、腹が立って来た。
この体格差を埋める手立てもないのに、人の胸の間で小動物がキーキーと。
お望み通り、摘み上げてどこかにポイしてやろうか、それとも。
「あと何度も言わせんじゃねぇ!そのお兄ちゃんってのをやめろ!」
ああ──少し、分からせてあげよう。
ダイヤモンドバックスのキャップを被った豆粒のような頭を、ホムラは指でグリグリと強めに押し付けた。
「んがっ!?てめっ何しやがっ」
「ちょっと、大人しくしよっかぁ。お、に、い、ちゃん♪」
更に柔肌を下から寄せ上げてやれば、ミクロマンの怒号も抵抗も儚く、最後はその間にずぼっと埋もれて行ってしまった。
窒息しない内に、出て来られたら上々。
「それじゃあ、出発ー進行ー、ナスのお新香ー♪Siri、何か音楽流して!」
ホムラは気を取り直し、ウェア端のアシスタントに指示した。
数秒後に返って来た応えは、ご機嫌な50年代の音源。
「Uranium Fever……?」
ホムラはカンカン照りの荒れた赤い砂漠へと歩き出す。
高く売れるのなら、実際ウランでも何でも構わなかった。
まばゆい光がふっと消えると、月夜に照らされた薄暗がりの砂埃の中から、赤と白のピザ箱が姿を現した。
拾い上げて中身を開けると、まだ温かな、湿った芳香がふわり。
絶妙にとろけたチーズから昇る湯気が、スパイスとバジルをまとって鼻を撫でた。
やっと見つけた古いキャデラックの残骸が、何て美味しそうな姿に化けたのだろう。
ああ、もうお腹と背中がくっつきそうだ。
「お兄ちゃん、ピザ来たよ」
ショートパンツに収めたお尻を、やや風化してすり鉢状に広がったシンクホールの底に降ろしながらホムラが呼びかけると。
「へはおひあうは!」
縁に建つ小屋から、あの男が蝶番の外れたドアを蹴倒して出て来た。
ありったけの缶ビールを抱え、口にも缶を咥えて開口一番に尋ねた。
「あるよ。今日はペパロニと、ハム&マッ……」
「ぷはっ、ペパロニだけでいい」
男は缶を抱えたまま、地上に舞い降りたピザ箱の上に飛び乗り、どかっと腰を下ろした。
そしてバラバラと缶を無造作に落として、直径20フィートのピザの端を、ベリッと力任せに引き千切った。
「もー、好き嫌いはダメだよ」
ホムラが窘めるように言ったが。
「どこにてめぇの胃袋以上食うピザ野郎がいやがる」
ごもっとも。八分の一切れですら、男の身の丈の二倍近かった。
「ぽっちゃり太ったお兄ちゃんもきっと可愛いよ。マシュマロマンみたいになるかも」
「ざけんな。最悪だ」
少し、冗談を言っただけなのに。
ホムラは肩をすくませ、ペパロニと逆側のクワトロフォルマッジの方を手に乗せそのままかぶり付いた。
じわっと、口いっぱいに四つの至福。
こんなに美味しいのに、ああなんて勿体ない。
「あっそうだ、ゴーストバスターズ見ようよ、お兄ちゃん」
マシュマロマンから連想ゲームのように、そう頼み込んだ。
二本目のバドワイザーをカシュッと開けながら、ピザ箱の上の小人は冷ややかに一言。
「ガキか」
「いいじゃん!好きなんだもん!」
「ふん、じゃあお得意のテクで準備しやがれ」
「オッケー♪」
ホムラは背中を預けていた崖の方に振り返り、そこに建つ鉄骨の櫓を覗き込んだ。
櫓のてっぺんで、すっかり錆びついた車輪が風に吹かれてカラカラと鳴る。
巨大な映写機に見えなくもないが、あちこちが壊れた、古い立坑櫓の跡だった。
その櫓に小指をすっと差し込み、骨組みの陰に潜んだ爪より小さな機械のスイッチを爪先でツンと押せば。
