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第3部 シュレトの首飾り:5 お風呂場連れ込み作戦

 ミミは朝食の後、ジュニアを連れて出掛けていきました。アローズ街の門の所をうろうろすること数十分、運良くシュレトに出くわしたミミは、彼に気軽に挨拶して近づいていきました。ジュニアがシュレトにじゃれ付いている間、ミミは彼と話すことが出来ました。シュレトはミミの無邪気さに気を許したのか、気軽に色々と答えてくれて、彼女が別れ際に、今度食事に招待すると言うと、何も怪しむことなく喜んで返事をしてくれました。

 「やっぱりシュレトはお風呂に入る時、濡れたら困る首の飾りをいくつか外しているって言っていました。外した飾りは、服と一緒に置いておくそうです」

 ミミは部屋に帰ると、すぐに皆に報告をしました。

 「そうか。よくやった、ミミ」ウィルは満足そうなミミの頭を撫でてあげました。「濡れたら困る飾りの中には、かけらを入れている袋もあるはずだ。これで真剣に、シュレトにうちの風呂を使わせる作戦を考えなくっちゃあね」

 ウィルが言うと、途端に全員、苦い顔でうーんと考え込んでしまいました。

 「それが一番の問題だな。どうやって奴にうちの風呂場を使わせるか」ニールが頭をぼりぼりと掻きました。「風呂を借りる時って、自分の所が使えなくなった時くらいだよな」

 「それなら、シュレトのお風呂を壊しちゃうってのはどう?」タエが提案します。

 「壊すなんて、そう簡単に出来る訳がないだろう」ニールが呆れた声で言いました。

 「どういう時に、人はすぐにでもお風呂に入りたいって思うのかを、考えたらどうだろう。そういう状況にシュレトをもっていって、うちに連れてくる」ケイが言いました。

 「シュレトがお風呂に入りたいと思う状況の時に、うちのお風呂場が近くにあればいいんだね」サムが身を乗り出しました。「じゃあ、スポーツなんてどうかな。汗を掻いた後、すぐにでもお風呂に入って、さっぱりしたいって思うじゃあない?」

 「でも、それなら自分の家に帰って、お風呂に入るよ」ケイは反論します。

 「一緒に遊んでいて、ついでにうちのお風呂場を使ってって、連れてくるのは?」

 「駄目よ。シュレトの部屋は一階で、うちは二階よ。近くにある自分の所に帰るわよ」

 「じゃあ、うちの中で走り回らせたら?それなら、うちのお風呂場が一番近くにあるよ」

 「タエ。この狭い部屋の中を、どうやって汗を掻く程走り回らせるっていうんだよ」サムは笑い出しました。「でも、タエの言うように、シュレトがうちに来ている時だったら、自然にお風呂場を使わせることが出来るかも。彼がここにいる時に、お風呂場を使わずにはいられないような状況を、作り出しさえすれば…」

