「ざまぁ」からはじまる悪役令嬢グルメ記行
「アイリス・フォン・ローレンス、お前との婚約を破棄及び、この国から追放する!」
卒業パーティーの日、壇上に上がった我が婚約者、ウィリアム第二王子殿下は私を、アイリス・フォン・ローレンス公爵令嬢を真っ直ぐ見据えて、高らかに宣言した。
殿下に庇われるように、金髪の華奢な美少女、伯爵令嬢のリーリア様が不安気な顔でこちらを見ている。
殿下が見ていなくてもその顔でいられるのならご立派なものだ。
「陛下にはご相談されたのですか?」
「許可などいらないだろう。人を苛めるような卑劣な女だ。王子妃として不適格だ」
お話にならない。相変わらずの幼稚な考えに頭が痛くなる。
しかし、それも今日で終わりだ。
「そうですか。でしたら私は早く出国した方がよろしいですわね」
殿下のこの愚行が陛下の耳に届いて何らかの対策が取られてしまう前に。一刻も早く逃げなくては。国境を越える許可証に無理矢理サインをしてもらう。
「心当たりの無い罪ではございますが、王族の方にそう言われては仕方がありませんわ。今までありがとうございました」
今にも走り出したい気持ちをぐっと堪えて、笑顔で優雅にお辞儀をした。
「......アイリス、喜んでいないか?なんか、書類も準備されてるし」
「まぁ!殿下!もう婚約者ではありませんので名前で呼ぶのはいかがかしら。それではごきげんよう」
こんな時だけ妙に鋭い馬鹿王子に、話を逸らすように大袈裟に反応してからスタコラサッサと会場を後にする。
「ココ!」
「その呼び方はやめて下さいよお嬢さま。無事に終わりましたか?」
「ええ、出発してちょうだい」
信頼できる、兄弟のように育った従者はいつものように気安く微笑んで、馬車を出発させた。
晴れて自由の身だ。
ニヤつく表情が止まらない。
従者のココ、コリン・コールマンが全てを思い出したのは1年前、私が王道恋物語の悪役令嬢だと言い出した。
この世界はココが前世で読んでいた恋愛小説と同じ世界で、私はリーリア様を苛める悪役令嬢であり、順当に行けば1年後の卒業パーティーで第二王子に断罪されて国外追放されるのだと。
最初は彼の頭がおかしくなったのかと訝しんだが、彼の知らないはずの学園について詳しく知っていたり、未来に起こる出来事を当てて見せたため信じざるを得なかった。
せっかく教えてもらったのだから公爵家の権力を使って回避しようかとも考えたが、ふ、と冷静になった。
あれ、もしかしてあの王子と別れられるの?
高慢でお馬鹿さん、上に王太子がいて良かったと臣下のみならず母親である側妃様まで思っている皇族のお荷物、高位貴族の義務で婚約したあの馬鹿王子から解放されるのか。
リーリア様と愛し合っているのならどうぞ熨斗をつけてプレゼントしたい。愛し合う二人いいじゃないか。罪人になるのは洒落にならないから、罪は犯さないけれど、もし婚約破棄を掲げられたのなら、国王陛下が事態の収束に乗り出す前にさっさと国外へ出てしまおう。
陛下は息子可愛さに公爵家を継がせることをあてにしていたようだけれど。伯爵家で満足してもらいましょう。
そうして迎えた1年後の今日、心から幸せな気持ちで無事に国境を越えた。
「ねぇ、ココ。貴方まで付き合わなくて良かったのよ」
「馬鹿言わないでください。お嬢様一人で市井で生活できるわけが無いでしょう、貴女は俺について来いと命令すればいいんですよ」
大昔に路上で死にかけていた彼を拾ってから、彼は私の専属使用人となった。その忠誠心は変わらず今では従者となっている。軽い気持ちで拾っただけだから、嫌になったら出て行っても良いと言うが、私の花嫁姿を見るまでは、の一点張りである。
名前もなかったので、私が犬を飼ったらつけたいと思っていた名をつけたら、お父様が慌ててココに名前と名字を与えた。流石に娘が人をペット扱いしているのは心臓に悪かったのだろう。ココはそれについてお父様に心底感謝しているようだ。
