第4部 レメテック墓地の死に神:1 レメテック墓地再び
「こんにちは、シュレト。具合はどう?」
ケイは部屋のドアをノックして、シュレトが寝ている寝室に入って行きました。
「ケイ?」シュレトはベッドに身を起こしました。「どうしたんだ?ベニが今日はお前と一緒に中心街を見て回るって、随分はしゃいでいたと思ったけど?」
「僕達、今中心街から帰ってきたんだよ」
ケイがそう言うと、シュレトは驚いて窓を見上げました。「もう日が落ちるのか。すっかり寝ていたみたいだな」
シュレトは目を擦り、大きくあくびをしました。彼は大分良くなっているようでした。ケイはベッドの脇に腰を下ろしました。そして、ちらりとドアを振り返って、ベニがいないのを確かめてから小声で言いました。
「ごめんね。僕達のせいで風邪を引いてしまったんだね」
「気にするなよ。風邪を引いたっていっても、大したことはないんだ」
「これ、シュレトに買ってきたんだ」ケイは中心街で買ったケルビムを差し出しました。
「俺に?ケルビムじゃあないか。俺の好物なんだよ」
シュレトは嬉しそうに袋の中を覗き込んで、赤い果実を一つ取り出すと、服の袖で擦ってから一口かじりました。そしてケイにも一つ投げて寄こしました。
「明日には完全に治っているだろうから、レメテック墓地に行ってみよう」シュレトがジュニアの頭を撫でながら言いました。
「分かった。皆にもそう伝えるよ」
「ケルビムと言えば、アークもケルビムが好きだったな。最初俺が食ったケルビムは、アークの屋敷の庭になったやつだったんだ。庭の隅に、大きなケルビムの木が一本あって、夏になると実がどっさりなるんだ。あそこの庭師のじいさんが、特にその木を大切にしていたな。懐かしいなあ」シュレトは昔を思い出すように、遠い目をしながらケルビムをまた一口かじりました。
「ちょっと、シュレト。いつまでケイを独り占めしておくつもりなの?ケイ、お茶が入ったわよ」ベニはドアから顔を覗かせて、にっこりと笑いました。
「行ってやれよ。女王様の機嫌を損ねると怖いぜ。それに明日、俺がお前と一緒に出掛けることがばれたら、きっとあいつに水を掛けられて、また風邪を引かされてしまう」
「何をこそこそ、言っているのよ?」ベニがケイに耳打ちするシュレトを、じろりと睨みつけました。
「何でもないさ。じゃあな、ケイ。ケルビムをありがとう」
「うん、お大事にね」
ケイはシュレトに別れを言って、寝室を後にしました。
翌日、すっかり良くなったシュレトとジョーカーズは、朝食の後、そろってレメテック墓地へ出掛けていきました。
「夢の順序に従って行く方がいいから、今日も垣根を飛び越えないで正面から入ろう」
ウィルの提案で、皆は遠回りでも正面入口まで歩いて行くことにしました。
「垣根を飛び越えないでって、お前達は普段、垣根を飛び越えて中に入るってことかよ」シュレトは呆れたように言いました。
しばらく垣根に沿って歩くと、ようやく墓地の入口が見えてきました。ウィルとニールは辺りを見回して、様子をうかがいました。
「また墓守に見つかったら、厄介だからな」
辺りは静まり返っていて、墓守どころか誰も見当たりませんでした。それでも、彼らは用心しながら中に入って行きました。するとすぐ目の前に、天使の彫像が立ちはだかりました。
「あの像だよ、夢に出てきた天使は」ケイが彫像を指差して言いました。
「あれは死の門の番人、プシガルトだ」シュレトが彫像を見上げます。「死の門を守っていると言われる、プシガルトっていう門番の像なんだ」
「死の門って、何?」タエがシュレトを振り返りながら尋ねました。
「死んだ者がこの世に別れを告げて、あの世に行く時に通る門のことさ。つまり、あの世とこの世の境目ってことだな。プシガルトはその門の番人で、死者以外のものが侵入することのないように、見張っているって話だぜ」シュレトが説明します。