 「それなら一つ、簡単な方法があるぜ」サムの言葉をニールがさえぎりました。

 全員が顔を上げて、ニールを見つめました。

 「どんな方法?」

 すると、ニールは肩をすくめて言いました。「簡単さ。シュレトの頭の上からジュースをぶっ掛ければいいんだよ。そうしたら、すぐに風呂場へどうぞってことになるだろう?」

 「シュレトの頭から、ジュースをぶっ掛ける?」タエが震える声で言いました。

 「確かに、確実な方法だ」ウィルが真剣な顔で頷きます。「まず、シュレトをうちに連れてくる。そこで彼の上から何かをこぼして…。うん、その方法は使えるかもしれない」

 「確かに、確実な方法かもしれないけどさ」

 サムもノエラも、ためらいがちに首を傾げました。

 「あくまでも一つの提案だぜ。本当に実行するとなるとなあ」ニールも自分で言っておきながら、自信がなさそうです。「その前に、奴をどうやってここに連れてくるんだ?」

 「それなら大丈夫です。もうミミがシュレトをうちに招待しておきましたから」

 「ミミが?どうやって?」全員が一斉にミミを振り返りました。

 「さっき話をした時、一応役に立つと思って誘っておいたんです。ミミが新しい料理を覚えたから、是非食べに来てくださいって。彼は来てくれるって約束してくれましたよ」

 「すごい、ミミ。よくやった。これで、シュレトをうちに連れてくる問題は解決したね。後は、さっきニールが言った方法をどうするかだ。とりあえず、今はニールの方法をとっておいて、他に何かないかしばらく考えてみよう」ウィルは心配そうな表情をしたジョーカーズを見回して言いました。

 しかし、結局その後、誰もニールの方法よりも、安全で確実にシュレトを風呂場に連れ込む良い方法を思い付くことはなく、ジュースを掛けるという、恐ろしい方法が採用されることになったのでした。

 「ところでさあ、ジュースをこぼす役は誰がやるの?」

 タエのこの言葉に、ケイは自分の頼みでジョーカーズに協力してもらっているのだからと、自らジュースをこぼす役を買って出ました。するとニールは自分で言い出した案だからと言って、自分がやると言い出したのです。

 「駄目だよ、僕がやる。僕にやらせて」ケイはニールの申し出を押し退けました。

 「でも、ドジを踏む役なら、ニールの方が自然かもよ」

 タエが真剣な顔で言うと、皆笑いました。

 「ニールには、もっとお似合いの役があるんだよ。お前にはそっちをやってもらう」

 「何だよ、その、俺にもっとお似合いの役って?」ニールは不安そうに兄を見ました。

 「それは、今から詳しく話すよ。じゃあ作戦会議を始めよう」ウィルは手を叩きました。

 計画を実行するのは、新しい仕事が終わってからに決めました。作戦が決まり、シュレトを連れてくる日にちも決めた後、ミミがジュニアを連れて再びシュレトを待ち伏せして、彼を正式に食事に招待しました。それで、全ての下準備が整いました。

 

 こうして、二週間続いたジョーカーズの休暇は、終わりを告げました。休暇が始まってすぐに、ウィルとニールは集会に行き、すでにアレスタから新しい仕事を振り分けられていました。今度の仕事は、郵便局での手紙の振り分け作業です。夏の始まりに季節の挨拶の手紙を友人に送る、暑中見舞いに似た習慣がこちらにはあって、郵便局ではこの季節、いつもより多くの人を使って手紙の振り分けをしなければならないのでした。

 郵便局での仕事はファンフェアーの仕事と比べると、とても退屈に感じました。毎日判を押したように決まった時間に始まり、終わります。可哀想に、ジュニアにいたっては、郵便局の裏庭で、一日中仕事が終わるのを大人しく待っていなくてはならない日々が続いたのでした。ですから二週間続いた仕事が終わって、ようやく薄暗い郵便局から解放された時、ジョーカーズは全員飛び上がって喜びました。

 「やったー!ようやく仕事が終わったぞ!毎日退屈で死ぬかと思ったよ」サムが嬉しそうに万歳しました。

 「さあ、明日はシュレトとの約束の日だよ。今からマーケットに行って、ミミの特製スープのための材料を買いに行こう。あと、肝心なジュースもね」

 ジョーカーズは仕事の退屈さを吹き飛ばすように、郵便局を出ると、通りを駆け出して行きました。

 次の日、ジョーカーズのいる三〇二Bには、朝からいい香りが漂っていました。ミミが料理の得意なタエと一緒に、シュレトのためにスープを作っているのです。他のジョーカーズは作戦のことを考えて、そわそわと落ち着きをなくしていました。

