第2部 パンドラの箱:1 夢
ケイがアローズ街に来てから、もう二週間が過ぎようとしていました。集会でリーダー達への紹介も済み、ケイとジュニアはアローズ街の生活に溶け込んでいきました。最初はこちらに来て色々と混乱していたのが、ようやく落ち着いてきたようでした。もちろん、一刻も早く元の世界に戻りたいという思いは変わりませんでしたが、毎日の生活が新鮮に満ちていて、帰る方法を探す余裕がなくなっていたのです。ファンフェアーの仕事も楽しいもので、毎日のように沢山の人が訪れてとても忙しく、朝から夜まで働きっ放しで、一日があっという間に過ぎていくのでした。
ケイは何かとウィルとニールと一緒に行動していました。仕事の分担が違うと、同じグループでもお昼や休憩の時間もずれるので、サムやノエラ達といるよりも、ウィル達と過ごす時間が自然に増えていったのです。
その日も午後の休憩の時、ケイはニールと一緒に、ファンフェアーから少し外れた公園の芝生の上で体を休めていました。ウィルはちょっとした用事で、後から来ることになっていました。辺りには人気がなく、遠くにファンフェアーの音楽が響いてくる他は、時折小鳥のさえずりと、花を飛び交う蜂の羽音が聞こえてくるだけです。ケイは芝生の上に寝転びながら、鏡の世界に来てからの新しい生活に、あれこれと思いをめぐらせていました。
「ねえ、ニール。聞きたいことがあるんだけど」ふと思って、ケイは横に寝転んで空を見上げているニールに尋ねました。
「何だ?」ニールは大きなあくびをしながら答えました。
「ずっと知りたかったけど、ノエラ達のいる所では駄目だと思って、ずっと尋ねる機会を見つけられなかったんだ。その、つまり…」
うまく話を切り出せないでいるケイを、ニールは不思議そうに見上げました。
「どうしたんだ、そんなに言いにくそうにして?」
「ほら、ウィルとニールも僕と同じ、向こうから来たんだっていう話。君達は連れてこられたって言っていたけど、一体誰に、どうして連れてこられたのか、ずっと気になっていたんだ。それに何で、二人がアローズ街に住んでいるのかも」
フィエーロサーカスで会った綱渡り師、ストライザの秘密を抱えていることもあるので、ケイは自分がこちらに来た理由を二人にまだ話していませんでした。だから彼らにも、こちらに来た理由を聞くのが、何だかためらわれて聞けずにいたのです。それにグループの皆がいる前で、鏡の向こうの話なんて出来なかったのも事実でした。しかしニールは、別に何でもないことのように、自分の生い立ちを話し始めました。
「両親は俺とウィルが生まれてすぐ、二人共病気で死んだらしいんだ。まあ後から聞かされた話だから、本当のところは分からないけど。両親を失った俺達は、赤ん坊の頃から厄介者みたいに、あちらこちらと遠い親戚や他人の家を引き回された。俺達が七才の時に世話になった保護者って奴が、これまたひどい奴でさ。片田舎にどでかい土地を持った農夫で、ものすごい酒飲みだったんだ。そいつが酒の金欲しさに、俺達を旅芸人に売り飛ばしたのさ」
ケイはその話に驚いてしまいましたが、ニールは何事もないように先を続けます。
「で、俺達を買い取った旅芸人が、なんと鏡の世界の奴だったって訳さ。奴は正体を隠して向こうに行っては、色々と悪いことをしている変な奴だったんだ。そういう奴らがいるんだよ、こっちからあっちの世界へと行き来して、悪さをする連中が。俺達はそいつに連れられて、鏡の世界にやって来て、二週間くらい経った頃だったな。そいつが何かドジして役人に取っ捕まってさ。そのどさくさに紛れて逃げ出したんだ。だけど逃げ出した後、どうして良いか分からなかったぜ。最初はウィルと二人して、頭がどうにかなっちゃったのかと思ったんだ。だって、鏡を通り抜けて別の世界に連れてこられたんだぜ。鏡を挟んで二つの世界が存在するなんて、普通は信じられないだろ。でもそんなことを深く考える余裕もなかったし、信じるも何も、もう自分達は別の世界に来ているんだからさ、否定することも出来ないだろう。それよりも俺達は、生きるために必死だったから」
「そ、それで逃げ出してから、どうしたの?」
「逃げ出して、何とか生きてきたさ。向こうに戻ろうにも、今のお前と同じで方法が分からなかったし、誰かに聞こうとして分かったんだけど、こっちの奴らも鏡の向こうに別の世界があるなんて、知らないんだよ。俺達自身がそうだったように。鏡の向こうに別の世界があるなんてことを知っているのは、ほんの少しの限られた奴らだけだし、ましてや鏡を通り抜けられるのは、その中でも一握りしかいないようなんだ。だから向こうに戻ろうとするよりも、こっちで生きていく方が先だと気付いたんだ。俺一人だったらとっくに死んでいたかもしれない。でも幸運にも、俺達は双子でずっと一緒だったからさ。ウィルがいたから何とかなったのさ」
ニールはしばらく遠い空を見上げていましたが、また話し始めました。