「死者以外のものって、何のこと?」
「例えば、死んだ人間が持ち続けている生への執着心や、この世に残してきた未練や、欲といった邪念のことらしい。それらは死の門を通るのに相応しくなく、死者の眠りを妨げるものとして、プシガルトが手に持っている火の矢でもって、焼き払うんだそうだ。まあ、もっともこれは迷信で、実際に死の門を見た奴なんていないんだけどな」
「そうか、だからこいつはこんな怖い顔をして、手には弓矢を持っていたって訳か」ニールが夏の日差しに眩しそうに目を細めながら、彫像を見上げました。
像を通り過ぎて、彼らは中に進んで行きました。しばらくして、ケイはふと、ミミとノエラの姿がないことに気付いて、振り返りました。すると、二人は花畑で遊んでいるではありませんか。しかもジュニアまでが、飛んでいる蝶を追い掛け回しているのでした。
「全く、何をしているんだ、あいつら。おーい、お前達、置いていくぞ!」ニールは呆れたように、花畑で遊んでいるノエラ達に叫びました。
「皆も来てください。この花、とってもいい香りがするんですよ」
「ミミ、こっちにも珍しい花が咲いているわよ」
ノエラとミミは墓地に来た理由も忘れて、花を摘み始めました。
「ピクニックに来たんじゃあないんだから」
とうとう痺れを切らしたサムが、ノエラ達を連れ戻すために引き返して行きました。
「お前達、ここに何をしに来たのか、分かっているのかよ」
サムに引っ張られるようにして戻ってきたノエラとミミに、ニールが呆れて言いました。
「ごめんなさい。つい誘惑に負けちゃって。あまりにも花が綺麗だったものだから」
「あんまり長居して、墓守に見つかったら面倒だろう。ったく」
「そんなに怒らないでください。ニールにも一つあげますから。はい、これ」ミミがそう言って、綺麗な黄色い花を差し出しました。「胸につけてみてください。きっと似合いますよ」
するとノエラが花を取って、ニールの胸ポケットにさしてあげました。
「ほら、こうすれば、あなたのみすぼらしい服装も、少しはましに見えるわよ」
「ミミとおそろいです。どうです、素敵でしょう?」そう言って胸を張って見せたミミの胸元にも、ピンク色の花が飾られていました。
「おーい、ジュニア!早くしないと置いていっちゃうよ!」ケイが、まだ花畑で蝶を追い掛け回しているジュニアを振り返って叫びました。
花畑を抜けると長く続く石畳の歩道があり、ようやく貴族の地区へやってきました。更に墓石の間を通って中に進むと、お目当ての涙の像が目の前に見えてきました。
「これが涙の像か。本当だ、顔がない」シュレトは大理石の彫像を見上げました。
「この像がアークと関係があると思うんだけど、何か思い当たることはない?アークとこの像が、何かつながっているようなことはないの?」
シュレトはしばらく彫像の周りを回りながら、見上げたり、手で触れたりしていましたが、やがて息をついて首を振りました。
「残念ながら、アークとこの像にどういう関係があるのか、俺にも見当がつかないよ」
ジョーカーズはシュレトの言葉に、がっくりと肩を落としてしまいました。
「悔しいわね、絶対にアークのヒントがここにあるのに、それが何なのか分からないなんて」ノエラが悔しそうに唇を噛みます。
「いらいらするよなあ。謎だらけで前に進めないなんて」ニールがこぶしで彫像を叩きました。
「おい、乱暴なことをするな。叩いたからって、ヒントが飛び出してくる訳でもないんだから」
ウィルはニールを注意した後、くるりと涙の像に背を向けて歩き出しました。
「ちょっと、ウィル、何処へ行くんだよ?」
「皆に、ついてきて欲しい所があるんだ」
そう言ってウィルはどんどんと彫像から離れて、貴族の墓石が立ち並ぶ奥へと歩いて行ってしまいました。訳も分からずに、皆は慌てて彼の後を追って走って行きました。
「おい、こんな所でうろうろしているのを、墓守にでも見つかったら…」