ホムラが真っ直ぐ脚を伸ばした向こうの岩壁に日系メーカーのロゴが瞬き、すぐプライムビデオのロゴに切り替わった。
『あなたのご家族で、幽霊を見た人はいますか?』
『答えがYESなら、迷わず今すぐプロフェッショナルにお電話下さい』
櫓に取り付けたスピーカーから、CMのシーンの台詞が降り注ぐ。
何度も見ているから、今どの辺りかも手に取るように分かった。
けれどもどうして、オープニングでも中盤でもない、こんな開始間もないシーンから再生されたのだろう。
自分なら、こんなでところで見飽きるなんて──。
「ねえ、お兄ちゃん」
ホムラは手に付いたチーズをペロッと舐めながら、男に尋ねた。
「あぁ?」
男は三本目のタブに手をかけて返事をする。
噴水のように噴き上がった泡が、顔を直撃した。
「“私達”ってさ、ゴーストの方だよね」
ホムラは自分の顔の左横で起きている悲劇に目もくれず続けて言った。
「体の九割が霊体で、自分の霊力で……」
「何が言いてぇんだ」
男はホムラの口を遮って不機嫌そうに言う。
向こうに投影されたピーターも、雇われのジャニーンを罵っていた。
「“人間”の、敵なんだよね。私達」
男は残ったビールを喉に流し込み、空いた缶をシンクホールの底へ投げ捨てて言った。
「おい、“俺ら”を“あいつら”と一緒くたにしてねぇか。俺は“お前ら”を敵だと思ったことはねぇし、逆に“あいつら”を味方と思ったこともねぇ」
ジャニーンが、自分の座る席の下から現れたイゴンに読書好きだろうと尋ね、けんもほろろに言い返されたシーンだった。
読書は毒だ──そのルックスは、ジャニーンもイゴンも、あからさまに本の虫なのに。
「……同じ“人間”同士なのに、変なの」
「ああ。クソの長さを20倍にした以外はそっくりだ」
「もー、きちゃない」
一種の同族嫌悪なのだろうか。そこまで嫌うのは。
大きさ以外姿かたちが同じなのに、そこまで突っ撥ねるなんて。
「恨みしか買ってないんだなぁ、“あいつら”って」
「他人事みてぇに言いやがって。一番恨んでいるのは“お前ら”のはずだ」
「……生まれるずっと前からの話だもん、ぶっちゃけ成り行きだよ」
ホムラはまだ大部分が残るペパロニに手を付けて、半分に折り畳んだ。
が、男が引き千切って穴が空いた部分が、ぺろんと情けなく垂れ下がってしまった。
「ああ?じゃあ、握手を求めて丸腰で躍り出るか?許して下しぇ~って」
「それは……嫌かな」
「だろ。奴らとはもう、修復不能なんだよ」
そう思い込んだら、最早それまで。
最後の一人まで、殺し合うしか無い。
例え“あいつら”が、自分たちの“創造主”の末裔だったとしても。
「虚勢でもてめぇの大義を見つけな。ヴィランだと思うなら、ヴィランらしくしろ。でなきゃ、ただの負け犬だ」
容赦無いと言うか、愛想の欠片もない、突き放したような物言いだったが。
「……そうだね」
でも何やかんや、安心させてくれる。
それが、たまらなく愛おしくて、心地良い──。
「おい、乾かせ。ビールが噴きやがった」
そう言われてやっと、ホムラは男に目を向けた。
ほつればかりの小汚いTシャツを脱いで、半裸になった男が見上げていた。
背丈の割に意外なほど太い上腕と逞しい胸板に、一瞬目を奪われてしまった。
マシュマロマンより、ランボーの方かも知れない。
「お風呂に入ればいいのに」
「ごめんだ。水が勿体ねぇ」
ホムラは溜め息をつきながら、男の目の前に開いた右手をそっと下ろした。
男の手前三方を囲むようにその手を少し丸めると、やがてじわりと熱気が。
