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隣の女

「あっさり別れてくれてよかったねえー」


 彼女が出て行ったドアの方を見て呟く。いやー驚いた。修羅場には何度か立ち会ったことがあるけど、恨み言ひとつ残さないで去っていく子なんて初めて見た。

 私の隣に座っている男、貴之は顔だけは良いので、面倒くさい女につきまとわれやすいのだ。でも、正式な彼女というのはあの子が初めてだったな。


 ていうか、あんなにさくっと別れてくれるんなら、あたしいらなかったんじゃない?

 正直水の一杯ぶっかけられたり、張り手の一発ぐらい喰らわせられることは想定してこの場に臨んだので、ちょっと拍子抜けしている。

「たっくん、もしかして、あんまり愛されてなかったんじゃないのー?」

「その喋り方やめろよ気持ち悪い」

 隣の男が低い声で吐き捨てた。やだ怖い。猫かぶって気持ち悪い喋り方してたのはどっちだっつーの。


「ひっどい顔してるけど」

 口では威勢のいいことを言っている割に、随分と悲痛な顔をしている。この男のこんな顔は初めて見た。彼女の前では精一杯余裕ぶっていたみたいだけど。本当に好きだったんだろうね、かわいそう。


 でも仕方ない。私たちの家業上、こうなる可能性はいつでもあった。

 馬鹿だと思う。

「情けないな。茜ちゃんのほうが、よっぽど覚悟できてた顔してたよ」

 そう、あの子、最初からこうなることわかったみたいな顔して笑ってた。持ってるものを突然取り上げられることに慣れてる顔。

「ああいう平気な顔してる子の方が裏ではダメージおっきかったりすんだよねー」

「……知ってる」

 やっとのことで吐き出したみたいな声だった。おい大丈夫か。こいつこのまま泣き出したりしないだろうな。


「だったら一年半もだらだら付き合ってんじゃねーよ。お互い傷が深くなるだけだってのは百も承知だったろ」

 思わず声が低くなるけどそこは仕方ない。

 この男がどんな思いで一族以外の女と付き合っていたのかなんて知らない。

 この終わりを予測できなかったんなら正直馬鹿だと思うし、あたしが知っている貴之はそこまで馬鹿な男ではないと思っていた。


「もしかしたら」

「あん?」

「もしかしたら、大丈夫かもしれないって、思ったんだ。……十年以上完全変異は無かったし、ここ数年はせいぜい爪と歯が硬化する程度だった。ある程度コントロールできるようになったんだと。まさか」

 まさかの続きは聞かなくてもわかる。半年前のスーパームーンの夜のことを言っているんだろう。


 あたしと貴之は人狼の一族だ。といっても、満月の夜に全員が全員完全に獣になるわけではない。

 せいぜい、犬歯が尖るとか、瞳が光るとか、運動能力が飛躍的に上昇するとか、そんな程度。身体が完全に狼に変わってしまう完全変異を遂げたことのある人なんて、今この国で存命中の人間だと片手にも満たない。

 貴之はその数少ない完全な変異者のひとりだ。

 まあ、身体の成長が止まるのと同時に、変異の度合いも緩やかになっていくのが普通で、貴之もその例に漏れず、二十歳を過ぎる頃にはほとんど普通の人間と変わらなくなっていたのだけど。

 半年前、突如として狼に変わるまでは。


 十年ぶりの貴之の完全な変身に、一族ひっくり返したような大騒ぎになった。

 子供の頃は、純血でもない、分家に特別変異が現れたということで、要監視、ぐらいの扱いだったんだけど。

 成人してから狼化できる人間なんて、どれだけ潜在能力高いのよって話。少なくともここ数十年ほど、そんな話は聞いたことがない。最長老の片足棺桶に突っ込んでるようなじいさんが、先の大戦で秘密裏に活躍してたとか、そんな話が真偽不明のまま言い伝えられてるぐらいで。

 年寄りたちは、平和な時代にはこんな力必要ないのよって言って、あまり多くを話そうとはしない。


 文字通り「人狼」は人を狩るモノだ。戦争が定期的に起きている時代や場所では重宝されていたみたいだけど、今みたいな世の中では、忌まれるべき存在なのだと、うちの血筋のものは大体理解している。

 たまに、阿呆みたいなこと考える奴らもいるけどな。うちの叔父とか。

 そう、この能力を宿す者を「高貴な血筋」と言って憚らない過激派が一族にも存在するんである。とんだ選民思想野郎共だ。

 そいつらが貴之を取り込もうとしたのが半年前。まあそれは終わった話だから良いんだけど。


「ちょっと彼女の命狙われたぐらいでびびって離れるぐらいなら、はじめから近づくべきじゃなかったよね。わかってるでしょ?」

 こんなこと、あたしがいちいち言わなくても、もちろんわかってるはずだ。あたしが説教したいのは、そこまでして守りたかった子を、わざわざこんな手を使ってまで、傷つけるその手口についてだ。


 まあ共犯者のあたしが言うのもお門違いだけど。平井茜があんなに潔い子だって知ってたらこんな茶番には乗らなかったかもしれない。なんて、そう言う問題ではないのもわかってる。それにしたって多分こいつに言えるのもあたししかいないので。

「別れるならもっといくらでも穏便にすませる方法知ってるだろうよあんたなら。職場だって一緒なのに、わざわざこんな後引く別れ方してどうすんの?」

 貴之は無言だった。言い返す気力もないぐらい堪えているこいつを見るのは悪い気分ではない。

「お互いやり辛くなるだけじゃん」

「……だからだろ」

「あ?」

「多分茜はこんな事では会社辞めないだろうし。だったら、徹底的に幻滅してもらった方がいいんだ、下手に情を残す方が余程」

 そこまで言って黙ってしまった貴之に、あたしはひとつため息を吐いて立ち上がった。

「まあ、いいけど。もう終わったんだからあたしがこれ以上関わる話じゃないし」

 そう言って伝票を確認して、きっちり自分の分だけの小銭をテーブルに置いた。


「あ」

 あたしはひとつ思い出して振り返る。

「そう言えば、あんた茜ちゃんのコーヒー代出すつもりでしょ。やめなよ、同じだけのもの返してもらわないといけなくなるよ」

 一族の奇妙な風習で、同族以外との奢り奢られ禁止というものがある。基本的に金品の授受は契約を成立させるものなので、どんなに小さな金額でも、見合うだけの対価を払わなくてはいけないらしい。

 ちなみに同じ理由で一方的なプレゼントもいけない。かつての一族が契約で生きていた頃の名残りらしいけど、まったく面倒この上ない習慣だ。

「口はつけてなかっただろ。それに、もう対価以上のものは貰ってる」

 それは、相手が認識してないと意味ないんだってば。まあ、贖罪ってことにすれば、ギリOKか?


「じゃあ、行くけど。そうだ、それ貴之が飲んじゃえばいいんじゃん」

 そうすれば、自分のものに自分で支払いをしたということで、プラスマイナスゼロになって何の問題もない。

 そう言いつつ、何となく貴之はそうはしないんじゃないかという気はしていた。ほんの小さなつながりを、自分で断つことはしないんじゃないかな。

 苦笑を返してきた男に、せめてコーヒー一杯分の良いことがあるように祈ってあげた。


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