 「美味しそうな、スープだね」ケイは台所でぐつぐつ煮られている鍋の中を覗き込みます。

 「これこそ、僕の特製、『貧乏暇なしスープ』だ」タエが胸を張って言いました。

 「貧乏暇なしスープ?随分変わった名前だねえ。何でそう呼ぶの?」

 「貧乏人は、時間を掛けて料理している暇はないでしょう。いつも働いていなくちゃあならないから。このスープは安い食材を使っていて、その上、手間ひま掛けないでも美味しく作れるから、そう僕が名付けたんだよ」

 「なるほどね」ケイは感心しました。

 「タエが手伝ってくれて助かりました。シュレトに言ったことは口から出まかせで、ミミは新しい料理なんて覚えていないんですから」ミミが申し訳なさそうに言いました。

 テーブルの上には、ジュースの瓶が置いてありました。シュレトの頭に掛けられる運命のジュースです。それは濃い紫色をした、黒すぐりのジュースでした。

 「せめて、もうちょっと明るい色のジュースだったら良かったのにね。これじゃあ、シュレトが可哀想だよ」ケイは暗い表情で、黒すぐりのジュースを見つめました。

 「昨日マーケットに行ったのが少し遅かったから、他のジュースは売り切れだったじゃあないか。夏はジュースが良く売れるんだね」タエが人ごとのように言いました。

 「少しこぼすくらいじゃあ駄目だよ。コップ一杯思いっ切り掛けるんだ。あと、服だけに掛けても、タオルで拭くだけで済んだら、彼を風呂場には連れていけない。狙うのはシュレトの髪だ。洗い流さないといけないって思わせるように、派手に掛けるんだよ」ウィルは何度もケイにそう繰り返しました。

 太陽が西の空に沈み掛けて、間もなくシュレトがやってくる時間になりました。皆は緊張した面持ちで、台所に集まっていました。

 「そろそろ、シュレトが来る時間だ。皆、準備はいいか?」

 ウィルの言葉に、全員力強く頷きました。コンロの上には、タエとミミが作った貧乏暇なしスープが出来上がっていて、シュレトの頭に掛けるジュースも、テーブルの上に用意してありました。

 「じゃあ、居間に行って、それぞれ決められた位置に座って。タエとサムはドアに一番近い場所だよ。ニールはソファーに座って、シュレトをちゃんと自分の隣に座らせるんだ」

 「任しとけって」ニールは居間に入ると、ソファーにふんぞり返りました。

 ノエラやサム達も、それぞれ決められた位置に腰を下ろしました。

 「ケイ、僕が合図をしたら居間に入ってくるんだ。ジュースを掛けられて、シュレトが怒って飛び掛かってきたら、全員で止めに入るから心配しないで」

 ケイは緊張したように頷くと、ジュニアの頭を撫でました。ジュニアはケイを勇気付けるように、黒い瞳でじっと彼を見上げていました。

 「頼んだぞ、ジュニア。お前もしっかりやるんだよ」

 ドアをノックする音がして、ついにシュレトがやってきました。ミミが明るい声で返事をして、玄関に駆けていきました。

 「よし、いよいよだぞ。皆、勇気を振り絞って頑張ろう」

 「オー」

 ウィルの言葉に全員元気良く答えて、こぶしを重ね合いました。

 「いらっしゃい、シュレト。こちらへどうぞ」

 ミミに案内されて、シュレトが居間に入ってきました。ジョーカーズに緊張が走ります。

 「よお、ジョーカーズ」シュレトが軽く手を上げて挨拶します。

 「ようこそ、シュレト。どうぞここに座ってよ。一応、お客なんだからさ」

 ニールが言って、自分が座っているソファーの隣を示して、手招きしました。

 「ジョーカー・ニールの隣かよ。ドジやらかして皿をひっくり返す、何てことになるんじゃあないだろうな?」

 その言葉に、ドキッと全員の心臓が大きく脈打ちました。しかし、シュレトは皆の様子など気付いていないらしく、青い顔をしているニールの隣に腰を下ろしました。事前にソファーの配置を変えておいたので、シュレトは居間の入口に背中を向ける格好になりました。