ニールが止めようと腕を掴むと、ようやくウィルは足を止めました。彼の後を追っていたケイ達は、突然立ち止まったウィルとニールの背中に衝突してしまいました。
「いっ!ちょっと、いきなり止まらないでよ。どうしたのさ?」サムがニールの背中にぶつけた鼻を、痛そうに手で押さえて呻きました。
ウィルは目の前にある墓石をじっと見つめていました。皆がどうしたのかと周りに集まると、彼はすっと手を伸ばして墓石を指差しました。
「皆、これを見て」
全員の視線が、ウィルの指差した墓に集中しました。それは、黒くて光沢のある石で作られた墓で、地面に石板が敷かれ、その上に神殿の柱のような、豪華な彫刻をほどこした四角く細長い石が立っています。そして天辺には、ぴかぴかに磨かれた球状の石が置いてありました。他の墓同様文字はなく、金の塗料で塗られた、とても立派な紋章が刻まれているだけでした。ケイのそばにいたシュレトが、はっと息を呑みました。
「シュレトには見覚えがあるはずだよ、この紋章」
それは、二つの十字が刻まれた楕円の上に、三日月が載っているような形の紋章でした。良く見ると、冠を被った人の顔にも見えました。シュレトが首に掛かっている袋を引っ張り出して、ルーナンのかけらを取り出し、指でつまんでじっと覗き込みました。
「かけらを見るのはいいけど、それじゃあ反対だよ。鏡の面がこっちを向いている」タエが不思議そうに、シュレトの手にあるかけらを見て言いました。
「いや、間違ってはいないよ。彼が見ているのは、鏡の裏側なんだ」ウィルが言いました。
シュレトが顔を上げて、墓石を見ました。「同じ紋章だ」
「シュレト。裏に刻まれている紋章を、皆にも見せてあげて」
ウィルに言われて、シュレトはかけらの裏側を差し出して、皆に見せました。
「そういえば、何かマークみたいなものが、シュレトのかけらの裏側にあったっけ。それが、墓石の紋章と同じなのか?」ニールが驚いて墓石を指差しました。
ケイ達も急いで、シュレトのかけらにあるマークを覗き込みました。
「本当だ、このマークは墓石にある紋章と同じものだ」
「僕はニールとケイと一緒に、何かヒントはないかと、貴族の地区を何度か歩いて回った。その時、たまたまこの紋章を見掛けて覚えていたんだ。それで、シュレトのかけらを見た時、何処か見覚えのあるマークだって思ったんだ。それが墓石に刻まれていた紋章だって、後になってから思い出したんだけどね。僕も驚いたよ」ウィルは言いました。
シュレトはルーナンのかけらを握り締めて、墓石を見つめます。
「俺は、かけらにある紋章は、アークのドリー家の紋章だと思っていた。ということは」
「恐らくこれは、ドリー家の墓なんだと思うよ。紋章がそれを証明している」
「まさか、アークはもうとっくに死んでいて、墓の下にいる、なんてことはないだろうな。だって、ヒントをたどって行って、行き着いた場所がドリー家の墓なんてさ」
ニールが小声で言うと、全員言葉を失ってしまいました。
「いや、そんなはずはない」ウィルです。「もし、アークがすでに死んでいて、墓の下に眠っているのだとしたら、ケイが彼を捜している説明がつかないよ。もし、アークがドリー家の墓に埋葬されたなら、彼の死は公式なものとして人々に知れ渡っているだろう。そうしたら、綱渡り師がそのことを知らなかったとは思えない。当然調べ上げていて、彼を捜すことを諦めていただろうからね」
「俺も、あいつが死んだなんて信じない」シュレトは青い顔で頷きました。
「となると、この墓がどうしてアークのヒントになるの?」サムが頭を抱えます。
「もしかして、涙の像じゃあなくて、この墓にヒントが隠されているのかもしれないぜ」
ニールは紋章を手で撫でたり、墓石に触ったりして調べ始めました。
「ニール、止めなさいよ。他人のお墓を勝手にべたべたと」
ノエラが呆れた声を出した時、近くにいたジュニアがまた暴れ始めました。