淡く光をまとう、巨大な赤外線ヒーターのようなその手にぎゅっと握られたら、潰れるより前に大火傷だろう。
そんな芸当を平然としてのける、赤髪赤目の赤い巨人。
鬼か化け物としか言いようがない、人知も物理も超えた力が。
「……その力が、羨ましい」
「何か言った?」
「くしゃみだ」
「もー、本当に風邪引くよ。やっぱりお風呂準備するね」
幾ら砂漠とは言え、暦ではもうすぐ冬。夜は日に日に冷えて来ている。
ホムラは男の返事も聞かず、小屋の前に転がっていた、シルバニアファミリーが使いそうなバスタブを逆の手で摘み上げた。
貯水塔の下に置いて蛇口のバルブを勝手に捻り、バスタブにドバドバと水を流し込む。
何度も町へ行ってやっと溜めた貴重な水が、しばらくもすればシャボンまみれ、か。
男は溜め息を一つ。
「お前、無駄に器用だよな」
「酷っ!?全然無駄じゃないじゃん!超文化的!」
「手慣れ過ぎなんだよ。何したらそうなる」
その問いにホムラはキョトンとして。
「お父さんのお風呂の面倒、ずっと見てたけど?」
……風呂のことだけを尋ねた訳ではないのだが。
男は大袈裟に肩をすくませ、そしておどけて声を裏返しながら言った。
「おい、鬼太郎!」
「おっ、お父さん目玉の親父じゃないもん!」
ホムラの抗議に聞く耳も持たず、男は更にからかった。
「父さん、妖怪アンテナに反応が!」
「おーにーいーちゃーん!?」
怒ったホムラは男の足首をぐいっと摘み上げ、逆さ吊りにしてやった。
それでもまだ男はヘラヘラと。
ああ、多少酔っているな。なら。
ホムラは男のベルトをほどき、カーゴパンツのファスナーに爪を立てる。
そしてジーッ。
「てっ、てめぇ何……!」
その恐ろしく器用な爪先に、流石に男は寒気を覚えた。
どうして、こいつはこんなにも──。
そして不敵な笑みで、ホムラはズボンの裾を一振り。
「バーイ♪」
ツルッと、そのまま脱げ落ちる。男の身体の方が。
「はぁーっ!?」
パンツ一丁、重力のままに、奈落の底へ──。
バッシャーン。
「あっはははは!」
ケラケラと笑い声が、バスタブの外から響き渡った。
水面から飛び出た男は、咳とともに口から盛大に水をぶちまけて、呪うように言った。
「悪魔め……」
風呂はまだ、全然温まっていなかった。
投影された巨大なマシュマロマンが、ストリートをのっしのっしと歩く。
それを見たニューヨークの市民達は、慌てふためき逃げ惑った。
ビルの屋上から見下ろすレイは、ただただ途方に暮れていた。
「私ね、夢があるんだ」
ホムラは呟くように言った。
熱々の湯船にふんぞり返りながら、男は頭をもたげた。
「あぁ?」
「いつかあんな風に、ニューヨークを歩いてみたい」
「ぶはっ!だっはっはっは」
それを聞いて、男は大爆笑。
至って真面目だったホムラには、何故笑われたのか皆目見当がつかなかった。
男は一頻り笑った後に。
「NYの馬鹿どもを恐怖に陥れながら?傑作じゃねぇか!」
「あ、そ、そうじゃなくて!ごく普通に受け入れられて、それで……」
「じゃあ何でわざわざマシュマロマンで例えやがった?2の自由の女神の方が理想像じゃねぇか」
「あっ……そっか」
「くっそ、腹いってぇっへっへへ」
男はまだ腹を抱えている。
当のホムラはちっとも面白くない。
でも怒る気にもならなかった。
一度ギャグで伝わってしまったらもう、修復のしようがない。
「っひっひ……案外その方がいいかもな」
笑いを堪えきれていない男に、ホムラは拗ねるように。
「その方が、って……」