 「おい、お前が何も言い返してこないなんて、珍しいじゃあないか。食事前で腹が減って、力が出ないか?」シュレトは隣に座っているニールの肩を、ポンポンと叩きました。

 「そ、そうなんだよ。俺、腹ぺこでちょっといつもの元気がないんだ」ニールは飛び出しそうな心臓を押さえるように、胸に手を当てました。

 「スープが温まるまで、ちょっと時間が掛かってしまいそうです。それまでジュースでも飲んで待っていてもらえますか?」エプロン姿のミミが、台所から顔を覗かせました。

 「じゃあ、そうしよう」ウィルはそう言って、ケイを振り返りました。「ケイ、悪いけど、台所にあるジュースを持ってきてくれる?」

 ケイは強張った足で立ち上がると、台所へ行きました。ケイが出て行った後、サムがおもむろにポケットからボールを取り出して、シュレトに見せました。

 「ジュニアはこのボールがお気に入りで、からかうと面白いんだよ。見ていて」

 サムは持っていたボールをジュニアに向かって投げました。すると、それまで大人しく座っていたジュニアが、素早い動きでボールをうまく口で受け止めて見せたのです。

 「それ、ジュニアとボールの取り合いだ!」

 サムとタエがジュニアからボールを取ろうとして、飛び掛かっていきました。ジュニアは二人にボールを取られまいと必死に抵抗します。シュレトやウィル達も楽しそうに笑いながら、ジュニア達のボールの取り合いを眺めていました。

 「そら、取ったぞ!」

 サムがジュニアからボールをひったくって、部屋の反対側目掛けて投げました。するとジュニアが素早く反応して走り出し、サムの投げたボールを空中でくわえました。

 「うまい、ジュニア!」シュレトは感心して言いました。

 ジュニアはもっと投げて欲しいと言うように、サムの前にボールを落としました。サムは再びボールを投げ、またまたジュニアはそれを口で受け止めました。ジュニアは何度もボールを空中で受け止めては、サムの所に持って帰ってきます。

 「それ、今度はシュレトの所だ!」サムは突然、ボールをシュレトに投げました。

 「うわっ、そっちだ、そっち!」シュレトは飛び掛かってきたジュニアに驚いて、ボールをウィルに投げて寄こしました。

 「それ、ノエラ!」ウィルはノエラに向かってボールを投げました。

 「ほら、ジュニア、こっちよ!」

 ノエラはジュニアが自分の方を見たのを確認してから、ボールをタエに投げました。

 「え?うわー、ジュニア!」

 不意を突かれたタエは、ジュニアに飛び掛かられて後ろに倒れてしまいました。

 「ぎゃーっ、助けて!」

 ジュニアは大きな体でタエに伸し掛かり、居間の中は笑い声や叫び声で大騒ぎです。

 「始まったみたいだね」ケイは台所から、そっと居間の様子をうかがいました。

 ケイの隣に立っているミミも、緊張で表情を強張らせていました。

 「いよいよです。大丈夫ですか、ケイ?」ミミはぎゅっとエプロンを掴んで、ケイを見上げました。

 「大丈夫だよ、ちゃんとやれるから」ケイはジュースがなみなみと入ったコップを、そっと持ち上げました。「じゃあ、行ってくるよ」

 ケイはコップを持って居間の入口に立ち、中の様子をうかがいました。居間では相変わらず、ジュニアと皆のふざけ合いが続いていました。すると入口の一番近くに座っていたサムが、ちらりとケイを見て微かに頷いて見せました。

 「おい、ボール投げて。こっち、こっち」

 サムが声を掛けると、ノエラはボールをサムに投げて寄こしました。ジュニアはサム目掛けて飛び掛かっていきます。しかし今度は、サムは受け取ったボールを手放そうとはせず、向かってきたジュニアを真っ向から受け止めました。大きなジュニアの体に突撃されて、サムはジュニアもろとも後ろにひっくり返りました。