「どうしたんですか、ジュニア?大人しくしていてください」
ミミがジュニアの様子に気付いて振り返ると、蝶がひらひらと飛んでいました。ジュニアはその蝶を見て、再びじゃれ始めたのでした。
「もう、蝶々さんが可哀想でしょう。止めてくださいってば」
ジュニアは蝶に向かって、走ってはジャンプを繰り返しています。
「やっぱり、何処にも変わった所はなさそうだぜ。ただの墓石だ」
ニールが墓石を調べるのを諦めて、立ち上がったその時でした。ひらひらと飛んでいた蝶がニールのそばにやってくると、上着の胸につけてあった花にとまりました。
あっという間でした。蝶に気を取られていたニールは、飛び掛かってきたジュニアに気付かなかったのです。ジュニアはニールの花にとまった蝶に飛び掛かると同時に、彼に激しくぶつかっていきました。皆の見ている前で、ニールはジュニアに突き飛ばされて、勢い良く後ろの墓石に頭をぶつけました。ゴツンと大きな音が辺りに響き渡り、ニールがぶつかった衝撃で、なんと、ドリー家の墓が大きく傾いたではありませんか。
「うわーっ、ニールのバカー!」
皆びっくり仰天、急いで倒れそうになった墓石を必死で押さえて、元に戻そうとしました。しかし、大きくてとてつもなく重い石の塊です。全員が必死になって押さえますが、倒れないようにするだけで精一杯です。
「ニール、お前、いつまで墓石に寄り掛かっているつもりだよ!早くどいて、手伝え!」
墓石に背中を寄り掛からせたまま、動こうとしないニールに、シュレトが怒鳴りました。しかし、ニールはシュレトの声に全く反応しません。ぐったりとしたまま、ずるずると体が崩れていき、最後にはばったりと地面に寝転がって動かなくなってしまいました。ウィルが墓石を押さえていた手を離して、急いで弟のそばにしゃがみ込みました。そのため、ウィルが支えていた力を失った分、再び墓石が大きく傾いてしまいました。
「ちょっと、ウィル!うわー、駄目だ!」
その途端、墓石の上にのっていた大きな丸い石の玉が、揺れた勢いでぐらついたかと思うと、台から外れてしまいました。
「ギャー、落ちるーっ!」
石の玉が転がり落ちた瞬間、タエが大きく叫び声を上げました。石の玉はタエのいる方へ落ち、選択の余地もないまま、彼が体全体で受け止めてしまったのでした。タエの細い体は石の重さにはとても耐えられず、地面に尻もちをついてしまいました。
「タエ、大丈夫か?」シュレトが上ずった声で尋ねました。
「な、何とか無事みたい。お尻の骨を割るところだったよ」タエが弱々しい声で答えました。
「違うよ。お前じゃあなくて、石の玉の方を心配しているんだよ」
皆は四角く細長い墓石を元の状態に戻してから、石の玉の様子を見に集まってきました。
「ああ、よかった。割れていなくて」サムが石の玉を調べて、ほっと息をつきました。
「ちょっと、少しは僕のことも心配してよ。もう少しで頭を割るところだったんだぞ」タエはぶーぶー文句を言い始めました。「それより、早く石をどかして。重いよー!」
「ニール、おい、起きろったら」
皆がウィルの声に気付いて振り返りました。ウィルは地面に寝転がっているニールの肩を揺さぶって、何度も名前を呼んでいます。
「随分、のん気な奴だな。自分のせいで俺達が大変な目にあったっていうのに、一人でぐうたらしやがって」
シュレトが言うと、ウィルは青い顔で振り返りました。「ニールの意識がないんだ」
その時、誰かが墓の影から、ぬっと皆の前に現れました。
「こらー、お前達、ここで一体何をしているんだ!」
突然の大声に、皆はびっくりして飛び上がりました。振り返ると墓守がいました。
「うわ、やばい。墓守だ!」
「何やら騒がしいと思ったら、またお前達か!ここに来るなと何度言ったら分かるん…」