「お前、マジでマシュマロマンの着ぐるみを着ろ」
……ちょっと、何言っているのか、分からない。
「ハロウィンと勘違いして、誰も怖がらねぇってんだよ」
そう言われて、一瞬納得しかけてしまった。
何しろまだ記憶に新しい、近所の町でのハロウィンは、実際大成功だったから。
何の仮装もせずとも、地元の子供達は、110フィートの大巨人を受け入れた。
イベントにかこつければ、何でも──いや。
そんなこと、市民が許しても合衆国当局は。
「おう、ドロシーに伝えといてやるぜ」
男はバスタブの外に手を伸ばし、綺麗に畳まれたカーゴパンツからスマートフォンを引っこ抜いた。
マンションの上の四人を見上げるマシュマロマンが、一瞬カクついた。
「ちょっ、や、やめて!あの人行動力の塊!」
小指の爪より小さなスマートフォンを奪おうと、ダイダラボッチの手がわっと迫る。
その手をひらりとかわして、男は少し離れた岩場に仁王立ちした。
……一糸、まとわぬ姿で。
「きゃっ」
「ハッハァ!おらおら、俺はここだ!」
腰を振り振り、その下も振り振り。
ホムラは元々赤い顔を更に赤面させて目を逸らした。
その隙に。
「えーと、ホムラのサイズでマシュマロマンの着ぐるみを作れ、NYを震えが上がらせるぜ、っと」
「ちょっとお!」
焦ったホムラは、スマホを打ちながら逃げる男を追ってシンクホールから立ち上がった。
たった一歩、たったそれだけで、男を難なく追い抜いて。
そして今度こそ、わしっと乱暴に捕まえた。
丁度、ジェリーマウスを捕まえるトムキャットのように。
「だめ、やめて……お願いだから……」
声も手も震わせて、ホムラは男を凝視する。
例えそれが哀願だったとしても、この体格差ではとてもそうには見えない。
だから、と言う訳でもないが。
「よう、楽しみにしとけよ」
印籠かクラッカーのように、男は画面を自分を見つめる巨大な目玉に見せつけた。
見えるのか。読めるのか。だがもし読めるのなら。
いや、読み上げが作動した。
『クリスマスに間に合わせるのでいす』
既読、早過ぎ──。
ホムラは天を仰いで、そのまま倒れて行く。
男を、握りしめたまま。
「ばっ馬鹿馬鹿馬鹿放せぇぇぇ!」
岩壁に映し出された高層マンションの屋上が、轟音とともに大爆発を起こした。
映像はジャミジャミ、崖はガラガラ、砂埃はモクモク。
それでも立坑櫓は何とか踏ん張って、ただ車輪をカラカラと鳴らしていた。
夜風に吹かれてやっと砂煙が晴れ、満月が何事かと覗き込んだ頃。
「ゲホッ、カーッ!ペッ」
全身隅々にこびりついた砂という砂をはたき落としながら、男が姿を現した。
「てめぇこのクソビッチが!砂落としたら夜通しファックしてやる!」
男は怒りに任せて、倒れたホムラに罵声を浴びせた。
顔は見えない。見えるのは、盛り上がった二つの山だけ。
男が自分の髪を掻き上げようとすると、ぬちゃっとした感触が返って来た。
スライムか、マシュマロか。
引っ掴んだ手を視界に持って来ると、それは砂だらけのチーズとピザソースだった。
「クソが!俺のクソバスタブはどこだ!」
男が更に罵ると、双子山の向こうでティーカップのように摘まれた、ステンレスのバスタブが、月明かりに照らし出された。
「クソアマ、そいつを寄越しやがれ!入り直しだ」
その怒声に応えるように、聳え立った赤い腕が、それを男に向かってぶん投げた。
コンマ数秒、バスタブは男のすぐ脇にズドンと墜落し、砂を盛大に撒き上げて大地に突き刺さった。
あと数インチ、ズレていたら──。