 「お前なんかに、ボールを渡すもんか!」

 サムはジュニアとその場で取っ組み合いを始め、タエも混じってじゃれ始めました。それを見てウィルがケイに合図しました。シュレトは入口を背にして座っているし、サム達の取っ組み合いに夢中になっているため、ケイがこっそりと居間に入ってきたことに気付いていません。と、その時、サムがケイ目掛けてボールを放り投げました。

 「お待たせ、ジュースを持ってきたよ」

 そう言ったケイに、ボールが弧を描いて飛んできました。ジュニアは素早く反応して、コップを持っているケイに飛び掛かっていきました。ケイは大きく驚きの声を上げましたが、実際には驚いてなどいませんでした。彼はわざとジュニアに飛び掛かられる振りをしながら、持っていたコップをシュレトの頭の上に傾けました。

 ケイの声に気付いて、シュレトが後ろを振り返る暇もありませんでした。濃い紫色の黒すぐりのジュースは、コップの中から勢い良く飛び出して宙を舞い、真っ直ぐにシュレトの黒い髪の上に落ちていきました。ケイの狙いは見事に命中しました。

 バシャッと音がして、ケイを含めたジョーカーズ全員の動きが凍りつきました。ソファーには無残にもジュースの洗礼を浴びて、ぐっしょりと濡れてしまったシュレトが動きを止めていました。居間の中は時が止まったように静まり返りました。ジョーカーズは緊張のあまり、息を止めて彼を見つめています。シュレトの長い髪をジュースが伝って染み込んでいき、前髪から小さな滝のように流れ落ち、彼の上着を濡らしました。シュレトは自分の濡れた上着を見下ろしてから、ゆっくりと顔を上げました。彼の隣には、巻き添えを食らい、ジュースを少し被っているニールがいました。彼も呆然とシュレトを見つめていました。

 シュレトが何かを言おうとして、口を動かした時です。ジュニアがニールに駆け寄って、顔に掛かったジュースをべろりとなめ始めました。

 「うわ、止めろよ、ジュニア」ニールは頬をなめられて、顔を背けました。

 「ぷっ…」

 シュレトの表情が動きました。そして驚いたことに、彼はニールの姿を見て大笑いを始めたではありませんか。ケイはびっくりしてしまいました。他のジョーカーズも、ニールさえもジュニアに顔をなめられているのも忘れ、シュレトを見つめてしまいました。

 「こりゃあ、いいや。あはは…」シュレトは笑い続けます。

 ジョーカーズ全員、シュレトがジュースを掛けられて、怒り出すものとばかり思っていたので、あまりの思いがけない展開に、ただ呆然とするばかりでした。

 「ははは、ニール、お前すっごい情けないぜ。顔からジュース垂らして」

 「シュレトだって人のこと言えないじゃあないか。全身びしょ濡れだぞ」ニールは思わずむっとして、言い返してしまいました。

 そこで、ケイはようやく我に返りました。「ご、ごめん。手が滑って…」

 「ひどい目にあったぜ。やっぱりジョーカーの隣なんかに座るもんじゃあないな」

 「全部俺のせいかよ。俺だって、とばっちりを受けたんだぞ」

 「本当にごめんなさい。上着もこんなに濡れちゃった」

 ケイがタオルを持ってきて、震える手でシュレトの上着を拭きに掛かりました。

 「いいって、気にするなよ。だけど、もろに被ったみたいだな。髪がべとべとだ」

 そこで、すかさずウィルが言いました。「早く洗い流した方がいいよ。そんなに濡れていたら、タオルで拭いても意味がないよ」

 「うちのお風呂場を使ってよ。早く洗った方がいいわ」ノエラもさりげなく言いました。

 シュレトは素直に頷いて、立ち上がりました。「そうさせてもらった方が良さそうだな。髪がジュースでべたべただ。ミミ、少し待っていてくれないか。先に風呂場に行くことになっちまったから」シュレトはエプロン姿のミミに声を掛けました。