「旦那様には申し訳ないことですが」
「大丈夫よ。お父様なら今頃陛下相手に嘘泣きでもなんでもしてるわ。落ち着いたら手紙でも出しましょ。公爵家にとってもあの馬鹿王子を迎えずに済んで何よりじゃない」
王子とリーリア様の結婚式が無事に済んだら家に帰るつもりではいるのだ。
それまでは、今までの王子妃教育から解放された休暇だと思って気ままに楽しむつもりだ。
「ねぇ、ココ。まずはどこへ行くの?」
「そうですね、流石に隣国ではすぐに連れ戻されそうなのでここからさらに西へ進み、スーリア王国の港町を拠点にしようかと考えております」
「そうなの。私も路銀を稼いだりするのかしら」
「......お嬢さまにそんなことをさせるわけないでしょう。というかあなたが持ってきた宝石だけで平民なら一生分ぐらい生活できますよ」
なぁんだ、と息を吐いた。せっかくなら自由な彼らのような生活をしてみたかったのに。
「まぁ、生活自体はお嬢さま憧れの平民生活に、出来るだけ近づけましょう」
「ふふ、私ココのそういうところホントに好きよ」
ガタンと、一瞬馬車が跳ねる。石でも踏んだのかしら。
それからしばらくココが無言になったので、私も馬車の外を眺めて、ウトウトとしていると気がついたらどこかの街についていた。
「お嬢さま、お待たせしました」
扉を開けたココの手を取る。こぢんまりとしたブティックの前に止まったようだ。こんな小さな家を見るのも初めてだし、何かを買うために店に訪れることも初めてだ。
これがあの噂の!!
あまりの喜びに目がチカチカする。
「その格好では目立ちますから、まずは着替えましょう」
ココの言う通り、卒業パーティーから抜け出してそのまま家出してきた私はあまりにもこの街から浮いている。宝飾類は流石に外していたけれど、ドレスも相当浮いているだろう。
「いらっしゃいませ」
「やぁ、シェリー」
「あら、コリン」
赤毛の可愛らしい女の子が奥から出てきて頬を赤く染めた。顔見知りの店らしい。女の子は私の顔を見ると目をまん丸くして、次いでドレスに目を移してさらに驚いた顔をした。
貴族の女性には無いオーバーリアクションが新鮮で面白い。
「こちらは俺のお嬢さまだ。訳あってお忍び旅行中なんだが、この姿だと目立つだろう?いくつか見繕ってくれないか?ああ、黒髪のウィッグも頼むよ」
「ココと同じ髪色なのね」
「お嫌ですか?」
「あら嬉しいわ」
せっかくウィッグを被るなら今と全く違う髪色が良い。ニコリと笑ってみせれば、ふい、と顔を背けて「そうですか」と呟いた。
見慣れないブティックが新鮮でぐるりと見回すと、赤毛の少女が、数点の洋服を手に近づいてきた。
「お嬢さま、こちらはいかがです」
いかが、とは?差し出された洋服を受け取り首を傾げる。
「お嬢さま、試着してサイズがあえばその商品を購入するのですよ」
コソと囁かれた言葉に、ああ、と頷いた。日頃はデザインを決めてサイズを測ってから仕立てるため既製品に袖を通すことはないが、そのような店があると聞いたことはある。
勧められるがままに何点か試着をして、最終的にココが選んだ3着ほどを購入した。ついでにウィッグも装着してもらう。下着や靴も併せて購入し、ドレスを脱いでその場で着替えた。
大きめのレース襟があしらわれただけのシンプルなワンピースに着替える。コルセットを着けなくて良いって素晴らしい。
「うん、可愛いですね」
ウィッグの髪を一房取って、ココが微笑んだ。普段言われない言葉に一瞬の間があく。
「......失礼いたしました。宿はとってありますので、一旦そちらへ向かいましょう」
シェリー、と呼んで支払いを済ませる。彼女はコソコソと何事か話しかけて、ココの頬をキスをした。
え!?
