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第1部 謎の綱渡り師:1 始まり

眩しい黄金色の朝日が昇り、今日も緑ヶ丘市内を明るく照らし出しました。目覚まし時計のやかましい音で、啓は倉庫の二階にある自分の部屋で目を覚ましました。うーんと一度大きく伸びをしてから、啓はベッドに身を起こして、カーテンを勢い良く開けました。途端に、眩しい太陽の光が差し込んで、ぎゅっと目を閉じてしまいました。今日も良い天気です。啓は目を擦りながら、ベッドからずり落ちるように床に立ち、また一度大きく伸びをしました。やっとはっきりと開いた目を何度かパチパチさせながら、学校の制服に着替え始めました。一日の始まりです。

 服を着替え終える頃、啓はふと外の音に気付いて窓を開けてみました。庭には、すでに起きて働いている信の姿がありました。啓は信を見ると、急いで庭に出る階段へ向かいました。しかし、すぐに、はっとして立ち止まり、面倒臭そうに部屋を振り返ると、ベッドに駆け寄り、起きたままになっていた布団を整えました。そして一度部屋の中を見回してから、ようやく階段を駆け下りて行きました。

 「おはよう、信!」勢い良く倉庫のドアを開けるなり、啓は言いました。

 信は飛び出して来た啓に驚いて振り返ると、陽気に笑いました。いつものように、白い調理用の服を着ています。

 「おはよう、啓。今日はどうしたんだ?いつもみたいに、遅刻ぎりぎりより早く起きるなんて。そんなに急いで、何か良い事ことでもあるのか?」

 信がそう言うと、啓は無理にすました顔をしながら答えました。

 「別に、急いでなんていないけど?」

 すると、信はにやにやしながら、啓の胸元に視線を向けました。

 「シャツのボタンが一つずれているように見えるんだが。余程急いで制服を着たみたいだな」

 啓が慌てて見下ろすと、信の言う通り、制服のシャツのボタンが一つずれていました。少し赤くなってボタンを掛け直す彼を見て、信は可笑しそうにくっくっと笑いました。

 「そんなに急いで起きても、今日はあまりいい日にはならないかもしれないぜ」

 啓は思わず顔を上げました。「な、何のこと?」

 精一杯、何でもない様子で言ったつもりでしたが、無駄でした。信はまた、くっくっと笑って言いました。

 「今日は家族全員、珍しく用事があって、夜は出掛けるんだそうだ。母さんは近所の人と劇に行くし、父さんも仕事のことで出掛ける。絵里も俺も、友達と食事をする約束で出掛けるから、今夜はお前一人で留守番だぜ」

 啓の表情が、とたんにショックで変わります。「えっ?そんなぁ…」

 そんな彼の表情に耐えられず、信はぷっと吹き出すと、可笑しくてげらげら笑い出してしまいました。信の笑い声を聞いて、啓はようやくからかわれたことに気付いて赤くなりました。

 「あはは、何だよ、その顔は。冗談だよ。今日は四月十六日。お前の誕生日だって、忘れてなんかいないって。誰も出掛けたりはしないよ」

 啓は悔しくなって、笑い転げている信に飛び掛かっていきました。

 「ひどいよ、信!」

 啓は信の大きな背中にしがみ付いていきましたが、あっという間に、信は背中に腕を回すと、あっさり片手で啓を脇に抱え上げ、もう一方の手で頭をぐしゃぐしゃと掻き回し始めました。