 「分かりました。大丈夫です、ちゃんとシュレトが出てくるまで待っていますから」

 シュレトが風呂場に入り、ドアを閉めようとすると、ニールが飛んできて呼び止めました。

 「シュレト、ちょっと待って。俺も入れてくれよ」

 「ああ?何で俺がお前と肌を合わせて、一緒に風呂に入らなきゃあならないんだ。それにお前のそばにいたら、また何が起こるか分かったもんじゃあない」

 「俺はただ、顔を洗い流したいだけなんだ。洗面台だけ使わせてもらえばいいからさ」

 シュレトは閉め掛けたドアから顔だけ出して、笑いました。「冗談だよ。入れよ」

 ニールはほっとして、シュレトが開けてくれたドアから風呂場に入っていきました。

 「うわー、髪がべたべただ。おい、俺が中に入るまでこっち向くなよ。まあ、俺の鍛え上げられた肉体美を見たいってんなら、許してやるけど」

 「誰がそんなもの見たいと思うかよ。無駄口叩いてないで、さっさと入れよ」ニールは洗面台に身をかがめて、顔を洗い始めました。

 シュレトはからかうように笑って、さっさと服を脱いで浴槽に入り、カーテンを閉めました。

 居間では、ケイがジュースで濡れてしまったソファーを拭いていました。

 「計画通り、うまくいったね。ニールも怪しまれることなく、シュレトと一緒に風呂場に入った。後は、あいつがこっそりとシュレトの飾りを持ってくるのを待つだけだ」

 ウィルが言うと、皆無言で頷きました。

 さて、風呂場では洗面台で顔を洗い流していたニールが、浴槽のカーテンが閉まる音がすると顔を上げました。そして、シュレトがシャワーで髪を洗い始めたことを確認すると、タオルで素早く顔を拭き、シュレトが脱いだ服にそっと近づいていきました。

 「シュレト、タオルを服の所に置いておくから」

 ニールはタオルを置く振りをしながら、シュレトの服の間をそっと覗きました。すぐに服の間に隠れていた飾りを見つけました。その中に小さな袋が一つありました。サムとタエが見た袋に違いありません。ニールはそっと袋だけをつまみ上げると、急いで皆が待っている居間へ行きました。

 「どうだった、ニール?」ウィルが居間に入ってきたニールに尋ねました。

 ニールは持ってきた小さな袋をテーブルの上に置きました。「あったぜ。うまくいったよ」

 皆は身を寄せ合って、テーブルに置かれた袋を見下ろしました。

 「これだよ、間違いない。僕達が見た袋だよ」サムが興奮した声を上げました。

 それは擦り切れた感じの黒い革袋で、紐が長くて首に掛けられるようにしてありました。

 「急ごう。シュレトが出てくる前に、また元に戻しておかないといけないんだから」

 ケイは自分の革袋からルーナンのかけらを取り出し、その間にウィルがシュレトの革袋を手に取りました。ウィルは少し震える手で袋を開け、キラキラと眩しく光る物を取り出しました。それはどう見ても、ルーナンの鏡のかけらに見えました。

 「ケイ、他の二つのかけらと合わせてみるんだ」

 ケイは持っていた二枚のかけらを合わせて一つにします。ストライザのかけらと、パンドラの箱から出てきたかけら二枚です。ウィルはシュレトのかけらを、一つに合わさったケイのかけらに合わせてみました。途端に皆はあっと声を上げました。ウィルがシュレトのかけらをパズルのように、他のかけらに合わせるのに成功したのです。ウィルも驚いて、手を引っ込めてしまいました。