「あいつさ、俺と同い年のくせに、兄だからっていつも俺をかばってくれるんだ。ここだけの話、皆俺の方が喧嘩っ早くて力も強いと最初は思うんだ。俺の方が口は悪いし、目つきも悪いし、態度もでかいから。でも本当はウィルの方が強いんだ、喧嘩も何も。昔から俺をかばっていたせいかもしれない」そしてニールはくすくすと笑いました。「俺、弱いくせに喧嘩っ早くてさ。その度にウィルが俺を守って喧嘩して。喧嘩が終わって怪我したウィルが、後ろで泣いている俺を慰めてくれるっていうのが常だった。当の俺は怪我一つしていなくてさ」
ケイには、あの優しいウィルが喧嘩をしているところなんて想像出来ませんでした。
「あのウィルが喧嘩を?本当に?」
「あいつ、見た目が優しいし、整った顔をしているからな。喧嘩なんて想像出来ないだろう」
可笑しそうに笑うニールに、ケイは正直に頷きました。「うん、出来ないよ」
「それにあいつ、どんな時でも絶対くじけないんだ。どんなに辛い時でも、頑張るんだ。だから俺は今まで生きてこられたんだ、ウィルがいたから」
ケイが黙って何も言わないでいると、またニールが口を開きました。
「で、野宿しながら残飯をあさって何とか生きていた時、ごみ箱に捨てられていた新聞に、例のアローズ街の工場爆発事故の記事が載っているのを偶然見つけたのさ。そこには事故で大勢の子供達が孤児になって、そのために家を建てる計画が載っていた。俺達はチャンスだと思って、いちかばちか潜り込むことにしたのさ。俺達が行った時は、まだ事故の後で混乱していて、思ったより簡単に中に潜り込めた。そして身寄りのない被害者の遺体を見つけて、その横で、さも親を亡くした子供っていう風に座っていたら、あっさりとその遺体の親族だって思われて、無事にアローズ街に居場所を手に入れたって訳さ。誰にも疑われることなくアローズ街の仲間になり、今じゃあグループのリーダーだぜ」
「すごい、信じられないよ」ケイは物語を聴くように、ニールの話に聞き入っていました。
ニールはそこでにやりと笑い、ケイに顔を近づけて小声で囁きました。「たぶんあの時、アローズ街に潜り込んだ奴は他にもいたと思うぜ。それくらい事故の後は混乱していたから、誰がいなくなって誰が増えたなんて、気にしている余裕すらなかった」
「じゃあ他にも、誰か外から来た子達もいるってこと?」
ケイが尋ねると、ニールは肩をすくめました。
「誰だかは知らないけど、いると思うぜ。でもそんなこと誰も気にしちゃあいないんだ。ここの連中は、過去のことにはもう触れたくはないって思っている奴らばかりなんだ。過去を忘れてしまいたいんだ。親を失った悲しみも、事故の辛さも全て忘れて、新しい人生を生きようとしているのさ。俺達のようにここに紛れ込んだ奴らだって、まともな過去があるなら、こんな所にはたどり着かなかっただろうしさ。ここにいる奴ら全員、皆前だけ向いて必死で生きているんだよ。だからアレスタも、お前をここに置くことを許してくれたんだと思うぜ。見た目はおっかないけど、あいつも苦労しているから根は同情的なんだ」
ケイはニールの話を聞いて驚いてしまいました。自分が暮らしていた平和な日本とは、なんと懸け離れているのでしょう。どうしてアローズ街の誰も、自分が何者なのか、何処から来たのかなどと追求しないのか、ずっと疑問に思っていたのですが、今の話でようやく理由が分かったように思いました。アローズ街の住人は、過去を捨てようとしているのです。だから、誰も自分の過去についても聞いたりしてはこないのでした。
ケイが気まずそうに黙ってしまったのを見て、ニールは軽く手を振りました。
「俺は別に、過去を忘れようなんて思っていないぜ。あまりいい思い出はないけどさ。ほら、さっき言った、俺達がアローズ街に潜り込むために利用した遺体あるだろ。その人の名前はフィリップ・セトっていって、六十歳くらいの爺さんだった。今でもちゃんと年に一回、ウィルと一緒に墓参りにいくんだ。葬式代の出せない遺体は、皆まとめて町の共同墓地に埋められたんだ。セトじいさんもそこに埋まっている」
自分の過去。ケイは自分の過去をなくしてしまいたかった訳ではなく、失ってしまったのです。天宮家の家族に出会う前の過去は、一体何処に置いてきてしまったのでしょうか。
「ウィルだってそうさ。過去を忘れたいなんて思っちゃあいないよ。時々思うんだ、俺達は鏡の世界に来ないで向こうにいたままだったら、もっとひどい生活をしていたかもしれない。こっちに来て幸せだったのかもってさ。いい思い出も悪い思い出も、俺は忘れてしまいたくはないんだ。なんか上手く言えないけど」
「おーい!」
その時、ウィルが手に何かをぶら下げて、こちらにやって来る姿が見えました。
「ウィル、何だよそれ?」ニールの目が、ウィルの手に握られている袋を見て光ります。
「朝のドーナツの売れ残り、もらってきたんだ」
ウィルはニールとケイの二人に向き合うように、芝生の上に腰を下ろしました。それまで横になって静かにしていたジュニアが、嬉しそうにウィルのそばに寄って行きました。