墓守の視線がドリー家の墓へ向けられました。そしてそれから、タエが抱えている石の玉へ向けられます。墓守は何度も何度も、墓石と石の玉を見比べました。ジョーカーズは全員、石の彫像になってしまったように、ぴくりとも動けずに青い顔をしていました。
「ば、馬鹿者がーっ!一体、お前達は何てことをしてくれたんだ!墓石を壊しおって!」墓守が真っ赤な顔をして、怒鳴りました。
「ご、ごめんなさい。これは、ちょっとした事故で…」墓守の雷のような怒鳴り声に耳を塞ぎながら、ケイは何とか説明をしようと試みました。
「ここはお前達の遊び場所ではないと、何度も言っているだろうが!よりにもよって、人様の墓石を!」墓守の口があまりの怒りにわなわなと震えています。
「それよりも、早くこの玉をどかしてよ!重くてもう腕が痺れてきたよ」
タエが泣きそうな声を出したので、墓守も仕方なく怒鳴るのを止めて、石の玉を元に戻すことにしました。
「分かった。とにかく怒るのは後にして、墓石を元に戻すのが先だな。ほら、お前もそんな所に寝転がっていないで、こっちを手伝わんかい」
墓守はニールに声を掛けましたが、ウィルは顔を上げて首を振りました。
「駄目なんです。ニールの意識が戻らなくて」
墓守はニールの脇にしゃがみ込み、顔を覗き込みました。彼の顔色は悪く、ぐったりと目を閉じてしまっていました。墓守はパシパシと彼の顔を叩いてみましたが、反応がありません。ウィルが墓守に、ニールが墓石に頭をぶつけて意識を失ったことを説明しました。
「少し休ませた方が良さそうだな。まあ、口から泡を噴いている訳でもないし、そんなに心配はいらんわい。すぐに気がつくだろう」
全員が心配そうにニールの周りにしゃがみ込みました。ジュニアさえも、自分が何をしたのか理解しているように、ニールに顔を近づけて、クーン、クーンと鳴いています。
「ちょっと、ひどいよ。僕のことを放っておいて。早く石をどかしてったら。重くてもう支えられないよ」
タエがついに半泣き声で叫び、ようやく、皆は石の玉を戻す作業に取り掛かりました。
「ほら、力を込めていくぞ。せーの!」
石の玉は予想以上に重く、墓守とシュレトとウィルの三人掛かりで持ち上げました。石の玉が置いてあった台座は、中がえぐれて空洞になっているのですが、玉をのせようとした瞬間、そこから鋭い光がウィルの目に反射してきました。あっ、と思わず大きな声を上げてしまったウィルに驚いて、墓守が動きを止めました。ウィルは横にいるシュレトに素早く目配せをすると、シュレトも台座を見つめ、途端に白くなりました。
「どうしたっていうんだ、おい?」墓守がウィルに尋ねました。
「な、何でもないよ。ただ腰が、ぐきっとなっただけだよ」
墓守は少し眉をひそめましたが、無事に石の玉を墓石に戻して、大きく息をつきました。
「お前達のせいで今夜は腰が痛みそうだ。よりによって、貴族様の墓石を壊すなんて…」墓守はぶつぶつ言いながら、腰を痛そうにさすりました。「とにかく、墓石は無事に元に戻ったようだ。お前達、そのひっくり返っている子を担いで、わしについて来い。まだ説教は終わっていないんだ。それに、その子を少し休ませないとならないだろう」
シュレトとウィルが気絶しているニールを両脇から支えて、全員で墓守について行くことになりました。彼らは共同墓地の更に奥にある、木造の山小屋みたいな建物にやってきました。墓守がドアの鍵を開けて、皆を広い板張りの部屋に入れ、それから左奥の部屋にあるベッドにニールを寝かせました。
「おじさん、ここで暮らしているの?」ニールをベッドに寝かせてから、ウィルが部屋を見回して言いました。
「そんな訳ないだろう。いくら墓守の仕事をしているからって、墓地には住まんよ。ここは管理所だ。夜遅くまで仕事をしないとならん時は、泊まれるようになっているんだ」
墓守は何処からか濡らしたタオルを持ってきて、ニールの額にのせてくれました。
「しばらくは様子を見るしかなさそうだ。ともあれ、全員でベッドのそばにいても仕方がない。向こうの部屋に行って待っていろ。いいな」