腰が抜けた男は、へなへなとその場に座り込んでしまった。
バスタブにはもう、湯は一滴も残っていなかった。
もうすぐ午前10時。既に陽炎の揺らぐ暑さだった。
「降ろせ。ここで十分だ」
そう言われて、ホムラは両手で掴んでいたピックアップトラックを足元に下ろした。
ぼふりと砂煙を上げてタイヤが接地するとほぼ同時に、エンジンがブルンと息吹く。
いかにも排気量の大きそうな音だ。
「けっ、クソ燃費車め。ケチケチしねぇでトヨタ寄越せってんだ。買い物ついでに大佐のケツ蹴り上げに行くか」
運転席で、男が悪態をついた。
町までの道中、どこかで給油が必要なガソリン残量だった。
「もっと州道近くまで運ぼうか?」
地面に両膝をついて、ホムラが覗き込むように尋ねると。
「州兵どもに手厚く歓待されたいのか」
「別に何ともないよ」
「お前はな。俺が大目玉だ」
そう言われたら、もうお好きにとしか言えない。
肩を軽くすくめた後で。
「それじゃ、今日も指切りしよ」
運転席に、ホムラは小指を伸ばして近付けた。
窓を閉めようとしていた男が、眉をひそめて言った。
「あぁ?またやんのか?」
「勿論。前科一犯に拒否権なんてないんだからね」
ホムラの答えに、男は盛大に溜め息をつく。
でもホムラは真剣だった。なあなあに出来なかった。
だって、気を緩ませたらまた──。
「ったく」
男は窓から手を伸ばして、ホムラの小指を掴んだ。
「エンリケ・ファメス。誓って必ず帰る」
男──エンリケは、しっかりとホムラの指を握りしめて宣言した。
それに被せるように、ホムラが付け足して言う。
「“メイド”に捕まらないこと。困ったらすぐ呼ぶこと。それから」
お互い目を見つめ合い、見計らって同時に言った。
「「ナナシには特に気をつけること」」
最後まで息ぴったりで、二人とも少し笑みが漏れた。
断じて信頼していない訳ではない。
寧ろ十分信じていた。
血が繋がらなくても、種族も違えども。
生まれた星すら違っても、私達は兄妹だから。
同じ戦場を一緒に渡り歩いた──だから──。
「はい、指切った」
掴んだその手と指を、同時に手放した。
ちょっと、名残惜しい。でもまた触れ合ったら、指切りにならない。
ホムラは素直に手を引っ込めた。
「じゃ、行って来るぜ」
エンリケはそう言って、今度こそ窓を閉めた。
ニッコリと笑って、ホムラは言った。
「うん。いってらっしゃい」
立ち上がったホムラの足元を、トップキックが砂を巻き上げながら走り出す。
まるでラジコン。たった一歩で追い越せそうな速度だったけれども。
ホムラは黙って、その場で手を振った。
砂に落とした胡麻のように見えなくなるまで。ずっと。
「さて、と」
東西をオーバーハングした岩山に挟まれた谷間にたどり着いたところで、ホムラは呟いた。
隙間からさんさんと容赦なく降り注ぐ陽の光と、谷を突き抜けるカラッカラの熱風。
左右の髪房をなびかせるようにずっと吹いていたそれが、今、はたと止まった。
「趣味悪いよ。ずっとつけられてるのは分かってた」
ホムラは岩山を見上げて言った。
眩しいくらい青い空に飛行機雲が、遠く、淡く、棚引いていた。
次の瞬間、突如視界に投げ込まれる、瓶か、それともハンマーか。
ホムラはショートパンツのベルトのポーチから、突起のあるボール状のものを取り出して投げつけ、姿勢を低くして走り出した。
そのすぐ後、無数の爆発が。
ビシビシと、破砕物が辺りに激しく突き刺さる。
岩を弾き、岩を穿ち、岩を抉り取る。
そして。
「──ッ!」
走るホムラの脚を、撃ち抜いた。