「おお、ラッキー。あの店の婆さん、いつも渋ってなかなかくれないのにさ」
ウィルがジュニアの頭を撫でながら、ドーナツの入った袋と飲み物を二人に渡しました。ニールが受け取った袋を開けると、途端に甘い良い香りが二人の鼻をくすぐりました。
「え、こんなに沢山?すごいな」ニールが袋に入ったドーナツの量に驚きます。「ちぇっ、いつだって皆、ウィルには甘いんだよな。いつも俺の倍はもらってくる」
「またそんなこと言っているよ。違うんだケイ、僕は皆と同じ分もらっているだけなのに、こいつは人の半分しかもらえないから、そう思うんだよ」ウィルは笑って言いました。
ニールは愚痴りながらもドーナツを一つ掴み、美味しそうに頬張り始めました。ウィルはケイにも一つ差し出してくれました。とても甘くて美味しいドーナツでした。
「美味しい。ありがとう、ウィル」
「いつでも」そう言ってウィルは優しく微笑みました。整った彼の顔が、更に魅力的になります。
「ほらみろ、皆その笑顔に騙されるんだよ。大人しい顔の下に何が隠れているのか、知らないんだ」ニールです。
「聞いたよ、ウィル。喧嘩強いんだって?」ケイがジュニアにもドーナツをちぎってやりながら尋ねました。
「え?さては、またニールから変なことを吹き込まれたな」
「変なことって何だよ。俺は事実を話したまでさ」
ニールがかいつまんで、ケイに自分達の過去の話をしたとウィルに説明しました。
「ははは、そうそう。こいつ、いつも僕の後ろで泣きながら鼻水垂らしてさ」
ウィルがその時を思い出しながら可笑しそうに言うと、ニールは頬張っていたドーナツを喉に詰まらせました。
「ぐっ、ごふぉっ、な、なんて、お、俺はそんなことはしてないぞ!」
ケイはそのニールの仕草に、可笑しくて笑い出しました。
「こいつ喧嘩弱いくせに、体だけはすぐ動くんだ。考えるより先に行動するもんだから、相手に飛び掛かっていく前に、自分が弱いって事実を忘れるんだよ」
げらげら笑うウィルとケイに、ドーナツを詰まらせたニールが必死で抵抗します。
「な、ごほっ、何だと!ごほっ」
「セトじいさんの遺体を前にして、泣いている振りをしないといけなかった時、こいつ本当に大泣きしてさ。それで誰も僕達が偽者だなんて疑わなかったんだけど、実は目の前の遺体が怖くて、実際に泣いていたんだって」
「ウィル、黙れよ!」ニールは真っ赤になっています。
ウィルは大きく口を開けて、笑いながら話しを続けます。「ごみをあさって暮らしていた時も、何度も食べ物にあたってお腹を壊すし、怖くて夜泣きするしで、大変だったんだよ。良くここまで立派に成長したって不思議に思うんだ。きっと僕の育て方が良かったんだね」
ウィルはニールの背中をトントンと叩いて、ドーナツを詰まらせている弟を助けてあげようとしました。するとニールはすっと立ち上がりました。見ると、彼の顔は前より真っ赤になっていました。
「…つっ。水飲んでくる!」そう言ってニールは怒ったように歩いて行ってしまいました。
ケイは呆気にとられてニールを見送ります。ウィルは笑って、ここにお茶があるのにと言って、ドーナツを一口かじると、美味しそうに食べ始めました。
「あいつ、僕が言ったことが全部本当だから、腹立てて行っちゃった。すぐカッとなって体が動くって言ったろう?大丈夫、すぐに忘れてけろっとして戻ってくるよ」
「ニールはウィルがいなかったら、生きてこられなかったって言っていた。ウィルは絶対にどんな時もめげないんだって。どうしてそんなに強くなれるの?」
ケイが真剣な顔で聞いてくるのを、ウィルはドーナツを頬張りながら見つめています。そしてお茶をぐっと飲み干すと、口を開けました。
「あいつがそんなことを言ったの?別に、僕だけが強く生まれてきた訳じゃあないよ。ただ、ニールがいたから。あいつ、僕の弟だからさ。僕が倒れたらあいつも倒れると思うと、倒れる訳にはいかなかった。僕が死んだらあいつも死んでしまう、だから必死で生きた。ニールを守るために必死に頑張った、ただそれだけのことさ」
ウィルの瞳が、ニールが行った後を追い掛けるように遠くに向けられます。
「あいつだけが僕に助けられていたなんて、言っていたかもしれないけど、あいつはあいつで、僕のことを支えてくれていたんだ。何て言うか、ニールは馬鹿正直なところがあって、裏表とか二面性を持てる程器用じゃあないんだ。だから負わなくてもいい面倒とか負っちゃったりしてさ。でもそれが、何か馬鹿らしくて可笑しくてね。あいつのせいで色々と厄介な目に、散々あってきたのは事実だけど、そのせいで笑いたくなったりもした。あいつといると、辛いことも辛いって思わなくなるんだ。ニールがいなかったら、とっくに死んでいたのは僕の方だと思うよ。あいつを守るために強くなったんだ。守る者、守られる者、どっちもどっち、互いに支え合っているんだと僕は思う」