墓守に言われて仕方なく、皆は板張りの部屋のソファーに腰掛けました。そこには、本がぎっしり詰まった本棚が、沢山壁に並んでいて、その前にある大きな机の上には、沢山の書類が積み上げられていました。
「すごい本の数だね。全部おじさんの本なの?」ケイが墓守に尋ねました。
「あれは本ではなく、ファイルだ。この墓地に眠っている、死者のリストだ」
「死者のリスト?」タエは青い顔で、書類の詰まった本棚を見回しました。
「すごいファイルの数だな。これだけ多くの死体が墓地に埋められているってことか」シュレトが感心したように言いました。
「あいたたた、重い石を持ち上げたせいで、腰が痛くて堪らんわい。ところで、どうしてお前達があそこにいたのか、何をしていたのか、正直に話してもらおうか」
墓守が言うと、途端に皆びくっとして、ソファーの上で固まってしまいました。
「先に言っておくが、いい天気だから散歩をしていた、なんて言い訳は聞き飽きておるからな。今度はもっとましな言い訳を考えるんだな」
墓守はじろりとウィルを睨みつけました。しかし、睨まれた当の本人は、焦るどころか涼しい顔をして言いました。
「実は、その通りなんだよ。天気がいいから皆で散歩をしていたんだ。そうしたら、ジュニアが」ウィルはジュニアの黒い頭を撫でました。「蝶々を追い掛け始めてね。慌てて後を追ったら、いつの間にか貴族の地区に迷い込んじゃったって訳なんだよ」
ウィルが落ち着いて、墓守に嘘の言い訳をしているのを聞きながら、皆は彼の頭の回転の速さに感心していました。
「犬を追い掛けて、迷い込んだ?それなら、どうして墓石を壊すようなことになった?」
墓守が疑り深く聞き返した時、意識を取り戻したニールがふらふらとやってきました。とっさに、ウィルがソファーから立ち上がり、弟に駆け寄りました。
「ニール、大丈夫か?」ウィルがふらついているニールを支えます。
「ウィル、ここは何処なんだ?何でこんな所にいるんだ、俺?」
「やっと、気がついたようだな」
墓守が近づいていくと、ニールは驚いて声を上げました。「げっ、やばい、墓守だ!」
「何を今更驚いているんだ、この悪がきめ。大事な墓石を壊しそうになっておきながら」
「お前、墓石に頭をぶつけて、今まで気を失っていたんだぜ」
シュレトに言われて、ニールはきょとんとします。「気を失っていた?何を言っているんだよ。いたっ!」ニールが突然大きな声を上げました。
「じっとしていろ。お前さんの頭を調べているんだ」墓守はニールの後頭部を手で触ります。
「いてっ!痛いったら!そこ押さないでくれよ。痛いよ、おっさん!」
「痛くて当たり前だ。見事なこぶが出来ておるぞ」
「こぶ?」ニールは驚いて、頭を触って確かめてみました。「いてっ!本当だ、こぶが出来ている。一体どうしたっていうんだ?」
「本当に何も覚えていないの、ニール?」ノエラが呆れたように言いました。
「ちょっと待て。何が何だかチンプンカンプンで、さっぱり分からない。誰か俺にきちんと説明してくれないか?いてっ!おい、そこ触んないでくれよ、痛いってば、おっさん!」ニールが怒ったように墓守を振り返りました。
「こぶが出来ているなら、中には異常がないということだから、心配はいらんだろう」
「だから、どうして俺の頭にこぶが出来ているんだよ。何があったっていうんだ?」
皆はどうしてニールの頭に大きなこぶがあるのか、どうして全員で墓守の管理所にいるのか、彼に経緯を話して聞かせました。ニールは驚きながらも、自分が気絶するまでの出来事を、少しずつ思い出したようでした。
「そうだ、思い出してきたぞ。俺はジュニアに飛び掛かられたんだ。おい、ジュニア!お前、今度人に飛び掛かる時は、もっと気をつけろよな。お前のせいでひどい目にあったんだぜ」
ニールがジュニアを怒鳴りつけると、ミミがかばって言いました。