転ぶように倒れたホムラは、それでもすぐに立ち上がった。
撃ち抜かれた脚は──今、傷が塞がった。
「ッたいなぁ、クラッカー程度じゃ抑えきれないか!」
砂を巻き上げ、石を蹴飛ばし、風を追い抜いて走り抜ける。
背後の岩山が力尽きるように崩れ、煙の中に消えて行く。
この先は、十中八九罠だ。
だってこの戦法は、私達もやったから。
目には目を、歯には歯を、ってことか。
いかにも、人間らしい。
そうこうしている内に、岩山が晴れてしまった。
真っ赤な砂漠が広がるのを横目に、ああ、ほらやっぱり──。
「ほんっと、ムカつく──」
案の定の待ち伏せを視認したその瞬間。
ロケット弾が左右からホムラを貫き、その場で爆ぜ上がった。
「警戒を厳に。あの“エレメンタル”はもう“リスポーン”を身に付けているわ」
ライフルを持った背の高いメイド服の女が、目標の消えた現場に歩み寄りながら言った。
アッシュブロンドの髪を後頭部でシニヨンにして、紺のロングスカートに長袖、フリルのエプロンに身を包んだその姿は、いかにもクラシカルな出で立ちだった。
だが、陽が照り付け、砂の大地が照り返し、熱風が容赦なく吹き付ける中、その整った顔には汗一つなく。
まるでマネキンのように、ただ冷めた顔で佇んでいた。
「すみません、お水飲んでいいですか!」
一方そのブロンドメイドに近付いた別のメイドは、ぐっしょり汗をかき、肩でぜえぜえと息をして尋ねた。
きっと急場しのぎで結いた、左右非対称の黒のピッグテールと、少し日に焼けた肌。
そして低い背丈と、身の丈と余り大差ないアサルトライフルを背負って。
「許可するわ」
ブロンドが言い切るよりも前に、黒髪は肩にかけた水筒を開いて、ごくごくと喉を鳴らしていた。
形の良い顎を滴るのは、汗か、それとも口から溢れた水か。
「ぷはぁ~!」
黒髪は水筒を離した口を手で拭って、少し笑顔を見せた。
ブロンドはそれを見て冷ややかに。
「ミコト、行儀が悪い」
「はっ!すみませんヒルダさん!つい美味しくて!」
「……素直で宜しい」
「それが取り柄なので!」
屈託なく笑うミコトの頭をヒルダはサラッと優しく撫で、しかしすぐに興味をなくして顔を上げた。
「何か残っているかしら?」
視線の先には、更に何人かのメイドが待っていた。
「是大姐、ほぼ無傷でウェアラブルデバイスが」
ロケットランチャーを肩にかけた一人が、立ち上がって敬礼しながら報告した。
そのメイドもこの灼熱の中、汗をかいていなかった。
「変ね、そんなに頑丈なのかしら」
ヒルダは、その端末を覗き込む。
多少傷はあるものの、あの集中砲火の中で、ほぼ原型を留めているなんて。
側面のボタンを恐る恐る押すと、画面にアプリの一覧が水玉のように浮き上がる。
動作も、何の問題なかった。
「アップルウォッチそっくりですね」
同じく覗き込んだミコトが言うと。
「……退廃主義者のデバイスか。下らない」
ヒルダは、明らかに卑下するように吐き捨てた。
だが。
「とは言え、戦利品ね。収容しなさい」
「Va bene」
ヒルダは最後まで端末を手にしていたメイドに命令し、背を向けた。
「あのっ」
ミコトが、手を挙げて言う。
「一度腕に巻いたらダメですか!」
ヒルダは背を向けたまま。
「却下」
「そんな!巻くだけですから!って、フランチェスカさんが巻いてるし!」
「Che idiota、収容って言えっ!」
それを聞いて、ヒルダが振り向いて叱咤した。
「Nein!フランチェスカ、今すぐ外しなさい!」