ウィルはそう言って、いつもの笑顔を見せました。ケイは双子の強くつながった絆を感じて、とてもうらやましくなりました。守るものがあるから強くなれる。その言葉は強く彼の心に残りました。
「このことはニールには内緒だよ。あいつきっと、僕がそう思っているなんて知ったら、恥ずかしがりやだから、二、三日部屋から出てこなくなるかもしれない」ウィルは片目をつぶって、人差し指を口に当てて見せました。
この二人はなんて強い人達だと、ケイは感心してしまいました。そして微笑みながらドーナツを食べているウィルを見て、絶大なる信頼感を感じ始めていました。
「オーイ!逃げろ!」
その時、大声で叫びながら、こちらに走ってくるニールの姿がありました。二人共びっくりして彼を振り返りました。ジュニアも何事かと立ち上がり、耳をぴんと立てました。
「早く、逃げるんだ!」
驚いている二人の前にニールは走り込んでくると、さっとドーナツの入った袋を拾い上げ、自分が来た道を指し示しながら、息を切らして言いました。
「トミーの奴が、ウィルがドーナツもらったことを知ってやって来るぞ。俺が奴に会った時、ドーナツ持っていて。あいつドーナツに目がないだろう」ニールは握り締めている食べ掛けのドーナツを、二人に差し出して見せます。
「どうして、それだけで僕がもらってきたって彼にばれるんだよ?」
「だ、だって、トミーがドーナツを取り上げようとしたから、これはウィルがもらってきたドーナツだぞって言ったんだ。そしたら」
ウィルが呆れた顔で弟を見上げました。「何でそんなことを口走ったんだ?ただその食べ掛けを彼に渡して黙っていれば、まだここに沢山残っていただろう」
その言葉に、ニールがしまったという顔をしたので、ケイは思わず吹き出してしまいました。ウィルもケイを見て笑い出しました。
「言っただろう?こいつ、馬鹿正直で、面倒を持ってくるって」
「そこにいたな!」
ニールを追ってきたトミーと呼ばれる少年が、向こうからやって来るのが見えました。
「おい、追い掛けられて、何で真っ直ぐここに戻ってくるんだ。ここにドーナツがあるって、彼に教えているようなものだろう」
ウィルは手早くお茶のカップを手に取ると、「行くぞ、ケイ」と走り出しました。
ニールはドーナツの袋を持って後に続きます。ジュニアはとっくに三人の前を嬉しそうに駆け出していました。
ケイはトミーに追い掛けられてファンフェアーの中を走り回りながら、自分でも訳も分からず笑い出していました。こんな風に人に追い掛けられているのに、楽しい気分になるなんて。ウィルや皆が呼んでいるニールのあだ名、ジョーカーの意味がその時少し分かったように思いました。
鏡の世界での日々は問題なく過ぎていきましたが、ケイには一つだけ気になる変化がありました。それは、夢を良く見るようになったことです。大体が、起きるとぼんやりとかすんでしまうはかない夢でしたが、その中に一際頭に残る夢が一つありました。それはこんな風に始まりました。
突然目の前が一面真っ赤になりました。しばらくすると、赤い色は段々と形を変えて、一本の長い紐になりました。遠くまで続く長い道のように伸びる紐を辿って、ケイは進んで行きます。赤い紐の終わりまでたどり着くと、先にはダイヤの形をした赤い石がつながっていました。彼はそのダイヤに手を伸ばします。気がつくと、周り一面真っ暗闇になっていて、その闇が彼を飲み込むように迫ってきます。彼はダイヤを紐から引きちぎると、闇に向かって力一杯投げ付けました。闇は彼を飲み込むほんの一歩手前で、中心から眩しい光を放ちながら裂けていきました。光が鋭くケイの目に突き刺さった瞬間、彼は目を覚ましました。
ケイはしばらく暗闇で、全速力で走ったように荒く息をしていました。落ち着いてくるとベッドの上に起き上がり、辺りを見回しました。部屋の中は真っ暗で、皆の寝息が聞こえてくるだけです。彼は今見た奇妙な夢を思い返しました。何とも変な夢でしたが、彼は仕事の疲れで、すぐにまた眠りに落ちていきました。
次の日、彼は夢のことはすっかり忘れて一日を過ごしました。しかし夜疲れて眠りにつくと、また昨日と同じ夢を見たのでした。真っ赤なダイヤと暗闇が迫ってくる夢です。昨晩と同じように、光が溢れ出す所で目が覚めました。疲れているから変な夢を見るのだと、最初は気に留めていなかったのですが、なんとケイはその夢を、立て続けに一週間も見続けることになったのです。いつしか彼は不思議な夢のために良く眠れなくなって、仕事でミスをするようになってしまいました。
「大丈夫か、お前。最近おかしいぞ」
ニールがお昼ご飯の時、お茶をひっくり返してしまったケイに言いました。
「大丈夫、何でもないよ」ケイは努めて明るく笑って見せました。
「大丈夫って、お前、目の下にくまが出来ているぞ。どうしたんだ?」ニールは顔色の悪いケイを見て心配そうです。