 「シュレトのかけらは、ルーナンのかけらだったんだ」ケイが震える声で言いました。

 「どうしてシュレトが、このかけらを持っていたのかしら?それに、どうして首から提げていたんでしょうね?」ノエラの声も震えていました。

 「元は一枚の鏡だったルーナンのかけらが、あっちにもこっちにも散らばっているなんて、そもそも、それが謎だな」ニールはシュレトのかけらを拾い上げ、じっと見つめました。

 「もしかしたら、アークを捜し出すのに、ルーナンの鏡のかけらを全部見つけないとならないっていうことなのかな」ケイが言いました。

 「鏡のかけらを集めることが、アーク捜しにどう関係してくるんだ?訳が分からないよ。ん?」シュレトのかけらをいじっていたニールが、ふと眉をしかめました。「このかけら、裏側に何か刻まれている。何かのマークみたいだ」

 ケイは他の二枚のかけらを手に取り、裏側を調べてみました。今までルーナンの鏡の輝きにばかり目を奪われて、裏側を意識して見たことがなかったのでした。しかし、他のかけらにはマークどころか、傷一つない灰色の面があるだけでした。

 「ほら、これだよ。小さくて分かりづらいけど」

 ウィルにシュレトのかけらを渡しながら、ニールがマークを指差しました。

 「本当だ。小さいけど、確かに何かのマークみたいだ。あれ、このマークは…?」

 「おい、ニール。俺の首飾りが一つ見当たらないんだけど、さっきタオルを置いた時、何処かに落としたりしなかったか?」

 その声に、ジョーカーズ全員、驚きのあまり文字通り飛び上がってしまいました。なんと、いつの間にか風呂場を出ていたシュレトが、長い髪をタオルで拭きながら居間に入ってきたのです。シュレトのかけらがルーナンの鏡だったということに気を取られて、彼が風呂場を出てきた音にも気がつかなかったのでした。ケイは反射的に、手に持っていた二枚のかけらを隠すように握り締めました。

 「おい、それ!」シュレトが驚いて、テーブルの上にある小さな袋を指差しました。「それ、俺のじゃあないか!どうして…」

 シュレトの視線が、ウィルの手にある鏡のかけらに移りました。

 「おい、何しているんだよ!人の物を勝手に!」

 怒った声を出して、シュレトがウィルに向かって飛び掛かっていきました。

 「それに触るな!返せよ!」

 シュレトはウィルの手からかけらをひったくるのに、彼の隣に座っていたケイを、勢い余って突き飛ばしました。

 「うわっ!」ケイは悲鳴を上げて、床に倒れました。

 その拍子に、ケイの手から二枚のルーナンのかけらが床に転がり出てしまいました。シュレトが床に転がった二枚の鏡のかけらを見て、動きを止めました。ケイはしまったと慌てて起き上がり、二枚のかけらを拾い集めようとしましたが、それよりも早くシュレトが動き、彼を再び突き飛ばしました。そして手を伸ばして、二枚のかけらを乱暴に拾い上げました。片手に自分のかけらを、もう片方の手にケイの二枚のかけらを持って、ものすごい形相で見下ろします。ジョーカーズ全員、いつの間にかウィルのそばに一つに集まって、怯えた表情でシュレトを見上げていました。

 「どうして…?」

 シュレトは長い間、自分のかけらと他の二枚を見比べていました。彼の顔に困惑の表情が浮かんでいきます。

 「どうして…」シュレトがきっと顔を上げ、全員を睨みつけました。「どうしてだっ!」

 シュレトが大きな声で叫んだので、タエが飛び上がりました。

 「何で…、何だ、これは!」

 ケイの二枚のかけらを見せつけるように、シュレトが片手を前に突き出しました。

 「そ、それは…」

 ケイが青い顔でようやくそう言うと、シュレトは彼の言葉をさえぎって、更に大きな声で怒鳴りました。

 「どうしてお前達が、これを持っているんだ!どうしてお前達が、アークの鏡を持っているんだよ!」


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