家族や親族など親しい間柄では挨拶で頬にキスをするが、客と店員の関係でそんなことをするなんて、シェリーとココはよっぽど関係が深いのか。
「行きましょうか、お嬢さま」
「え、ええ」
なんでも無いことのように流すココが急に大人のように見えて、慌てて頷いた。
宿について今後のことを話し合う。
国外追放された私がこんなにも用意周到だとは誰も思っていないだろうけれど、用心に越すことはない。
この国での設定は、貴族のお使い中の使用人兄妹とすることにした。
若い男女が資金を潤沢に使えることを怪しまれないためだそうだ。
「この国の平民は黒髪や赤毛が多いですからお嬢さまの銀髪は目立ちます。常にウィッグは着けてください。ちなみにお名前は、お嬢さまの母方のご親戚であるルーファス伯爵家にお借りしました」
許可はいただいております。と頭を下げるココの周到さに舌を巻く。同時にちょっとした悪戯心が湧き上がる。
「ふうん、じゃあお兄様と呼んだほうがいいのかしら?」
「そんな平民いませんよ」
揶揄うように言えば、軽くいなされたのが面白く無くて「敬語」と人差し指を突き出した。
「妹に敬語を使う兄だっていないわよ。私のことは、そうね。アリスと呼びなさい」
「わかった。アリス。不敬でクビにしないでくれよ」
「もう、今さらよ。敬語の時だってココはずっと不敬じゃない」
プクと頬を膨らませれば、ココは面白そうに笑った。それは失礼じゃないかしら。
「じゃあアリス、早速夕飯に行こう。この国の平民が好んで食べる料理があるんだ」
「まぁ!すっごく興味があるわ」
未来の王子妃として、歴史や文化は勉強したが平民の食事まではよく知らない。
「それはついてのお楽しみですよ」
まだ明るい街中を歩く。石畳の道は綺麗に舗装されており、この国が栄えていることがよくわかる。綺麗な碁盤目状の街並みを迷いなく進むココは、よくこの街に来るのかもしれない。
「ここだ」
「ここに入るの?」
活気ある店に思わず足がすくむ。こんなにも狭いところに人が集まっているのを初めて見た。
ガヤガヤとアルコール類も飲んでいるのだろうか、声の大きい人たちが盛り上がっている。
「ほら良い匂いだろ?」
そう言われてその香ばしい香りに気がつく。この香りは、パン?ううん、ニンニクかしら、トマトの香りもするわ。
意識をすると活動していなかった胃が急に動き出した。思い返せば卒業パーティーでは何かを口にする間も無く飛び出してきたのだ。ずっとコルセットをしていたから気がつかなかったが、空腹はもう限界のようだった。
「買ってくるからそこで待ってて」
周りをみれば広場の端で何組かが座って何かを食べている。成る程、外で食べるのもアリなのね。
ココが階段にハンカチを敷いて私を座らせる。
「絶対動くなよ」
幼児に言い聞かせるような言い草に「わかってるわよ」と返して早く行けと手をふった。人をなんだと思っているのか。
そりゃちょっとは浮かれてるかもしれないけれど、基本は守られ慣れてる公爵令嬢だ。信頼している従者がそう言うならきちんと待つ。
大聖堂に繋がる階段の広場は、観光名所として、あるいは住民たちの憩いの場として機能しているようで、皆思い思いの過ごし方をしている。
何かを食べていたり、ボール遊びをしていたり、肩を寄せ合うカップルがいたり。私の国では見ないような距離の近さに、平民は皆そうなのかお国柄なのかわからないが、なんだか居た堪れなくて目を逸らした。
「どうしたんだ?アリス」
顔を赤らめて背ける私の視線を追って、何事か察したココは面白そうに私の隣に腰掛けた。