次の日の昼休み、ケイは一人になりたくて、人気のない公園の湖のほとりにあるベンチに一人座っていました。足元にはジュニアがいます。真っ青に晴れている空とは対照的に、彼の心は暗く沈んでいました。彼はあることに悩んでいましたが、それを誰にも相談出来ないでいました。こちらに来てからアローズ街の仲間になり、住む所も友達も出来ました。仕事も忙しく毎日が充実しているし、向こうに戻れないことと、食事にお米とお味噌汁が出ないことを除いては、何一つ不自由なことはありませんでした。しかし今まで新しい世界で生きていくために四苦八苦していたため、頭の隅に追いやって忘れていた、あることがよみがえってきたのです。考える余裕が出来てくると、これ以上自分を誤魔化して、そのことを無視する訳にはいかなくなってきていました。
それはケイが隠している秘密でした。綱渡り師からの頼み事と、預かった革袋でした。それが頭に引っ掛かっていたのです。彼は革袋を捨ててストライザの頼み事を忘れてしまうことが、どうしても出来ないでいたのでした。きっとストライザに対して罪悪感を抱いているのでしょう。彼が怪我をしてしまったのは、自分の首飾りのせいだと言われたのが心に残っていたのです。それを思うと、革袋を捨てて頼み事を忘れるなんて、とても出来なかったのでした。怪我をしたストライザが必死で頼んできた、真剣な表情が忘れられなかったのです。
ケイは行き場のない思いにため息をつき、クローバーの首飾りを握り締めました。ジュニアがケイの元気のない顔に気付いたのか、彼の膝に頭をのせてじっと見上げてきました。
「どうしたんだ、ケイ」
顔を上げると、お昼ご飯を持ったウィルとニールが立っていました。
「僕達も一緒に座っていいかな?さっきもらってきたお菓子、持ってきたんだ。お昼の後食べようと思って」そう言ってウィルはケイの隣に腰を下ろしました。
「今日は水辺で昼飯か。いいな、たまには」ニールもベンチに腰を下ろしました。
ケイはまだ自分が、全然お昼に手をつけていなかったことに気付きました。
「あー、腹減った。いただきまーす」
ニールはゆでたイモをむしゃむしゃ食べ始めました。ケイもつられて手を出しましたが、最初の一口を口にしただけで食べる気にはなれず、湖をただ眺めていました。その様子に気付いたのでしょう、ウィルとニールも食べる手を止めました。
「ケイ、何かあったの?」ウィルが優しい声で聞いてきました。
ニールも食べ物を噛みながら言います。「何でもいいから、俺達に相談しろ。お前のリーダーなんだからさ」
二人は黙って湖を見つめているケイを見て、心配そうに顔を見合わせました。ケイは何も言わずに、それ以上食事に手をつけようとはしません。二人は仕方なく、黙ってお昼を食べ始めました。その様子にケイは、二人は自分を心配しながらも、彼が自ら心を開くのを待っていると感じました。二人は今まで、ケイがなぜ鏡の世界に来ることになったのか、理由を聞こうとはしませんでした。きっとケイが自分から言い出すのを待っているのでしょう。しばらく無言で考えてから、突然ケイは決心したように、黙々と食べ続ける二人を振り返りました。
「ウィル、ニール」
二人は途中まで口に持っていき掛けていた手を止めて、ケイを振り向きました。
「僕、もうどうしたらいいのか分からないんだ」
ケイはやっとそれだけ言うと、うつむいてしまいました。しばらく黙ってケイを見ていたウィルは、やがて静かに言いました。
「仕事に戻るまでもう時間がない。今夜家に帰って話をしよう。僕達に出来ることは何でも相談に乗るよ。午後の仕事で体がもたなくなるから、今は食べた方がいい」
ウィルに優しく肩を叩かれて、ケイは素直にご飯を食べ始めました。
ケイは心につかえていることを、二人に話してしまおうと決心したのです。綱渡り師ストライザからの頼み事と、預かり物のことを全てです。二人になら秘密を言っても大丈夫だと思いました。何しろ二人はケイと同じ、向こうから来た人間なのだし、彼は二人をとても信頼し始めていたからでした。
その夜、三人はなるべく早く仕事を終わらせて、さっさと家に帰っていきました。サムやミミ達は仕事の担当が違い、遅れて帰ってくるので、三人は居間に閉じこもり、話をすることにしました。
「おっと悪い、お前もいたんだよな」
ニールは閉めた居間のドアをカリカリと外から引っ掻く音に気付いて、ジュニアを中に入れてあげました。ドアの隙間から入ってきて、ジュニアはいつものようにケイのそばに寝そべりました。ウィルがテーブルの上に、昼間もらってきたお菓子の袋を置きました。
「さあ、うるさい邪魔者はいないし、気を楽にして何でも話せよ」ニールは緑色のクッションに腰を下ろし、お菓子の袋から飴を一つ口に入れました。
「聞いて欲しいことがあるんだ。僕一人じゃあ、もうどうしたらいいのか分からなくて」
二人は途端に真面目な表情になりました。
「安心して。絶対に誰にも言わないから」
ウィルがそう言うのを聞いて、ケイはゆっくりと話し始めました。