「フランチェスカ、私も」
「シャオォ!」
女三人寄れば何とやら、いや、四人だが。
と、その吸った揉んだの間に、端末が地面に落ちる。
再びそれを拾ったのは、ミコトだった。
まだ言い争うヒルダ達の目を盗んで、それを腕に巻き付ける。
「……凄い」
確かに、見た目の割に少し重くて、無駄に頑丈そうだったが。
腕時計すら巻いたことがないのに、ウェアラブル端末なんて。
初陣の手柄には、十分過ぎる──。
「哎呀、漁夫之利占めた奴いるね」
シャオがそれを見て言うと。
「ミコト!」
振り向いたヒルダが怒鳴り散らした。
物凄い形相だった。
「すっすみません!すぐ外しま──」
ミコトが慌ててバンドに手をかけたその時。
大音量のエレキギターのディストーションが、響き渡った。
メイド達はぎょっとして得物を担ぎ上げ、辺りを見回した。
けれども、周囲に異常は無かった。
いや──そもそも音源は。
「……ミコト?」
ミコトが腕に巻いた、例のウェアラブル端末だった。
画面に浮かぶのは、Spotifyのインターフェイス。
アーティスト、The Dead Weather。
曲目、Treat Me Like Your Mother──。
「一体何を……」
「いえ、私は何も……何も……ッ!?」
その時、申し開きをしていたミコトの身体に違和感が走る。
全身から噴き出た汗が、目にたまった涙が、あっという間に乾いて行く。
熱い。痛い。熱い。痛い──。
「アアアアアア!!」
血が、肉が、骨が煮え滾る。
目が、爪が、全身の毛という毛が、白煙と煤を上げてちりちりと燃えて行く。
アサルトライフルが、メキメキと嫌な音を上げていた。
「撃て!」
ヒルダの声に、メイド達は各々ミコトに照準を向けた。
空薬莢が、ヒルダのライフルからピンと飛び跳ねた。
けれども、ヒルダ以外からは。
だって、例えもう絶命していたとしても、それは味方の──。
ザクッ。
「……っ」
鋭利な刃物のようなものが、飛んで来た気がした。
気付いたときには、全員の身体がぱっくりと横に割れていた。
全員の腹から、いかにも機械的な骨格が剥き出て、バチバチと火花を散らす。
「嗯、他媽的!」
「Che mannaggia!」
シャオとフランチェスカは、そのまま自爆した。
それが、機械化メイドのルールだから。
潔く次のボディで“リブート”すればいい。
敵に完全なボディを、極力渡してはならない──。
しかしヒルダは。
「Verdammt──!」
砂の大地に横倒しになりながら、正面を罵る。
かつてミコトがいたそこに、巨大な炎が燃え盛っていた。
警戒を厳にと言ったのに、このざまだ。
全員、返り討ちになってしまった。
ミコトだけは──まだ機械化していない、正真正銘の人間だったのに。
連れて来るべきではなかった。
館の掃除に充てるべきだった。
本人の希望を、心を鬼にしてでも却下するべきだった。
ただ悔しくて、たまらなかった。
ロックなどという雑音が、まだ流れ続けている。
あの炎の中から、憎々しいほど大音量で。
とても音楽とは認めたくなかった。
退廃的で、破壊的で──敗北的だ。
「……あっははははは!」
知っている笑い声だ。忘れる訳がなかった。
初見からまだ1年と過ぎていない、本来なら“駆除”出来たはずのヒヨッコが。
あっという間にリスポーンを覚え、それどころか“リジェネレータ”にもなってしまった。
事もあろうか、まさに今、ミコトの生の身体を媒体にして──。
「ホムラァァッ!!」
ヒルダは悔しさのあまり、その忌々しい名前を言い捨てた。