 「止めてよ。離して、止めてったら」啓は髪を掻き回す信の手に、必死で抵抗します。

 「今日で十三才になるのか。しかし相変わらず小さいままだな。そんな調子じゃあ、ちびのまま大人になっちまうぜ。甘い菓子ばっかり食っているからだ」

 「じゃあ、信は子供の頃お菓子を全然食べなかったから、そんなに背が大きくなったの?」

 「その通りさ。お前も俺のようにでかくなりたかったら、ちゃんと飯を食うことだな」

 すると、今度は啓がくすくす笑い始めました。

 「だったら、僕はやっぱりお菓子の方がいいや。だって、信みたいにでっかくなったら困るから」

 「なんだと!」信はわざと怒った声を出すと、今度は啓を肩に担ぎ上げました。

 「ひゃあ、高い!ちょっと下ろしてよ!」

 「お前のような生意気な子供には、菓子なんて食えないように、朝飯を腹一杯詰め込んでやる」

 「大丈夫だよ。お菓子用の胃袋は、ちゃんと別にあるんだからね」

 そして二人は仲良く笑いながら、家の中に入って行きました。

 家の中は朝食の良い匂いが立ち込めていました。母親がエプロンを着けて、忙しそうに台所で働いていました。

 「おはよう、母さん」

 やっと信の肩から下ろしてもらった啓は、台所に入っていきました。テーブルには五人分のお箸が並べられていて、やかんが火に掛けられて湯気を噴き出していました。

 「おはよう、啓。あらまあ!」

 片手にフライ返しを持ったまま母親は啓を振り返り、顔をしかめました。

 「どうしたの、その頭!朝起きて、食事の前にきちんとしなさいって、いつも言っているでしょう?」

 啓は慌てて頭に手をやり、髪を整えます。「違うんだよ、これは信が…」

 そう言い掛けて、後ろを振り返りましたが、すでにそこには信の姿はありませんでした。

 「もういいから、こっちを手伝ってくれるかしら?そこからお椀を出して、お味噌汁を人数分よそってちょうだい」

 啓は言い訳をするのを諦めて、言われた通りにお味噌汁をよそり始めました。

 「学校に行く前はきちんとしなさいって、いつも言っているでしょう。部屋もちゃんと片付けている?ベッドも寝て起きたまま、なんてことはないでしょうね?」

 母親に言われて、啓は慌てて首を振りました。「ううん、ちゃんといつも直しているよ」

 そしてもう一度、シャツのボタンがきちんと掛け直されているか、そっと確かめました。

 十分後には家族全員、父親と母親に、信と、彼の妹の絵里、そして啓が台所のテーブルについて朝食を食べ始めました。

 「今日は啓の誕生日だろう、おめでとう。お前ももう中学生か。月日が経つのは早いものだなあ」父親は片手に新聞を持ちながら、入れたてのお茶をすすります。「今日は店が休みだから、腕をふるってお前の誕生日ケーキを作ってやろう。ちゃんとロウソクも十三本立ててやるぞ」

 「今日の夕飯は、啓の好きなロールキャベツにしましょうね」母親が言いました。

 「私も今日は、なるべく早く仕事から帰るようにするわ。プレゼントはもう買ってあるんだけど、帰りにデパートに寄って、啓が好きそうなお菓子を何か見つけてくるから、楽しみにしていてね」絵里が笑って言いました。

 「良かったな、啓。お前のためにお菓子を買ってきてくれるってさ」

 信がにやにやしながら話し掛けてきましたが、啓は無視して、うつむき加減でお皿の目玉焼きを頬張り続けました。

 朝の慌ただしい時間はあっという間に過ぎて、啓は鞄を肩に引っ下げて、学校へ出掛けていきました。通学路の商店街を駆け抜けながら、彼は嬉しくて心がうきうきと弾んでいました。そう、今日は啓の誕生日なのです。彼は十三才になったのです。別にそれで何かが変わるという訳でもないのですが、誕生日は誰にでも一年にたった一回しかない、特別な日には違いありませんでした。だから普段、朝起きるのが苦手な啓も、今日は珍しく母親に怒鳴られる前に、自分から起きることが出来たのでした。

 空はいつもよりも青く晴れていました。この春から彼は中学生になったばかり。肩に掛けた鞄は、新しい教科書が詰まっていて重いし、小学校よりも倍の道のりを歩かなければならなくなりましたが、新しい学校生活が始まり、何か素晴らしいことが始まりそうな期待で、彼の胸は大きく膨らんでいたのでした。


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