「聞いて欲しいんだ、どうして僕が鏡の世界に来ることになったのか」
双子はそれを待っていたように、身を乗り出しました。
「何処から話し始めたらいいのか、良く分からないけど」
ケイは自分に起きたことを、なるべく正確に順序良く話し始めました。まず自分の家族や、住んでいた緑ヶ丘市のことを簡単に話しました。その後、公演に来たフィエーロサーカスと、綱渡り師ストライザについて話して聞かせました。ストライザが芸の途中で自分の首飾りのせいで怪我をしてしまったことと、首飾りを落としたことに気付いてサーカスに戻り、隠れていたストライザと出会ってしまったことを一気に喋りました。
「アークという人を捜している。怪我をして動けなくなったから、代わりに彼を捜してくれって言って、これを渡してきた」ケイはポケットから革袋を取り出して、二人に見せました。「アークも鏡の世界の人だから、鏡を通り抜けるようにしてやるって、ストライザは僕の耳の後ろに触ったんだ。でもその後、彼は突然考えを変えて、これをある人に届けるだけでいいって、そう頼んできたんだ。見ず知らずの子供にアークを捜すように頼むなんて、正気の沙汰じゃあないって言っていた。だけど結局、誰に届けるのかも、その人がどこにいるのかも、僕は聞くことが出来なかったんだ」
その後、人が来たので急いでテントから抜け出し家に逃げ帰ると、白い手袋をしたサーカスの人が、ストライザからの預かり物を奪いにやって来たので、逃げるために鏡に飛び込むしかなかったことを話しました。
逃げるために鏡に飛び込んだと話すと、それまで黙って話を聞いていたニールは、声を上げました。
「じゃあお前、一人で鏡を通り抜けてきたってことか?」
「うん、そういうことになるのかなあ」ケイは考えて首を傾げました。
「それはすごいな。鏡を通り抜ける方法を知っているのは、ごくわずかだって前に言ったろう?その中でも、自分以外の誰かにその力を与えられるのは、数える程しかいないんだ。旅芸人から聞いたことがあるぜ」
「彼は僕達の前では油断して、色々な秘密を平気で口にした。僕達がまだほんの子供だったから、聞かれてもいいと思ったんだろうね。彼は鏡を通り抜ける方法を知っている自分達を、『通る人』って呼んでいた」ウィルは眉をしかめました。
「ストライザは、ある人に届けてくれって僕にこれを渡した時に、その人に伝えてくれって、何か言い掛けたんだけど、意味が分からなかったんだ。彼は、これはバスクケの、って言ったんだ」
「バスクケ?何だそりゃあ。訳分かんないな、それ」ニールは首を傾げました。
「そして、アークのことも、この預かった物のことも、誰にも喋ってはいけないって言った。もし誰かに話したら、危険なことになるかもしれないから、内緒にしろって」
ケイが言うと、ニールはびっくりしたように目を見開きました。「危険なことって、どういうことだ?」
「分からない。ストライザは理由を言わなかったから」ケイは首を振ります。
「ところで、綱渡り師から渡された革袋には、何が入っていたの?」
ウィルはケイの差し出す袋を受け取って、中を開けて見ました。ニールも袋を覗くために身を乗り出しました。袋からウィルの手の中に落ちてきた物は、キラキラと輝く宝石のかけらのようでした。
「何だ、この綺麗な物は?宝石か、お宝か?」
興奮した声で叫んだニールとは反対に、冷静に光る物を指でつまんで、ウィルはじっと観察してみます。
「違う、これは宝石じゃあない。鏡だ。割れた鏡のかけらだよ」
「鏡だって?」
ニールはウィルがしたように、じっと光る物に目を近づけてみました。するとそこに彼の目が映って、こちらを見つめ返してきました。
「本当だ、鏡のかけらだ。何だってこんな物を?これがアークを捜す手掛かり?」
ケイは頷きました。「それからバスクケという言葉。それだけしか分からないんだよ」
ニールはかけらを手に取って、じっくりと調べてみます。
「全く分からないなあ。これを届けてくれっていっても、届ける奴の名前すら分からないんじゃあ、どうしようもないだろう。そんなの不可能だぜ」
「だけど本当は、ストライザはアークって人物を捜して欲しかったんだろう?それを、見ず知らずの子供に頼むなんてどうかしているって、思い直したんだ。つまり、結局はアークって人を捜せばいいってことで、誰かにこれを届けるっていうことは、忘れてもいいんじゃあないのかな。ニールの言うように、名前も分からない相手を見つける方法なんて、見当もつかないよ」ウィルが言いました。
「そうだぜ。アークって奴なら、少なくとも名前は分かっているんだから、捜し出せる可能性はあるぜ。まあそれでも、アークの方も名前以外情報がないんじゃあ、何にもならないな。それとバスクケって言う、意味が分からない暗号みたいな言葉だけ」ニールは肩をすくめました。