ミコトの身体を喰らい尽くし、不敵に笑いながらそこに聳え立つのは。
あのウェアラブル端末を腕に、真っ赤なマサカリを担いだ、赤いツインテールの悪魔。
この砂漠唯一の、炎のエレメンタル、ホムラ──。
「大袈裟だなぁ。そっちだって性懲りもなく復帰するくせに」
もう、誰にも殺すことは、叶わない。
一旦消え失せてくれたことにぬか喜びして、そしてすぐに絶望する。
終わらない、何度でも蘇る。無限に続く地獄絵図に。
そんな一進一退を、どこか喜んですらいる仇敵が、ただ恐ろしくて──。
「あと何回殺れば、ゲームオーバーになるのか……なっ!」
ホムラは両手で持ち上げたマサカリを、力一杯振り落とした。
金属のひしゃげる音。弾ける音。断ち切れる音、焼ける音。
砂の大地に情けなく横たわるヒルダの頭を、思い切り粉砕した。
そして程なく、爆破音。
ヒルダもついに、木っ端微塵に爆散した。
次のボディのリブートは、明後日に設定された。
「罠にはまったフリして、一人で四キルたぁ……相も変わらずえらいもんだら」
浅黒い肌の、左目に眼帯をしたセミロングの女が、呆気にとられたように言った。
さっきまで間違いなくメイドロボだった、無数に散らばった残骸を見渡しながら、しかしそれ以上のことが言えなかった。
「ミケーネねき、今合金のレート幾らだったっけ?」
安産第一と書かれた工事メットを被った、やはり肌の濃い、一番体格の大きな女が、一つ摘み上げて尋ねた。
眼帯──ミケーネは肩を竦ませて。
「知るか。ドロシーに聞けし」
「おー、一旦撮って送るかー」
メットの女はカーゴパンツからスマートフォンを抜いて、ぽちぽちとタイプし始めた。
どうせ売るなら、少しでも高い日に売りたいに決まっていた。
「で、どうするんだい。こんなに戦果上げちまってさ」
もう一人が、溜め息とともに尋ねた。
くせの強いショートヘアを弄りながら、その真っ黒な目で、正面のホムラを捉えていた。
「また、一キルずつおすそ分けでどうですか」
ホムラは、ばつが悪そうに目を逸らしながら言った。
くせ毛が言い返そうとしたその前に。
「おっ、わりーじゃん!山分けだオルガ!」
ミケーネが嬉しそうな声を上げた。
そして上機嫌に、メット女と一緒に残骸の回収作業に入ってしまった。
それを横目にくせ毛は。
「……Mate、お前は偉いよほんと。アリゾナの赤い悪魔、面目躍如だ」
また盛大に、溜め息をついた。
「ガイア姐さん、その呼び方やめて下さい……」
ホムラがうつむき加減にそう言っても。
「ピッタリだろ。人よか3倍早く出世しやがってさ」
「あんまりエース扱いされたくないです」
「おーおー余裕だいねぇ。オーガレス・ミヤビの娘は言うことが違ぇな」
くせ毛──ガイアの皮肉に、ホムラはしおらしく言い返した。
「……余り戦果を上げ過ぎると、訓練期間が強制終了になりますから」
「あん?何か問題があんのかい?」
ガイアは怪訝そうに尋ねた。
大体のニュービーは、手柄欲しさで年度末に血眼になるというのに。
修了条件なんてとっくのとうにぶっ飛ばした奴が、一体何寝ぼけたことを──。
「私──兄貴と離れたくないです」
その答えに、ガイアは天を仰いだ。
「はぁ!?何だそのレート!ざけんなデポっとけし!」
「ねき、あたい即金欲しいンだわ……」
「知るか!」
向こうでは、怒鳴り散らすミケーネに、オルガはただオロオロとするばかり。
ガイアは眉間を揉みながら、唸るように言った。
「カーネリアが休暇から戻ったら、何て言うかねぇ……」