「そんなに怒らないでください。もう、ジュニアは十分反省しているんですから」
「何はともあれ、お前さんの頭が無事でよかったわい。このばち当たりが。さて、何処まで話が進んでおったのか。お前さんのせいで話が途切れてしまった。おお、そうだ、どうしてお前達がまた貴族様の地区をうろついていたのか、聞いていたんだな」墓守はウィルを見て言いました。「その言い訳が、犬が蝶々を追い掛けて、貴族様の墓まで迷い込んでしまったのだと、そうだったな?」
墓守の言葉に、ニールが眉をしかめました。「ジュニアを追い掛けて、迷い込んだ?そうだったっけ?あれは、確かウィルが、いてーっ!」突然ニールが頭を押さえて、うずくまってしまいました。
「あ、ごめん、ニール。髪の毛に何か付いていたから、取ってあげようと思って。こぶに当たっちゃった?悪かったよ」ウィルが意味ありげに笑います。
「ウィルの言う通りだよ。僕達はジュニアを追い掛けて、貴族の地区に行っちゃったんだよねえ?」ケイが慌てて言って、ノエラを振り返りました。
「ええ、その通りよ。もうあっという間に、ジュニアったら走り出しちゃって、私達が止める間もなかったわ。じゃあなかったら、どうして私達が貴族の墓になんて行かなきゃあならないの。あんな所に用がある訳ないでしょう?」
「う〜ん、何か怪しいのう。用はないと言うが、前にもお前達は、あの辺りをうろついていたじゃあないか。あの時も、散歩をしていたと言っていたな?」
墓守はウィルとニールとケイの三人を、目を細めて睨みました。三人は首をすくめて小さくなってしまいます。
「それに、お前は昔、花壇を踏み壊しただろう」墓守はニールを指差しました。「毎年共同墓地に来るたびに、近道だからと道路脇の垣根を飛び越えて入ってきているようだし。どうしようもない悪がき共だ。何度も言うが、墓地は遊び場ではないのだ。墓石を壊していたらどうするつもりだったんだ。お前達が簡単に弁償出来るようなものじゃあないんだぞ。最悪の場合、警察沙汰になるところだった。それよりもまず、死者の眠りを妨げるとは、何というばち当たりなことを」
墓守の説教に、全員がしゅんと静かになってしまいました。
「今回は運良く、何事も起こらなかったから良かったがな。もう二度とお前達があそこへ入ることは許さん。今日限りで、お前達は立入禁止処分にする」
「ええ?もう墓参りに来られないってこと?」ニールが驚いて顔を上げました。
「勘違いをするな。誰がレメテック墓地に立入禁止と言っているんだ。わしは貴族様の地区だけを言っているんだ、このアホが。もう二度とあそこに足を踏み入れることは許さんからな。もし、またお前達があの辺りをうろついているのを見つけたら、墓地の草むしりと墓掃除をやらせる。その上、墓穴掘りもやらせてやるわい。手にまめが出来る程に」
「いやー、止めてー!」タエとミミが青い顔で震え出しました。
「いいか、良く肝に銘じておけよ。もし、どうしてもあそこに用がある時は、わしに断ってからにするんだ。わしがお前達と一緒について行く。分かったな?」
信じられないことに、彼らは何の罰も受けることなく、墓守の管理所から出ることを許されました。全員がお説教から解放されて、ほっとしていました。
「お前はそのこぶが引っ込むまで、大人しくしているんだな。しばらくは腫れが引かないかもしれんから」墓守がニールの頭を指差して言いました。
「分かったよ、世話になったな、おじさん。でも俺の頭より、自分の腰を心配した方がいいんじゃあないのか?さっきからすごく辛そうだぜ。年のせいか?」
ニールが言うと、墓守はかっと目を見開いて怒鳴りました。「この悪がきめ!生意気な口をたたきおって!一体誰のせいで腰を痛めたと思っているんだ!」
「うわーっ、ごめんなさーい!」
ジョーカーズとシュレトは、こぶしを振り上げて怒鳴り始めた墓守から逃げるように、一目散に走り出しました。