「家族は僕がいなくなってきっと心配している。でも向こうに戻る方法は分からないし、アークを捜せだの、ある人に届けてくれだのって頼まれても、そんなこと僕に出来る訳ないし、どうしたらいいか分からないんだ」ケイは一度言葉を詰まらせ、大きくため息をつきました。「正直言うと、最初は向こうに戻る方法を見つけたら、頼まれたことに知らん顔をしてしまおうと考えていたんだ。でも、何度も革袋を捨ててしまおうとして、どうしても出来なかった。彼から袋を渡された時、僕は断るべきだったんだ。でも僕は受け取ってしまった」
ジュニアがケイを慰めるように、クーン、クーンと鳴きながら頭を擦り付けてきました。ケイはジュニアの温かい頭を優しく撫でてあげました。
「アークは一体何者なんだろう。すごい人に捜されているなら、特別な人なのかもしれない」
ニールがウィルを振り返ります。「すごい人って、ストライザのことか?どうして彼がすごい奴だって分かるんだ?」
「ストライザはケイを鏡の世界に行けるようにすると言って、耳の後ろに触れて彼に力を与えたんだ。そんなこと出来る人はそういないって、さっきお前自身が言ったばかりじゃあないか。彼はただの通る人じゃあなくて、力を人に与えることが出来たんだぞ」
「力を与えられたのなら、何でケイはまた鏡を通り抜けて、向こうに帰れないのさ?」
ニールの質問に、ウィルはちょっと考えます。「もし僕が綱渡り師だったら、ケイに力を与える時にこう考えると思う。せっかく鏡の世界に行ってもすぐに戻ってこられたら、アークを捜すという頼みはかなえてはくれないだろうって。だからこっちには来られても、向こうには戻れないようにしたんじゃあないかな」
するとニールも、もっともだと頷きました。「確かに向こうに帰れたら、二度とこちらに戻ってこようなんて思わないだろうな。アークのことなんて一刻も早く忘れるぜ」
ケイもその通りだと思いました。遊園地に抜け出て来た時、すぐに向こうに帰れていたら、今ニールが言ったように、一刻も早くストライザのことを忘れようとしたでしょう。
「でもさ、アークって奴を見つけられたとしたら、ケイは向こうに帰れるかなあ」
ニールの言葉に、ウィルははっとしてケイを見つめました。
「可能性は高いと思うよ。ストライザとアークがどういう関係か知らないけど、ストライザは鏡を通り抜けられる通る人だ。アークが彼の知り合いだとしたら、ストライザのように鏡を通り抜けて、ケイを向こうに連れ帰ることが出来るとしても不思議じゃあないよ。アーク自身にその力がなくても、方法を知っている人を誰か紹介してくれるに違いない」
ケイは今までそのことを考えてもみませんでした。アークを捜し出すことが出来れば、向こうに帰れる可能性が出てくるのではないでしょうか。
「しかしアークを捜すって言っても、どういう意味なのかな。ストライザがアークの居場所を知らないから住所をつきとめたいのか、それとも、アークが遭難したか誘拐されて行方不明になったから、捜しているのか」うーんとウィルは考え込んでしまいました。
ニールは考えることを兄に任せて、鏡のかけらを珍しそうに光に当てて楽しんでいます。
「綺麗な鏡だなあ。鏡ってこんなにキラキラと光るものか?まるで宝石みたいだ」
ニールがそう言うと、ウィルがあっと顔を上げました。「そうだ、鏡だ!」
二人共不思議そうにウィルを見つめました。
「そうだよ、鏡だよ。さっきお前が自分でそう言ったんじゃあないかよ」
「違うよ、鏡だってば。そう、バスクケの。確かバスクケの鏡、そう言っていたよ、間違いない!」ウィルはパチンと指を鳴らしました。
「何だって?」驚いて二人は身を乗り出しました。
「ムリロが言っていたのを思い出した。ほら、鏡の邸の掃除をしたことがあったろう?掃除が終わった後ムリロが来て、鏡がとても綺麗になっているのを褒めてくれたんだ。その時彼が言ったんだ、まるでバスクケの鏡のように綺麗だって。意味が分からなかったんだけど、聞き慣れない言葉だから覚えていたんだ」
ニールは目をぱちくりさせました。「本当か、それ?」
「じゃあ、それは」そう言ってケイは、ニールの持っていた鏡のかけらを指差しました。
「それがきっと、バスクケの鏡のかけらなんだよ。きっとそうだ」
ニールは感心したようにかけらを見つめました。「でも、バスクケの鏡って一体何なんだ?ただの鏡と何が違うんだろうな?」
「特別で有名な鏡なのかもしれないよ。そのことは明日、ムリロに何気なく聞いてみよう。きっと教えてくれるよ」ウィルが言いました。
ニールは鏡のかけらを置くと、お菓子の袋に手を伸ばし、再び飴を口に放り込みました。
「ところで、鏡を通ってファンフェアーに来た後、修理を手伝わされたって言っていたけど、修理って技術を知らないと出来ないだろう。いつそんな技術を教わったんだ?」
「別に修理した訳じゃあないよ。何かが歯車に挟まっていただけだったんだ。でも昔、時計を直したことはあるよ。いつ教わったか分からないんだけどね。覚えていないから」