「アリスにはまだ早いな」
「なっ、ココだってそうでしょ......う」
言ってから先ほどのシェリーとのやりとりを思い出し、尻すぼみになった。
「ん?」
と悪戯っぽく微笑むココがいつもより大人っぽく見えて癪だ。
「はい、アリス。お腹すいたろ」
そう言ってココが差し出してきたものを受け取る。
紙に包まれたそれは、扇状のパンの上に赤いソースとチーズ、バジルが載っている。暴力的なまでに食欲をそそるその石窯の香りに思わずごくりと喉を鳴らした。
「ピッツァって言うらしい。本当は店でナイフとフォークで食べるんだけど、あそこに入るのはハードルが高いだろう?あの店は切り分けてくれるから外で食べれるんだよ」
なるほど、さすが長年の付き合いだけあって、私が怯むこともココにはお見通しだったということか。
「これは、どうやって食べるの?」
ナイフとフォークでないなら、一体どう食べるというのか。サンドウィッチのようには手で掴めないだろうが。
「こう食べるんだよ」
パンの部分を掴んで先端からパクりと口に入れる。かみきろうとすると伸びるチーズが妙に艶やかだ。
食欲がピークに達した私も、見様見真似でかぶりついた。
「んんー!!」
口に入れた瞬間経験したことのない熱さに目が白黒する。熱さに慣れた頃にトマトの酸味と甘味がジュワと口の中に広がった。赤いソースはトマトだったのか。トマトの水分とオリーブオイルの油分が口の中で混ざり合う。
そこに伸びるチーズの塩気が良いアクセントになっていた。
「美味しい!美味しいわ!!」
夢中でもぐもぐしていると、満足そうな笑顔のココと目があった。
「トマトってこんなに美味しいのね」
私の国ではこんなに美味しくはない。やっぱり国によって名産は違うのだろう。あっという間にペロリと食べ切った。もう無くなってしまったわ。
「お嬢さま、手が」
言われて手が汚れていることに気がつく。「アリスよ」と改めて訂正しながら手を差し出すと、ハンカチで拭ってくれた。
「ねぇ、ココ、私決めたわ」
「何を?」
「せっかくの休暇だもの、いろんな街のいろんな料理を食べて食べて食べ尽くしたいの!」
「は?」
「だって、世の中にはこんな美味しいものがあるのに、私は存在すら知らなかったのよ?きっと貴族の生活に戻ったらこんな風に自由になることなんてないわ。それにね、こんなに美味しいものたちが我が国で知られていないのも勿体無いわよね」
「......あ、なんか嫌な予感がする」
「だから、私が美味しい!って思ったものを文字に記して皆さんに紹介するわ!」
「旦那様に叱られますよ」
「そこはほら、ココの名前でよ」
ああ、目的ができたらこの旅がより楽しくなってきたわ。
「ねぇ、ココ。私と一緒にこの旅を楽しみましょうね」
「アリスがそう言うなら、俺は付き合うだけだよ」
呆れたように、それでも優しく微笑んで、唇の端についたピザソースを指で拭った。
「他にも種類があるから、明日また昼に来ような。昼ならアリスも怖くないだろ」
「私、怖いなんて一言も言ってないわ!」
少し怯んだのは確かだけれど!
目まぐるしく過ぎる今日の1日はこれからの休暇を暗示しているように、最高に幸せな1日だった。
ため息をつく使用人を従えて、アイリス・フォン・フローレンスの旅はまだまだ続くのだけれど、後に初の旅行記を出版する平民がいたことは、また別のお話。
初めまして、読んで頂きありがとうございます。
試しに書いてみたものになります。
不定期更新で旅は続くかもしれません