不思議そうに首を傾げる双子に、ケイは過去の記憶を失っていることを話しました。何処で生まれたのか、何処で暮らしていたのか全く覚えていないということを。
「それじゃあお前、本当の親が誰なのか知らないのか?俺達と同じだな」
「親どころか、昔のことを全然思い出せないんだ。何かショックを受けて記憶を失ったのかもしれないって、信は言っていた。時々知らないはずのことが頭に浮かんでくる時があるんだけど、それは過去の記憶だと思うようにしているんだ」
「お前、きっと修理屋の子供だったんだよ。だから時計が修理出来たんだ」
ニールは笑って言いましたが、ケイはジュニアがベニを襲った時、どう犬に接すればよいのか思い出したことを言い掛けて、止めました。どうせサーカスにいた時に、時計の直し方も、猛獣の扱い方も覚えさせられたのでしょう。
「それで最近元気がなかったのか。こんな秘密を一人で抱えていたら暗くもなるよなあ」
ニールが同情したように鏡のかけらを見てため息をつくと、ケイは顔を上げました。
「実は、元気がない理由はそれだけじゃあないんだ。最近良く眠れないんだよ。毎晩のように変な夢に起こされるから」
「悪夢を見続けているの?心配事があると、悪夢を見るって言うけど」
「それが毎回同じ夢なんだよ。いつも同じ夢の、同じ所で目が覚めるんだ」
ケイは二人に赤い色から始まる夢を話しました。話を聞き終わると、ウィルは腕を組んで眉をしかめました。
「変わった夢だなあ。それに、そんなに同じ夢を何度も見るなんて、怪しいな」
ウィルはそう言って、ケイの耳辺りに視線を移しました。彼の視線に、ストライザに触れられた時の感触が戻ってきたように感じて、ケイは無意識に耳の後ろを撫でました。
「旅芸人が言っていたんだけど、通る人の中には、他人の夢を操れる人がいるらしいんだ。夢を通して人の心を操るんだって。彼と一緒にいた時、僕が夢ばかり見ていたのはそのせいなのかもしれない。大抵は悪夢が多かったけどね。もしかしたら君が見たその夢も、綱渡り師が与えた力と何か関係があるのかもしれない」そしてウィルは再び、うーんと考え込んでしまいました。
「ってことは、ケイの見る夢は、アーク捜しのヒントかもしれないってことだな」ニールもウィルと同じように腕を組んで、うーんと唸りました。「でもさあ、そんな変な夢じゃあ、ちっともヒントになんかならないぜ。どうせならアークの居場所を夢で見せてくれたらいいのになあ」
「居場所が分かっていたら、ストライザは最初から、ケイにアークを捜してくれなんて頼まなかっただろうさ」ウィルが呆れて、ニールのおでこを指でパチンとはじきました。
その時、大人しく寝ていたジュニアがむくりと頭を上げました。すぐにドアが開く音がして、皆が帰ってきたのが分かりました。
「あいつらもう帰って来たか。あれ、もうこんな時間だ」
三人は自分達が思っているよりも、ずっと時間が経っていたことに気付きました。
「とりあえず、明日ムリロにバスクケの鏡について聞いてみよう」ウィルは鏡のかけらが入った革の袋をケイに渡しました。「大丈夫、僕達に出来ることは何でも協力するよ。アークを捜し出して、きっと君を向こうの世界に帰してあげるから」
「そうだ、お前をきっと向こうに帰してやる。俺達がいれば百人力だぜ」
「きっと、どんなことでも一つ一つ落ち着いてやれば、不可能なんてない。大切なのは、絶対に諦めないことだ」ウィルが言ってケイの肩を叩きました。
居間のドアが開いて、サム達が入ってきました。
「ただいま。あー疲れた。あっ!」
サムが素早くテーブルにのっているお菓子の袋を見つけました。
「ずるい、三人だけでお菓子食べてる」
「うるさい。これは俺達のだぞ」ニールは袋を取り上げて、意地悪そうに舌を出します。
「どうせあなたじゃあなくって、ウィルがもらってきたんでしょう?」
「うわっ、ちょっと待て。冗談だってば!」
サムにノエラ、タエにミミまでもが、袋を持って逃げるニールを追い掛け始めました。サムがあっという間にニールに飛びつくと、他の三人も彼に飛び乗っていきました。
「ギャー、どけよ、重い。おいジュニア、お前まで?」
楽しそうにジュニアまでが仲間に入って、押しつぶされているニールにじゃれ付いていったのです。ウィルも仲間に入り、大笑いしながら全員じゃれ合いだしました。
ケイはじゃれ合っている皆を見ながら、心に決めました。ストライザからの頼み事を成し遂げて、向こうの世界に帰るのだと。何があっても絶対に諦めないことを、固く心に誓いました。
突然ジュニアがじゃれ付いてきて、彼は我に返りました。ジュニアはお前も仲間に入れとでも言うように、頭を擦り付けてきます。タエがそれに気付いて、
「ケイもえじきになれー!」
そう叫ぶと、タエの声に反応して、皆がケイに向かって突進してきました。
「うわーっ!」ケイは驚いている暇もなく、六人に揉みくちゃにされてしまいました。
夜遅いのにもかかわらず、ジョーカーズはそれからしばらくの間、大声で騒ぎながらふざけ合っていました。